第30話 不思議な果実と少年の事情

 深い深い豊かな森の中、野菜畑や花畑に薬草畑、さらにはに蝶々畑に囲まれたアルフの小さな家から楽し気な歌が聞こえてくる。

 それはいつの間にか合流していたアドイードの鼻歌。

 その小さな家の中で、アルフが大きな葉っぱで作られたソファに行儀悪く寝そべり紅茶を飲んでいる。

 連れ帰った狼獣人の少年が目を覚ますのを待っているのだ。


「どうしてなんですか!」


 テーブルいっぱいに並べられたクランバイア名物とアドイードのお土産得たいの知れないびくびく動く果実を前に不貞腐れた声で抗議したのは、再び使い魔(仮)に格下げされたグルフナだった。


「逃げながらあの店を元に戻すの大変だったんだからな。昼休みで皆が出払ってたからよかったものの、危うく衛兵にしょっぴかれるとこだったんだぞ」


 死角から忍び寄ってくるグルフナ本来の触手べろを撃退しながらアルフは反論する。


「でもでも、ちゃんと犯人を捕まえましたしたよ……そりゃ財布は見つからなかったですし、ちょっとやり過ぎたかもしれませんけど、その分のご褒美があってもいいと思います」


 よほど食べたいのだろう、グルフナは涎を拭いながら食い下がってくる。


「それはもう渡したじゃないか。美味しかっただろ、目撃者の記憶」

「あれは隠蔽工作だから仕事です。ご褒美にはなりません」


 触手を力なく揺さぶって抗議するグルフナ。それでもアルフは知らないとばかりに、アドイードのお土産に手を伸ばす。

 だが、聞こえてくる呻き声と動く度に飛び出す白い汁に顔をしかめて手を引っ込めた。


 本当はすぐにでも飛びかかってすべてを奪い取りたいグルフナだったが、二人の主に根下ろし・・・・されているせいで力が出なかった。

 この前のカーバンクルの時とは違い、今回のお仕置きはとても厳しいのだ。


「グリュフナ君ってば煩いよ。アリュフ様はアドイードとぷりぇぜんと交換してりゅんだかりゃね」

「アドイードは狡いよね。勝手にどこかへ行って、その間にアルフ様が犯罪に巻き込まれたってのに謝りもしないで、そんな美味しそうなもの食べれるなんてさ」


 魔石風かき氷を蔓で器用に食べつつ、気持ち悪い果実をアルフの口に押し付けているアドイードにグルフナが文句を垂れる。


「止めろアドイード。それは不味そうだ」

「そんなことないよ。美味しいよ」


 完全無視でどんどん自分に根を張り巡らせていく主たちに、グルフナは声を強めた。


「無視するんですか? 無視は使い魔虐待ですよ。魔法関連魔連ギルドに訴えますよ」

「グルフナの使い魔登録はとっくの昔に破棄されてるから意味ないな」

「ぐぬぬぬ……じゃあダンジョン集会で問題提起します」

「いいけど、誰も取り合ってくれないと思うぞ。グルフナは俺より嫌われてるんだから」


 下手なダンジョンマスターより強いグルフナは、彼らの劣等感を刺激するのだ。

 しかもアルフやアドイードと一緒に煽り散らかすのだから、嫌われて当然だった。


「ねぇねぇアリュフ様。もうすぐ起きりゅと思うよ」

「そうか……ん?」 


 喋った隙に飛ばされた汁が口に入った。

 その味でこの果実がなんなのか思い出したアルフは、サッと立ち上がってアドイードを抱っこする。


「悪いこと考えてるだろ」

「なんのこと?」

 

 それでも「一口で良いから食べて」としつこいアドイードから果実を取り上げ卵にする。


 しょんぼりしたアドイードを降ろし、アルフは解毒薬を飲むため部屋から出ていった。念のため、テーブルに広げた食べ物もすべて卵にしてから。


 それからしばらく、日の沈む頃に狼獣人の少年が目を覚ました……のだが、アルフは部屋の隅で落ち込んでいた。

 結局、解毒薬が間に合わず果実の効果が発揮してしまい、己の昂りを処理してしまったせで。それもアドイードを見ながらだ。

 幸い効果は薄く、ついてきていたアドイードにまで手を出すことはなかった。

 しかし、ガン見していた最後に「雌しべないのにいっつも花粉だけ飛ばすの何でなの?」と聞かれて虚しくなった。

 賢者の黄昏と呼ばれる最中に、それはあまりにも堪えた。


 元々、受粉・・についての認識があまりにもかけ離れているため、二人でそういう行為をすることはない。

 というよりアドイードにそんな欲はない。

 ただ永遠に一緒にいたい。未来永劫、自分だけを見ていて欲しい。それだけなのだ……。

 あの果実も、食べれば最も大切な者と離れたくなくなる果実、という間違った認識でしかなかった。


「いい加減こっちに来て下さいよ。この子も困ってるじゃないですか」

「嫌だ」


 お仕置きが中断され元気を取り戻したグルフナの呼びかけに小さく返事をしたアルフは、部屋の隅で膝を抱えてじっと動かない。なんと、もたれ掛かっている壁と体半分が一体化している。

 そのせいか、アルフの気持ちに呼応するかの如く室内にはジメジメと陰鬱な空気が漂っていた。


「しばらく放っておくしかないですね」


 諦めのため息をついたグルフナはとても面倒臭さそうだ。 

 そこへ寝間着姿のアドイードが、一人分の紅茶とお茶菓子を運んできた。

 幸せいっぱいのアドイードの前に、陰鬱さなど無に等しい。


「ねぇねぇ、どうしてアリュフ様のお財布盗んだの? 貧乏なの?」


 少年は「貧乏なの?」という質問にピクリと耳を動かした。

 まったくもってそのとおり。ここ数ヶ月ろくなものを食べていないのだ。美味しそうなお菓子や、間違いなく高級な紅茶から目が離せない。

 図々しいとは思っているものの、どう見てもお客様用のお皿に並べられたお菓子とカップに注がれた紅茶。それを一秒でも早く口にしたいのだろう。ごくりと喉が鳴る。


 しかし、アドイードはそんな少年の前を素通りしてそれらをアルフの前に置き、そっと紅茶を持たせる。


「元気だしてアリュフ様」


 ちょこんと隣に座ったアドイードは、お菓子を一口食べてアルフを見上げる。


「美味しいねアリュフ様。アリュフ様がどんなになってもアドイードが一緒にいてあげりゅかりゃね。大丈夫だよ」


 元来、無邪気でうっかり者のアドイードはとても優しい。

 アルフと一つになった影響で、ただ無邪気なだけでなく小狡い一面も持ってしまったし、一つになる前も、大嫌いな芋虫を殲滅する魔法を編み出したり、魂をぶち壊す必殺の魔法をぶっぱなすことも多々あったが、本当はとても優しいのだ。

 例えそれが異常な歪さであったとしても。


 アルフが落ち込んでいる原因を知らないグルフナは、寄り添う二人を見て、すべてはこの状況を作り出したいがためにアドイードが知略を尽くしたのではと疑問に思ったが、直ぐにそれを否定した。


 アルフとアドイードは一つなのだ。


 何を考えていても、どちらかが遮断を解除すればほぼ何もかも筒抜けなのだから。すべて偶然だったと思い直す……が、疑惑は決して拭いきれなかった。


 一方、狼獣人の少年は酷くショックを受けていた。

 あの美味しそうなお菓子は自分のために用意されたのではないと知り、激しく落胆している。

 財布を盗んだ罰なんだと諦めるには、あまりにも魅惑的なお菓子。欲しい、食べたいという気持ちが尻尾に表れている。


 それを間近で感じ取ったグルフナは、触手を使ってお菓子を二つだけ取った。


「あ、なにすりゅの! そりぇはアリュフ様とアドイードのだよ!」


 決して自分も食べたくて二つ取ったわけではない。あくまで交渉のためだ。

 プンプン怒るアドイードを無視して、狼獣人の少年に取引を持ちかける。


「盗んだ理由と財布を何処に隠したのか正直に話せば、もっとたくさんあげますよ。なんなら、さらに美味しいものも付けます」


 グルフナの言葉に耳をピクピク、尻尾をふぁさっと動かした少年はあっさり落ちた。


 ――少年はユクルと名乗った。


 そして、財布を盗んだ理由をポツリポツリと語り始める。


 なんでもユクルの両親は早くに他界し、兄と姉であるユクトとリリイが冒険者をしながら育ててくれているという。

 しかし、その二人は今、大怪我で仕事ができないのだとか。

 日に日に貯えがなくなっていき、自分も稼ごうとしてみたがまったく駄目で、その日食べるのも苦しくなった。

 そして空腹の限界になった今日、ついに盗みを働いてしまったという。


「え、そんなことで?」


 つい口にしてしまったグルフナは、盗みの原因がもっと深刻な理由だと思っていた。


 ユクルの話を聞いてそんなこととは冷たいようにも聞こえるが、住んでいるのはあの魔法王国クランバイア。

 他の国ならいざ知らず、大怪我くらいこの国なら治療院で銅貨五枚払えばこと足りる。

 なんなら近所を駆けずり回って治癒魔法が使える人を探してもいい。

 しつこいようだが、ここは世界で最も魔法が発達した国であり、ほぼすべての国民が魔法を使えて当たり前。

 頑張れば半日もかからず目的の人物と出会えるだろう。


 部屋の隅でイジけているアルフは、その”ほぼすべて”から漏れていたけれど……とにかく、死んでさえいなければ大怪我くらい秒で治せる魔法使いなど、うじゃうじゃいるのだ。


「正式なクランバイア国民じゃないんだろ」


 イジけながらもきちんと話を聞いていたアルフが声を出した。

 この国の元王子であるアルフは、話を聞いてすぐ合点がいった。治療院はクランバイア国民でなければ莫大な治療費を請求されてしまう。


 それに――


「二人はどこか欠損してるんじゃないのか? それもかなり時間が経ってる」


 ユクルは涙目で頷いた。

 ほぼすべての国民が魔法を扱うとはいえ、さすがに欠損部位を再生できる魔法使いは多くない。

 それこそ、そういった優秀な者は治療院で雇われているか、宮廷魔法師として宮仕えをしているもの。


 そしてなにより、クランバイア国民は国民認定前の移民にことさら冷たい。

 かつては偽国民なんて言葉も存在していたくらいだ。

 とはいえ正式なクランバイア国民になれば、心を開き温かく迎え入れてくれる。

 近所の人たちが歓迎と謝罪のパーティーを開いてくれるくらいには態度が一変するのだ。


 それにはきちんと理由があって、国民認定前の移民には他国からの諜報員疑惑がかけられているから。

 他国では類を見ない素晴らしい魔法技術や、大魔法使いの育成方法等、盗み出したい情報はいくらでもある。

 だからクランバイア国民はその疑惑が晴れた証拠である、国民認定が成されるまではとことん冷たい。


 それはグルフナの知らなかった事実。


 もちろん観光客にも警戒しているが、そこは金蔓と割り切り表面だけ取り繕って、にこやかに接している。

 アルフに割高で名物を売り付けた露店商のように。


「俺たちは隣のテラテキュラ王国から来たんだ。クランバイア国民になれば欠損部位も安く治してもらえるって聞いて。でも国民認定はなかなか通らないし、皆全然相手にしてくれなくて……」


 ユクルの声がいっそう沈んでいく。

 ちなみにユクルの情報には訂正が必要で、クランバイア国民でも欠損部位の再生にはそれなりにお金が必要である。

 もっとも他の国に比べれば格安なのかもしれないが……。


「大変なんだねぇ」


 どうでもよさそうな相づちをうったアドイードは、アルフのお代わりを淹れに部屋から出て行った。


「ユクルって何歳なんだ?」


 唐突に年齢を尋ねたアルフが立ち上がる。ぶちぶちと壁から離れる音は少し気持ち悪い。


「八歳です」


 それを聞いてグルフナは出かける準備を始めた。八歳というのは、兄弟で唯一アルフに懐いていた末の弟が死んだ時と同じ歳。

 幼くして死んでしまった弟を今でも大切にしているアルフは、八歳以下の子供にやたら甘くなる。

 一時期、スラム街や孤児院にいる子らを片っ端から引き取って大事に大事に育てていたくらいなのだ。


「よし、じゃあ今からユクルの家に案内してくれ。俺が欠損部位を復元する」


 案の定、アルフはユクルを助けると言い出した。ついでに、グルフナはもう一つの目的にも当たりを付けている。


「アドイード、紅茶は多めに頼む、あとお菓子もな。それから畑の食料も採ってきてくれ。たくさんだぞ。狼獣人だから、バーミリオンブルウッドとかリーフポークを多めで。向日葵ひまわりチキンもいいな。準備でき次第出かけるぞ」

「アリュフ様とお出かけ!? やったー! アドイード急ぐね!」


 わざとらしくバタバタと音をたて始めたアドイードは、数分で準備を完了させた。

 やけに早かったのは、アドイードがアルフの考えを共有していたからだろう。

 欠片も興味が無いことでも、結果アルフにかまってもらえるならなんだってするのがアドイードなのだ。


 何が起きたのかよく分かっていないユクルだけが、ポカンとしていた。


「じゃあ、お外に出りゅよ。二人はちゃんとアドイードに掴まってね」


 グルフナとユクルにそう言ったアドイードは、アルフの胸に飛び付いて抱っこされる体勢になった。

 しかしアルフの腕は床と垂直に固定されたままピクリとも動かない。


「アリュフ様、抱っこだよ」


 どれだけ催促されようとも、アルフは最後まで手を動かさなかった。

 なお、グルフナがこの状態を密かに孤独抱っこと呼んでいるのは甚だ余談である。

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