第31話 見覚えのある井戸

 案内されて来たのは王都の外れにある古びた井戸だった。


「こりぇがユクリュ君の家?」 


 アドイードが首を傾げている。

 それは井戸の体を成しているが、手でもすくえる位置まで水が溜まっていたのだ。


「ここに魔力を当てると……ほら、水が螺旋階段になるんだ」


 子供にはこういったギミックが格好良く思えるのだろう、ユクルが少し自慢気な顔で振り向く。 


「凄い! こりぇ、アドイードも作りゅねアリュフ様!」


 それはアドイードも同じだったようで、興奮気味にアルフの手を引いた。


「好きにしてくれ」


 アルフは面倒臭そうに返事をすると階段を降りて行く。

 途中にかけられた侵入防止の魔法と警備のゴーレムは誰にも反応することなく沈黙を守っている。


「あ、ここも俺がやるよ」


 階段を降りきっても壁しかなかった。またユクルが壁に埋め込まれた小さな石に魔力を当てて呪文を呟く。

 すると、壁は左右にじわじわ溶けていくように開いていった。


「凄い……カッコいい……」


 アドイードはまたも感動し震えていた。アルフはそれを冷めた目で見ている。


「ただいま!」

「ユクル!? どこに行ってたのよ! 心配したのよ!」


 帰宅を告げるユクルの弾んだ声に呼ばれ、若い狼獣人が出てくる。右目は潰れ腕も片方を失っていた。


 部屋の奥の簡素なベッドに寝かされているのは兄のユクトだろう。

 両足がないので眠っているのか、横になっているだけなのか……一定のリズムで呼吸している。きっと寝ているのだろう。


「ごめん……でも姉ちゃんとユクト兄ちゃんを治してくれる人を見つけたんだ!」


 ユクルの言葉に一瞬だけ喜びを見せたリリイだったが、すぐに表情を引き締めて首を横に振った。


「ありがとうユクル。皆さんも。でもごめんなさい。せっかく来ていただいたんですが、私たちにはお金がないんです。どうぞお引き取りください」


 深く頭を下げたリリイに「違うんだ」と言うユクル。しかしリリイはそんな上手い話があるわけないと幼い弟を諭す。


「ここにしよっかなぁ」


 アドイードはそんな二人にお構い無しで食料などを出していき、アルフは無遠慮に部屋を見て回る。


「なぁ、この井戸は誰かに教えてもらったのか?」

「え、うん。薬屋の魔女が貸してくれてるんだ」

「そうか」


 アルフはそれだけ言うと素早くリリイに復元を使った。


「え……」

「姉ちゃん! 目が、目が元通りになってる!」


 続けて右腕も復元したアルフは、無言のままユクトに近付いて両足を復元した。


「あ、あぁ……」


 泣き崩れたのはリリイ。治さなくていいと言ってはいたが、本心ではない。まだ若いのだ。恋もしたかっただろうし結婚も夢見ていただろう。

 これまでずっと心に蓋をして我慢していたに違いない。

 ユクルもそんなリリイに寄り添って涙を流している。


「ありがとうございます。本当にありがとうございます」


 ユクルとリリイは何度も何度もお礼を口にする。


「さて、じゃあ報酬なんだけど」


 そんな二人に向かってアルフが報酬の話を切り出した。


「え? 報酬って……助けてくれるんじゃ………」


 ユクルが顔を上げてアルフを見た。


「タダでとは言ってないよ」


 代わりに答えたグルフナに悲しみの表情を露にする。

 それから、グルルルッと歯を剥き出し毛を逆立てて怒りの表情へをアルフに向ける。


「騙したのかよ!」

「止めなさい! 世間知らずな弟が申し訳ありませんでした。お金は一生かかってもお支払いします」


 立ち上がったリリイがさっきよりも深くお辞儀をする。

 それを見たユクルは俯いてしまった。


「ああ、お金はいらないんだ。その代わり尻尾をもふらせて欲しい」

「へ?」


 ユクルとリリイが顔を上げてすっとんきょうな声を出した。

 二人ともよく似ているが、リリイだけみるみる顔を赤らめていく。


「アリュフ様は狼獣人の尻尾が大好きなんだよ」

「そうそう、もう病気ですよね」


 ここへ来るまでも、前を歩くユクルのふわふわ揺れる尻尾に何度飛び付きそうになったことか。グッと堪えていたのは断れない状況を作り出してから、と強く自分に言い聞かせていたからだ。

 とはいえ、心の中では数百回以上も頬擦りしていたのだが。


「アドイード本当は嫌なんだけど、不治の病だかりゃもう諦めてりゅの。前に怒って引き離した時もね、アリュフ様頬っぺたなくなったのにずっとすりぃすりぃしてたんだもん」


 アドイードとグルフナの酷い言いようにも、アルフはまったく動じない。

 この一〇〇年でとうに恥など捨て去っている。


「そんなことでいいのか!? 好きなだけモフってくれ!」


 後ろ向いて尻尾を揺らすユクルを見てアルフが両手をワキワキさせ始めた。


 グルフナにしてみれば、そんな見るに耐えないニヤけ顔の主は気持ち悪かった。

 それでもどこか魅惑的な表情に見える不思議。

 現にアドイードはその顔に見とれているし、視線の先に嫉妬もしていた。


「なななな、なに言ってるのユクル! 駄目よ! 私はよくてもあなたは絶対駄目よ!」


 リリイはユクルを背に隠し、淫獣を見るかの如くアルフを睨んだ。

 狼獣人にとって尻尾は愛する者にのみ触れることを許す大切な部分。いわば愛の証しであり、そういう行為・・・・・・の時に使われるものでもある。

 とはいえ、リリイはとんでもなく見た目の良いアルフに迫られて満更でもない様子だ。


「待ってくれ」


 いつから目を覚ましていたのか、ユクトが体を起こした。少しふらつきながらベッドから降りるとアルフを真っ直ぐ見て頭を下げる。


「こんなこと言える立場じゃないのは重々承知だが、どうかリリイとユクルは勘弁してやって欲しい。ユクルはまだ子供だしリリイは女だ。だからどうか……どうか、代わりに俺の尻尾を好きにして欲しい」

「ユクト兄さん!」

「ユクト兄ちゃん!」


 久しぶりに立ち上がった兄を見てまた涙を流す二人。尻尾も激しく揺れている。


「本当にもふるんですか? いい機会ですし、その深刻な病に立ち向かってみたらどうです?」

「アドイードもこりぇ以上悪化させない方がいいと思うよ。ううん、違うね。やっぱり治そ。その病気、頑張って治そ」


 アドイードが哀れみいっぱいの表情で足に抱きついてた。


「チッ……久しぶりの尻尾だったってのに。じゃあ代わりの代わりだ。仕事を手伝ってくれ」


 さも、グルフナとアドイードに説得されたかのように振る舞ったアルフだが実は違う。

 妹たちではなく自分の尻尾をと言ったユクトに、妙な引っ掛かりを覚えたからだ。

 それが何かわかる前に尻尾をもふるのは危険な気がしたのだ 。

 自分の容姿が男女問わず魅了してしまうのが当たり前と思っているアルフの直感は概ね正しい。血は争えないということなのだろう。


「驚かないで欲しいんだが、俺たちはダンジョンだ」


 人のことをどうこう言うくせに、足に頬擦りしてくるアドイードを抱っこして自分たちをユクル兄弟に見せる。


「でも善良なダンジョンだから安心してくれ。ちょうど案内人・・・が足りなくて困ってたんだよ。魔物たちはみんなやりたがらないんだ」

「死んでも生き返りゅかりゃ安心安全だよ」


 アドイードの言葉に他意はない。

 アルフを狂わす魅惑の尻尾を持ってるやつは何回も殺してやるぞ、などという意味は皆無である。


「グルフナは案内人がなんなのか説明しといてくれ。元気になった頃に迎えにくる……やっぱ、地図とお守りも渡しとく。迎えにくるの忘れるかもしれないから、悪いけどそのときはユクトたちから来てくれ。じゃあ俺は帰る」

「待ってアリュフ様!」


 すぐに終わった抱っこに不満そうだったが、置いていかれるとわかったアドイードは、残りの食料を急いで放り投げてアルフを追いかけた。


「まだ返事をもらってないじゃないですか……すみませんね」


 残されたグルフナは、一〇〇年たっても微妙に王族感覚の抜けきらないアルフにため息をつく。


 しかし同時にほくそ笑んだ。


「ご飯、まだですよね? 食べながら話しましょうか」


 持ってきた食料から肉を取り出してにこっとするグルフナは知らなかった。

 主たちの根がまだ少し体内に残されており、食料をすべて平らげたことが直ぐにばれる羽目になることを。

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