祖母と金魚時計

平沢停止

金魚時計

 祖母は存命中よく、夏になると小学生だった私に『金魚時計』というものの話をした。

 そもそも金魚時計というのは本来の名前ではなく、祖母がその見た目から名付けたものらしい。話によれば金魚時計は文字盤と背面がガラスで出来ており、本来は時計を動かすための機構が収まる中の部分をくり抜き水槽にしたような構造であり、その中を金魚が泳ぐといったものだったらしい。まさに時計付き金魚鉢というような代物だが、それでも針はきちんと正しい時間を示していたようだった。

 祖母がまだ女学生だった頃、通学路に風変わりな時計ばかりを集める時計屋があり、金魚時計はその中の一つだった。店の前を通ると横目で眺めるのが習慣になっていた祖母は、夏の暑さもそろそろ隆盛を迎えようかというある日、店先の日の当たらない場所にそれが突然置かれていたのに気付いた。その置き時計は店に並ぶ他の緻密な装飾や金色の鍍が施されたものに比べれば特段飾り気のない、地味な作りであったが、暗がりに溶け込むような静かな緑青の縁の中で、身を翻した金魚の腹が光をさらさらと散乱させる姿は、祖母に幾ばくかの呼吸を忘れさせるほどだったそうだ。当時の祖母は文字盤の中を涼しげに揺れる金魚に強く惹きつけられ、毎日の店の前を通り過ぎるほんの僅かな時間を非常に大切にしていたようだった。しかし当の金魚時計は金魚が死んでしまったのか、早々に売れてしまったのか今になっては知る由もないが、一週間ほどで店先から姿を消してしまい、それどころか時計屋自体も秋が始まれば店を畳んでしまっていた。

「本当はもっと早く、店主の方に話しかければ良かったのだけれど、そのときの私はまだ人見知りが抜けていなくて。近所では変な人って有名だったし、勇気が出なかったのね。今もねあのとき、不思議な時計ですねって言えなかったの、後悔しているのよ」

 ――後悔。しばしば祖母の話はそう締めくくられた。

 小学生の私はその話にそれほど興味もなく、どうして祖母が繰り返しこの話を私にしてくれるのかが分からなかった。またこの話題かというふうに適当に相槌を打つ私に対して、祖母の方も特に目くじらを立てるようなことはなかった。

 けれど今になって考えれば祖母は私に言い聞かせるというよりも、誰かに話すことでその記憶を思い返そうとしていたのではないかと思う。祖母にとってその金魚時計の記憶は夏が来るたびに懐かしむほど美しく、同時にどうしても忘れ去りたくないもののようだった。それは、大事にしまい込んでおいた大切なものが、まだ失われていないか確かめる行為に似ているなと思う。

 そんなことを、女学生の頃の祖母と同じ歳になってふと思い出した。



 ここ数日、私の頭は唐突に湧いて出た金魚時計というものの存在に悩まされていた。バスに乗って窓の外を眺めているときだとか、あるいは自転車を漕いでいるときだとか、そういう何の気のない瞬間にあのときの祖母の声をなんとか繰り返し思い出そうとしている自分に気付く。どうしてあれほど興味を示さなかった祖母の話を今になって反芻しているのか私にも分からなかったが、夏の訪れを前にしてどこか無意識に、記憶の中の祖母と今の私を重ねているのかもしれない。より正確には、繰り返される話の中で明確な形を持った少女の姿と私を、である。

 私はまだうら若かった頃の祖母の姿をこれまで一度も目にしたことはない。母に尋ねれば写真の一枚や二枚は容易に手に入るだろうが、そうしないのは私自身、その必要性を感じられなかったからである。そこには生じるかもしれない想像と現実の乖離を目の当たりにしたくないという後ろめたさも少なからずある。ただそれ以上に何度も語られたいつかの夏の日でだけは写真に写された祖母ではなく、私の頭の中で時計を見つめる少女の横顔こそが本当の姿ではないかと思えて仕方がないのだ。

 もしかして私はただ日常の中に劇的な何かを期待しているにすぎないのではではないか? とそこまで考えたところで、これ以上は自分の痛々しい思考に自覚的になり、自己嫌悪に陥りそうだったので、無理矢理考思考を止めた。

 何日か前に金魚時計について調べてみると、その正体はあっけないほど簡単に解き明かされた。時計の正式な名称は竜宮時計といい、昭和二十年代に作られたものであった。祖母はガラス製の文字盤が水槽の役割を担っていたと語っていたが、実際は二重構造になっており、水槽を時計の中にはめ込み文字盤から眺めるといった構造のようだった。当時は競うようにして凝った構造の時計が次々と世に出されたそうだが、竜宮時計の売れ行きは芳しくなかったらしく、結局市場に出回ったのはごく少数のみだったそうだ。また珍しいものには違いないが、その意匠からコレクターの間ではよく知られたものらしい。

 どこか金魚時計を祖母の記憶の中だけにある幻の品のように感じていた私は、そのことに大きく拍子抜けし、さながら幸運の青い鳥がペットショップで売られていたような気分であった。

 ただ、こうも私が頭を悩ませるのはそういう理由もあるのだろう。遠い存在ではないと知ってしまったことで、不定型な記憶の一片でしかなかったはずのものが形を欲しているのだ。決して視覚としてではない実感としての形を。そのことに気付いてしまった私はもう止められなかった。その情動が、亡き祖母が晩年にまで抱いていた後悔のように思えたのだ。

 はてと、私はそれほどまでにおばあちゃん子だっただろうか。もしかしたら盆を目前に控えたことで祖母が私にそうさせているのかもしれない。なら祖母にとって忘れられない盆にしてやろう。

 私は玄関で家にあったカメラを持っているのをもう一度確かめたあと、スニーカーの紐を結んだ。



 駅構内から出れば、ついさっきまで電車の冷房に曝され冷えていた二の腕も、触れれば汗でじっとりとしている。私は駅と外を繋ぐ階段を下っているとき、炎天下でこれでもかと熱された手すりに腕が当たり、大袈裟に声を上げたりしていた。スマートフォンで現在地を調べてみると、目的地へはまだ三十分ほど歩くようだ。この調子なら昼過ぎには着くだろう。

 金魚時計をこの目で実際に見ようと、置いてある骨董屋や施設をひたすら調べたが、県内では私の家の最寄り駅から二時間弱も掛かる喫茶店にあること以外、めぼしい情報は得られなかった。かなり未練がましくより近場に置いてある場所を探したが、金魚時計は時価数十万円にもなるそうで、検索する時間が移動時間を越えようかというあたりで「そりゃただの道楽では買えないな」と自分に言い聞かせて諦めたのだった。もっともその喫茶店も、ときどき思い出したように更新される店のブログに写真と共に『偶然手に入れた』と簡潔に書かれているだけであり、その記事でさえもう三年も前のものである。既に片付けられているというのも冷静に考えられるが、ブログには店の住所だけでなぜか連絡先の記載がなく、行って確認する他なかったのだった。

 喫茶店があるのは名前も聞いたことがない土地の商店街の中だった。猛暑日ではあるが、休日にも関わらず駅の利用者が極端に少ないことからも、私の地元と同じで過疎の進む地域なのだろう。掠れてほとんど消えかかった横断歩道の白線が、そのことを答え合わせしているかのようだった。

 駅前の幹線道路沿いからすぐ逸れたようなところでも空き地が多く、まだらに建つ家々も真新しいものと極端に古びたものに大きく二分されていた。私にはこれっぽっちも理解できないが、真新しい家は中途半端な田舎を求めて移住してきた人がほとんどなのだろう。以前は小さな子供がいたのか、側には最低限の遊具だけが置かれた公園というのもおこがましいほどに小さく歪な形の土地が確保されているものの、鉄棒は錆び、遊具は丈の長い夏草に隠され、周りにある他の空き地と大差がなかった。これほど山や空き地の多いこの土地で、果たして猫の額ほどしかないこの公園を利用する者がこれまでいたのだろうか。どちらにせよ忘れ去られた公園が何だか不憫に思えた私は、周りに人がいないかを少し気にしながら草をかき分け、私の身長ほどの高さしかない滑り台を登る。ステンレスの照り返しが目眩のようになって目に飛び込んだ。下まで滑り終わると同時に尻の熱さに跳び上がったが、悪い気はしなかった。公園から出る際横目で見た遊具達は、当然物言わぬままだった。

 商店街が近づくにつれ空き地はとんと見なくなり、出歩く人も少しばかり多くなっていた。どうやら最短経路を調べたせいで、私はあまり人が使わない道をとっていたようだった。どうりで途中蜘蛛の巣の張る小さな高架下や狭い路地を通ったはずだ。

 私が下車した商店街の最寄り駅からかなり歩いたが、車社会の田舎ではこれほどの距離は可愛いものなのだろう。公共交通機関は進む車社会によって淘汰され、私はこんな炎天下でバスにも乗れず徒歩で歩くことを強いられたのである。

 商店街は見上げれば半透明のアーケードが備え付けられており、気休め程度に暑さを遮っている。商店街の構造は、二階建ての細長いデパートが道に沿って左右それぞれ建っており、例の喫茶店もその古いデパート内にあるテナントの一つのようだ。やはりというか一階の道に面した店はシャッターを下ろしたものも少なくない。アーケード下の往来はほとんどが商店街をただの通り抜ける道として利用しているらしかった。

 開けたままになっているガラス製の扉からデパートの中に入ると、店舗の名前が階と棟に分けられて壁に貼られた銀色のプレートに記されていた。所々塗りつぶされたり、ビニールテープが貼られたプレートから喫茶店の名前をこの塔の二階に見つけた。ブログが更新されていたので心配はしていなかったが、まだ潰れていないようで安心した。

 天井のスピーカーから商店街のテーマソングが陽気に流れてはいるが、滑らかな床のタイルと私のスニーカーの擦れる音は雑踏のないデパート内によく響く。灯りも消え、テナント募集の看板が吊り下げられた店舗が散逸していて、ぽっかりと空いたそのスペースは虫食いのようだった。胡散臭い占いの店から漏れる光も、両隣を空き店舗に挟まれ余計に不気味に見える。結局のところ虫と言える存在があるのだとすればその正体はきっと、長い時間なのだろう。エスカレーターに乗り、一階の仄暗い通路が見えなくなるまでの短い間、私はじっと空き店舗の闇を見つめていた。

 私はいよいよ探し求めた喫茶店の前に立っているが、少し遠巻きから店内の様子を窺ったり意味もなくスマホを取り出しては何かを調べる振りをしたりと、なかなか戸を引く勇気が出ず、落ち着きがなかった。喫茶店は二階の突き当たりの右、商店街の通りとは反対側に面していた。店内から聞こえてくるジャズのサックスに急かされているような気分になる。そういえば私は、生まれてこの方喫茶店に入ったことなどなく、また普段から珈琲もカフェオレのような砂糖とミルクの入ったものしか飲まない。スターバックスならまだしも一般的な、珈琲が好きな客が集まるような喫茶は格式高そうで、私の足を止めさせる。杞憂だとは分かっているがいきなり私の知らないルールで怒られたりしないだろうかと不安になる。

 そうやって数分間店の前を行き来していると人影が目に入ったのか、カウンターに立つ店員と目が合った。私はとうとう堪忍して、まるで「今、店の前に着きましたよ」というような白々しい顔で、扉の取っ手に手を掛けたのだった。

 店に入るとついさっき目の合った店員が「お好きな席にどうぞ」と促してくる。綺麗な三十代前後の女性だった。内装はかなり丁寧に掃除されていて、天井で静かに回るファンにも一切埃っぽさはない。太陽を向く窓々には目の粗い木製のブラインドが垂れて、隙間から見える風景は悉くその輪郭を白く飛ばし、各々の境界を失っている。電球よりなお強いその白い光は店内を相対的に薄暗く塗り替え、私を含めてこの空間をどこか他人行儀なものに感じさせる。その感覚は古いブラウン管テレビの映像を眺めているようだった。

 少し緊張しながらカウンターの端に座り、ラミネートされたメニューに目を通してみるが、珈琲の欄には馴染みのない横文字が羅列されているばかりで、一体何を示しているのか分からない。混乱しながらも何か珈琲を頼まなければと、とにかく安全そうなマイルドブレンドを注文した。

 店内の客は私以外に化粧の濃いおばさんの二人組と、本を読む細身のおじいさんがいた。店員はカウンターに立つ女性しか見当たらないので、この人が店長だろうか。代替わりか、想像していたよりもずっと若い。不器用なのか珈琲を淹れる背中には、団子になった下手なエプロンの結び目があった。

 出された珈琲の湯気に、私は初めて珈琲に対して「香ばしいものなのだな」という感想を覚えた。その香りになんだかブラックのままで飲めるような気がして舐めるようにして啜ってみたが、苦くて渋いだけで美味しいとは到底思えなかった。大人しくカップを置いてスティックシュガーの先を切ろうとしたとき、視界の端で反射光が揺れた。

「あ」と間の抜けた声が、気付けば漏れていた。どうしてすぐに気付かなかったのか、窓の下、逆光の影に同化するような緑青の中を丸く太った金魚が一匹、ブラインドに刻まれた細長い光をその鱗一枚一枚で丁寧に部屋に零していた。本当にあったんだな。真っ先に浮かんだ感想はそんな、既に分かりきっていたはずのことだった。

 金魚時計の金色の針が刻んでいるのは、過ぎ去ったいつかの祖母の時間に思えた。祖母の思い出はここでひっそりと続いていたのだ。

『――後悔してるのよ』

 なんだ、そんな単純なことだったのか。祖母の仏壇に写真でも供えてやろうとカメラを持ってきた自分が急に馬鹿馬鹿しくなった。私はスティックシュガーを置いてまだ熱い珈琲を一気に飲み干した。食道の熱が消えないうちに私は口を開いた。

「不思議な時計ですね」

 女性は少し面を食らったような顔をして見せたが、すぐに「ええ、大切なものです」と優しい声で言った。その目はあの頃の祖母と同じだった。

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