【閑話】京姫と小さな老人 ~京姫その2~
「糞っ! 何が起こってる!!」
手に持った湯飲みを
勢いで湯飲みからはお茶が零れ、
左目の下に刀傷がある白髪の老人は、高慢で居丈高な態度を取り続け、自分が何よりも上であると言う様に脇に控えた50絡みの壮年へ怒りのままに言葉をぶつける。
「木下っ! ちゃんと判る様に説明せんか! 一体どう言うことなんだっ!」
木下と呼ばれた少し前髪の生え際が後退した壮年の男性は、呆れたように
「ですから、国際シュヴァルリ評議会の監査が入ったんですよ、日本支部に。不正発覚と言うことで職員が総入れ替えされています。」
「だから誰がそんなふざけた真似をしたかと聞いとるんだ! 儂に逆らう不届き者は誰だっ!」
「国際シュヴァルリ評議会の相談役ですよ。」
「なんだとっ! たかが相談役風情が何の権限を持ってこんな真似を!」
この相手を端から侮って言葉を放り投げる老人は、剣術界を束ねる組織「剣雄会」の名誉会長である
今にも額の血管が切れそうに浮かび上がり、このまま
「おや? ご存じない?
自分が不正操作させた組織に対して実体を全く理解していない加納
「その方が大激怒したんです。次々と剣雄会の息がかかった道場が
「なんだと!? そんな、馬鹿な!! 一体どうやったんだ!」
「判りませんよ、そんなこと。兎も角、今までの様には行きません。暫くは大人しくするしかありませんね。そうでなくとも一体どれだけの剣術道場が潰れることやら。」
「待て! 試合の不正データは処分したんだろうな!? いや、それよりも県予選で
「それこそ存じ上げませんよ。その辺りは加納大老が毎度、プログラムの使用やデータの
もう二度と使うことが出来ない名の通り幻の技となりましたが、と木下は付け加えた。
その言葉で、不貞腐れながらも一安心する加納
ここで最悪の事態を想定して行動していたならば終局は少し変わったのかも知れない。
データ
そして、剣雄会の言いなりになる人員で構成させた国際シュヴァルリ評議会日本支部は、加納
しかし、彼らは知らなかった。データベースに含まれる暗号データには、偽装した秘密のデータが格納されていることを。不正監視のため、本部の監査チームと本部経営幹部しかしらない操作履歴データ。プログラムの実行から
つまり、不正は全て発覚しているのだ。その上で泳がされているのだ。
更には、加納
所詮TVのニュースに流れる事件は他人事である、と認識し、自分達が裁かれる番になることはない、と根拠のない自信と安心感を持っているのだ。
「(剣雄会はもう駄目だな。新たに団体を立ち上げるか、古い体制に戻るかだな。)」
「(ウチは道場の建設に手を出してなかったから被害は軽く済みそうなのが救いだ。)」
加納
着々と包囲網は狭められている。政治団体の癒着や、非合法組織なども洗い出されており、既に足切りや組織の崩壊などが起こされている。
ロートリンゲン卿とブラウンシュヴァイク=カレンベルク家の実働部隊が
そして、彼等、剣雄会の不正に関わった者達は、通信履歴や相手先の情報は勿論、符号を使ったやり取りまで全て解明されている。連絡可能となる相手との通信にも必ず自動的に会話は録音され、そのデータはリアルタイムで転送されている。次第に通話自体も繋げることが出来ない相手が増えてゆく。簡易VRデバイス経由で国民番号は準犯罪者対応に設定されているからだ。
既にのっぴきならない事態に追い込まれた者は、資金を全て差し押さえられ、生活必需品の購入は出来るが全て現金払いとなり、引き出せる金額もギリギリ生活が出来るのみの金額に下げられた。そして生活の自由すら奪われた者も出始めた。逃亡なども個人識別用の生体素子を埋めることが義務付けられている国民であるため、どこへ行こうと身元が即判明する。飛行機や船など正規の輸送も利用できず、高跳びをするには非合法組織とコンタクトを取るしかないのだが、そもそも当てにした組織は全員捕縛されている。結局のところ、只じっとしているだけしか出来なかった。
ここまでが2156年4月13日 火曜日から4月21日 水曜日にまで怒涛の如く起こった出来事であった。
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2156年4月26日 月曜日
朝から雲一つなく、五月晴れではあるが、通年よりは心なし早く季節を巡らせているかの如く、暑いくらいの気温に汗がほんのりと滲む。
ここ、某県にある県立競技ドーム。県予選のために朝から集まった
――そして3日目。
既に地元の
体得しつつある初動が見えない攻撃は、全国大会の上位入賞者クラスでなければ対応することが出来ないレベルに達している。それに着いてこれたのは、今、Aブロックの決勝で下した
彼女とは、ジュニア時代に何度も県大会の決勝で接戦を繰り広げた仲である。当時、日本で一番苦戦した相手とは県大会で当たっていたのだ。
「これが世界の壁ってヤツか。今回は完全に上を行かれたわ、宇留野さん。あのいけ好かないジジイをぶっ飛ばしてやって!」
「ぶっ飛ばすって…。それより浜崎さん、あなたも海外へ出ませんか? 今のままだと勿体ない。世界を体験すると戦いの認識が変わりますよ。」
「ふーん、あなたが具体例だとすれば魅力的な話ね。ちょっと考えてみようかしら。」
ヒラヒラと手を振り、
彼女もまた、加納
その夜、加納邸。
加納
「まずいぞ! 何だあれは! ただ事ではない立ち居だったぞ!」
まずいまずいと言いながら
それが、実際に戦いの様子を垣間見て、
兎も角、このままでは負けることになると思わせる強さを持っていたことに、何とか手を打つべく愚考を繰り返しているのである。
「そうだ! 良い手を思い付いたぞ。これならば断われまい。」
ニヤリと厭らしく嗤う加納
「誰か在る! おお、広沢か。至急、宇留野家へ連絡しろ。明日の午後、儂自らが宇留野宅へ赴き宇留野
明らかに自分が上位におり、断られることなどはあり得ないと言う思考からの台詞である。この会話も、森の民の諜報担当に筒抜けではあるのだが。
宇留野家では夜分に掛かってきた電話に
この電話の数分ほど前、父から加納
2156年4月29日 木曜日
約束通り、午後を少し回ったところで黒塗りの車が宇留野邸へ乗り付けてきた。
秘書
そこから袴に羽織りを纏い、足袋に雪駄を履いた老人が降りてきた。
お付きを少し後ろに引き連れ、杖を突き、敷石を歩きながら玄関を
そこには
「ようこそおいでくださいました、加納大老。私が宇留野
「うむ。出迎えご苦労。」
横柄な態度を変えない老人に対して、三つ指を突いて礼をする
「では、加納大老。奥座敷へご案内する前に、杖を預からせて頂きます。」
「なぜだ。なぜ杖を預ける必要がある。」
「ここは武家屋敷。この場所は槍床と申します。奥座敷へ入る前に敵対をしない旨を示すため、武器を預ける間でございます。故に仕込み刀はお預かりする次第でございます。」
ピクリと加納
「…よかろう。業物
「はい。確かにお預かりいたします。」
「では、こちらへお入りください。」
奥座敷へ続く襖を開くと、長方形の大きな座敷机があり、加納
「そちらで少々お待ちください。良き煎茶を頂きましたのでお淹れいたします。」
「ならば早う致せ。」
移動の間、
「大層、お待たせして申し訳ありません。清水の極蒸し煎茶でございます。」
作法は崩さない
「して、加納大老。本日の御用立ては
「そなたが最近活躍しているのを耳にしてな。
「お褒めに与り、光栄でございます。」
「しかしだ。長巻だけが上達しても本懐ではないであろう。ならばこそ。明日の試合は、儂自ら刀の使い方をお主に見せようと思ってな。」
「と、いいますと?」
「明日の試合は刀にて挑め。儂がそれを受けてやると言うとるのだ。」
「加納大老の胸をお借りできるので?」
「そうだ。儂が胸を貸してやるのだ。儂が打ち刀を使うのだ。用法の違う太刀ではなく、刀で技を盗むのが良しとなろうぞ。」
つまりは。お前の技はだいぶ良くなったけど、あの武器だったからじゃね? 他の武器が使えなきゃ意味ねぇじゃん。だからオレの得意な打ち刀に合わせた武器で来いよ。もんでやっからよ。お前の持つ「刀」から選べよ。と言った意味である。
もっとも、裏の話をだせば、ヤリなんかだされちゃ捌けるわけねーだろ。こっちを楽に勝たせろよ。だから長いのじゃなくてよ、お前は短けぇ刀使えよ。てめえが調子コクとむかつくからよー。と心の中で言った意味である。
「ならば、私は愛刀であります、
「うむ。快い返事が聞けて嬉しく思うぞ。これで明日は楽しめるものとなる。礼を言うぞ。巫女風情の技でどこまでやれるのかはお主次第だがな。」
「はい。明日が楽しみでございます。」
相手を卑しめる様に最後まで暴言を吐いていた加納
言葉の中にも長物相手は嫌だから太刀でもなく剣を使え、と言ってきた。
詰まるところ、自分の打ち刀より20cmは短い脇差で参加しろと適当な理由で通そうとしたのだ。絶対断らないだろうと言う謎の自信を浮かべて。
ハッキリ言って、あちらの言い分を聞く必要など全くない。大体、無作法が過ぎており、ドイツのごく一般の家庭だったとしても尻を蹴って追い出すレベルであった。
この話の途中から、
只、あれこれ悩むより、技を出させる前に決めてしまえば良いではないか、とも思う。この考え方は
どうも国内では、相手の技を受けて、お互いの技を見せ合いながら戦う者が多い記憶が蘇る。むしろ、技を出される前に仕留めたり、技を仕掛けるタイミングを戦いの中で推し量りつつ、チャンスがあれば剣を振る、などの駆け引きがない。危険な技は出させない様に封じる戦略を使わないのも、競技が国内需要で賄えてしまう部分が大きいための弊害ではないかと。
国際規定されたルールの中で、自国内では暗黙の了解的振舞いが
だからこそ、世界選手権大会などの国際競技で今一つ奮わないのではないかと勘繰ってしまう。
なにせ、自分は暗黙の了解を
「(だけど。……私はこれで良いんだろうな)」
しかし観客は、
決して、技の優劣を競う競技として見に来た訳ではない。
それは別の競技で見られること。
求めるものが違うのだ。
「さて、
簡易VRデバイスから、県予選大会の試合状況を確認する
過去、あれ程気を揉ませていた加納
去年、
――良いところまで行くがまだ足りん――
器の大きさは決まっていない。そもそも、人にそんなものは無い。
心の在り様で、自分自身が器を作り大きさを決めてしまうのだ。
彼女は器が満ちていないからこそ、様々なものを学んだ。
人と触れ合い、剣を交え、友と語り合う。
そんな日常で、遥か遠く見ることも出来なかった頂が、直ぐそこにあったと気付かされたのだ。
だが、頂は一つではない。誰しもが自分の頂を持っていた。
だからこそ、皆で歩いていけるのだ。
寄り添うのではなく、並び歩く。
胸を張り、顔を上げて遠くを見つめ。
そして、いつの日か辿り着く。
目指す限り、終わりなどは一生涯訪れないのである。
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