04-007.見習いと元締め。 Knapp und Anführer.

2156年9月25日 土曜日

 薄っすらと雲が広がる午前中。青空は見えるが太陽は遮られ、他国であれば天候が崩れる恐れを考慮するのではないだろうか。しかし、良く見れば目にする雲は雨を誘うものではないことに気付くであろう。この地方では特に午前中は曇り空の方が多く、午後から青天になったとしても一日の内僅かな時間だけであったりと、薄曇りから本曇りであることが日常である。すぐ北にはアルプス連峰が高くそびえており、山頂の万年雪が空に白く溶けている。


「いえ、皆さん随分アッサリご決断されたのですね。」

『どの道、おねーさん達は三人だけだし、結局ランダムチームに組み込まれる的と思ってたからねー。最初からフルチームで参加した方がメリットも多い的?』


 ただ今ティナは、ウルスラと電話中である。簡易VRデバイスによる通話なため、見た目には独り言を言ってるように見えるだろう。ティナの細胞給電式コンタクトレンズ型モニターには、通話相手の名前と通話中を示す丸い赤ランプが点滅しているが、彼女しか見えないものである。しかし、右目のコンタクトレンズ表面が明滅する仕組みであり、外から見れば辛うじて通話中であることが判る様になっている。


「なんで最後だけ疑問形なんですか…。兎も角、お三方が当方のチームに参加して下さりましたこと、深くお礼申し上げます。」

『なんで最後だけ他人行儀的~。兎も角、ララもニルも指揮運用の機会が少ないから良い経験になる的。』


 頭を下げている幻影が見えるような、きちんとした礼をするティナの口調を拾って返すウルスラ。ネタ感満載の回答だが、内容は別段茶化している訳ではないのでヤレヤレと表情を崩す姫騎士さん。


 ちなみに、ホピ族の戦士ララ・リーリーは名前そのままララ、モンゴル遊牧民のニルツェツェグは愛称をニル、とウルスラは呼んでいる。

 ララ・リーリーはイベントの度に「ララ・リーリー」と言う屋号で、ワイルドで豪快さが売りの串焼き屋台を出しているため、フルネームの方が通り名としては親しまれているのだが。


「口調のマネッコで返されるとは思いませんでした的です。そうですね~メンツも集まったことですし、一度メンバーで顔合わせをいたしましょうか。後で明日の午後あたりに候補時間を上げた招集メールだしときますね。」

『りょうか~い。他はどんな面子集めたのか明日の楽しみにしとく的~。』


 微妙にウルスラの口調を真似して返したティナ。軽口で返せるくらいには付き合いが長いのだ。また明日、と通話を終了する。


 すぐさま調整を始めるティナ。十三時から十七時の間で候補を三つ上げ、今回のMêlée殲滅戦チームメンバーへ集合時間の打診を送信する。各々おのおのから返信されたメールを見比べ、全員が参加出来る時間を調整する。時間が決まったら次は、場所と飲食物の手配だ。


「さてさて。会場はコミュニティセンターの一室を借りましょうか。どれどれ、小ルームが空いてますね…。そーれ、予約っと。」


 学園敷地内の施設であるコミュニティセンターは、展示場や会議室、大中小の多目的ルームを備える建物である。一般利用出来る公共施設でもあるため、学園生に優遇利用させる措置は設けていない。誰でも、事前に簡易VRデバイスなどから予約を取らないといけないルールなのだ。


「お茶の準備は、中国ヒーナ組に出前をお願いしますか。単価はこのくらいですかね。」


 おおよその予算を記載し、人数分のお茶とお茶請けを準備出来るか花花ファファにメールする。五分もしない内に点心盛り合わせ二種の組み合わせとお茶のセットメニューが提示されてきた。良さげなメニューを選択して時間・場所指定で発注。


 中国ヒーナ組は屋台だけに飽き足らず、五人前以上から出前を受け付けている。豊富なメニューが用意されており、人数の多い集まりやパーティなどで注文を受けることが多い。基本、出前は材料費と少しだけ手間賃を載せた低価格帯の設定で、店舗の出前よりも安く、本格的な中華が味わえると評判である。中国ヒーナ組の商魂逞しく、と見えるだろう。しかし、彼女達は海外生活を楽しむ一環で中華料理の布教をしているので、純粋に商売としての儲けを期待している訳ではない。


 こうして翌日の準備を整えていくティナであった。


「うーん。いつからルーにタスクを振り分けるかですね。」


 本来この様な調整事項などの雑務は、従者見習いであるルーの業務である。むしろ率先して仕事を振り、業務に慣れさせる場を与える義務が雇用主として発生する。だが、現状ではルーが鍛錬で余裕がないこと、ティナ自身が詳細を明かさずに動いていたことなどから、ルーには業務を回してはいないのだ。


「少しずつ勉強して貰うしかないですね。先はまだあることですし。」


 ヤレヤレと一息こぼすティナ。

 学園にティナがいる間は、従者見習いとしてルーを任されているのだ。その間は、ルーの業務に纏わる諸々の決定権と、従者見習いから議案が出された時の裁可を彼女が担う。故に、ルーの育成計画立案もティナの仕事になるのだ。そろそろ本格的に計画を練る必要があるなぁと思いながら、ちょっと後回しにしていたのはナイショである。どの道、ルーの戦闘術を競技に落とし込む作業の方が現状での優先事項なので、従者としての育成はもう少し後になる予定だからだ。


『姫姉さまー! ルーはお腹ペコペコです‼ 兵糧が今すぐにも必要です! 輜重しちょう兵科はいくさの基本です!』


 どうやらルーがやって来たようだ。今週末は帰省しないため自由時間を与えているのだが、普段からも気付くと子犬がすり寄って来るようにこうして訪ねてくる。

 ドンドンと部屋の扉を叩きながら大きな声で呼びかけて来るのは何時も通り。簡易VRデバイスで連絡すれば良いものを、こうして直接やって来ては声を張り上げてティナを呼ぶのだ。その行為自体は、身内に甘える幼い部分が残っていることからと思われる。そこに関しては、環境の変化や覚えて貰うことが多々あるため、今はまだ容認されている点だ。成長と共に改善されるだろうとは思われるが、場合によってはテコ入れも考慮しているティナである。


『はいはい、今お出かけの用意をしますから。少し待っていてください。』


 こちらからは簡易VRデバイスで音声を届けるが、扉の外からは呑気にハーイ、と返事をする声が聞こえた。

 騒がしく迎えに来たルーと共に、ローゼンハイムの街へ出かけたのは十分後だった。


「ルーは出来る子なので、事前にVespaスクーター借りときましたです! ビュバーっと街までひとっ飛びです!」


 折りたたんだ電動バイクを両手に掲げ、元気が有り余っている様子のルー。一台をティナに手渡し、鼻歌交じりで電動バイクを展開している。


 学園からローゼンハイムの繁華街まで赴くには、ローゼンハイム郡独立市の路面電車Trambahnが学園前に停車駅を設けているため、そこから乗り継いで出かける、もしくはバスや自転車を利用するなどの方法が良く用いられる。散歩がてら歩いて行く者もいる。


 ルーは、学園でレンタルされているVespaスクーターの予約を取っていたようだ。棒状にたためる小型電動バイクで、展開して横から見ると「k」の字に見える。折りたたんでも傘程度の全長、重さも三キログラム程度と、片手で持ち運びが出来る手軽さがある。最高速度は法定速度以下の時速二十キロメートルまでしか出力されないので、免許証は特に必要としない。しかし、軽車両扱いであるため道路交通法のルール厳守を義務付けられている。交通違反者には法的対処が適用され、軽ければ厳重注意、悪質な場合は警察や検察が取り調べを行う。その場合は行政処分もしくは刑事処分が実施され、前科一犯と、国民番号の犯罪履歴に記録されるので注意が必要。


「良く借りられましたね。Vespaスクーターは人気ですから空きがあることは少ないですのに。」

「だからルーは出来る子なのです! 先週から予約しときましたです!」


 無い胸をググッと逸らし、ドヤッとするルー。肩からかけた布製のポーチは、お出かけ装備のようだ。鼻歌交じりでやたらテンションが高く嬉しそうなルーを見ながら、ティナは思い出した。

 実家から学園へ戻って以降、ルーの鍛錬で近々の内に取り掛かる必要の有るタスクで日程が埋まっていた。それをこなすため外出もせず、学園内でのみ生活が完結していたのだ。

 ああ、お出かけを楽しみにしてたんですね、とティナは少しフォローが足りていなかったことを反省する。

 まだ幼さが残るルーは、家族と離れ、別の国へ預けられているのだ。何より来てから日が浅い。それを配慮すべきであったと。


 レンタルVespaスクーターに跨るルーを見て、思わず言葉が漏れるティナ。


「…ルーは、その格好で良いのですか? 何も休みにまでメイド服を着る必要はないのですよ?」

「うゆ? メスナイフも隠せて便利な服ですよ?」

「…。」


 ティナは突っ込むのを止めたようだ。


「それじゃ、往きましょうか。道案内は私がしますね。」

「はーい! ルーは準備万端です!」


 トロリトロリと主要道路に併設されているRadwege自転車道を縦列で走っていく。フンフンと鼻歌交じりなルーは随分と楽しそうだ。時折、何かを見つけては声を上げている。


「あ! オコジョ! 姫姉さま、あそこでオコジョの家族がコッチ見てるです!」

「姫姉さま! あそこ! 農具小屋のスキマに鳩がミッチリ詰まってるです!」


 などと、妙なものを見つけたりする才能があるようだ。


 ローゼンハイムの駅前までは、約二キロメートルほど。途中までは長閑のどかな麦畑が続く。と言っても、収穫後なので広い空間が少し寂しくはあるが。


 閑静な空間が少しずつ賑やかになって来る。民家が増え、そして中心地に近付くほど店舗などが多くなる。初めて来た街に興味津々でルーはキョロキョロとせわしない。


「ルー、このまま駅の向こう側に行きますよ。はぐれないでくださいね。」

「姫姉さま。迷子になるほどルーは子供ではないのです。」

「あら、先ほどまで何か見つける度にVespaスクーターを止めて見に行ってたじゃないですか。はぐれる人が取る行動ですよ?それ。」

「むぐぅ。まだ迷子じゃないからセーフです!」

「でしたら、ちゃんと着いて来て下さいね? これから人通りも多くなっていきますから。」

「はーい。」


 如何にも納得いきません、と言葉の端々はしばしに滲み出しながら返事をするルー。

 しかし、ここに来るまでの間、その兆候があっただけにティナはスルー。


「おー、でっかい建物の中で更にでっかい建物があるです。」


 ローゼンハイム駅手前に横たえるマングファル川に沿うように、電子部品工場が見える。この付近は大型スーパーや大型家具店と、駅前だからだろうか大きな建物が揃っているが、その中でも余り見ることのない一際大きい建物であるため、ルーも思わず呟いたようだ。


 そのままクーフシュタイナーシュトラーセ通りを進み、線路下のガードを潜ると駅の北側へ。ローゼンハイムは駅を挟んで北側が繁華街となる。マクシミリアン国際騎士育成学園が近所に出来たことで、国際色豊かな店舗が増えた。古いヨーロッパの街並みに、時たま洋の東西が入り混じる異国情緒あふれる店舗が顔を見せる。


「姫姉さま、どこで食べるです? ルーは何でもイケイケですよ?」

「そうですね、折角ですから学園ではメニューにないものを選びましょうか。その前にVespaスクーターを知り合いの所で預かって貰いますので着いて来て下さい。」

「へー、預かってもらえるですか。便利です。」

「出かける時にメッセージを入れときましたから。ルーも道順は覚えといてくださいね。」

「はーい。」


 クーフシュタイナーシュトラーセ通りの終端から、ミュンヘナーシュトラーセ通りへ合流する。この辺りの建物は昔ながらの集合住宅構造を模しており、近代的なデザインのビルなどは数えるほどしか見当たらない。店舗などは建物一階に入居しており、飲食店や雑貨店などが視界に煩くない程度にチラホラと見える。

 ティナは、その中でも古めかしい店構えをしたパブの前でVespaスクーターを止める。


「着きました。Vespaスクーターをたたんでしまいましょう。」

「ほえー、オトナのお店です。まだやってないみたいです?」

「ええ。今日は夕方からの営業ですから。それより、この場所は覚えました?」

「ルーは、そこはかとなくカシコイのでバッチリです!」

「そうですか。ルーの顔合わせは後にしてVespaスクーターを渡してきますね。」

「うゆ?」


 不思議がるルーから電動バイクを預かり、ティナは一人で店へ入っていった。


「顔合わせです? ルーが来ても預かってもらえるです? すごい便利です!」


 疑問よりも利便性の恩恵が勝ったようだ。

 ほんの一分もしない内にティナが店から出て来た。預けて直ぐに出て来たことから、ティナの方が上位に位置する相手なのだろう。それをルーも何となく感じ取ったが、カレンベルクの要人であるティナの立場を思えば不思議ではないため、そこまで深くは考えなかった。


「はい、おまたせしました。それでは行きましょう。側にベトナム料理店がありますからそちらで良いですか?」

「ルーが食べたことないアジアンテイストです! 花花ファファさんちとは違った趣です! 楽しみです!」


 ほんの五、六十メートル離れたところにベトナム料理店があった。メニューもフランスと中国の影響を受けた繊細な味わいが売りで、本場の味が気軽に楽しめる。

 オーダーは、あっさりした味わいで米粉の麺を使ったフォーをメインに副菜を生春巻き。箸休めのサラダに、野菜を千切りやスライスし、シンプルに焼いた鶏肉と共にふわりとしたエビ煎餅せんべいに乗せてヌクマムと言う魚醤のドレッシングでいただくゴイガー。 前菜がわりにチャールアと言うベトナム版ハム、ソーセージの盛り合わせは、ナンプラーが入っている独特な風味。そして、デザートには南国フルーツやタピオカが入り、この店ではココナッツミルクで自然な甘みを付けたチェーを注文する。


「あら、このハム、魚の味がほんのりしますね。生臭さがないのは良いところの調味料を使ってるんでしょうか。」

「フォーとか言うヤツ、なんかレモンとかミントの風味がしやがるヌーデルです。面白い味です。」

「このサラダ、ドレッシングに嫌味にならない魚の風味がありますね。鰹節とまた違ったお味です。」

「デザートがヨーグルト味じゃなかったです。カエルの卵がモッチャモッチャするです。」

「いえいえ、タピオカはお芋が原材料ですから。むしろカエルの卵と思って普通に食べるルーが大概ですよ。」


 食いモン屋で出るモノは食えて当たり前ですよ?、と逆に不思議がるルー。この調子ならゲテモノ屋に入っても普通に食べそうである。実際、Waldmenschenの民のエージェントはサバイバルの技能も叩き込まれ、自然界で食することの出来るモノが教えられている。その中には可食出来る昆虫類と調理法も含まれる。


「せっかくですから教会に足を運びましょうか。」

「教会です? あっ、あれです! ステンドグラスがウワサのとこです?」

「ふふ、そうですよ。薔薇のステンドグラスが特にステキなんですよ?」

「キラキラのとこです! 楽しみです! 姫姉さま、今すぐ突撃するです!」


 鼻息荒く興奮したルーに背中を押され、先をせかされるティナ。はいはい、あわてないあわてない、とルーをさとしながらマックスヨーゼフプラッツ広場を横切る。目指すは聖ニコラウス教会。電動バイクを預けたバーも、食事を摂ったベトナム料理店も、目的地からは百メートル圏内である。

 移動の際、建物の合間から教会の鐘楼塔が見え隠れしていた。ルーもそこが目的地と判った瞬間には、付近の建物の配置傾向、道の方向と角度などからおおよそのルートを割り出す。

 それは、隠密や暗殺を主とするWaldヴァルトmenschenメンシェンの戦闘士として、無意識レベルで行使出来るように叩き込まれている必須技能である。侵入経路と撤退経路の確保は最重要なのである。


「おー、見事なステンドグラスです。薔薇の花がたくさん色とりどりです。」


 礼拝を終えてから楽しそうにステンドグラスを見て回るルー。ほえー、とか感嘆を上げている。ステンドグラス越しの柔らかい光が好みのようで、あったかい光です、などとこぼしているのが印象的だ。


 聖ニコラウス教会を辞してから、近所の雑貨屋、洋品店など目に留まった店舗へ入り楽しんだ二人。

 この辺りはマルクト市場が開いていなかったので雑多な珍しいモノを含めて、歩きながら目で見て楽しむことが出来なかったのは残念だったとティナは思う。しかし、ルーが一々楽しそうなので、これはこれで良い息抜きになったのではないかと目を細めている。


「姫姉さま! 見てください! カニです! カニのぬいぐるみです!」


 ノスタルジー色を表に出した店舗デザインの雑貨小物店なのだが、雰囲気に似つかわしくないヌイグルミを見つけてはしゃぐルー。


「この店、なぜにカニをチョイスしたんでしょうか…。」


 時たま、店舗のカラーとは違うものを仕入れて陳列する店がたまにある。そのたまにを目敏く見つけたルーの嗅覚が優れているのか判断に苦しむシーンに姫騎士さんも苦笑い。


「そろそろVespaスクーターを預けた店に行きましょうか、ってルー?」

「あー、姫姉さま。ちょっと待ってくださいです。ルーはエビを買って帰るのです! 海鮮はカニよりエビが良いのです!」


 カニではなく、エビのヌイグルミを両手にレジへまっしぐらに突撃するルー。足音は全くさせていないが擬音がパタパタと聞こえそうな足取りだ。

 なぜにエビ、と思いながら無言でルーを見送るティナ。

 包装は断ったようで、ルーが持参したポーチにエビが突っ込まれている。ポーチの口からエビが二尾、並んで顔を覗かせているのがシュールだ。


「もう買い忘れはないですか? でしたら行きますよ?」

「はーい。買いモノは終わりましたです!」


 ホクホク顔のルーを引き連れて、Vespaスクーターを預けたパブへ向かう。と言っても百メートル圏内でフラフラしてたので目的の店は数分で到着した。ルーも店の位置は覚えていたと言ったのは確かなようで、通ってこなかった道や建物の中庭経由で別の道に出るなど、最短距離で到着する。


「着きましたです! 行きより早くついたです! たぶん!」


 自信があるのか無いのかどっちつかずの言葉を無い胸を反らしてドヤッと言い放つ。


「では、お店に入りましょうか。」

「うゆ? ルーは未成年ですからお酒飲めないですよ?」

「いえ、顔合わせすると言ってたでしょう?」

「!! 姫姉さま居なくても、ルーだけでVespaスクーター預けられるようになるですね!」


 まぁ、間違いではありませんね、と言いつつティナはパブの扉を開く。ドアベルがカランコロンと低めの音をだしながら来客があることを告げる。

 内装は、薄暗く、中世を思わせる懐古趣味のデザインで、接客カウンターも設けられているパブであった。二、三人掛けの小テーブルと四人掛けのテーブルが幾つかある。二十数人も客が入れば満席になるのではないだろうか。だが、個室も二つばかり用意されており、最大の特徴は二階部分に簡易宿泊施設があることだろう。人が集まれる造りを持っている。だからバーではなくパブなのである。平日は昼も営業しているのだが、今日は土曜日なのでランチタイムは休業だ。


「マスター、おられますかー。ちょっとお茶しに来ましたー。」


 顔合わせにお茶?なるほどお店ならばお茶の注文くらいするのだろう、とフムフムと一人納得しているルーではあるが、その思惑は外れることになる。

 カウンター越しに現れた中年男性。中肉中背で極々一般的な風貌だ。それでいて、寡黙なマスター然とした過去に訳アリの雰囲気が出ている。イメージしか印象に残らない。良く思い出さなければ、その本人の顔かたちは朧気で背格好が思い出せないのだ。


「おお、随分早かったじゃありませんか、姫殿下。そちらのお付きが例の?」

「ええ、そうですよ。ルー、こちら、この店舗のマスターです。」


 わざと店主の名前を明かさないティナ。

 ルーが見ず知らずの相手に、どの様な対応を取るのか、試してもいるのだ。


「…随分と恰幅の良いオッサンが出てきやがったです。脛にキズ持つ雰囲気演出してやがりますです。」

「嬢ちゃん。初対面の相手に、ちぃとばかし言葉の使い方がなっちゃいねぇんじゃねぇか?」

「ナニ言ってやがりますです。同業者に遠慮したところで意味はナイのです。」


 ジト目で言い切ったルーを見定めるように、一瞥をくれるマスターと呼ばれた男性。その正体は姫騎士さんが呆気なく暴露する。


「あら、よくわかりましたね。彼はローゼンハイムに駐在するWaldヴァルトmenschenメンシェンの統括をしてもらっています。要するにこの近辺の元締めですよ。」

「姫姉さま。判るもナニも、Waldヴァルトmenschenメンシェンの印象操作術使ってる時点でバレバレなのです。オッサンはオッサンらしく家族サービスでもしてやがれです。」

「ははは。口は悪いが流石、近衛筆頭クレーフェルト家の秘蔵っ子なだけはある。オレの技は同業者でもなかなか見破れない練度で仕上げてるんだがなぁ。」

「ルーは、坊ちゃま付き護衛兼側付きなので、それくらい出来て当然なのです! では改めて名乗るので耳の穴穿ぽじって聞きやがれです! ルーは、ルイーセ・ヨランダ・ファン・クレーフェルトです。オッサンはドイツのWaldヴァルトmenschenメンシェンです?」

「おう。オレはイザーク・マルプルクだ。呼び方はオッサンでかまやしねぇさ。ここじゃ、六人の配下と共にローゼンハイム全般の安全監視、不審者の排除を受け持っている。オレを含めて七人が宮内省殿の部下だ。その内、ここにゃいねぇ他の面子にも引き合わせるさ。」


 ローゼンハイムの安全監視は、カレンベルク家にとっての安全監視と言う意味である。Wald森のmenschenを警備部門に据えたカレンベルクは、表裏両方へ実働部隊を一族の活動圏内に放ち、その安全を確保しているのだ。


「ほへー。マルプルクってーと、情報収集専門の一族だったとルーは記憶してるです。それより宮内省ってダレです? 初めて聞くです。」


 その言葉を聞いて、イザークはティナに視線を送る。その目は言ってないのかよ、と物語っている。


「ルー。宮内省とは、当主一族付きの筆頭護衛を指す役職です。エレさんがそれに当たるんですよ。」

「エレ姉がそんないかつい役もってたなんて知らなかったです。だから直ぐ武力行使ゲンコツしやがるのですか…。いい迷惑です。」


 日頃からゲンコツを貰うような言動・行動を起こすルーが悪いのだが、見事に責任転換した意見を漏らす。これには、さすがの姫騎士さんも溜息がこぼれると言うもの。


「全く。ルー、あなたはエレさんの補佐と指揮権の一部を委譲することになると言いましたよね?」

「…姫姉さま。チョットまってくださいです…。もしかして、コレはアレですか?」

「もしかしなくても、想像の通りですよ? あなたが指揮を覚えたらイザークさん達を管理、統制して貰いますから、って露骨に嫌そうな顔はやめなさい。」


 初めて聞いた時と同様に、ウゲェとしかめっ面を晒すルー。具体的な話が持ち上がったことで、殊更ことさらに面倒くさくなっている様子。


「おいおい、嬢ちゃん。そんな露骨に嫌がるこたぁねぇだろうよ。次期当主付きの護衛なら、嫌でも宮内省の役付きになるってことだぜ?」

「ルーはオッサン引き連れるより、坊ちゃまに癒されながらノンビリ怠惰に過ごしたいのです…。」

「大体、三年を目途に統括業務が行えるように仕上げますので、その間はマスターにも色々と協力を仰ぐことになりますから。その心積もりでいてください。」

「ルーの話がスルーされたです!」

「了解です、姫殿下。まずは他の面子を一度集めますかい。顔合わせから始めましょう。」

「そうですね。こちらのスケジュールを後で送りますので、日程の調整はお願いします。」


 お茶をしながらティナとイザークの間で、どんどん話が取り決められていくのを尻目に見るルー。


「また、ルーのことなのにルーに決定権がないのです…。」


 ティーカップにスプーンを突っ込み、グルグルかき混ぜながら諦めたように口を尖がらせてブツブツ言うルー。


 まだまだ未熟なルーは、一から物事を決める能力は備わっていない。

 だからこそ、ルーの意見はとり置いて物事が決まっていくのだ。

 だがルーは、物覚えが非常に優れている。今ここで見たことは忘れない。

 その辺りを姫騎士さんは上手く利用しながら、ルーを育成する方針を取っていた。

 やって見せ、何をどうすれば良いのかを少しずつ覚え込ませる場として。

 しかし、それを察するだけの機微を持ち合わせていないから、ルーは不貞腐れるのである。

 姫騎士さんもわざと説明をしない。

 一度、目の前で行えば覚えてくれるのだから、いずれ必要になる時にこそ生きるだろうと。


「はい。それじゃあ、そろそろ帰りましょうか。」

「はーい。ナンかイロイロ納得いかないですが、はーい。」


 首を傾げながら眉を八の字に曲げ、如何にも納得いきません!と言う顔をするルー。

 その様子が小さな子供のようで、ティナはクスリと笑みをこぼすのだった。


「あ! 姫姉さま! あそこ! またオコジョの家族がいるです!」


 帰り道でもルーは再びイロイロと見つけては、声を上げて申告してくる。

 先ほどの不満は何処吹く風で、楽し気である。

 スパッと切り替えが早いところも、ルーの特徴だ。


 こうして初めてのお出かけは、ルーにとって期せずして密度が濃いものとなった。


 ただ一つ、ビクトリアンメイデンスタイルのロングドレスを着用した小柄なメイドは、街中でも非常に目立っていたことを追記しておく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る