第67話 きりぇいなちょうちょ

 ユトルの指定した合流地点は森の深部を越えた先にある廃村だった。

 そこはアドイードと出会ったがために滅んだ種族、かつて東の妖精と呼ばれた者たちが暮らしていた場所の一つである。


「う~ん……」


 鬱蒼とした森を歩いていたアルフが小川の前で足を止めた。

 森の深部に近づいたため辺りは月の隠れた夜のようで、普通なら一歩進むことすら躊躇われる。

 普通ではないアルフにとってこれくらい何の問題もないが、ユクトたちは違う。特に幼いユクルがもう色々限界そうなのだ。きっと怖い話なども苦手なのだろう。リリイの服を掴んで離さない。

 おまけに目的地を含めた範囲一帯にユトルの気配はなく、感じるのは妖精食いフェアリーイーターとゴーストの気配のみ。アルフはどうすべきか悩んでいた。


「なぁユクト、ユトルはもう到着してるはずなんだよな?」

「ああ。最後に兄さんの遠吠えもふ尻尾ハウリングテールがきたのは五日前。そのとき既に合流地点にいるって手触り・・・だった」

「いないんだよなぁ。一旦森を出たのかそれとも……」


 アルフはちらりと背後のアドイードを見た。

 

「ふんふ~ん♪ ふふふ~ん♪」


 ユトル探しに勤しむアルフと違ってそんなものに興味のない、むしろ見付からなければいいくらいのアドイードは、アルフにピッタリ引っ付いてご機嫌な様子だった。

 まるでちょっとお出かけくらいのテンションで、フェアリーイーターの腕拾ったと言い張る枝を小さく振り回している。

 数年前まで豊かで比較的平穏だったこの森を荒らしまくった原因。常日頃森は大事だよと言いながら、森自体を数多の魔物に変えた張本人。その揉み消しを謀り平穏のへの字もない土地にしてしまった主犯格。

 アドイードに恨みをもつ霊魂彷徨うこの森の深部で、何故こうも平然としていられるのだろうか。


 アルフは先っぽだけ入れさせてとやかましいアドイードに根負けしたことを悔いた。

 ゴーストがアルフの様子も伺うようになってきたのだ。


 当のアドイードは先のとおりにこにこで、アルフの背中にちょっぴり蔓を入れ自分もそこに張り付いている。背中合わせなのはアルフと自分の確固たる愛を妖精喰いフェアリーイーターとユクトたちに見せつけ、その反応を確認するため。謂わば一種のマウント行為である。


 誰も羨んでなどいないのだが、アドイードには羨望の眼差しを向けられているように感じられ、すこぶる気持ち良くなっていた。いや、ユクルだけは歩かなくていいなんて羨ましいと思っていたかもしれない。

 また、この辺りにきてから大好きな蝶々・・がアドイードにとまったことも少なからず影響しているのだろう。


 ちなみに二人を見て悪口めいたことを囁いた妖精喰いフェアリーイーターは、アドイードによってもれなくばつが与えられていた。その残骸がくだんの枝である。


「もう少し奥に進むか……」

「え、奥? もう、アリュフ様ってばなんだかんだ言ってても欲しがりさんなんだかりゃ。いいよ、アドイードもっと奥まで入ってあげりゅよ」


 照れたような笑顔でアドイードが、ズズズッとアルフの背中に埋もれていく。蝶々が驚いて飛んでいった。ユクトたちも驚いている。


「ああ違う違う、ユトルのことだ」


 ズズズッとアドイードが埋もれた分だけ戻ってきた。


「むぅ、やせ我慢しなくてもいいのに。アリュフ様だってアドイードが入ったりゃ、ぴったりしっくりきて寂しいの全部なくなりゅでしょ」


 中に戻せと一生懸命アルフに入ろうとするアドイードを蔓で押し戻しながらアルフは頬をポリポリ掻く。


「そりゃあな。でも色々大混乱が起きるだろ。それを解消したらアドイードと話せなくなるし会えなくもなるんだし。俺はそんなの嫌なんだよ」

「え……ア、アリュフ様………」


 感動して目をキラキラさせているアドイードの周りにポンッポンッと花が浮かぶ。そのうちアドイードの体にも小さな花が咲き始め、上品な良い香りが漂い始める。


「そんなに嬉しかったのか? じゃあもう俺の気持ちも分かったしいいよな。ほら、出た出た」

「そりぇとこりぇとは話が別だよ」


 せいっと力強くアドイードを押し出したアルフだったが、まだ満足していなかったアドイードが背中から離れることはなかった。

 むしろアルフに入っている蔓の先っぽを変形させ、反し・・のようにして断固拒否を示す。


「はぁ、もういい。ちょっと休憩しよう」


 アドイードのことを諦めたアルフが腰袋を開き卵を浮かべていく。すべて殻に模様のない卵だ。おそらく普通の卵か店に陳列し忘れていた卵を産む鶏が実る果樹フォレストチキンの卵だろう。


「痛っ! もうっ、なにすりゅの!?」

「筆と絵の具の代わりだ」


 アドイードに咲いた花を千切ったアルフは悪びれもせず、浮かべた卵の殻に花の汁で絵を描いていく。それが終わると卵を三角錐を被せた直方体になるよう配置した。すると卵から清らかな光を帯びた草や枝がわさわさ伸びて絡み合い、あっという間に教会風の小屋になった。


「ゴーストが多いからこの中で――」

「あ、蝶々だ。戻ってきたの? 待て待て~」


 ――休憩しよう。

 そう言おうとしたのに、蝶々につられたアドイードがアルフの背中に蔓を入れたままぴょんっと飛び下り、とたとた追いかけて行く。

 アルフはそれを無視して小屋の入口に手をかけた。


「え、あの……いいんですか?」


 リリイが戸惑っている。足を捻り潰したり離れた場所の尻を吹き飛ばせるとはいえ、それで魔物を倒せるとは思えない。あんな小さな子を一人で行かせてもいいのか、と。

 おそらくリリイはアルフだけがダンジョンで、アドイードはおまけかなにかだと思っているのだろう。


「放っとけばいい。あれに付き合ってたら命がいくつあっても足りないんだ。蝶々捕りに夢中のアドイードは、視界に入った蝶々以外を蝶々泥棒だって見境なく攻撃するんだぞ」


 言いながらアルフは入口の草をずらし、リリイたちに入るよう促す。中は昼間のように明るく、ふわふわ草のソファや水木宿り木ウォーターミスルトーのハンギングチェアが生えていた。


「でも……」

「う~ん、もしくはゴーストを引き離してくれようとしたんじゃないかな。ユクルのために」


 そんなことは絶対にあり得ない。

 だがアドイードの走っていった方を見るリリイを納得させるためにアルフは嘘をついた。


「それにああ見えてアドイードはすごく強いから心配いらない。アドイードも俺もSSランクの冒険者なんだ。さあ入った入った」


 さらっととんでもない情報を伝えられ処理落ちしている三人の背を押して、アルフは小屋に入っていった。

 それから一時間くらいだろうか、外からアドイードの鼻歌が聞こえてきた。

 待っている間に虫に刺されたのか、やたら全身に痒みを感じていたアルフがユクトたちとの会話を止めて立ち上がる。


「やっと戻ってきたか」


 そろそろ背中に入りっぱなしの蔓を引っ張ってやろうかと思っていたところだ。

 入口の草がカサカサ音を立てている。きっとアドイードが中に入ろうとしているのだろう。


「見て見てアリュフ様~」


 しかし違った。確かに入口は開けられたが、アドイードが入ってきたのではなくアルフが転げるように出ていった。背中に入れられた蔓にぐいっと引っ張られたのだ。

 明るい場所から急に引っ張り出されたアルフは暗闇に目が慣れず、それでもずるずる引かれる蔓の先へ首を回せば、かろうじてアドイードらしき影が見えた。


「アドイードのお花に綺麗な蝶々がたっくさん集まってきたんだよ!」


 影はとても嬉しそうな声を出した。

 つい先ほどまで、勝手なことをするなとアドイードを叱ろうか考えていたアルフだったが、わざわざ機嫌を損ねる必要もないかと小さく笑みをこぼした。

 だがそれも束の間。

 いったいどれほど綺麗な蝶々なのかと光る卵を出した瞬間、アルフの全身に言い知れぬ悪感が駆け抜けた。

 なんとアドイードは大量の蛾に埋め尽くされていたのだ。それも超絶気持ち悪い蛾に。


「ひいっ!?」


 もしこれが本当に蝶々だったなら、あるいはアルフも一緒に愛でていたかもしれない。

 しかし蛾。しかもこの数にこの種類。

 アルフは全身の痒みが強まるのを感じた。


 目玉クロスジヒトリ――

 

 異形に定評のあるそれは、胴体から細かい毛がびっしりついた太く長い四つの触手をうにゃあっと出し入れし、そのグロテスクな触手から毒とフェロモンを分泌して、虜にした獲物の体液を吸い尽す蛾の魔物。

 おまけに胴体には無数に瞼があって、瞬きするたびに気味の悪い目玉がギョロりと動く。それがまた気持ち悪いことこの上ない。

 なのにアドイードは蛾の下でほのほの笑っている。もはや正気とは思えない。しかも蛾が花の蜜を吸いに集まったと思っているようだが、実際は全身に口吻をぶっ刺されて体液を吸われているのだ。


「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 アルフは痒みの原因に戦慄しながら、アドイードの顔面を掴み森の奥めがけてぶん投げた。


「ううっ! まったく、蝶と蛾の区別もつかな――」


 アドイードの蔓が背中に入っていることを忘れて。


「――しまったあぁぁぁ!!」


 アルフはアドイードと共に森の最深部へと消えていった。

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