02-018.ホーエンザルツブルク要塞に行ってみよう、です!

 シュティフツケラー・ザンクト・ペーター(St. Peter Stiftskulinarium)で昼食を摂った後、屋外ラウンジ側出口から出ると、聖ペーター僧院教会に併設されているマリアゼル礼拝堂の裏手の道に繋がる。

 その道を進めば聖ペーター教会墓地となる。観光地の一部となっているため、18:00までは入場が可能となっているのだ。道なりに墓地を横切り、同じ敷地内にあるマルガレーテン礼拝堂の正面右横の道を進めば、墓地の裏口に辿り着ける。最近では、裏口を閉ざしている鉄の格子扉は日中帯に限り、事前に申請すれば簡易VR端末から電子ロックを外すことが出来る。


 その裏口を出て数m先の右手には、ホーエンザルツブルク要塞へ登るケーブルカー、フェストゥングスバーンの発着所となっている。ハッキリ言ってケーブルカーの乗り場とは思えない普通の建物だ。看板がなければ通り過ぎてしまう様な街への溶け込み方をしている。それもそのはず、1892年創業当時の佇まいであるからだ。


 そう。これからザルツブルクの顔である、ホーエンザルツブルク要塞の観光に行くのだ。


「うわっ! 近いヨ! 出てすぐヨ!」

「近道で墓地を横切るのはどうもな。いいんだろうか…。」

「大丈夫です。事前に裏口の使用許可を取ってありますから。全く以って問題ありません!」

「ありません!」


 それがなにか?と言う様に堂々と胸を張るティナ。釣られてフンスッと真似をするハル。法的に問題ないのなら手段を選ばない姉の影響を受けないか心配である。


 質素なケーブルカー発着所の建物は、アーチ型の出入り口が2カ所ある。向かって左側がチケットカウンター、および発着場への入り口である。

 受付ではティナがチケット発行の手続きを行っている。


「二人とも、チケットを送りますからフレンドオープンしてください。」

「へーい。わかったヨ。」

「よし、オープンしたぞ。」

「ハルは? なにするの?」

「ハルは手を繋ぎましょうか。はい、手を握ってー。」

「はーい。」


 ティナの手を握って、楽しそうにぶんぶん振るハル。そのやり取りの間、花花ファファ京姫みやこは、簡易VRデバイスにフレンド通信経由で送られてきたホーエンザルツブルク要塞の入場チケットの内容を確認する。二人とも細胞給電式コンタクト型モニターを装着しており、ARで視界の右寄りに送られてきたチケット名「スタンダード」で閲覧できるA+B+Cコースの入場可能な施設一覧を表示している。


「ほへー。塔も登れるヨ。マリオネット博物館? 人形遣いいるカ! 糸引っ張るヨ!」

「黄金の間? 名前から既に豪華だと謳っているな。教会もあるのか。」

「人形遣いはいませんよ? 触れて良い人形以外を操るのはNienダメです。それとザルツブルクは近代時代まで大司教様が領主を兼ねていた宗教都市でしたから宗教建築は街中を歩いてたらどこにでも遭遇します。」

「あー、京都の神社仏閣の様なものか。」

「でんしゃきたよ!」


 ハルが指差す方向に、ガラス張りと言っても良いケーブルカーが到着する。全周パノラマを堪能できる様、新型車両へ変わる度に窓の面積が大きくなっていったのだ。

 オースタンイースター後の平日で時間帯も中途半端であるため、観光客もまばらで、乗車に時間もかからず直ぐに出発した。

 ケーブルカー、フェストゥングスバーンは、勾配に合わせて車体内は斜めに造られており、座席も段差を設けて配置してある。窓から360度の景色が楽しめる様になっている。


「うごいた! おやまのぼってるよ!」

「ほら、あのお城に向かうんですよ。お家はあっちの方ですね。ちょっと見えないですけどね。」

「いい眺めだな。距離が短いのが残念だけども。」

「ラクチンヨ! でも走った方が早いヨ。」


 花花ファファは、このくらいの傾斜ならば走って行くのも問題ない様だ。彼女の台詞は修行時代を振り返って比較していることが多いので、一体どんな鍛錬をしていたのか一々気になることをポロッと話すことが多い。

 そして、京姫みやこが言う様に、このフェストゥングスバーンの走行距離は200mない。そこを約1分で登るのだ。観光バスでバスガイドが「右手をご覧ください」と流れ作業で見せられる景色と時間的に変わりない。


「たかいねー。おうちがいっぱい。」

「ハル、もうお城に着くぞ。前を見てごらん。」

「おしろだ! おっきいねー。」

「ホラホラ、壁の暗い穴に吸い込まれるヨ~。」

「きゃー」


 楽しそうに叫び声をあげて花花ファファに抱き着くハル。暗い穴とは城壁下部に設けられた山頂駅の入り口だ。フェストゥングスバーンが停車し、僅かな音を立ててドアがスライドして開く。技術的には無音で開閉出来るが、音の要素は重要で注意を促す意味合いもあるため、公共機関の乗り物は音を出してドアを開く造りになっている。 


 山頂駅は、ホーエンザルツブルク要塞の西側にあるハッセングラベン稜堡りょうほ内にある。稜堡りょうほ、つまり城の外郭部分にあたり、まだ城の内部ではない。山頂駅を出て正面を見れば高い城壁になっている。この城壁の丁度裏が当時産出した塩の保管庫となっていた。今はオーディオガイドツアーの入り口が設置されている。そして、城壁の左角部分は四角い形状の外郭塔となっており、内部から登ることが出来る。この塔、レック鉄棒トゥルムは地下6mに監獄があり、かつて大司教が捕えられ幽閉されていた。19世紀には拷問室が追加されている。

 まずは、城壁沿いに左手方向へ進む。そちらはハッセングラベン稜堡りょうほの北側にあたり、ザルツブルクの旧市街が一望できる。同じ方向の景色はレック鉄棒トゥルムの物見からでも見ることが出来るが、稜堡りょうほの広いスペースを移動しながら、色々な角度から景色を眺めることが出来る。


「こっちいい景色ヨ。昨日行ったお山が良く見えるヨ。」


 稜堡りょうほの一番端まで走って行った花花ファファがカプツィーナベルクを指差しながらそんなことを言った。そこへトコトコと走っていったハルは、抱きかかえられて景色を見せて貰っている。

 この位置からでは山の南側に面しているため、ブラウンシュヴァイク=カレンベルク邸は見えないことが残念だ。


 城下に広がる旧市街と左手側に上から見たメンヒス丘陵ベルクのなだらかな傾斜が広がっている。春の新芽で色鮮やかな緑が美しい。稜堡りょうほの防護壁は場所によって高さが1mから1.2m程あるため、背の低いハルは順番で三人娘に抱きかかえられて景色を楽しんでいる。フェストゥングスバーンが昇ってきたのを見て手を振るハル。近くにいた観光客も子供の仕草に頬を緩ませている。


「では、城郭の中に行きましょうか。」

「城攻め楽しみヨ! お山で攻めにくいネ!」

花花ファファはこの城を落とすつもりなのか。」

「もしもの備えは大切ヨ!」


 肘を曲げた右腕を振り上げ力説する花花ファファだが、いったい何に備えるつもりなのだろうか。たいせつよー、とハルが真似しているので教育上宜しくないことだけは理解できる。


 山頂駅を背にして右手側へ進むとレストランの屋外ラウンジがあり、稜堡りょうほの南側から外郭塔経由で城郭内へ入れるが、そちら側の入り口から周らない。時間があれば帰りにでも寄ろうかと言うレベルである。

 今回は、稜堡りょうほの一番端にある鐘楼塔外部に併設された階段から城郭内へ入る。

 南側の入り口もそうだが、稜堡りょうほからの出入りは正規の入り口ではない。本来、城の構造として正規の入り口は1カ所であり、城郭の東にある門塔から入る様になっている。現在では、西側にある稜堡りょうほり抜く形でケーブルカーが発着しているため、城郭内と稜堡りょうほを繋ぐ通用口を入場向けに整備されたものである。


 鐘楼塔の円形に合わせて作られた外部階段を上ると、城壁の高さ5m程の位置に人が二人並んで通れるか否か程の入り口がある。

 入り口を入って左側は、要塞建設の最初期に造られた4、5mの城壁に人が二人ほど並んで通れるくらいのアーチが設けられ、その上には石造りの紋章が設置されている。アーチの向こう側は、城の入り口と鐘楼塔への入り口へ繋がる路地となっている。城壁と言っても石垣の部類に入る様な高台となっており、その上に1077年にロマネスク様式で建てられ、以後16世紀ころまでには宮殿の様に発展した大司教の居城がある。

 入り口の右手側は城の裏庭にあたり、かつてザルツブルクの栄華を支えていた塩の保管庫が立ち並んでいる。

 レック鉄棒トゥルムに登るには、Aコースを進む必要がある。そのため、Aコース入り口で、オーディオガイドツアーを申請し、順路へ入場となる。簡易VRデバイスへ希望する言語のガイドプログラムがストリームされ、音声とAR表示で順路や解説を受けながら進む方式である。ガイドは必須ではないため、断ることは出来るが、Aコース見学の間、ユーザ位置情報をツアー管理員へ通知する必要がある。これは文化遺産に対して問題や事故が発生しない様にする予防措置である。

 また、この入り口には、各コースの入場規制人数をリアルタイムで簡易VRデバイスに受け取れるサービスがあり、待ち時間の確認が出来る様になっている。年代を経た美術品や居室、調度品などがあるため、一度に入場できる人数を時間単位で制限しているのだ。


「二人はオーディオガイドをどうします?」

「ああ、日本語のガイドもあるんだ。でもドイツ語かな。言葉の勉強にもなるだろう。」

「ほへー、北京語あるヨ。んー。ワタシもドイツ語にしとくヨ!」

「ハルもー。」

「あら、ハルもガイド付けて見る? ちょっと難しいお話だから大丈夫かしら?」

「ねぇねにきくからへいきー。」

「ティナはどうするんだ?」

「私はもう3回来てますから。内容も覚えてしまってます。」


 1回目は小等部の歴史授業の一環で。2回目は同じく小等部の時に友人達と。3回目は2年と少し前に、ここホーエンザルツブルク要塞用パンフレットの仕事で。

 ですから不要ですよ、と。三人を引き連れてAコースのゲートをくぐっていく。


 最初に訪れたのは塩の保管庫。レンガを敷き詰めた床は年代を感じさせ、木製の梁が連なった天井は湿気を吸収する機構だったのであろうか。現在は、この要塞の建築に携わった17名にも及ぶ歴代大司教の肖像画が飾られている。

 そして、城の模型が幾つも展示されており、700年に渡り増築されていった過程が判るようになっている。ハルはお城の模型に興味がある様で、段々と大きくなっていく要塞の姿を楽しんでいる。

 

 順路として次に現れたのが、レック鉄棒トゥルムの拷問室である。19世紀に拷問室へ改装されたが、一度も使われることがなかったと言う。

 幅の狭い螺旋階段を上ると、レック鉄棒トゥルムの屋上である物見へと辿り着く。かつては大砲を配備していたらしいが、今では360度の景観が楽しめる展望台である。ハッセングラベン稜堡りょうほで見た景色とは視点が変わり、別の景色の様に楽しめる。


「少し雲が出てきましたね。」


 ティナはそう言っているが、晴れ間も見えており天気は悪くならないだろう。そして、くだんの雲は目線よりも下を流れている。この要塞がある標高は500mになるため、山の木々などの水分につられて出来る雲は要塞より低い場所で発生することが多い。所々眼下で霞がかかっている様なものだ。今も時たま霞の様な雲が通り過ぎていく。


「雲の上のお城ヨ。天空の城ヨ。」


 ガリバー旅行記のラピュータを思い浮かべていたティナだったが、花花ファファは斜め上を行った。


「マチュピチュヨ。」


 あちらは標高2500mはあるので、高さ的にホーエンザルツブルク要塞とイコールで繋がることはないが、言いたいことは判る。しかしてこれはツッコミ待ちなのかどうかが判断し難い微妙なラインである。こちらはあやふやなラインで返そうとしたが、不意にハルが叫ぶ。


「ひこーきやさん!」


 ティナに抱っこされてフンフンと鼻歌交じりで景色を見ていたハルは、目ざとく北西にあるザルツブルク空港を見つける。ちょうど、オーストリア航空(社名は英語名を採用している)の大型旅客機が飛び立って行ったところだ。今では国際線も大分増えてきたが、車で2時間圏内にミュンヘン国際空港やウィーン国際空港があるため、夏冬の観光シーズン以外は遠方の国との直行便が少ない。

 ちなみにティナが花花ファファへ返すあやふやなラインのネタは、「ネパール人は3000m級の山は散歩の範囲」だ。ホントに彼らは富士山とか近所に買い物に行くノリで軽々と登る。何せ、生まれ育った場所と大して標高は変わらないからだ。

 ふと京姫みやこを見ると、どうやら物思いにふけっている様子。


「高さが変わると見える景色が全く違うな。」


 遠くを見ながらしみじみと呟く様に言葉を漏らす京姫みやこ。その言葉に別の意味が含まれていることは容易に判る。

 ヤレヤレと花花ファファが肩をすぼめてその言葉に返し、それに同調するティナ。


「これからは京姫ジンヂェンも見る景色ヨ。、ヨ。」

「そうですね。そのための鍛錬をここ数日続けてきたのでしょう?」

「ははは、努力…うん、違うな。少しずつだけど登っていくよ。」

「おやまのぼるのー? ハルものぼるー!」

「そうヨ。ハルも一番高い山登るヨ。上から見るととってもキレイヨ。」


 みんなで見れたら楽しいヨ、と花花ファファは事も無げに言って話を締めた。

 いつの日か世界の頂点で。それは人々が見る様な夢物語。

 だが、彼女達にとっては手に届くであろう現実的な話なのだ。

 そして、いつかハルも自分達と同じところまで上り詰めると花花ファファは確信している。


 スウッと鼻をくすぐる様に風が通り過ぎる。


「へくちっ!」


 可愛らしいくしゃみがきこえる。

 物理的に鼻をくすぐる何かが混入してたのかもしれない。


「はなでたー。」

「あらあら、はい、チーンして。」


 プラーンとたれた鼻をプピーとかむ幼児。


 ドイツやエスターライヒでは鼻をすするのはほぼNGと記憶して欲しい。頻繁にズルズルとすすれば、否な顔をされるので注意。

 その代わり、鼻をかむのは当然と認識されているため、遠慮なくブビッとしよう。まあ、鼻をかむ時に下を向いたり、顔を背けたりはしても良いと思うが。

 ポケットティッシュなどの1パックも日本の数倍の量が入っている。6枚重ねくらいだったりするが、1度きりで廃棄はせず、数回使うのが当たり前であるからだ。


「うーん、特に冷えたという感じはしませんが、下に降りましょうか。」

「OKヨ!」

「ああ、それでいいぞ。」

「はーい。おりるー。」


 全員、意外とあっさりしている。

 見る、と言う行為で概ね満足しているからだろう。


 ちなみに。彼女達はカメラを持ってきている訳ではない。

 しかし、簡易VRデバイスの機能で内蔵カメラや細胞給電型コンタクトモニターの光学偏向でそこそこの写真を撮ることが出来るのだ。

 みんなで撮ってもらいたいときは、カメラデバイスを別途とりだしてシャッターをリモートで切る。


 撮影禁止の場所など、AR表示で文字表示されたり、どうやってもシャッターが切れないようになるのだ。

 22世紀は、そんな細かい部分が積み重ねられて技術が発展してきたのである。


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