【閑話】女王と剣舞の姫 ~その2~ Vergangenheit und Gegenwart.

 第一試合が終わり、インターバルの時間。


 ミュンヘン=アレーナ屋内競技場の観客席上部に設置された20面のインフォメーションスクリーンには、先程行われたアスラウグとルーンの戦いが多角アングルにて流れており、スローやアップの画面では解説者が解説を付けたりしている。

 スロー再生では剣が相手の剣に添って下側に移動するなど、見て判らない速度の攻防が二人の間で行われていたのだが、「軌道を変える高度で微細なコントロール」と解説者は説明していた。実際は肩甲骨や軸の構造を使った「動きの可変」ではあるが、映像では判別が出来ない。なにせ、戦う当事者である彼女達の肩口は肩鎧ポールドロンで覆われており、腕と肩が動いた程度にしか見えないからだ。

 実のところ、アスラウグの鎧が分割構造であること、ルーンが胴鎧を装備していないことは、肩と背中の可動域を確保するためである。


 他の試合では見たことがない技や剣の挙動、【女王】が心臓部分クリティカルを防ぐため自らの腕などで防がざるを得なかった試合結果など、観客同士で所感や感想に始まり、談議や討論に及んでいる者達までいる。


 しかし、話の元となっている当人達は、観客の様子など目に入っていない。二人共、次はどの様な手で戦うのかを楽し気に組み立てているのだ。見ているのは相手のみ、である。



「まさか、剣の攻撃全てが囮だったとは思わなかったわ。剣技に拘ってるんじゃなくて戦うってことに特化してるから発想が自由なのね。」


 視界の隅に入ったインフォメーションスクリーンに流れる映像を見てアスラウグは思わず言葉を零していた。

 昨年もルーンと相対あいたいした時に思っていたことだが、彼女は優劣を決める競い合いなどをしていなかった。正に戦うために来ているのだ。それは自分が最も待ち望んだ相手であった。


 幼少の頃から見取りだけで武術の基本を身に付けてしまうアスラウグは、天才と称され周囲に人の輪が出来ていた。だが、周囲の賑やかさとは裏腹に、ある意味孤独であった。誰も自分に敵わず、肩を並べる者は一人もいない。自分の全てをって挑む相手がいないことは、彼女の奥底にくすぶるものを溜めていった。それがChevalerieシュヴァルリと呼ばれる仕組みが造られたことで一つの希望が生まれる。世界展開を予定しているこの競技は、自分と比肩する、もしくは上回る相手が見付かる可能性を持っていた。


 だから世界の頂点で待っていたのだ。

 そして、9年目にしてようやく現れた。

 自分と向き先は違えど、同じ臭いを持った相手同類が。


 去年の出会いがあったからこそ、今年で引退を宣言した。初めて満足出来る相手との戦い。それは、一生に一度でも巡り合えれば僥倖と言える。只、自分は全てを出し尽くしていない。だから10年目の今日、それを行うのだ。最後に自分の全てを彼女へ置いていくために。



 ルーンは目を瞑り、先程の試合を思い出す。

 防御させない段取りが見事に決まっていた筈が、それをくつがえされた。自分の流派と同様に、崩れた体勢も利用した反撃。自分が出来ることは、また相手も出来るとんだ方が良いだろう。


「(あの独特の殺傷圏は見えてなくても相手の正中線を獲れるのね。これで通算、三回殺されたわけか。後少しが届かないのも面白いわ。)」


 少しだけ相手の予想を上回れば良い。普段から認識していない事象を持ち込めば、人は一瞬戸惑うものだ。


「こっちも奥の手を出させてもらうわよ。」


 思慮の終わりに目を開き肉声で呟いた。

 そして奥義発動の祝詞トリガーを紡ぎ出す。


「(Erweitern Sie Ihren psychische, kein Problem?)」

 ――精神を拡張します。良いですか?


「(ja. alles klar.)」

 ――問題ない


 インフォメーションスクリーンの画面が、現在の試合コートへ切り替わる。アナウンサーが場内放送で第二試合の開始を告げ、観客席のざわめきが試合を待つ声に変わる。

 二人の騎士シュヴァリエが試合コートの待機線に立つと、観客席から再び歓声が上がる。世紀の一戦を見逃さない、とでも言った熱狂がある。


「(Die Kraft des Sonne, entsperren.)」

 ――陽の力、開錠


「(Initialisierung des psychischen Status.)」

 ――精神状態初期化


「(Schweigen, Konzentration.)」

 ――静寂、集中


「(Aggregation, Eindringen.)」

 ――集約 浸透


『双方、開始線へ』


 審判からの合図がかかり、向かい合うアスラウグとルーン。

 共に楽し気な笑顔ではあるが、観客達は息を呑む。その笑顔は獲物を狩るわらいだったからだ。

 彼等は何故、自分が気圧けおされているのか理解している者は少ないだろう。

 そのわらいが自分に向けられた時、確実に狩り獲られると本能的に恐怖を感じたが故に起こったことだ。

 そして、を感情で受け取った者達は自分が獲物であることを否定するため、逆に声を上げて声援を送る。

 にわかに観客席が息を吹き返した時は、歓声が悲鳴の如く大きくなっていた。

 ――自分達は得物ではないと主張する様に。


「(Sonne Macht, Befreiung.)」

 ――陽の力、解放


「(Stagnation.)」

 ――停滞


 ルーンが奥義の準備を完了し、一時停止の祝詞暗示を紡ぎ終わったところでアスラウグが口を開いた。


「どうやら、まだ本気を残してたのね。次は何を見せてくれるのかしら?」


 アスラウグはルーンの気配が僅かに変化したことを鋭敏に感じ取っていた。


「あら、アズと戦うのに本気じゃなきゃ既に負けてるわ。それに見せてくれるのはそちらもでしょう?」

「フフフ、楽しみね。」

「そうね、楽しみよ。」


 第一試合の様に、ルーンが殺気を、アスラウグが極寒の気配を醸し出した。

 それを受けて審判が告げる。


『双方、抜剣』


 アスラウグが白銀の剣を引き抜く。陽の光が後光の様に剣のエッジを輝かせる。

 第一試合から変化があったのはルーンだ。山刀やまがたなサクスナイフの両方を引き抜いている。最初から二刀をって挑むのは初めてのことである。それだけで技法を変える、もしくは何かを仕掛けると相手にも警戒される訳だが、その程度は些事であるとでも言う様に素知らぬ顔だ。山刀やまがたなの鞘は相変わらず試合コート外へ投げ捨てられていたが。


『双方、構え』


 ここでアスラウグは剣先を下に向ける防御の構えであるAlber愚者の型を取る。言うなれば下段の構えであるが、通常と違うのは右脚を前に出し、左脚を踏み足としていることだろう。歩法を使う前にルーンが初っ端から飛び込んでくることを想定したからこその変形である。同時に「討ちに来い」との煽りでもある。


 ルーンは第一試合と変わらず、両腕を自然に降ろした位置で刀身を地面と水平に置く、ファルシオンのEberを二刀で構えている。


 アスラウグがAlber愚者の型、つまり下段に構えたのはルーンを見るためだ。自身の剣で視界を遮らない様に。ルーンは相手の剣、自分の山刀やまがたなと身体操作で一瞬の死角を造ることに長けている。あの両腕をだらりと垂らしたEberに見える構えも、その一助を担っている。


『用意、――始め!』


「(Wiederaufnahme.)」

 ――再開


 審判が開始の合図をしたのと、ルーンが奥義の一時停止を解除する祝詞暗示を紡いだのは同時だった。


 祝詞による暗示。

 一気にアドレナリンが分泌される。

 思考が加速し、時間が引き延ばされる。

 世界の音が薄れていく。

 その逆に自分とアスラウグの世界が隔絶され研ぎ澄まされていく。


 ルーンが使っている奥義の一つである技は、Waldヴァルトmenschenメンシェン、森の民の武術。

 Sonne陽の Machtと呼ばれる暗示キーワードによるゾーン状態の強制励起。

 停滞と再開の暗示キーワードで基底状態と励起状態を自由に切り替える。

 かつてドルイド僧が精神鍛錬の果てに神性と一つになる技法の一部を武術に転用したものだ。分類すれば神かかりりの一つであり、宗教儀式から産まれる宗教的精神高揚を暗示によって制御出来る様に改変したものだ。


 アドレナリンの大量分泌により、身体能力が2割ほど底上げされる。技を使用中は痛覚も鈍化するため、ダメージペナルティを無視する戦いを出来るが、励起状態を基底状態に移行した際はアドレナリンの分泌が押さえられるため、攻撃を貰っていたり、無理な動作をしていた場合など、一気に身体へ高負荷がかかる。そうならないレベルで使いこなすには、一朝一夕では修得出来ないたぐいの奥義だ。


 スルリとルーンは動き出す。その速度は今までより2、3割は速い。しかし、アスラウグから見えている限り、移動の速さに驚く必要はない。注意すべきは見た目の速さではない。


 アスラウグの支配領域内に侵入したルーンは、相手が打って出ないことに見極めを優先していると判断する。しかし、やることは変わらない。伏線を印象付けて使うべき時に必殺の一撃を繰り出すだけだ。


 アスラウグは動きのなかった山刀やまがたなで虚を突かれ、剣を高く巻き上げられた。ルーンの加速した身体速度と反する様に山刀やまがたなは動き始めも遅いものであったが、先に動き始めたサクスナイフが高速に斬り上げて来た。一瞬そちらに意識を流し対応しようとした瞬間、剣を山刀やまがたなに弾かれたのだ。認識の優先を利用した攻撃の遅速をかけられたのだ。


 観客席からは、ルーンがアスラウグの元まで高速に移動したと見えるが、むしろゆっくり振り上げられた山刀やまがたなが剣をち上げているのを不思議な面持ちで見ていた。これは、外から見たら判らない速度である。相対している互いの間で、認識と時間をコントロールする駆け引きがあったのだ。武術は外から見ている者が感じる速度と、対峙している相手が体感する速度とは乖離がある。実際に受けた者が速い、遅いと認識させることを利用しながら技を成立させるのだ。だから観客達が外側から見た遅速に本来は意味がない。


 アスラウグは巻き上げられた剣を相手の山刀やまがたなから巻き越え(バインド鍔迫り合い状態から相手の裏刃側に剣をクルリと移動させる)で自身の剣を攻撃態勢に移行する。思った通り、この攻撃はルーンが得意とする5連撃だった。


 一撃目を捌いたアスラウグは、その二撃目に驚かされる。いつの間にか腕を交差する様にサクスナイフが剣の裏刃を押さえ、山刀やまがたなはフランス式ムリネ手首回転さながらにクルリと垂直から並行に刃がアスラウグを捉えて振り抜かれる。本来ならば首を狩る技なのだろう。肩を真一文字で斬り放つ刀身は、サクスナイフで押さえられた箇所を支点としてヒルトを持ち上げて受け流す。受け止めればサクスナイフが攻撃してくる契機を与えることとなる。

 そもそも、この距離はアスラウグの剣の殺傷圏であり、ルーンの剣では長さが足りずに届かない場所だ。それを身体運用、特に肩甲骨の旋回と正中のラインを取るために斜めに移動する歩法、更に前脚を踏み止ませることで攻撃範囲がこれ以上伸びないと見せかけ、踏み脚となる後ろ脚の位置を微調整することで、身体の到達距離を変えて攻撃範囲の拡大をして来たのだ。


 三撃目は流された山刀やまがたなが二撃目の軌跡を逆戻りし、身体の外側で下方向に大きな円を描いた。その円はアスラウグのみ込みに合わせて脛を薙ぐ挙動となる。

 脚を引き、右半身へ移行することで攻撃をかすアスラウグだが、ルーンの山刀やまがたなは回転を止めず、下から剣先に峰をぶつけて外側に弾く四撃目を放つ。


 そのまま突きに変わった五撃目は、サクスナイフを防御に使いながらの攻撃であった。何時の間にか左腕を右腕の上側に交差させ、アスラウグが弾かれた剣で放った斬り返しの剣先に力が乗る前に、サクスナイフで受け止めて反撃を押さえ込む。山刀やまがたなのくの字に曲がった形状を生かしてヒルトを乗り越え持ち手を狙う突き。アスラウグは、再び剣を押さえ付けているサクスナイフを支点に、身体ごと右側に半歩踏み込んで斜めになった剣で山刀やまがたなの刺突を巻く様に防ぐ。

 五連撃を終えたルーンは、予備動作無しで低く滑る様なバックステップで距離を取った。


「(相変わらず厄介な五連撃よね。パターンなんて最初からないのね。都度、最適な攻撃を繰り出してるだけ。)」

「(ナイフの運用も見事ね。防御だけでなく攻撃の補助までするなんて、難易度が格段に上がったわ。)」

「(それに、あの身体能力の底上げ。威力や速度だけじゃなくて精度と防御力も上がるみたいね。奥義かしら?)」


 両腕をだらりと下げて地面と水平に剣を持つ隙だらけのルーンを笑みをたたえて見据えながら、アスラウグは相手の力量が想像より遥か上であったことに喜びを隠せない。

 

 その後、数度の攻防が繰り広げられるが、その間に二度にたびルーンの五連撃が繰り出された。サクスナイフを使った防御と攻撃補助にアスラウグは手を焼かされる。昨年に戦った時の五連撃より強烈な印象を上書きされた。


「(そろそろ頃合いね。それじゃ、かせてもらうわよ。)」


 ルーンは次の攻防で決定打を放つことを決める。今までの伏線は十分に機能したと見て取ったからだ。


「(Wiederaufnahme.)」

 ――再開


 再びアドレナリンが大量分泌され、世界の時間が遅れだす。

 そして、の祝詞を紡ぎ出す。


「(Bauen Sie Ihre Psychologie weiter aus? Ist es wirklich ein Problem?)」

 ――精神を更に拡張します。本当に良いですか?


「(ja. alles klar.)」

 ――問題ない


「(Die Kraft des Schattens, entsperren.)」

 ――陰の力、開錠


「(Sie Aktivieren.)」

 ――起動


「(Schweigen, Konzentration.)」

 ――静寂、集中


「(Zündung, Gleichförmigkeit.)」

 ――点火、均一


「(Verknüpfen.)」

 ――結合


「(Die Kraft des Schattens, Befreiung.)」

 ――陰の力、解放


「(Bereit zum Angriff.)」

 ――攻撃準備


 Schatten陰の Machtと呼ばれる奥義が発動体勢に移行した。

 今のルーンは Sonne陽の MachtSchatten陰の Macht、二つの奥義を併用していることになる。


 アスラウグの殺傷圏は侵入する者を真正面から叩き伏せ、それを上回る苛烈な攻撃を繰り出す。謂わば彼女が絶対的に支配出来る空間であることが今までの攻防で身をって確認したことだ。たとえこちらが押していたとしても最後には覆す能力を発揮される。

 だから、そこを利用する。


 ルーンは戦闘中、どんなに激しい動きであろうと足音一つ立てることはない。それをみ込みの音を出してアスラウグの真正面に突撃する。それもみ込みとは逆側の脚で音を立てて、である。

 何かある。アスラウグにそう思わせるために態々わざわざ足音を立てた。たった一つの不自然な足音は左右へ移動する欺瞞なのか、他の手を使ってくるのかを一瞬でも思考させることに意味がある。

 真正面からの一撃目を放つ。狙いはアスラウグの剣。牙を牙で穿つ。

 山刀やまがたなを振り上げながら腕全体の関節に時計回りの回転をかけて刃を真横にし、アスラウグが正眼に構えた剣の横から触れさせる。相手が思考をする隙間に捻じ込む攻撃。その効果でこの剣速はアスラウグから随分と速く感じたことであろう。それは、僅かに剣の対応が遅れ、山刀やまがたなを狙い通りの箇所に当てられたのが証拠と言える。

 剣に当てがいながら山刀やまがたなを滑らす様に捩じり込む。くの字に曲がった山刀やまがたなの形状は、剣先を進めるだけで相手の剣を外側へと押しやる。そして、左手のサクスナイフで相手の剣先に押し当て、外へ外へと送る。

 アスラウグは剣を斜め上に押しやられて正中線を正面にさらけ出した。が、次の瞬間には右の肩甲骨を下に、左の肩甲骨を上に旋回させ、両腕ごと時計回りの回転を掛けて山刀やまがたなを上方向に弾き飛ばした。


 返されることは当然とでも言う様に、ルーンは弾き飛ばされた山刀やまがたなから二撃目を繰り出す。上方から峰を使ってアスラウグの剣を叩きつけながら腰の関節を時計回り、右肩と右腕全体の関節に反時計回りの回転を掛け、そのまま剣を自身の右外側へ押しのける。アスラウグからは右上方向にあった剣が、左下方向まで押し下げられた形だ。


 アスラウグが間を開けることなく斬り上げた剣先は、ルーンの残像を斬った様に見えたことだろう。ルーンが剣の挙動に合わせ、股関節へ時計回りの回転を掛け、瞬時に身体を右向きへ移動させた。そこに生まれた空白を剣が通り過ぎたのだった。真横を向いたルーンは左脚を真横に滑らせ、脚の関節全体に反時計回りの回転を掛ける。その効果は、体勢を左斜め横からみ込める位置に向きを変えた。

 そこから三撃目を放つ。アスラウグの左腕と右腕の間に斜め上から腕を被せる様な突き。山刀やまがたなの下向きへ湾曲した形状が相手の腕を乗り越えて胴、いやさ心臓部分クリティカルを狙う。


 アスラウグが取った防御手段。両腕を下げながら折り畳み、剣先を上に立てながら刺突の軌道を防ぐ位置に移動させ、剣身の腹で受け止めた。ご丁寧にも剣身に刻まれたフラー山刀やまがたなの切先を引っ掛け、ガイドレールの様にその威力を上方へ受け流した。


 山刀やまがたなを上に逸らされた状態のルーンは、予想通り追撃をかけられた。アスラウグの身体側に寄り掛かる様な状態になった剣は、その位置から正面に振り抜いて来た。そのまま跳ね上がったルーンの腕を捕らえるだろう瞬間、サクスナイフを間に割り込ませる。山刀やまがたなが滑らされた時、防衛手段として予めサクスナイフの位置を移動していたのだ。

 右肘にサクスナイフの面をあてがい、攻撃の威力を右腕で支えながら肘の位置を変え、受けた剣を外側へ滑らせた。


 次の四撃目。肘が外向きに移動したことで、上腕は身体の内側方向へ斜めに向いている。それを更に横倒しにしながら左脚を半歩踏み込んでアスラウグの右上腕から胴に掛けて袈裟斬り。

 だが、さすが世界最強の騎士シュヴァリエである。こちらの剣速より早いであろう斬り返しが、斜め上への軌跡を描いて山刀やまがたなへ打ち込まれた。ルーンは、それを山刀やまがたなサクスナイフの二刀で挟み込む様に点で防ぐ。そこから、右脚の関節全体に反時計回りの回転、左脚を内側に回し上げることによって得た力を腰に通して、アスラウグを中心に円を描く様、身体全体を右側面まで一瞬で移動する。むろん、アスラウグの剣を抑え込んだままであったため、彼女の上半身の体勢を崩すことも兼ねている。


 そして、五撃目。右腕を肘からクルリと回し、低い位置へ山刀やまがたなを移動させ、アスラウグの左視界外から虚を突く斬り上げを音もなく行う。

 やはり、見えなくても対応してきた。このアスラウグの領域はそう言ったものなのだ。それが判っていようとも、打ち崩すまで攻撃を仕掛けるルーン。だが、サクスナイフによる手を増やしたところで、決めることは出来なかった。

 アスラウグは、左腕をコンパクトに畳んで、剣の向きを変えていた。その剣先は、ルーンの山刀やまがたなを完全に防いだ。


 ルーンは予備動作なく地面を滑る様にバックステップで距離を開ける。

 その挙動は、ここ数回で五連撃を行った後に必ずルーンが実施する距離の仕切り直しだ。

 こので決める、とアスラウグの気配を感知した。

 ルーンのバックステップに合わせて距離を詰めるアスラウグ。


「(それを待っていた。)」


 ルーンがずっと張り続けていた伏線。それを回収する時が来た。

 バックステップをしながら奥義を発動させる最後の祝詞を紡ぐ。


「(Ziel! Feuern!)」

 ――狙え!撃て!


 暗示による、アドレナリンの大量分泌、自律神経支配と体制神経支配の解放を促す。それが脳のリミッターを外し、一時的に筋肉が持つ潜在能力を引き出す。

 攻撃の祝詞キーワードと共に知覚すら置き去りにする世界で爆発するかの如く一気に攻撃を繰り出す。


 バックステップの終わりで脚を地に付けたルーンの気配が、明らかに変わっているのをアスラウグは感じた。彼女が何を仕出すかは判らない。だが、己の神速と謳われる突きを相手の攻撃より早く届かせることを最優先とした。


 腰に蓄えた力を背筋で作り上げた抗力に通し、肩に連動させて膨れ上がった威力と速度を乗せた刹那の刺突。体重も乗ったそれは、まず剣で逸らすことも出来ない直進性を持つ。


 バインド鍔迫り合いも防御も全て打ち砕き突き進むアスラウグ最強の技。


 その相手は、サクスナイフだった。

 アスラウグも内心「無理だ」と思ったことだろう。

 だが、剣とサクスナイフが触れ合った時、冷汗が流れる。

 片手で振るわれる30cmに満たない短剣が、自身の最高威力とも言える騎士剣両手剣を受け止める異常な光景。


 互いの剣とサクスナイフが予想以上の力でぶつかり合いをしたため、アスラウグの剣は大きく跳ね上がる。流石にサクスナイフも全ての力を受け流しきれなかった様でルーンの手から零れて落ちていった。

 即座にルーンは山刀やまがたなの柄を両手で持ち直しており、次の攻撃を繰り出すのだろう。必殺の気配が溢れ出していた。


 が。


 ――ポーンと、攻撃が成功したことを知らせる通知音が鳴り響いた。


 アスラウグが初めて見せるであろう驚愕の表情。

 その表情は、想定外にも程がある、と物語っていた。


 ――なぜ、ナイフがここにある!?


 アスラウグの右腕前腕には、先程サクスナイフが刺さっていた。

 何故か視界の隅から心臓部分クリティカルへ飛来したサクスナイフを防ぐには右腕で受けるしかなかったのだ。



 手放したサクスナイフを相手へ蹴り上げる技。ルーンはこの技を必中と言える精度に練り上げていた。それも反射で行える程に。故に、本来は単なる牽制技の一つであった技法が必殺の一撃に姿を変えた。


 全てはこの一撃を放つための布石であった。


 まず囮となる五連撃を今度は主戦力であると印象付ける。

 そのためにアスラウグの奥義とも言える支配領域内で連撃を繋げるには足りない速度を補う。

 そこで、奥義Sonne陽の Machtを使い、身体能力と技の底上げをした。

 最初から二刀を装備し、徹底してサクスナイフを防御と攻撃の補助として使い、五連撃自体に技の幅広さを持たせる役割であると印象付けた。

 更には五連撃を放った後に一度後退することで、威力と速度を上げた連撃にはタイムラグが必要だと匂わせた。


 そこを付け込ませるために。


 そして、待っていたタイミングで追撃が来たと同時に、二つ目の奥義であるSchatten陰の Machtを発動させた。

 それは必殺の威力が乗ったであろう剣の攻撃をサクスナイフで受け止め身体能力のリミッターを解除した。


 サクスナイフで拮抗し、剣を弾く。それ自体がアスラウグ相手では在り得ない出来事であり、その代償が防ぎきれなかった力を分散させるためサクスナイフを取り落とした様に見せる。

 想像の範疇からはみ出た事態であったこともあり、落ち行くサクス危険要素をアスラウグが意識から切り離したのが見て取れる。


 後は呼吸をするかの如くサクスナイフを蹴り上げた。


 だが、完全な虚を突いた攻撃すらアスラウグは上回った。ほぼ反射的に利き腕を犠牲にしてサクスナイフを防いで見せた。

 今迄にも見たことがある防御方法。ポイントを奪われないための一手ではなかったことが判った。彼女もルーンと同様、死なければ手足の一、二本を捨てるのも意に介さないたぐいの人間なのであろう。


 それでも、動揺を引き出せた上、利き腕を潰せた。

 この好機にルーンが動かない筈がなく。


 身体能力の制限を解除した埒外の力でふるわれる山刀やまがたなが、円の軌道、直線、軌道変更を繰り返しながら、今までより遥かに速度と威力が乗った連撃をアスラウグに浴びせかけた。

 利き腕が効かない状況下にあろうとも押し切られないアスラウグは、流石に世界最強と言われるだけはある。ルーンの繰り出す常識外の威力を持つ攻撃を受け、急激に体力を損耗しているのは見て取れるが、脱力と身体操作のみで対応している。ダメージペナルティを受けた右腕は添えるだけで、実質左腕一本で全てを捌いているところが恐ろしくもある。

 

 ルーンの波を描く様な軌跡と湾曲する刀身が産み出した刺突がとうとう心臓部分クリティカルを捕らえた瞬間、ここで予測外のことが起こる。

 アスラウグは、ダメージペナルティをカバーするために両腕全体を使い、肩の回転で腕ごと螺旋を纏った剣を引き戻す。その挙動は山刀やまがたなの横面に剣を叩きつけるものだ。


 ――パギャン、と金属から発せられた甲高くも大きな、そしてどこか気が抜けた音が響き、鈍色にびいろの刀身が半分程、宙を舞った。


 ルーンの山刀やまがたなが中央の湾曲部分から折れたのだ。


 モデルとなった山刀やまがたなは坩堝鋼製と言えどもインド産の坩堝ウーツ鋼には劣る上、11世紀当時の素材を再現した強度でしかない。山刀やまがたなの形状から力のかかる部分は中央に集中するため、形状を駆使した戦闘は想像以上に刀身への負荷を強いていた。奥義を重ね掛けし、身体能力を底上げした状態で使用したのだから猶更だ。


 山刀やまがたなを打ち砕いたアスラウグの防御は、そのまま心臓部分クリティカルへの攻撃に移った。

 防御の起点を破壊されたルーンは是非も及ばず。


 ヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が鳴り響き、勝敗の行方が決まったことを皆に知らしめる。


『ヴォルスング選手、1本』


 この時間が全て終わったことを告げる審判の声。


『試合終了。双方開始線へ』

東側オステン アスラウグ・ヴォルスング選手 2本』

西側ヴェステン アルベルタ・ジーグルーン・ツー・ケーニヒスヴァルト選手 2ポイント』


『よって勝者は、アスラウグ・ヴォルスング選手』


 アスラウグが無敗で十連覇の偉業を果たした。

 アレーナ場内が揺れる程の大歓声が飛び交う。アナウンサーが興奮しながらがなり立てている。

 普段では決して見ることのない戦い。それを今日、この日に生で目撃した観客も相当満足したのだろう興奮冷めやらぬ、と言った騒がしさである。


 ルーンは、外野の騒ぎなど素知らぬ振りで奥義終了の祝詞を紡ぐ。


「(Schatten Macht, Beendigung.)」

 ――陰の力、終結


「(Sonne Macht, Beendigung.)」

 ――陽の力、終結


「(Kündigung Verfahren.)」

 ――終了準備


「(psychische Kraft, Befreiung.)」

 ――精神力解放


「(Schließe die Kraft und die Psyche.)」

 ――力、および精神閉塞


「(Ende. alles klar.)」

 ――終了、問題なし


「ふう~。草臥れたわ、本当に。」

「それはこっちの台詞よ? いつもの何倍も気を張らされたのよ、ルーン。そのおかげで今までにない仕合が出来たのは良かったかしら。それに身体能力を上げる技があるなんて、まんまとしてやられたもの。」

「あら、全て防いだじゃない。取って置きまで防がれて、最後は牙を折られたもの。良いとこなんて、まるで無しだわ。」

「そんなことないわよ? 最後にとても面白い戦いを経験させてくれてありがとう。」

「どういたしまして。こちらだって色々課題が浮き彫りになったもの。感謝してるわ。」

「そう。…いつの日か、また剣を交えたいわ。」

「ええ、そうね。気が向いたら何時でもいらっしゃい。」


 いつまでも鳴りやまない喧噪を後に第十回Chevalerieシュヴァルリ世界選手権大会が終了した。

 それは新しい幕開けでもある。


 第十回Chevalerieシュヴァルリ世界選手権大会が、特別な節目として扱われたのは、【女王】の引退があっただけでなく、【女王】と【剣舞の姫】、この二人の戦いによるところが大きい。

 二人が見せた戦いは、騎士シュヴァリエの意識を変え、これから目指す先を明確に方向付けた。そう言った意味も含まれ、以降では10年区切りで節目となったのである。



 ――そして時代は過ぎ去ってゆく――


2156年8月某日

 今年は、第三十回目のChevalerieシュヴァルリ世界選手権大会が開催される。第四世代と呼ばれる年若い騎士シュヴァリエ達が頭角をあらわし始め、その勢いが留まることを知らず、と言った具合だ。


 ここ百年程の食糧事情改善などで児童に十分な栄養が行き届き、身体の発育も良くなった。また、教育現場も個人の学力や能力に合わせ個人の自立を促す方針が主流となり、自己の在り方を確立する児童が増えたことで、肉体、精神とも成熟する時期が数年前倒しになっている。


 騎士シュヴァリエ達もChevalerieシュヴァルリが現れた時期と比べ、年々才能が開花する者の年齢は下がっていった。現在では十代前半から世界の第一線で活躍する者さえ出始めている。だからと言って技術が同レベルでも、数多な経験と熟練の技を持った年嵩としかさ騎士シュヴァリエが一枚も二枚も上手であったりと、一概では騎士シュヴァリエを語れないため、ファン自体も幅広い年齢層に分かれる。つまり、老いも若きも観客を取り込めるのも一つの魅力となっている。世代を超えてChevalerieシュヴァルリの話題で盛り上がったりと、人の輪を広げる役割も担うことになった。


 その発端となり火を付けたのはアスラウグその人の存在だ。そして、その火に薪をべたのはルーンである。

 彼女達が現役の頃から比べれば、国を跨ぐ法整備や騎士シュヴァリエの地位と取り巻く環境が随分と向上した。このあたりはアスラウグとマクシミリアン国際騎士育成学園の理事長であるロートリンゲン卿、それとルーンの嫁入り先であるカレンベルク一族も大いに表から裏から働きかけた結果だ。



 ――ザルツブルク市、ブラウンシュヴァイク=カレンベルク邸。


 併設された道場は、近代的な機能をこれでもかと導入して建設されている。


 そこで二つの影が剣と戯れる。


 二つの影の佇まい、そして重厚にして滑からな動きは確かな完成度を持っていると誰しもが認識するであろう。

 見る者を惹き付ける流麗な剣戟。それはスポーツを楽しむだけでは辿り着けない一つ壁を超えた領域の軌跡を描く。


 世間を席捲したのは既に一昔前。Chevalerieシュヴァルリ競技の方向性を形造ったとも言える二人の戦い。

 【女王】アスラウグと【剣舞の姫】アルベルタ・ジーグルーンが長い時を経て、再び剣を合わせていた。


 アスラウグは引退してから20年、ルーンが引退してから16年の年月が流れている。しかし二人に衰えは見えず、むしろ当時より動きや力に無駄なく、より精錬された熟達の技を披露している。


 審判を除けば観客は只一人。一応、外には内緒の手合わせだからだ。


「すごーい、すごーい!」


 パチパチと手を叩きピョンピョンと跳ねながら、5歳の幼児が笑顔で歓声を上げる。

 ティナの弟である、ミヒャエル・ジークハルト・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク。愛称はハル。

 今、この場にはミュンヘン=アレーナ屋内競技場では観客席を一瞬で黙らせたルーンとアスラウグの殺気が渦巻いている。

 その最中さなかにあっても全く意に介さず楽しんでいるのは、彼にとっては生まれてから生活の一部にある当り前の気配だからだ。


 キン、と金属が奏でるが響く。

 同時に、ヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が響く。


「奥様一本、試合終了。お二方ともそろそろ一息いれてください。ぼんもお茶にしようか?」


 審判役のエレから声がかかった。彼女はブラウンシュヴァイク=カレンベルク家の護衛兼メイドを務めている。

 ハルが可愛らしく、はーい!と挙手しながら返事をしている様子を微笑ましく眺めるルーンとアスラウグ。二人は戦う者であると同時に母親でもあるのだ。


「あーあ、さっきの勝ちでリードした分獲り返されちゃったわ。ほんと、ルーンの攻撃は予測を付け辛いわ。」

「あら、アズ。今更じゃないの。次はあのが使った五連突きを本来の形でやるわよ?」

「フロレンティーナが見せた技ね。ルーンの五連撃がアレになるのね。いいわね、それ。楽しそうよ。」

「今度は歩法も入れるから、全く違う技と思ってくれて良いわ。」

「その歩法、決勝戦あの時にも出してくれれば面白かったのに。」

「仕方ないじゃない。当時は一族の中で色々と制約があったんだから。」


 4月の終わりにアスラウグはティナ経由で母親のルーンにコンタクトを取って貰った。

 それ以来、月に1、2回程、足繁く手合わせに通っているのだ。

 それはちょっとしたサプライズ的な催しの依頼を受けての行動ではあるが、まだ詳細は誰にも語っていない。


 ふと見ると、水分を補充したハルがエレと一緒に追いかけっこをしている。

 幼い子供ながら、その動きは複数の理合を切り替えているのが見て取れる信じられない姿だ。


「あなたの息子、ハルは一体どうなってるの? とてもじゃないけどアレは信じられないわ。」

「あの子、ちょっと特殊な技能を持ってるのよ。だから武術の理合が混ざらないで覚えられるの。」

「ああ、フロレンティーナと同じなのか。そこは姉弟きょうだいね。」

花花ファファ京姫みやこ小乃花このかにも技術の触りを教えて貰ってるわ。本人はお姉ちゃんに遊んで貰ってるつもりのようだけど。」

「とんでもない話ね。ハルのこの先が楽しみだわ。いつも新しい世代には驚かされるけど飛びっきりよ。」

「まぁ、騎士シュヴァリエになるかは本人次第だけどね。」


 そう言って話を締めくくるルーンの目は子を慈しむ親の顔である。


 彼が何を選んでいくのか。

 その先で何を見つけるのか。

 それを考えるのも杞憂だ。


 未だ未来は一つも決まっていないのだから。


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