第49話 土産と仕置きとお祭りと

 固まるアルフを見てレノンは呆れていた。

 何故この父は生まれたばかりに一度会っただけの孫が、自分のことを覚えていると思ったのだろうかと。シュノンにお土産を渡しに行くと言い出した時から疑問だったのだ。

 愚かな父に付いてきて良かった、とレノンは思った。


「シュノン、この人はママのお父さんなの。つまりあなたのおじいちゃんよ」

「おじい……ちゃん?」


 海のエルフシーエルフとマーメイドを両親に持つシュノンは、外見の若い年寄りなどというものは見慣れている。

 父方の祖父も二〇〇歳という年齢ながら、見た目は父とさほど変わらない二〇代後半なのだ。

 しかしアルフは若すぎた。一〇代半ばかもう少し上くらいに見える。


「そうだぞ。お義父さんは特別若く見える種族なんだ。外見はこんなでも一一六歳だ」

「ええ!? じゃあパパとほとんど同じじゃない……全然見えない」


 まじまじとアルフを見るシュノン。今年で九歳になる彼女には、初めて見る母方の祖父が歳上のとびっきり格好いいお兄さんにしか見えなかった。

 心なしか頬が赤く染まっている。


「ほらお父さん、シュノンにお土産を渡すんでしょ」


 レノンに肩を叩かれてハッとしたアルフは、軽く咳払いをしてシュノンに微笑むと腰袋を開いて蟹から作った偽卵を次々と宙に浮かべ始めた。


「うわぁ、綺麗な卵がいっぱい」


 偽卵とはそういうもの。どれも煌びやかに装飾されているのが当たり前なのだ。特に意識していなかったアルフだがシュノンが喜ぶのを見て嬉しくなる。


「シュノン、これ割ってみて」


 アルフに手渡されたのは、瑠璃色の表面に金で縁取りされたエメラルドとダイヤで描かれた草花の光る偽卵。


「割っちゃうの?」

「うん、中身がお土産なんだ。中身が大きいからあの辺りに投げるといい」


 もったいなさそうにしていたシュノンだったが「ほら」とアルフにそっと背を叩かれ渋々放り投げた。


 普通の卵と同じ強度に調整された偽卵は、地面にぶつかるとカキンッと甲高い音を立てて割れた。瞬間、皇帝紫紺蟹エンペラーパープルネイビーブルークラブが現れた。

 ドスンっと横たわった巨大な蟹に誰もが釘付けになる。そして沈黙の後、次々とざわめきが広がっていった。


「お、おじいちゃん……これってまさか……」


 巨大な蟹を指差すシュノンはわなわな震えている。


皇帝紫紺蟹エンペラーパープルネイビーブルークラブだ! すっごく旨いんだぞ!」

「キャー! すごーい!」


 シュノンは大声ではしゃぎ始めた。蟹狂いの母から世界でもっとも美味しい蟹として日々聞かされていた皇帝紫紺蟹エンペラーパープルネイビーブルークラブ

 どんな味だろう、どうやって食べるんだろうと想像してはワクワクしていた夢の食材を前にして興奮が抑えきれない様子だ。


「おじいちゃんありがとう!!」


 満面の笑みでお礼を言うシュノンに大満足のアルフだが、一つだけ不満があった。


「シュノン、俺はアルフっていうんだ」

「うん、わかった! ありがとうアルフ君! 大好き!」


 大好き。


 いつもアドイードに言われている言葉なのに、それとは違ってアルフの心には得も言われぬ感動が渦巻いた。


「もっとあるんだぞ!」


 ふんすと鼻を鳴らしたアルフが次々と偽卵を割っていく。みるみるうちに広いお祭り会場が蟹で埋め尽くされ、あっという間に蟹の山ができあがった。


「ちょっと、たくさんってこんなになの……」


 同じく皇帝紫紺蟹エンペラーパープルネイビーブルークラブに興奮していたレノンがゴクリと喉を鳴らした。

 そして大声で叫んだ。


「皆! 私の父さんから村への差し入れよ! 手分けして料理してくれない!? 今年は好きなだけ蟹が食べられるわよ! もちろん皇帝紫紺蟹エンペラーパープルネイビーブルークラブも!」


 わっと歓声があがった。

 皇帝紫紺蟹エンペラーパープルネイビーブルークラブは貴族ですら滅多に食べられない超高級品。

 おまけに、この地方では食べられない他の砂漠蟹までたんまりあるのだ。


「私、アルフ君と結婚する!」


 小躍りしていたシュノンがアルフに抱き付いた。

 デレデレするアルフ。

 しかし、これを良しとしない者が二人いた。シュローとアドイードである。


「お義父さん、ちょっとシュノンから離れましょうか」


 にこやかな顔で二人へ近付いたシュロー。

 一方、ドアと共に笑顔で鐘檸檬ベルレモンの母樹の出産を待っていたアドイードは、雷に打たれたかの如き衝撃に襲われていた。


「アリュフ様が浮気してりゅ!」


 アドイードは禍々しいオーラを纏いその場から姿を消した。



 ◇



 波打ち際を裸足で歩いていたレノンが立ち止まり、海風に靡く髪を耳にかけ辺りを見渡す。

 燦々と降り注ぐ太陽の光を反射する海は、まるで宝石を散りばめたようで、また、夕陽になる少し前の太陽が海の一部を金色に染めていた。


 穏やかな波の音が郷愁を、目の前に広がる光景が誰かと寄り添いたい想い掻き立てる。それらはレノンの胸で混ざり合い、やや物寂しい気持ちとなって満たしていく。


 シュローと結婚してからほぼ毎日見ているこの景色がレノンは大好きだった。


「はぁ……」


 しかし、今はどうだろう。せっかくの雰囲気が台無し。


「ごばごぼごぼ」


 浅瀬に沈められアルフが、なにか訴えてくるからだ。

 細い海草に自由を奪われ、かろうじて海面に出ている顔に絶えず海水がかかろうとも、必死に訴えてくる。

 たぶん「助けてくれ」と言っているのだろう。


「グスッ、アリュフ様の浮気者」


 そんなアルフに対してアドイードは、半べそをかきながらその顔に柄杓型の海草で海水をかけていく。


「ねぇ、そろそろ許してあげたら? シュノンは私の子なんだし、父さんと結婚なんて絶対しないわ。それくらい好きって意味なのよ」


 久々に見るアドイードの苦しみ共有型のお仕置きに、レノンは苦笑いしている。

 そう、アドイードもまた、アルフと同じように浅瀬に横たわってほんの少しだけ海から顔を出しているのだ。


「でもアリュフ様はでりぇでりぇしてたよ」


 自分の顔に海水をかけるのを止め、波が顔から去っていく合間に反論したアドイード。


「孫にはそうなるものなのよ」

「植物は孫にでりぇでりぇなんかしないよ」

「そりゃそうだけど、でも父さんは植物じゃないわ」

「ごばごぼごぼ」


 おそらくアルフは「もっと言ってやれ」と言っている。アドイードによって絶え間なく注がれる海水のせいで、まともに喋ることができないらしいが、きっとそうだろう。


「どうしたらアドイードは父さんを許してあげるの?」

「……お口にちゅーしてくりぇたりゃかな」

「ごぼ!? ごぼぼぼぼ!!」


 焦るアルフと違って、なんだ簡単じゃないと思ったレノンは、その怪力でアルフを縛りつけるオリハルコンの如き頑丈な海草を引きちぎった。


「ちょ、待てコル――」


 そして暴れるアルフを持ち上げると、アドイードの口にアルフの口を強引に押し付けた。


 太陽は水平線に飲まれつつある。

 海は茜色に染まり、雲は光と影に別けられて海と同じく茜色に包まれている。それからゆっくりと青紫色に変わっていく大きな空は、いつ見ても美しい。

 今日はそれに加えてアドイードから出た輝く花びらが海風に乗って舞い上がっている。

 レノンは素敵な景色だわ、と足元に視線を戻すことなく微笑んでいた。


 それから二時間後、ベルレモン祭りが開催された。例年にないほど賑やかで、あちこちから蟹の焼ける良い匂いと楽しそうな声が聞こえる。それに交じってアルフに感謝する声も多い。


 当のアルフはというと、お祭り会場の隅っこで焼き蟹を頬張りながらシュノンの踊りを見ていた。

 天使の衣装は気に入らないが、そういうお祭りなのだから仕方がない。

 なんでも野蛮な種族の格好には、鐘檸檬ベルレモンの母樹が産む新檸檬に、こんな特徴の種族には気を付けろ、と促する意味があるという。 


「ねぇねぇありゅふ様。もう一回だよ」


 がふっと蟹を頬張ったアルフを揺さぶるのは、未だ頭に花を咲かせているアドイードだ。

 あれから常にひっついてきて何度もお代わりを要求していた。アルフはそんなアドイードを徹底して無視している。

 しかし何時間と繰り返される要求に辟易したようだ。アドイードの顔を鷲掴みにして押し返すと、ついにその口を開いた。


「キスは誕生日だけの約束だ」

「あどいーど今日が誕生日だよ」

「嘘つくんじゃない。あとそのあざとい言い方を止めろ」

「むぅ、アリュフ様のケチ」


 思いっきり塩対応だったが、やっとかまってもらえたアドイードは口を尖らせながらもどこか嬉しそうだ。


「お義父さん、海に沈められたんですって?」


 そこへ同じくどこか嬉しそうなシュローがやって来た。

 噂に聞いていた娘の「パパと結婚する」発言を横取りされたシュローは、持って来た大量の海草や鐘檸檬ベルレモンの葉、果物をアドイードの横に置く。


「シュリョーは気が利くね」


 アドイードはアルフの膝に座り直してそれらを食べ始めた。


「お義父さんにはこっちを。ベルレモンワインです。鐘檸檬ベルレモンの風味豊かですっきり味で、蟹との相性も抜群ですよ」


 差し出されたジョッキには黄色と緑色のワインが縦半分に別れて注がれていた。仕切りが有るわけでもないのにどれだけ揺らしても混ざらない不思議なワインは、表面が跳ねる度に綺麗なベルの音を奏でる。


「レモン味はもう充分なんだけどなぁ」


 そう言いながらもグビッと飲んだアルフは目を丸くした。


「前に飲んだ時よりずっと旨い」

「でしょ? 六年前お酒作りに適した鐘檸檬ベルレモンの子供が産まれたんですよ。えっと……あ、あそこの彼です。ワイン君っていいます」


 シュローが指差したのはレノンの隣で一心不乱に蟹を食べている何か。木でできた顔と小柄な体。所々緑色の葉が装飾品のように生えていて頭には黄色と緑色の髪の毛。

 アドイードの親戚と言われても納得しそうな容姿に、思わず可愛いと言ってしまいそうになる。もう少しお酒が入ってれば危なかったかもしれない、とアルフは思った。


「彼が育てる鐘檸檬ベルレモンは果汁がそのままワインなんです。お陰でワイン造りは廃れましたけどね」


 軽い感じで言うシュローだったが特に誰も困っていないらしい。


「去年の双子は産まれてすぐ旅立ったんで、今年はどんな子が産まれるのか皆楽しみなんです」


 当たり前のように話すシュローだが、アルフは鐘檸檬についてよく分かっていない。

 シュローの話を遮って質問する。


「それはですね――」


 鐘檸檬ベルレモンにはマザーと呼ばれる母樹というものがあり、それは実をつけない代わりに膨大な量の魔力を地下に蓄え、年に一度だけ幹に子を宿すという。

 子はヒト種と同じような姿で産まれ、ベルジュ島のどこかで鐘檸檬ベルレモンを栽培するようになる。

 たまにワイン君のように変わった鐘檸檬ベルレモンを作る子が産まれるんだとか。他の村には鐘刃檸檬ベルブレードレモンとか鐘棒檸檬ベルロッドレモンなんてものもあるらしい……。

 また、双子の場合は産まれるとすぐに海を泳いで別の土地へ渡り、鐘檸檬ベルレモンの生息域を拡大するという。


「今年は使鐘檸檬ベリュリェモンを栽培すりゅ子が産まりぇるんだってドア言ってたよ」

 アドイードはそう言って鐘檸檬ベルレモンの葉を食べて酸っぱそうな顔をする。


「天使ねぇ……」


 目を細めて呟いたアルフは、ワイン君とアドイードを見比べながらベルレモンワインを一口。


「酸っぱい」


 試しに緑色の部分をだけを含んでみたアルフは、アドイードとそっくりな表情をするのだった。

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