【閑話】Hast du es jemals regnen sehen? ~虹を見たかい?~
2166年11月18日 火曜日
エスターライヒ共和国ニーダーエスターライヒ州ザンクト・ペルテン憲章都市。
今年の大会開催地は久々にエスターライヒとなった。この国の
本格的に寒さが到来する時期であり、午後になった今でも気温は5度と、厚着が必須と言える冷えた空気が辺りを包んでいる。本曇りの時間も長く陽が落ちるのも16:00と早いので、暖かな日差しは期待しない方が良いだろう。
しかし、今日はザンクト・ペルテン屋内競技場を中心に近辺までも熱気が漂っていると錯覚して仕舞う程、人々の歓声が轟いている。
それもその筈、記念すべき第四十回を迎えた
観客席上部に設置されている大小のインフォメーションスクリーンに決勝戦までの試合がダイジェストで流れていた映像が現在の試合コートに切り替わる。一瞬で観客の騒ぎは落ち着きを取り戻し、小さなざわめき程度に収まる。
そして、選手入場のアナウンスが流れる。
『皆様、お待たせいたしました。これよりデュエルの部、決勝戦の
そのアナウンスを女性解説者が引き継ぐ。
『
『今年最後の見どころですよ、皆さん! 目ん玉
『それではー。第2ゲートから入場するのはー、【永世女王】ぶっ飛ばして「史上最強」になった彼女! 毎回出るたびに強くなって帰ってくる止まらない進化! そして、なんと! 引退後は
選手紹介で盛り上がった観客席が騒然となる中、第二ゲートからヘリヤが現れる。てくてくとのんびり歩きながら観客席に笑顔で手を振る何時ものスタイルだ。
何時もと変わらずダークブロンドの髪は耳が出る位のショートボブ。漆黒の鎧と騎士服に金糸の装飾が施された豪奢に見えるデザインだ。腰には騎士剣仕立てのヴァイキング剣なのも変わりなく。金の蔦を絡めた額冠に、濡れ羽色の羽根を象った簡易VRデバイスも何時もと同様。
「いやー、今年で最後となると感慨深いものがあるなー。」
目を細めて客席の熱狂を見回しながら呑気に笑みを浮かべるヘリヤは、相も変わらずマイペースだった。
2154年の第二十八回世界選手権大会から昨年の2165年まで実に12年連続で出場し、戦績は10勝2敗。もちろん10勝は世界一となった数のカウントだ。そして、今年で連続出場13回目となり、且つ上位入賞記録は過去最多となる。
それも今日で終わる。
「さてさて。去年と比べて、あの坊やがどこまで仕上げて来たのかな。」
楽し気に笑うヘリヤ。第四世代最後の義務とでも言う様に、次の世代に立ちはだかる壁の役を請け負っている心境なのだろう。
彼等彼女等は第四世代と呼ばれる、第三十回世界選手権大会以降の
数年前、公開試合で遂に【永世女王】を打ち破り、名実ともに史上最強の
上位ランクに成れば成る程、
特に、ここ5、6年は第一回戦から決勝戦とも言える激闘が繰り広げられ、ベスト8に入るメンツは毎年変動する事態。円熟期に入ったヘリヤですら一度、優勝を逃したことを考えれば、如何に時代の代表として語られるに値する
――そして、昨年の第三十九回
初の全国大会出場で準決勝まで勝ち進み、ヘリヤに敗退して3位入賞となった、あどけなさが残る少年。第五世代となる彼の活躍は、世代交代が始まりつつあることを誰もが感じていた。
まるで戦国時代を平定するために現れたかと言う様に、今年はとうとう決勝戦に進出した。
その名が女性解説者から告げられる。
『そんでもって第4ゲート! 来ました、来ました、来ましたよーっ! 新人ながら2年連続上位入賞確定! 今年は、なんと、なんとーっ! 堂々の決勝戦出場だーっ! 【姫騎士】フロレンティーナちゃんの弟でマジモンの公爵殿下っ! 王子様ですよ、王子様! マクシミリアン国際騎士育成学園騎士科3年所属!
一際、黄色い声援が多く上がる、今、最も注目を浴びている
トコトコと笑顔を振り撒きながら元気いっぱいに手を振る姿は、幼き日の彼と何ら変わりない。
ハルの装備。淡いブロンドの頭部にはエメラルドを嵌めたチェーンの
鎧は素地の
父母両方の一族から家伝の武術と、
「なんか、すごい賑やかだなー。あ! みんないないと思ったら貴賓席にいた! おーい!」
ザンクト・ペルテン屋内競技場には貴賓席――VIPなど身分の高い客に用意される――に、家族と
決勝戦が行われる場内中央の特設コート脇の競技コントロール機材がある登録エリアで各種装備の最終登録を行う。審判は、専用の競技者ステータス用ARモニターに登録状況などが表示されるため、選手の準備が終わったタイミングを計って声を上げる。
『双方、開始線へ』
ハルとヘリヤが特設コート内で対峙する。
「やあ、よく来たね。あたしとの約束をちゃんと守ってくれてウレシイよ。」
「去年、
「えらいえらい。あれだけ強敵
「もう、すごく。何の因果か、師匠達全員と当たりましたから大変でした。」
ヘリヤは引退最後の試合にハルとの約束を守るため、シュヴァルリ評議会に最初で最後の我儘を通させて貰った。ハルとは決勝戦まで当たらない様にブロックを別にして欲しい、と。それ以外については何時もの様にコンピューターのランダム抽選で、対戦相手が決まっていくのだが、幸か不幸か、ハルの勝ち進む先々で自分に武術を教えてくれた
自らの成長を見て貰う様に、
そして、準決勝。毎年、優勝争いに絡む
ニコニコと人懐こい笑顔を浮かべるハルに、ヘリヤも楽し気な笑みで返す。これから戦うと言った雰囲気は微塵もなく。
ヘリヤは
『双方、抜剣』
丁度良いタイミング――むしろ場がこなれた――で審判から合図がかかる。
ヘリヤが引き抜いた剣。剣身にマーブルの波紋が入った緋色に輝く
そして、ハルの剣。
『双方、構え』
審判の合図とともに両者が構える。しかし、見た限りでは戦闘態勢に入っているが明確な構えが成されていない。それは、決勝戦を闘う二人が他の
ヘリヤは、
対してハルも、競技で主流なドイツ式、あるいはイタリア式、果ては洋の東西問わず該当する型がない。それもその筈、剣を引き抜いた状態で剣先を下向きに持っている隙だらけの姿だ。しかし、見る者が見れば、それだけで武術が成り立っていると判る。
「(
ハルが声に出ない声で呟く。
「(
自分の中にあるオモチャ箱を準備する。どのオモチャで遊ぼうか、迷うことすら楽しい遊びだと言う子供の様に。
『用意、――始め!』
始めの合図とともに、ハルはトコトコと擬音が付きそうな足取りでヘリヤに近づく。戦う様には見えず、
「(
その声に出さない呟きの瞬間、ハルの気配は霧散し、太極拳の歩法、
ヘリヤは、目の前からハルの気配が消失したのを感じ取った時には、自身が支配する絶対的な領域――ヘリヤは結界と呼んでいる――に入り込まれていた。一瞬の空白を造り、相手の攻撃圏内に無傷で入り込む一手。ヘリヤに気付かれる前に結界内へ忍び込めるのは全
ズシリと、重量物が落下した様な音。そして、ギンッと鈍く金属がぶつかり合う音が響く。
外から映る二人の姿は、互いの剣で下段から上段まで弧を描いて跳ね上げた様にしか見えなかったであろう。
だが、この一合には多くの技術が含まれていた。
ハルは、ヘリヤの領域に踏み込んだ瞬間には剣を中段の位置まで振り上げていた。そこから刺突を開始する。右脚で
しかし、ヘリヤは簡単に攻撃を通してくれる程、生易しくはない。ハルが中段に剣を置けると言うことは、ヘリヤも同様のことが当然可能だ。だからこそ、ハルは打ち負けない様に、震脚まで使用し剣に纏わせる
だが、史上最強と謳われた
ハルが攻撃を仕掛け始める時、既にヘリヤは迎撃を開始していた。ハルの剣がこちらへ到達する前に、下から跳ね上げた剣が相手の剣にぶつかる。その接触感知からハルの剣は触れたものを弾き飛ばす異常な力を持つことを身体が理解する。そして、思考が認識するより早く身体は対応する。身体の潜在能力が一瞬だけ開放され、身体能力を倍以上に底上げする。それはハルの速度と威力を容易く上回った。
ヘリヤからは時計回りの回転をするハルの剣と接触した箇所を起点とし、肩甲骨を時計回りに旋回させ腕ごと自身の剣に螺旋を描かせる。同じ方向でより強烈な回転で巻き込んだハルの剣をそのまま
さすがにハルの反応も早く、不利な状態に追い込まれた瞬間には
「(今のは、
フムフムと納得しているヘリヤは楽し気だ。昨年より確実に進歩しているだろうハルの技を見て満足しているからである。
そのハルはと言えば、中段に剣を置きニコニコと笑顔である。
「(やっぱりヘリヤさんはすごいや。簡単に対応された!
「(じゃあ次は、これでいこう!)」
ハルは声に出さない呟きをする。
それは、彼のオモチャ箱を切り替える
――オモチャ箱。
自分の中にあるオモチャ箱に、武術を技だけでなく思想も理合も積み重ねた全てを丸ごと仕舞い、自由に出し入れする技能。武術ごとにオモチャ箱を用意することで、全く異なった理合を持つ武術を併習しても破綻することがない特徴がある。
ティナの場合は、自分の中にタンスを持っており
だが、ハルのオモチャ箱は数に限りがない。幾らでもオモチャ箱を増やすことが出来るのだ。だから幼い頃より仕舞って来た沢山の
そして、彼がオモチャ箱で
子供が色々な物を使って遊びを編み出す柔軟な思考から、武術をより楽しむために生まれた
七色に
彼が【
通常では真似など出来ない
それを今年。
複数の異なった理合を同時に運用すると言う、在り得ない進化をさせてきた。
「(
きっと言葉に出していたならば、歌う様に楽し気な声だっただろう。
その一言は、瞬時に異なる理合いを起動していった。
一気にアドレナリンが分泌される。
思考が加速し、時間が引き延ばされる。
世界の音が薄れていく。
仙骨と骨盤、肩甲骨の可動が球を描く動きに変わる。
体軸が再び整えられ、力の連動が
全身の筋肉が一つのバネに変わる。
精神と身体が一つとなり空間に溶け混ざる。
――ハルの
「(お!? 気配…じゃないな。存在感が変わったのかな?)」
僅かに変化したハルの雰囲気をヘリヤは瞬時に察知する。まさか最後の最後に全く新しいタイプの武術に触れる機会を得ることが出来るとは思っていなかったヘリヤは大層ご機嫌だ。
この少年は姉と同じく、期待以上のものを見せてくれるだろう。
キラキラと瞳を輝かせてハルは独り
「(Ja,!Es ist Showtime! お代は見てのお帰りだ!)」
股関節と仙骨の回転によって増速した一歩が、一歩半の距離を埋める。
時間を置き去りにした世界で鎧が光を反射し、虹が尾を引く。
その全ては前兆も行動の意思も見せず、それが自然だと言う様に実行された。
中段からの突きではなく剣を振り上げたのは、切り下ろしから肩甲骨を旋回させることによる攻撃先の軌道改変をするためだ。狙いを一点に絞る訳ではなく、相手に合わせて自由に変更出来る範囲が広いため、上方からの攻撃を選択したのだ。
実際のところ、ハルは狙いを定めていない。相手の反応に合わせて逐一、攻撃箇所を変えるからである。無論、相手が反応しなければ一番近いところに斬り込むだろう。
――キンッ、と剣が触れ合う音が一度だけ響く。
ヘリヤの迎撃は、はたき切りだった。剣を頭上でクルリと左から右へ弧を描かせる、尋常でない速度の一撃。ハルが縦方向の攻撃を繰り出したことに対して、ヘリヤは横方向で交差する様に相手の剣を自身の右方向へ吹き飛ばす。
本来、ヘリヤのはたき切りは当たることが無い筈であった。ハルはヘリヤの剣が触れる瞬間、両の肩甲骨を左に旋回させ、ヘリヤの剣が過ぎ去った裏刃に移動させた。ヘリヤの上腕に攻撃の導線が繋がり、そのまま斬り下ろせば確実に当たる状況を造り出した。
しかし、ヘリヤのはたき切りは時が戻った様に、ハルの剣を外側から迎撃する位置に戻る。肩甲骨の旋回による位置の可変。同じ方法で返されたのだ。
今回、ハルは重心を
その様な隙を見逃すヘリヤではない。はたき切りの迎撃で、弧を描く移動エネルギーを全て相手の剣に伝えたことで、自身の剣は交差地点で静止する。ハルの姿勢は流れたことで右半身が更に被さる様に捻られ、剣を持つ腕が上方向に開く。その僅かな隙間から、
崩れた姿勢と剣を流した腕が死角となり、回避は不可能であった筈の刺突。
その一撃は虚空を打った。
ヘリヤが初めて見た回避方法だった。刺突が決まる瞬間、ハルの身体がキュルッ、と音がするほど一瞬で九十度、時計回りに回転した。結果、ハルの胸元正面を刺突が横切っていく。そして、もう一度、ハルの下半身が急速に反時計回りに回転し、ヘリヤの攻撃範囲の内側、つまり懐に入り、追いかける様に上半身が正中線に正対する。
だが、危険を鋭敏に感知していたヘリヤの身体は意志より早く反応し、縮地と言える素早さで二歩程後退し、ハルと距離を空けていた。
ハルが使ったのは歩法ではない。右股関節と左股関節に時計回りの旋回をかけ、仙骨を旋回と背骨の軸とし、腰と両脚を即座に回転させる方向転換を使った。脚を踏み出さずとも瞬時に身体の向きを変える技術だ。
「(うわ~、あぶなかったなー。剣の威力が予想以上だった。打ち合いになったら
「(ヘリヤさんが引いてくれて助かった。追撃で
ヘリヤに攻撃を発動する前で回避されたハルは呑気に安堵していた。こちらが正中線を獲ってはいたが、攻撃の成功率は低かっただろう。剣の軌道を変えても瞬時に対応してくる相手だ。チャンスはまだここではないと直感が訴えている。
まだまだ遊び足りないと言う眼差しでヘリヤを見るハル。その相手も楽し気に笑っている。
「(おもしろい坊やだ。
まさか、ここに来て全く未知の技術を披露されるとは思わなかった。世界は
「(さてさて。弟君は、これをどう捌くかな?)」
次の攻防はヘリヤが口火を切る。
地表ギリギリで滑る様な独特な歩法。
脚を上げないからだろうか、上下動もなく近付く移動は速度を
ヘリヤは、ハルの左側に円の動きで弧を描きながら急接近し、八相に似た
教本に載っている通り基本に忠実で、まるで型のお手本の様な理想の軌跡を描く剣。その技の美しさは人々から称賛を浴びるだろう。目で追えたのならば、であるが。
ヘリヤの流し目切り。尋常でない速度と精密さで既に奥義を超えた別の技となっている。
世界を置き去りにした時間の中で、更に制限を解除されて倍以上に跳ね上がった身体能力と脱力を元にした剣速は、力で振るわれる技法とは全く違う速度と威力を併せ持つ。
ハルは、それが当たり前のことである様に対応する。
加速した時間の中で尚もコマ落としの様に現れたヘリヤの流し目切り。自身の剣を中段から上段に剣を跳ね上げ、そのまま
選択肢など関係ないと肩甲骨の旋回で軌道を改変しながら追従するヘリヤの剣を股関節の旋回で身体ごと方向を変えて時計回りに回避する。急激な動きをなぞりながら、鎧に反射した虹色の光が尾を引く。
相手は世界最高峰の
右脚を踏み込むことにより、切り下ろしを左方向に斜め移動させながら相手の剣を受ける流し目切りは、切り終わりの型が
だから、ヘリヤの剣がはたき切り同様、横に旋回する軌道ですぐさまハルを捕らえたのも不思議ではない。
その攻撃に対してハルは剣の柄を肩口付近に置き、剣先を下に向けて受けの体勢を取る。が、受けると見せかけ、剣が交差する直前に剣身を水平に持ち上げて
相手の攻撃を
ヘリヤは、何かの布石としてハルが
少なくとも先程は、彼が二撃目の横薙ぎを空かし、後ろ脚へ揃える様に身体を引き、剣の軌道が完全に届かない位置に移動しただけであり、距離を取って仕切り直すつもりならば在り得るだろうと。
何かの仕込みなのか戦略なのか、
それはヘリヤにとって些細なことだ。ハルが動きを見せる時には必ず判ることだから。
「(何を見せてくれるんだろうね。楽しみで仕方ないな!)」
ヘリヤの二撃目を回避したハルは、その流れのまま股関節の旋回を最大限に掛け、
かつて、ティナに一瞬で背後を獲られた時のヘリヤではない。彼女の技量は格段に上り、今では背後を獲ることが出来る
「(やるなぁ。でも、その動きの後に同じことをやるには時間が足りないだろう?)」
その呟きが終わる前にヘリヤはハルに正対し、攻撃範囲に捉えていた。
剣を防御に備えることすら間に合わないヘリヤの高速移動。単なる向きを変えるではなく、その独特の歩法から相手の攻撃へ繋がる最善の位置取りをする。
虚を突いた筈のハルは、それすらを踏み潰して来たヘリヤに内心驚愕させられている。もっとも、笑みを浮かべた表情が変わることはないが。
思考より早く神速の
ヘリヤの代名詞となった不可視の五連撃。身体能力の制限を解除して放つ、0.15秒の時間で繰り広げられる目で追うことの出来ない瞬間劇。これを三連突に変え、余力を全て注ぎ込むことで、僅かな時間の隙間をも埋める。
黄昏色をした光の矢が三本、空に軌跡を
それは、空に架かる虹の光芒を
「(これを…
ヘリヤは攻撃を回避されたことよりも、その方法に驚きと歓喜が沸き上がっている。
相手がゾーン状態に入っていることを直接戦っているから判っている。幾ら速度が上がった突きと言えど、人が放つものである限り、対応される可能性は高いことも経験から知っている。ハルならば、それを行えるであろうことも去年に対戦した時から判っていることだ。
しかし、コンマ一秒の世界で、身体ごと急激に旋回させる動きは負担がかかるだろう。自分であれば連続使用は難しいと、その基準で判断したヘリヤは予想を裏切られることとなった。
行く手を遮る一撃目。ハルの進行方向の先に中段の剣を置く。それを下半身だけの急激な旋回で身体の向きを変えて避けられる。
次への囮とする二撃目。ハルの身体が左を向いたところへ、脚を狙った下段突き。しかし、またしても下半身で時計回りに急激な旋回を四百五十度、つまり一回と四分の一回転をして避けられる。それも、ヘリヤの更に右後方へ回避を伴った移動をしながら正中線を獲る動きであった。
そして、本命の三撃目。予想よりも大きく回避距離を稼がれたが、攻撃範囲内であることは変わらない。ハルの右半身を狙った胴への突きを途中から肩甲骨の旋回を加えて左半身へ可変させた突き。この攻撃だけは、上半身を後ろに傾けて回避された。
剣で対応すれば簡単に捌けただろうに、身体の旋回で回避することを選んだハルに瞠目する。それは、ヘリヤが待っていたハルの技がこれから訪れるであろうと予感させるものだ。
ヘリヤの必殺技である五連撃――この場合は三連撃だが――は、技を放った直後、一気に全身の力を開放したことで一瞬硬直する弱点があった。技を編み出した
今では、必殺技と言いつつも消耗率が高い多用に向かない負担の掛かる一つの技であり、次の攻撃へ繋げることが当たり前の様に出来る。
だから四撃目の突きを身体を仰け反らせたハルの
四本目となる光の矢は黄昏色をした一つの線となり、ハルに届くだろうことは疑いようがない。
「(今の、良く避けれたなぁ。剣で受けたら楽だけど折角溜めたのが消えちゃうし。ヘリヤさん、楽しそうだ。うーん、こっちの技を待たれてるのかな? じゃぁ良いタイミングになったしちょっといってみよーか!)」
ハルは、ヘリヤの攻撃を全て股関節の旋回、それも球を伴った波を造り下半身の制御に割り当てていた。
上半身の
その技を以って、下半身で全ての攻撃を回避をさせ、上半身はずっと練っていたのだ。全てはたった一つの技を放つために。
ハルの姿勢はこれから仰向けに倒れると思われる程に身体が反っている。この状態にあれば専門家や武術に携わる者、目の肥えたファンなどが見ても、上半身と下半身の統制が取れていないだろうと見て取れるものだ。ここから技を出せたとしても苦し紛れの起死回生を狙う無謀な賭けになるだろうと誰しもが思った。
貫かれるのを待つハルの
ハルは、崩れた様に見える下半身のまま、重力が感じられない不自然さで上半身を時計回りに捻りながら起こす。それは、ヘリヤの剣を自ら
誰も
一瞬の空白。止まった時間が動き始める。
――ポーンと、攻撃が成功したことを知らせる通知音が響く。
それに遅れてヴィーーと、1本取得を知らせる通知音。
『ブラウンシュヴァイク=カレンベルク選手、一本』
『第一試合終了。待機線へ』
審判が第一試合を制したのはハルであることを告げる。
「参った参った。獲られてから気付かされるなんて随分と久しぶりだ。全く目で追えなかったなぁ。」
てくてくと、待機線を越えて呑気に選手控えエリアへ向かうヘリヤ。
その顔は満足気な笑みを浮かべ、フムフムと素直な感想を言葉に出していた。
「まだ知らなかった武術と戦えるなんて、あたしはホントに恵まれてるなぁ。」
口角を上げてニヤリと笑う顔は、もっと間近でその武術を見てみたいと訴えていた。
――競技コントローラを挟んでヘリヤの反対側にあるスペース。
トコトコと音が鳴りそうな足取りで、ハルも選手控えエリアへ歩いていく。
「(
キーワード一つで、ロードした全ての武術を一瞬でオモチャ箱にしまうハル。フンフンと鼻歌交じりで観客席の騒々しさなど、どこ吹く風である。流石に気を張っていた様で、ふい~、と安堵した息を吐く。この辺りが姉であるティナと同じなのは、さすが
「(うーん。やっぱり、
にへら、と笑みを
ヘリヤと戦うには
だから、三つの武術を同時に運用して戦い方を組み立てた。
まずは、
攻撃に使う技を本来の威力で出すために必須の技術だからだ。
それは、FinsternisElysium MassakerKünste――フィンスターニスエリシゥム
次に義兄の技術。
様々な武術や格闘技を経て、余分なものを削ぎ落した結果に辿り着いた古武術と、それが取り込まれている近代軍事戦闘術。この二つを軸に筋力と脱力のどちらか片方、もしくは両方同時に扱うために編み出された独特の法。
脱力による力の連動を股関節や肩甲骨の球を
回避や力を蓄えるために、技を支える
最後は
ハルは、攻撃の気配も初動さえ判別できない
それは、ヘリヤを仕留めた決め手の技で威力を発揮した。
用いられた技は、全身の筋肉を連動させ、その張力のみを取り出す奥義である。地面からの力を必要とせず、身体の内部で発生させる力のみで全てを完結させる。故に、脚が宙にあろうが、身体が横に倒れてようが、
しかし、本来の威力を出すには神憑りと呼ばれる宗教的高揚――この場合はゾーン状態である――が必要となる。だからこそ
刺突のために重心を
時間を切り裂く文字通り必殺の一撃。
――宇留野御神楽流 奉納槍術 奧伝四之段「弓」
「あ! 晴れた! お~、今日の空は何だか高いや!」
薄曇りであった空模様は何時の間にか雲が流れ、陽光が差し込んでいた。
冬の澄んだ空気が、遠い景色の隅々まで神秘的に
ハルは手を
微笑ましく見える動きに合わせ、
その光の帯は、雲間に架かる虹の様に空に映えた。
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