第46話 アルフ、竜巻になる
その日、聖夜は会社で夜遅くまで働いていた。
二三歳でこの
それなのに今朝、部下が全員出社しなかったのだ。
皆のデスクには前日に置いていったらしい退職届が一枚、二枚……数えるのも嫌になる。
上司に報告してもたいして取り合ってもらえず、迷惑だけはかけるなよと言われてしまう。
結果、いつ決まるかも分からない派遣社員をあてにしつつ、部下に押し付けていた大量の仕事を一人でこなす羽目になった。
「クソッ! 最近の若いやつはちょっと厳しくしるとすぐに辞めやがって」
しかしすべて自業自得。
パワハラ、セクハラ、その他諸々。ハラスメントの限りを尽くしたといってもいい聖夜なのだ。
こうなることは分かりきっていた。
とうてい期日までにすべてを仕上げることなどできない仕事量。
聖夜はキーボードを強めに叩きながら、どうやって派遣社員に責任を押し付けようか考えていた。
その時、デスクの下に放り投げていた資料の一つが目映い光りを放った。
気が付くと聖夜は真っ白な空間にいた。
「ま、まさかこれって……」
異世界転移もののラノベが大好きな聖夜は、すぐその可能性に思い当たる。
『ようこそ哀れな人間よ』
まるで美しい歌を歌っているかのような声、どこからか女が現れた。
大きな本を持った目も眩むような美女だ。
「やっぱり……も、もしかして女神様ですか?」
『そう呼ばれることもあります』
間違いない。確信した聖夜はワクワクしながら次の言葉を待った。
『天野聖夜、急なことで戸惑いはあるでしょうが、あなたにはこれから選択してもらいます』
「はい女神様」
『あなたは唯一にして特別な存在として別の世界へ旅立つことができます。もちろんこのまま元の世界へ戻ることも可能です。どちらにするか選びなさい』
フレンドリーな女神様ではなく、真面目系だなと聖夜は思った。上から目線にはイラッとするが異世界へいけるなら我慢してやってもいい。
「異世界へ行きます」
『そうですか。では、あなたはダンジョンマスターになってもらいます』
そこは選べないのかよ。まあでも最強ダンジョンを作ってハーレムってのも悪くない。などと下卑た笑みを浮かぶのを止められず、直ぐに右手で口元を隠し悩む素振りを見せる。
それから十分もったいぶってから女神と目を合わせた。
「分かりました」
『結構。では異世界についいてですが――』
「剣と魔法の世界なんですよね」
女神を遮り知った風な口振りの聖夜はとても醜く見える。
『……ええ、そうです』
「なら説明はいりません。そういうの、こっちでも結構メジャーなんで」
『そうですか。では能力についてですが、先ず基礎的な能力は大幅に強化されます。しかしそれだけでは心許ないので、この中から最も役立つと思う能力を選びなさい』
美女の持つ大きな本が開かれるとページが飛び出し、聖夜の周囲にずらっと浮かんだ。
「この中で一番のチート能力はなんですか?」
『質問には答えられません。すべてあなた自身の選択で決めるのです』
チッ、サービス悪い女神だな。既に隠そうともしないその表情を美女はただ静かに見つめている。
「えっと……」
すべてのページは小さな文字でびっしり埋め尽くされていた。
女神の口振りから、選んだ能力によって異世界生活が大きく左右されるんだろうと聖夜は考えた。
そしてダンジョンマスターの強さとは最強のモンスターを作り出すことだと判断し、思い描いたモンスターを作り出せる能力を選んだ。
『クリエイトモンスター、素晴らしいものを選んだようですね』
「ああ、僕の活躍を見守っててくれよ」
聖夜は自身たっぷりに笑ってみせた。
『私はただの案内人。あなたを見守るのは別の者たちです』
「は? なんだよ、下っぱじゃねぇか。畏まって損したぜ。じゃあその者たちとやらに宜しく伝えてくれ」
『ええ。ではそろそろよろしいですか?』
「さっさとしてくれ」
美女が頷くと聖夜の足元に複雑な魔法陣が現れる。
それは聖夜にとても強大な力を感じさせた。二つ三つと増える魔法陣に比例して、その力は強まり聖夜に流れ込んでいく。
空間が
パタン、と本が閉じた。
『今回も頭の弱い愚か者……』
真っ白な空間に残された案内人。セイアッド帝国で女神と信じられる女の姿を模した彼女は、瑠璃色の髪を揺らし妖しく微笑んだ。
その彼女の発した言葉は、これからの聖夜を
◇
「クソッ……なんで僕がこんな目に」
抑えきれない吐き気を疎ましく思いながら、聖夜は食糧庫へ這って行く。
ドカンドカンという音が煩くて堪らない。
とにかく魔力を回復させなければ。そう考えて、なんとか立ち上がった聖夜は食糧倉の扉を開けた。
中に入ると食糧が逃げないようすぐに扉を閉ざす。今の自分では食糧たちが逃げるのを防げない。なにより、あの破壊音が近付くのを一秒でも遅らせたかった。
「はぁはぁ……不味そうだがお前でいい」
聖夜はたまたま近くにいた
「は、離せ化物……ぎゃぁぁ!」
必死に抵抗するシーエルフだったが、あっという間に腕を食い千切られてしまった。
「悲鳴がいいスパイスになってるけど、やっぱり男は筋張ってて不味い」
聖夜は嫌そうな顔をするものの、贅沢は言ってられないかと呟き、のたうち回るシーエルフを踏みつけて残された腕を引き千切った。
他の餌たちは目を閉じ耳を押さえて、シーエルフの悲鳴を聞くまいと必死になっている。その大半は涙を流し、聖夜の目に止まらぬよう祈っていた。
「ふぅ、だいぶ吐き気が収まってきたな」
次は女だと決めた聖夜はシーエルフの顔を蹴り飛ばして好みの顔を探し始める。そして幼い猫獣人の前で止まり涎を拭った――その時、背後で大きな音が鳴り響いた。
振り返ると破られた扉の向こうにアルフが立っていた。
「ガキが……」
ギリッと歯を鳴らす聖夜は急いで猫獣人を食べようとする。しかし、それはアルフによって簡単に阻止されてしまった。
「お前、やっぱり馬鹿だな」
ただそれはアルフが猫獣人に同情したとか、溢れる正義感によって、とかいう理由ではない。ただただ勿体ないと思ったからだった。
「なに?」
「衰弱すると味が落ちるだろ。それに美味しいやつがいたらどうするんだよ。殺したらもう二度と食べられないんだぞ」
あれこれと駄目な点を挙げていくアルフの顔を見てようやく、聖夜はアルフが自分と同類なんだと理解した。
そこへ遅れてドロテナがやって来た。
「ちょっと速すぎ――なっ!? なにこれ、酷い……父さんはそのままそいつを足止めしてて!」
ドロテナは囚われた者たちを一ヶ所に集め回復魔法や治癒魔法をかけ始める。
きっとドロテナは聖夜を討伐するとか言い出すんだろうなぁ、とアルフは思った。
アルフができる限り
しかしそれはダンジョンの中ではとても珍しい部類。ほとんどが人を殺して魔力を奪ったり、死体を貪ったりする。
それ自体非効率だなとは思っているが、悪いことだとは思っていない。
とりあえずドロテナに言われた通りにしているが、この後どうするか悩んでいた。
「一人両腕がなくて顔もぐちゃぐちゃの人がいるわ。止血はしたけど、あとで父さんが治してあげて」
そう言って近寄ってくるドロテナの顔は怒りに満ちていた。囚われているのが全員が旅人だったからだろう。
命をかけてダンジョンに潜る冒険者や自分たちとは違うただの一般人。何らかの方法で拐いこんな場所に閉じ込めていた。それが許せなかった。何故、父やアドイードのようにできないのか。
怒りに燃えるドロテナはファイブソードというスキルを発動、五つの剣を出現させた。
「私はクランバイア魔法王国、中央魔法騎士団団長ドロテナ=コルキス・ロシティヌア」
その名前を聞いて安堵の顔をみせた旅人はきっとクランバイア国民だろう。ドロテナの異名を知っているのだ。
「このような非道、見過ごすことはできない」
剣が聖夜に向けられる。
同時にドロテナは固有スキルの闇の
アルフに見せていた親子の旅行を楽しむ娘ではなく、厳しく苛烈な魔法騎士団団長の顔つき。凍てつく視線で聖夜を見据えている。
「父さんは離れてて」
アルフは言われるまま聖夜から離れた。その瞬間、五つの剣が聖夜を貫きそのまま地面に縫い付けた。
「ぐぁ!」
血を吐きながらドロテナを睨む聖夜だったが、すでに彼女の姿はない。
見えたのは
飛び散る聖夜の血は雪のように変化してドロテナに吸い込まれていく。
百式氷雪斬。
一つの斬撃が百になる氷の刃を作り出し、敵を切り刻むと同時に凍えさせ、飛び散った血液を魔力に変換して吸収していくドロテナお気に入りのスキルだ。
「ぐ、ぐぞう……」
死にそうな痛みと体が凍りついていく恐怖に、涙を流しながら聖夜は反撃用のモンスターを作りだした。
しかしそれもドロテナによって呆気なく倒されてしまった。
「なんで、なんでなんでなんでぇぇ!!」
絶叫した聖夜が何かやろうとするも、突然現れた巨大な青い手に握り潰されてしまった。
青い手が消えると、そこには小さな葉っぱだけが散らばっていた――
「どういうつもり?」
ドロテナがキッとアルフを睨む。
「い、いやぁ、凄い馬鹿だし性格も悪そうだけど一応後輩になるわけだし……」
「だから?」
聖夜を狙う五つの剣と氷の刃、その矛先がアルフにも向こうとしている。
「ちゃ、ちゃんと言い聞かせるから許して欲しいなぁって……ある意味こいつも被害者なんだろうし」
「は?」
ヤバい怖い。昔はこんな顔しなかったのに。と、アルフが魔法騎士団での生活で変わってしまった娘を心の中で嘆いている。
「えっと、クランバイアの国家機密だからドロテナは知らない方がいいと思うんだ……」
聖夜がダンジョンマスターとしてあまりにも弱く、また知識もない。
いくら弱っていても、ダンジョンマスターが
「どうして国家機密を父さんが知ってるの?」
ドロテナが反逆者でも見るような目になった。
「ひ、暇潰しで王宮に忍び込んだ時にちょっと……」
嘘だ。元王子だから知っているのだ。アルフは子供たちに自分がクランバイアの元王子だとは教えていない。
そしてアルフの言う国家機密とは、異世界から
ダンジョンから漏れ出る大量の魔素と、ある程度安全にダンジョン産のアイテムを入手するのが目的なのだ。
ダンジョンマスターの作るダンジョンはダンジョンコアのそれとは違い、主を失っても八〇〇年はその機能を保っていられる。
「……明後日まで待ってあげるわ。それまでに、クランバイアに絶対服従するダンジョンマスターに躾て。無理なら殺すわ」
明後日までとは無茶を言う。だが面倒臭いけど後輩を見殺しにするよりはいいか、とアルフは無理矢理自分を納得させた。
「聞いた通りだ聖夜。もうお前が生き残るにはドロテナの言うとおりにするしかない。分かったな?」
聖夜はただただ頷いていた。
「じゃあ復元してやる。魔力も六万くらいやるけど、しばらく使うなよ」
アルフは無惨な姿の聖夜を復元すると用心して、今度は両腕と顔が潰れた男を蔓で引き寄せた。
「こんなにしたら味が落ちるのに……」
ぶつぶつ言いながら右腕、左腕と復元し最後に顔を復元したアルフ。
「ん? んん~?」
男の顔を見て唸り始めた。
「どうしたの?」
ドロテナは聖夜を警戒しつつ男の顔を見た。すると――
「シュロー義理兄さん!?」
「兄さん? シュローなんて名前のコルキスいたっけ?」
これでもアルフは子供の顔をばっちり覚えている自信がある。もしかして物忘れが始まってしまったのではと心配になってきた。
「違うわよ、レノン姉さんの旦那よ。ほら、カニ漁師の――ぐっ!?」
パシャっと赤い液体がアルフの顔にかかった。
なんだ? と顔を動かしたアルフが見たのは、岩の牙に腹を貫かれたドロテナだった。
「はははは、馬鹿め! 弱った僕に勝ったからって油断しすぎだろ!」
聖夜がダンジョンの床を変形させて攻撃したのだ。
「感謝しろよ。お前、ダンジョンマスターのくせに服従させられてたんだろ? 情けない。これで自由――」
最後まで言うことはできなかった。アルフが卵で聖夜の頭を吹き飛ばしたからだ。
アルフはドロテナを貫く岩の牙を破壊すると、無言のままぽっかり空いた腹の穴を復元する。
「休んでろ」
油断を謝ろうとしたドロテナにそう言って、アルフは聖夜の頭を
「な、なにす――」
今度は数個の卵を変型させ組み合わせた戦
ぐちゃっと激突した聖夜の体が飛び散る。千切れて柄頭に刺さったままの頭は手掴みで投げ、同じく飛散させた。
父怒っている。それも本気で。ドロテナは恐怖した。
このままだと奴隷商人から自分とスピネルを助けてくれたあの時のように大暴れするかもしれないと。そうなれば旅人たちまで巻き込まれてしまう。
「と、父さん。私は平気だから落ち着いて……」
「俺は落ち着いてりゅ」
ゾッとするような冷たい声。しかもアドイードの声まで混じって聞こえた。
完全に駄目なやつだ。ドロテナが手を伸ばすも、旅人たちと共に
「父さん……」
ドロテナは自分の手を見ていることしかできなかった。
一方、肉片に向かって歩くアルフはまた聖夜を復元する。
「な、何するんだクソガキ! せっかく僕が助けてやったのに!」
わめく聖夜の頭を掴むと地面に思いっきり叩き付けた。
ぐちゃぐちゃに潰れた頭を復元、潰す、復元、潰す――血と脳髄にまみれていくアルフの顔に表情は無い。
「ごめ――」
グチャッ。
「すいま――」
べちゃっ。
「も――」
バチュッ。
繰り返される痛みに耐えきれなくなったのか、聖夜は涙を流して謝り始める。
それでもアルフは止めなかった。
聖夜が何も言わず、涙も流さなくなってアルフはやっと手を止めた。
スッと立ち上がると同時に自分についた汚れを偽卵にする。
「やっぱり義母さんが選んだ異世界人はクソしかいないな。次からは見つけたらすぐに殺そう」
そう言って最後にもう一度、今度は偽卵と戦槌にしていた卵で聖夜をミンチにしたアルフは、たいそう不機嫌な様子でダンジョンを後にした。
静まり返った食糧庫で聖夜の肉片が集まっていく。
「あれで殺したつもりなのかよ。ぜ、全然余裕だっての」
頭と胴体を再生した聖夜が悪態をつく。が、震えを止めることはできなでいた。
「絶対に復讐してやる」
ギリギリと歯を噛み締めながら手足を再生していくと、アルフにもらった魔力が五万とちょっとを下回ったのを感じた。その瞬間、気味の悪い無数の小さな手が聖夜の体を突き破り現れた。
それはアルフが作った卵の柄と同じ――ブチブチと聖夜の肉体を毟り始める。
恐怖と激痛に叫び声をあげながら体を再生する聖夜だったが、ついに魔力が尽きた……。
血だまりと肉片の中に柄の消えた卵が一つ。
それは聖夜だったものを吸い込むと色を変え、小さな音を立てて割れた。
中には、おぞましいぬいぐるみが入っていた。
◇
聖夜が元いた世界はいつも通り朝を迎えた。
ただその中にいつもと違った気分の男女が数人。彼らは鼻歌混じりに出社すると、上司に預けていた退職届けの返却を願い出る。
上司は頷き、これで元のホワイトな部署に戻るだろうと笑顔になるのだった。
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