【閑話】ヘリヤ、インドの山奥で修行した達人と戦う。 ~ヘリヤその2~
突然降ってきたスコール。豪雨と言えるそれは、あっという間に地面に川を造り上げ、水面を跳ねる大粒の雨足は王冠を
今、門弟達は、
「ほっほっほ。皆の者、随分と静まり返っておるの。そう緊張すれば見えるものも見えなくなるからの。」
シーク教の門徒である
彼自身は
その
剣を佩いた佇まいは凛としており、とても84歳の老人とは見えない。
道場中央には
この道場は、ウルミの様な特殊な武器や、棒や槍なども使うことを考慮し、広さも高さも十二分に確保されている。
カタン、と扉の蝶番に組み込まれた開閉ロックが外れる音がして、道場の扉が開く。
まるで黒鳥の様に。漆黒の騎士装備を纏いヘリヤがやってきた。装備装着補助を行ったのはイルムであろう。ヘリヤの一歩後ろから着いてくる。
門弟達はヘリヤの姿を見て固まった。その姿が問題ではない。彼女が纏う重く鋭敏な気配がたちまち道場内を埋め尽くしたのだ。ヘリヤは
「おまたせしました。
「なーに。わしも一緒に装備設定をしようと思っておったところじゃよ。時間なんて気にすることはないの。」
「では、お言葉に甘えて。」
SDCの制御コンピュータに付随する、登録エリアで武器デバイスの登録、鎧の攻撃有効箇所の確認を行う。MR表示のモニタで鎧の攻撃箇所設定を進めていき、完了を現す「ALL CLEAR」の文字が音と共に表示される。
「
「わしも老いぼれじゃて、長時間はきついからのう。1試合3分の1本先取で如何か?」
「ええ、それで良いですよ。じゃあ、設定します。」
「審判は僭越ながらわたくし、ユーディット・カミラ・ハームビュッヒェンが執り行わせていただきます。」
「ほっほっほ。高位の武人が審判などとは、ほんに贅沢な試合じゃの。」
「恐縮です。」
軽く頭を下げるユディだが、その動きにも体幹が振れることなど微塵もなく、彼女が戦う相手だと言っても納得出来てしまう佇まいである。
ヘリヤの護衛であるユディとイルムは彼女達一族の中でも最上位グループに入る使い手である。
「それでは、双方準備は宜しいでしょうか。」
審判用のMR表示画面を確認したユディから声がかかり、ヘリヤと
「では、双方開始線へ。」
ヘリヤと
「双方、抜剣。」
ヘリヤは、ヴァイキング型片手剣を一気に引き抜く。ショォンと反響した様な鈍い音が辺りに響く。銘はグラム。ここ、インドで精製された
対する
「双方、構え。」
ヘリヤは左脚を後ろに引き右脚を少しだけ前に出し、重心をやや前傾に傾ける。そして剣の柄を右腰元に引きつけ、剣先を相手の
「(ふむ。こちらの剣技がどの様なものか掴んでいる構えじゃな。どうとでも対応できる自然体じゃのう。善き哉、善き哉。)」
そう心の中で言葉を綴った
「用意、――始め!」
ユディから開始の合図が入り、直ぐに行動へ移したのはヘリヤだった。相手が格上ならば待つのは無意味と、一気攻勢に出てた。
ヘリヤは右脚を
円盾を持った腕に攻撃が当たると思われた瞬間、タルワールがヘリヤの剣を上から受け止め、手首の回転で反時計回りに剣の裏刃へ回り込んで
左脚を半歩引き、斬り上げを躱すヘリヤ。しかし、
「(すごいな。攻撃の軌跡が全て違う。まるで予測がつかないな。)」
「(それに盾でこっちの剣を自由にさせないなんて初めての経験だ。)」
「(うーん、どうしようかな?)」
だが、ヘリヤはずっと笑みを浮かべている。初めて経験する武術に頬がにやけているのだ。
「(さすがに凌がれるのう。攻撃の予測は出来ないだろうに。見事と言う他あるまいの。)」
攻撃には見えていても避けられないものがある。
無拍子などの
21世紀後半。食糧事情の改善やスポーツ科学などの発達、スポーツ競技者の身体能力向上などにより、身体の反応速度限界と言われる0.1秒の壁を超える者が出始めた。そして、22世紀。
しかし、それでもまだ足りない。
人の持つ限界を一つ超えることが出来た者こそが足るを知る。
ここで繰り広げられるはその資格を持った者達の戦い。
そこへ至るに必要なのは純粋な資質。そして、それを支えるは莫大な鍛錬。
だからこそ、ヘリヤは今ここにいるのだ。
キャヒン、と金属の甲高い音が響く。緋色の剣と白銀の剣が高く跳ねあがり、双方が一歩ずつ下がり、その場で再び構えを取る。
「ほっほっほ。やりますな、戦乙女殿。よもやその様な防ぎ方をするとはのう。」
「いやいや、
「それを思い付くだけでも相当なものですぞ? それに一瞬とは言え攻撃の出を遅らせることを強いる素晴らしい技量じゃ。」
「ありがとうございます、
点と点。剣が打ち合う時は、刃と刃が点で触れ合う。点で交差するからこそ、タルワールの回転は止められずに連撃を許すこととなった。
そこでヘリヤは、剣の刃を横にし、タルワールの刃全てを剣身で受け止めた。さすがに面で剣の刃全てを受け止められれば、次の回転が出来ずに止まる。そこからの技はあるが、それはお互いそうであろう。であれば、一度仕切った方が良かろうと、二人は剣の殺傷圏外に逃れたのだ。
「さて。あたしの技も見て貰いますか。出来立てほやほやの必殺技ですよ。」
「ほう。それはそれは。では受けさせて貰いますかの。」
相変わらず楽しそうに笑うヘリヤであるが、気配が膨大に膨らみ、空気に重さを感じる程に満ち溢れた。
「いつでも良いですぞ。」
「なら遠慮なく。行きます!」
人が発せたとは思えない電光の動きでヘリヤが神速の五連撃を発動した。一撃目で円盾を弾き飛ばし、二撃目でタルワールを上に弾く。次の三撃目で、
そして、信じられない反応速度でヘリヤは後方へ飛び退いた。残りの二撃を行わないままに。
――ヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が鳴り響いた。
「ロブズローク1本、
淡々と宣言するユディ。この模擬戦を見ている門徒達も信じられないことが起こり、目を白黒させている。
「おやおや、あれは避けられんわな。1本取られてしまったわい。」
今の交差を陽気に笑いながら結果だけを口にする
「…御見それいたしました。
「礼を言うのはこちらじゃて。新たな息吹を感じられましたからの。それに勝ったのはそちらじゃろうて。」
ヘリヤがつい先日に完成させた新しい必殺技。全ての軌跡が異なる神速の五連突き。身体リミッターが解除されて放たれるそれは、0.15秒で5発の突きを放つ、人の知覚外の技。
それを三撃目で防がれた。
一撃目は、正面から盾を掬い上げ、二撃目で盾に寄り添った剣を上に弾き飛ばした。そして隙が出来た胸元に三撃目となる刺突を
鎖骨の約5cm下。腕の筋肉の接続箇所と神経が集まっている場所。そこは攻撃されると腕の動作が一時的に麻痺する急所である。そこへ正確に刺突を差し込むことによりダメージペナルティが発生し、ヘリヤの腕を動かなくしたのだ。だからこそ、五連撃が途中で止められ、バックステップで後方へ退避せざるを得なかったのだ。
正に試合に勝って勝負に負けたと言える。
「まさか、あたしの技が途中で止められるなんて破られ方するとは思わなかった…。」
「どんなに速くなろうが、力が付こうが、身体の急所は変わらんて。それさえ判れば力なくとも如何様にも方法は考えられることをお忘れなきように。」
「なるほど、勉強になります。貴重な体験をしました。ありがとうございました。」
その言葉を聞き、にこやかに笑みを返した後、大きく伸びをした
「さてさて、模擬戦はわしの負けじゃ。どれ、そろそろ昼の様じゃ。マサラの良い匂いが漂ってきているのう。」
「戦乙女度殿も、スタッフの皆さんも一緒に食事はどうじゃ? と言っても用意しとるでの。食べて行って貰わないと余ってしまうわい。」
「あははは、それじゃ遠慮なくいただきます。」
ヘリヤの着替えを待って、一行は
部屋の中には、絨毯がロの字に敷き詰められ、中央にはマサラが入っているのだろうか底の深い土鍋が幾つかあり、各座席と思われる場所には、バナナの葉が敷いてある。その上にナンと炊いた長粒米が手前側に直接載っており、奥側には器に入った
「最近では西洋化された食卓が多くなっとりますが、どうせならインド式の食事風景を味わって貰おうと思っての。」
「まずは、そこで手をお洗い、お好きなところに座って下され。」
一同が絨毯の上に座ると、ビニールに入ったスプーンとフォーク、それと消毒液に濡れた使い捨ての手拭き。この辺りは外国人向けに用意されたものだろう。
「本来、インドでは食事は右手のみで直接、料理を掬って食べる習慣での。ほれ、この様にナンも右手のみで千切るのじゃよ。」
そう言いながら器用に片手のみでナンを千切る
とは言いつつも、近年では上流階級を筆頭に都市部などではそこまで拘ることは少なくなってきている。場合によっては左手なども使うケースもあり、スプーンなども衛生面が一昔前と比べれば格段に向上しているため、普通に使うこともある。
「へー、面白いなぁ。ところ変わればってヤツか。ってイルムさん、片手でよくナンを千切れますね!?」
「私は以前、大使館に1年程滞在してましたから、その時に慣れたんですよ。」
カレンベルクの要人警護部門は海外で長期滞在することも良くある。滞在した地域を知るには、そこの文化に馴染むのが早道であることが多いため、進んで風習を学ぶのだ。
見るとユディも片手でナンを千切っているが、単に手先が器用なだけである。
和気藹々と食事が進んでいく。ヘリヤも片手でナンを千切るのだが彼女の場合、器用さなどではなく純粋に指の力で無理やりむしり取っている。乱雑になった断面がそれを良く物語るのである。
この食事風景もしっかり撮影されているので、いずれ番組で公開されるのではあろうが。
そして、食事をしながら談笑がいつの間にか対談へ雪崩れ込んでいた。
「
「ほっほっほ。やはり気になるかのう。その答えは一つじゃ。あの御仁にはまず勝てん。」
「そうなんですか? あたしが
「そう見えなさるか。しかしのう。たとえわしが全盛期だったとしても1本はおろか1ポイントも獲れんじゃろうて。」
その一言にヘリヤは驚いた。自分でも今の母相手に1本は難しいがポイントは何とか奪える。その自分を終始抑え込んでいた
昔を懐かしむ様に目を瞑っていた
「女王殿、いやさ今は永世女王殿かのう。言い得て妙な二つ名じゃわい。あの御仁は言うなれば英雄じゃ。言葉だけではなく本物のな。」
「…英雄、ですか?」
「そうじゃ。戦乙女殿を勇者と例えるならの。永世女王殿は後世で英雄と呼ばれるじゃろう。」
話の意図が見えないヘリヤ。それは周りのスタッフ達も同様の様で、静かに続きが紡がれるのを待つ。
「時代の変換期、とも言えば良いかの。大きく時代が変わる時、必ず偉人が現れるものじゃ。人を導く、偉大な発明をするなど様々じゃ。歴史を見てみい。名を遺す者は大抵、世の中に影響を与えた者ばかりじゃろ。」
「彼等に共通するのは、いずれも
「母さんがそれだと?」
「その通り。
だが、それは通常では起こり得ないことだ。
それを【永世女王】アスラウグ・ロズブロークの存在が可能とした。
圧倒的カリスマと見る者を捉えて離さない剣戟の技を持って、競技の方向性を形作り、
「あの御仁は時代が産み出した天才じゃ。武に必要な全てを持って産まれてきておる。実質、
「故に。その娘子である戦乙女殿だからこそ、永世女王殿と張り合うことが出来るのじゃろうて。」
【永世女王】アスラウグが生まれて初めて1本獲られた相手。それが
永世女王を打ち破れる者。その可能性の一人として世間でも密かに期待されている。
「そうですか…。あたしは届くのかな…。」
「届く、とわしは思うておるよ。先の打ち合いでまだまだ眠っておる資質を持っておると確信したからの。」
「ありがとうございます。こりゃ期待を裏切れないな。」
晴れ晴れとした顔で答えるヘリヤ。武の達人からまだ強くなれるとお墨付きを貰ったのだ。ならば、その先へ進むのみ。
史上最強の
ふと、疑問に思ったことがポツリと口に出たヘリヤ。
「母さんと真面に戦える【剣舞の姫】も英雄なのかな。」
「剣舞の姫殿か…。」
ヘリヤの呟きを拾い、顔を
「…剣舞の姫殿は、修羅から産まれたと言っても良いくらいじゃ。人とは別の強さを持っておる。人の推量では測ってはならん御仁じゃ。英雄とは人から産まれるものじゃて。」
予想外の言葉に目をパチクリするヘリヤ。まさか、自分が憧れた【剣舞の姫】が修羅と称されるとは思ってもいなかったからだ。
しかし、何故か納得してしまう。
終始笑みを浮かべたまま顔色一つ変えずに戦う姫騎士は、とても人のものとは思えない尋常ならざる技を繰り出して来たのだから。
修羅の娘は、また人ではなく修羅であると。
それが理解できたヘリヤは、また笑顔になるのだ。
そんな相手が同じ時代に産まれた喜びに。
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