第53話 下拵えは諦めと共に

 ドアと別れて一時間後、トントンという一定のリズムとアルフの楽しそうな鼻唄、それに刃物を手にした何人かの愚痴が聞こえてくる。


「なんで俺たちがこんなこと」


 と、がっちり体型の人間の男が言えば正面にいた金髪のハーフエルフが「本当に」と口を開く。


「私、友達と買い物中だったのよ。せっかくの休日が台無しよ……テッドはどうなの?」


 ハーフエルフは手を止めて、右隣で作業している気弱そうなハーフリングの男に顔を向ける。


「僕は仕事中にだよシャーリー……ああ、後でお頭にぶん殴られる」


 テッドの顔は青ざめていた。よほどそのお頭が怖いのだろう。


 彼らはアドイードによって連れてこられたアルフの子供たち。今、この思い出の深部塔上層九四二階の大きな家で料理の下拵えを強制されている。


「皆は普段遠くにいるんだからいいじゃない。私たちなんてしょっちゅう迷惑かけられるんだから」


 今にもキレそうなコピアは、ようやっとクォーディ侯爵の件が片付いたところだったのだ。

 今日は早く仕事を切り上げてゆっくりしようと思っていたのに、と水のように透ける体をごぽごぽ沸騰したようにしながら野菜を洗っている。


「仕方ないよ~。父さんだからね~」


 対して、のほほんとしているニールはコピアの洗った人参を摘まみ食いしつつ、いも類の皮剥き中。

 無断延長した長期休暇を満喫中の彼は、どちらかといえばアルフ寄りの考えで、久し振りに兄弟と会えるのが嬉しいらしい。とはいえ下拵えは面倒臭いと思っているのは皆と同じだった。


 アルフは子だくさん。優に百人を超えるため、一人では手が足りないのだ。だからアルフはこの五人を先に連れてくるようアドイードに伝えていた。


「皆はまだいいわよ。私なんてセルシオとの最中に乗り込まれたのよ!」


 半ばヒステリー気味に声を荒げたのは、シャーリーの左隣にいる胸に薄い布を巻いただけの美しいラミア族。つい先ほどこの場所に連れて来られた彼女はイライラが収まらないようだ。


「うわぁ……」

「それは御愁傷様だわカーラ」


 皆に憐れみの視線を向けられ、コピアには肩まで叩かれたラミア族の女もといカーラは、下半身の蛇の尾をバシンバシン床に叩きつけ、正面で聞こえない振りに徹して芋を切り続けるアルフを睨み付けた。


 ラミア族の出す威嚇音。

 もしも耳にしたならば一目散に逃げ出すべき恐怖の音。逃走を躊躇しようものなら命の保証はないといわれるほど他種族から恐れられている。

 しかしアルフはどこ吹く風で、顔を上げるとにへらっ嬉しそうに笑ってみせた。


「そ、そんな嬉しそうな顔したって許さないわよ!」

「コルキスは何をそんなに怒ってるんだ?」


 アルフは言い終わると同時に、ポイっと球状の何かをカーラに投げた。

 カーラはそれを手に持った包丁で瞬く間にスライスすると、ダンッと作業台を叩きつけ叫ぶ。


「あんなタイミングで乗り込んできたからよ! あとコルキスって呼ばないで!」

「ああ……そういうのはアドイードに言ってくれよ。皆を迎えに行くのはアドイードに任せてるんだから」


 アルフは自分に非はないと手をヒラヒラさせる。


「アドイードに言っても無意味でしょ! 植物はそんなの気にしないよとか言って終わりじゃない!」

「落ち着けってコル――カーラ。中断させちゃったのは謝るよ。そしたら、この後で再開すればいいじゃないか。なんなら専用の部屋を作ってやるぞ」


 アルフのこの言葉にカーラ以外は渋い顔をした。


「は、はぁ!? そういうことじゃないでしょ! それに実家ですることじゃないわ! しかも皆が来るのよね!?」

「個室にこもってしてくれるなら俺は気にしないけどなぁ」


 デリカシーの欠片もない発言をしたアルフは、山盛りになった芋を持ち上げて移動し始めた。


「馬鹿じゃないの!?」


 カーラは真っ赤な顔で手元にあった肉の塊を投げつけた。が、振り返るとことすらしなかったアルフに易々と避けられてしまう。

 肉の塊は勢いそのまま壁に激突し、それから剥がれるように落下していくと、床に落ちる前にアルフから伸びた蔓によって受け止められた。


「食材で遊ぶんじゃない。まったく、四十手前で親から注意されることじゃないぞ」


 アルフは山盛りの芋、縦長に切ったスコーピオンデスポテトを熱した油に投入しながらため息をつく。

 それからジュワッという音と同時に跳ねてくる油から逃げるように早足で元の場所まで戻り、蔓で受け止めていた肉の塊を手繰り寄せた。


「私まだ三十代前半よ!!」 

「そうだな。若い若い」


 まるで相手にされていない返しにカーラのイライラは募る一方だ。 

 しかしアルフは気にせず肉の塊を移動させ、今度はゼリーシュリンプを材料に作っていた偽卵を割り始める。


「この肉は一〇〇年前に絶滅したマトラピンクドラゴンのなんだぞ。もったいないことするなよな。それじゃ、セルシオはそれをステーキ用に下処理しといて」

「え、あ、は、はいお義父さん……」


 テッドの正面で空気に成りすましていたセルシオは、どうしていいか分からないといった様子でアルフから肉の塊を受け取ると、神妙な顔で肉に視線を落とす。

 もしかすると、キッズドラゴニュートという種族のセルシオはドラゴン肉を捌くことに抵抗が有るのかもしれない。 

 それが駄目押しだった。カーラの怒りは頂点に達したらしく、灰色の髪の毛が真っ赤に変色していく。


「父さん……」


 今カーラはにも包丁片手にアルフの背後へ飛び掛かりそうな震える声を出した。

 と、その時、薄黄色の光がカーラを包み込んだ。シャーリーが鎮静の魔法を使ったのだ。

 カーラの真っ赤な髪の毛が徐々に灰色へ戻っていき、密かに震えだしていた両目も落ち着いていく。


「父さんは今テンションが高いウキウキモードよ。何を言っても無意味。諦めるしかないわ」

「でもシャーリー……うう、こぴあぁ~」

「そうだぞ、あの状態の親父はどうしようもない。セルシオも覚えておくといい」


 がっちり体型の人間の男が叫び生ハムの薄切りを止めて、カーラ、セルシオの順に視線を動かす。


「クリスまで……うぅ……」


 涙目でコピアに抱き付いていたカーラがクリスを睨む。コピアは心底同情するようにカーラを抱き締め、シャーリーは頭を撫でつつセルシオにも運が悪かったわね、と目配せする。

 テッドもセルシオに憐れみの言葉を掛けてから、カーラの肩を叩くと、アルフに近寄っておずおず口を開いた。


「父さん、僕は今すぐ仕事に戻りたいんだけど……」

「仕事? ああ、それなら大丈夫だ。あの胸のデカイ鳥獣人たちならアドイードが夢を見させてる。二、三日は目覚めないからお前がいなくなったのはバレないぞ」

「ちょっと! 全然大丈夫じゃないじゃないか! それじゃあ皆が捕まっちゃうよ!」


 大きな声を出したテッドだったが、やはり気弱そうな雰囲気はそのままだった。


「それは……まぁいいんじゃないか? これを機にコルキ――じゃなくてテッドは泥棒稼業から足を洗おう」

「泥棒じゃなくて義賊だから! 悪い奴らしか狙わないんだから!」


 おどおどした風に、けれど必死に言い返すテッドはハーフリングの特徴的な体型と童顔も相まって、とても可愛く見える。


「でもバーランド王国が国を挙げて追いかけてるんだろ? だから遅かれ早かれ捕まると思うんだ。俺はテッドがブタ箱で拷問を受けるのは嫌なんだよ。拷問は辛いぞぉ~」


 言いながら脅すような仕草でギザギザに割れた偽卵の殻をテッドに見せるアルフは、やっぱり楽しそう。

 それは毎日酷刑の如き拷問されていた過去があるとは思えないほど軽いノリであった。


「え……それ本当? なら早く知らせなきゃ! ねぇ今すぐ帰してよ!」

「俺が寂しくなるし手伝いが減るから却下。お仲間はあとでアドイードに連れてこさせるからそれでいいだろ。今、急ぎでって伝えたから。ほら、テッドは揚げ芋の様子を見てくれ」


 そういうことじゃないと言いかけたテッドの肩に、シャーリーの手が置かれた。無言で首を左右に振っている。


「でも、どういう風の吹き回しだよ。何年も音沙汰なしだったのに、急に俺たちを全員集合させるなんて」


 叫び生ハムを一枚ずつカーラとテッド、そしてセルシオの口に放ったクリスが絶叫する三人の奥からアルフを見る。僕にもちょうだいと口をパクパクさせるニールを無視して。


「会いたくなったんだよ。駄目か?」

「いや、駄目じゃないけど……こういうのはあらかじめ教えといてくれないと困る」


 ど正論をぶつけるクリスだが、アルフがなんと返事をするかはだいたいの予想がついていた。しかし、言わねばと思ったのだ。


「コルキスたちが何人いると思ってるんだ。あらかじめなんて言ってたら、全員の予定が合うのは何年も先になるじゃないか。俺は今日お前たちに会いたかったんだ」


 予想通りの返事だった。

 クリスは見た目も中身も変わらないアルフに大きなため息をつくも、どこかほわっとした気持ちになる。


「俺たちを集めた理由は分かった。けど、なんで俺たちだけが親父の手伝いなんだよ」

「だってお前たちは独身じゃないか。子供の世話とかないし、やることないだろ?」


 クリス、シャーリー、テッド、コピア、ついでにニールも、そんなわけないだろ。と、出かかった言葉をグッと堪えた。


「私たちは結婚してるし子供もいるんだけど?」


 絶叫してある程度スッキリしたカーラだが、まだ声は刺々しい。


「カーラは俺と料理するのが楽しくて大好きだって言ってたろ? それにセルシオは凄腕の料理人だし。ラゼルとカシオはそのうちアドイードが連れてくるだろ」

「……あ、そう」


 幼い頃にポロっと溢した自分の言葉をアルフが覚えていたことと、旦那を褒められたこと、さらにアルフが息子たちの名前を間違えなかったことでちょっぴり嬉しくなったカーラはそれ以上何も言わなくなった。

 しかしセルシオはまだ少し気まずそうにしいている。

 きっとストレス発散と嫌な記憶を薄める効果のある叫び生ハムが、薄切りの一枚では足りなかったんだろう。


「何か問題でもあったの?」


 そこへ不安顔のドロテナがやってきた。

 聖夜に拐われていた人たちの後始末で忙しくしていたのに、突然アドイードに連れて来られたのだ。そう思うのも仕方がない。


「って、テッドたちがいるじゃない。どういうこと?」

「父さんが俺たちに会いたくなったとかで集合させたんだ。今アドイードが皆を順々に迎えに行ってる」

「なによそれ。ねぇ父さん、私とはもう昨日会ってるじゃない。まだ被害者の対応が終わってないのよ。帰っていい?」


 呆れたと言わんばかりのドロテナがアルフに詰め寄る。


「よくない。全員同時に会いたくなったんだ。それに本当はドロテナともっと一緒に遊びたかったんだぞ。岩窟の町アギルゲットで隠しゴーレムトロッコに乗ったり、グリモアニアの動く町兼魔法関連ギルド本部ヒュブクデールの挿し絵の森で宝探しとか、色々考えてたんだからな」


 プイッと拗ねるようなアルフにドロテナは目をぱちくりさせた。

 兄弟の多いドロテナたちは、父であるアルフを一人占めにしたいという気持ちが大人になった今でも少からず残っている。

 自分と遊びたかったなんて言われたことは覚えている限り初めてのこと。この場にいる兄弟たちの隠しきれない羨ましそうな視線に、ちょっとした優越感を感じて気分がよくなってしまった。

 睡眠が足りてないのも関係していたかもしれない。だから、まんまとアルフの思惑に嵌まってしまった。


「わ、分かったわ。でも、夜まで時間をちょうだい。切りをつけてくるから」 

「……絶対だぞ」


 不貞腐れた顔でチラリと自分を見るアルフに、ドロテナはしょうがないなと思った。そんなに自分と一緒にいたいのかとも。


「ええ、約束するわ」

「よし分かった!」


 だが、食い気味の返事と、にぱぁっと笑顔になったアルフを見てすべてを悟った。

 やられた、と思い前言撤回だと口を開こうとした瞬間、アルフの思考を受け取っていたアドイードによって元いた場所に送られていた。


「それじゃあ次はメイン料理の下拵えに移ろう」


 アルフの楽しそうな声に深い深いため息で返事をする子供たちであった。

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