02-003.小乃花、蕎麦無双です!
2156年3月28日 日曜日
マクシミリアン国際騎士育成学園の所在する、バイエルン州ローゼンハイム郡はちょっと面白い。ローゼンハイム自体は、郡独立市であるため行政が違うと言う構造だ。郡の真ん中にポツンと郡以外の区画となっている。例えるなら、千葉県にある千葉市が県から独立している思ってほしい。つまり、郡の名前を代表する様な市が郡に所属していない。どういった歴史でこの様な形になったのかは興味をそそる題材ではあるが、余談が長くなるのでここでおしまい。
現在、午後12時過ぎ。ティナは、ローゼンハイムにある日本蕎麦屋に来ている。先日の懐石料理に味を占め、違うアプローチの日本食を試したくなったのだ。
今日のお供は、
初めて登場したシルヴィアについて簡単に話そう。
彼女は、騎士科5年のイタリア流剣術の使い手だ。イタリア流剣術とは、ヨーロッパの武術の歴史で最も古い部類に属するため、時代ごとの様々な武術を総称した呼び方である。その中にはドイツ流剣術が取り入れられている流派もある。シルヴィアは、サーベルを片手にドイツ流とスペイン流の間を取った様な流派の技を使う。何度もイタリアの全国大会に出場経験がある実力派の
肩で切り揃えたストレートのサンディブロンド(灰と茶が入った砂の様な金髪)に薄い茶色の瞳、身長は160cm後半。顎の細い小さな顔とモデルの様なスタイル、お胸の方も中々のサイズと、何もしなくとも人目を引く立ち姿である。
この4人となったのは偶然である。ティナが
騎士科の学科授業は学年に関係なく行われるものも多く、騎士科の全学年約480名の内、半数は顔見知りである。
ティナは、以前、
日本では良く見る木製の四人席テーブルに座り、テーブルの中心に添えられている調味料を興味深そうに眺めているティナとシルヴア。木の小匙で掬う七味の陶器壺、醤油差しの瓶、爪楊枝、とヨーロッパでは見ないものばかりだ。
メニューと言うより、お品書きと言った方が良いだろう。料理の写真と、達者な筆使いで横書きされた日本語の品名にドイツ語訳の記載がある。
「――と言うわけで、このお店に来てみたのです。シルヴィア、お蕎麦は大丈夫ですか?」
「ええ、平気ですよ。地元でもピッツォッケリは良く食べるので。」
ピッツォッケリとは、イタリア北部のパスタで材料は蕎麦粉である。イタリア料理だけあって、ジャガイモやキャベツと絡め、バターやチーズなどで味付けたりと、同じ蕎麦でも調理方法は全く違う。
「ん。私は、十割蕎麦もり、3枚盛り。あと、天麩羅盛り。」
「
「う~ん、私は、この鴨南蛮?ですか。え? 暖かいのと冷たいのがあるんですか? では、温かい方にいたします。」
「そうですね。私は、こちらの天麩羅蕎麦を。」
4人は、出された温かい
「それで、
ティナが気になった3枚盛り。言葉通り3人前を一緒に盛れとの注文だ。それとは別に天麩羅の盛り合わせ。
「それは、3人前を一緒の器に盛って欲しいという意味だ。」
「3人前…。
「日本ならでは、かは判らないな。料理自体の単位を1枚、2枚と数える物で偶にそんな注文が出来るものがあると言った方がいいかな。」
「へー、そうなんですか。いつか使えそうな知識です。覚えておきます。」
「料理が盛られた皿の単位ではないのですか。身近なところで他国のオーダーについて判るのも面白いものです。」
姫騎士さんは通である、と認識させることを画策中です。
夏季休暇に日本へ赴いたときに細かい小ネタを積み重ねて、現地で親日家のイメージを植え付ける戦略のため、情報収集を密にしておこうと。
オーダーから10分程。料理が揃い食事が始まる。
ドイツやエスターライヒでは、食事は皆の料理が出揃ってから始める習慣がある。自分の注文が時間のかかるものであったら、「お先にどうぞ」と一声かけるのは、どの国でも共通だろう。
この店のざる蕎麦、もり蕎麦は、
「この店。信州蕎麦。それも戸隠。久しぶりの味。」
「程
ヨーロッパ組は、他国の食べなれない料理に
「お
「蕎麦自体の味はピッツォッケリと良く似ています。この海老の天麩羅、写真より大きいです。」
ズズズッと音がする。その音にヨーロッパ組は何事かと
「ん。
そして、蕎麦に薬味を乗せ、蕎麦
目を瞑り、味わう
呆けた様に、それを見つめるティナとシルヴィア。
その二人の様子に
「二人とも、一体どうしたんだ? そんなに目を見開いて。蕎麦が伸びるぞ?」
「いえ、
「そうですね。音を立てるのは作法的に問題ないのですか?」
「音? あっ! ああ、蕎麦は音を立てて啜るものなんだ。啜ることで蕎麦の香りが立つんだ。」
日本人なら大抵は知っていることではあるが、ヨーロッパ人のティナとシルヴィアが知る
蕎麦は、香りを味わう食べ物である。蕎麦を啜ることで鼻に程
だが、個人的にラーメンは音を立てて啜るのはマナーとしてNGの部類だと思う。啜る理由がないからだ。最近は麺を啜ることで、ヌードルハラスメントなど論争が盛んだったが、蕎麦は含めないで欲しい。美味い蕎麦を美味く食べるための最善の方法として啜ると言う行為が確立されたのであって、一つの文化であると言いたい。そして、国際化が進む最中にあるので、蕎麦屋などでは海外の観光客向けに、蕎麦を啜る理由などを掲示しておいた方が双方幸せになれると思う。
「ふむふむ。ところ変わればと言うことですね。なるほど、なるほど。」
「食材を生かすための食べ方ですか。やはり、知ると言うことは面白いですね。」
シルヴィアは、知識を得られることに喜びを感じるタイプらしい。姫騎士さんは使えそうなネタとして脳内にメモ中である。
そして――。
「店員さん。お茶のおかわり。それと蕎麦湯。」
朱塗りの
蕎麦湯は、蕎麦のゆで汁に流れ出たビタミンBや澱粉質を補給する目的もある。とろみのある蕎麦湯は、ほんのり蕎麦の香りと甘みも残り、人によっては、そのまま飲んで味わう者もいる。
中には温かい蕎麦を頼んでいるのに、蕎麦湯を頼む者がいる。店員は、温かいお蕎麦ですよね?と怪訝になるが、それでも頼む者がいる。私のことだが、なにか?
みな、お手本になるように綺麗さっぱりと食べつくしたと言える。
「大変おいしゅうございました。やはり、日本食は侮れません。」
「満足。この店、優秀。水がいい。戸隠蕎麦の味がちゃんと出てた。」
「そう言えば日本で食べる時と同じ味だった。こちらで蕎麦を茹でると味が今一つだったのに。」
「水ですか? それ程、変わるものなのですか?」
「そう。産地のものは産地のもので作るのが一番。」
特に蕎麦は水を選ぶ。出雲蕎麦を関東の水で茹でると、島根県で食べる蕎麦とは味がかなり変わる。蕎麦を茹でる時は、出来れば産地の水で作るのが良い。
ウィスキーの水割りが水によって味に変化が出るのと一緒だ。これも可能であれば、ウィスキーを作るときの仕込み水と同じ水で割るのがベストだ。チェイサー(舌をリセットするための飲み物)をウイスキーと同じ蒸留所or同じ仕込み水を使ったビールにするのも良い。
とどのつまり、食べ物が作り出された際の環境が揃って初めて本来の味が出せる。
物によっては、逆に美味くなる残念な名産は除いてだが。
一般でも、水道やポットなどに軟水器や同じ効果のフィルターを取り付ける場合があるが、それでも軟水化に限度がある。味はまちまちであると思われるが、それでも日本人にとってはまだ硬い水である。
「言われてみれば確かに。こちらで
「あら、シルヴィアは、お料理をなさるんですか?」
「嗜む程度です。私の家系も
ここにも貴族がいた。まぁドイツ、イタリア、オーストリア、フランスは、近代に色々ありましたから。
ドイツ連邦共和国、エスターライヒ共和国は、第一次世界大戦の動乱期に、王政・貴族政が廃止された。貴族の称号は解体される中、業績等により名誉貴族として称号のみ引き継ぐことが出来た一族がいた。それがティナであり、テレージアだ。
ティナは、正式には名誉公爵の姫君。貴族としての実権は持っていない。同じくテレージアも名誉男爵として、
同じようにシルヴィアの出身である、イタリア共和国も第二次世界大戦後は王制が廃止され、共和国となった。貴族として権力に絡まないが、家格として爵位は残っている。
ちなみに腐った【騎士王】アシュリーはウェールズ、つまりイングランドの貴族であり、爵位は侯爵。昨年、当主が隠居宣言をしたため、現当主である。爵位に対する相続税がお高く辛かったそうだ。
「ふーん。大変。私は無理。」
「
「
「隠忍の一般修養。情報収集に潜り込んだり(破壊)工作するには、長期で野外生活する術が必要になる。」
「NINJYA、とは違うのですか。イタリアでも人気ですよ。」
「それはイメージで作られたヒーロー。
黒装束で忍術を使う忍者のイメージは昭和の漫画から広がったと言われる。黒装束は伊賀の野良着で黒染めの物があったという記録はあるが、実際に忍び装束としては着ていない。そんな目立つ衣装は、町中で人ごみに紛れることは出来ないし、一目で異質なものと映るだろう。
忍者とはなんだったかと聞かれれば、君主を持たない山賊崩れや、地方集落が自営のために組織した武力集団が大半となる。修験者の一部も同様に組み込まれている。忍者の呼び名自体、近代に付けられた名である。
武家に仕えていない者も多く、生き残るために、武家とは異なる独自の技を取り入れていた。科学技術や植物学等、知識も豊富であったらしい。
そして、
戦国の世では人に紛れて諜報活動など、下働きとして使い勝手の良い技術を持っていたことから、ご近所の武将に傭兵として戦に雇われたりしていた。しかし、身分は低く、時には使い捨ても同然であったとも言う。仕官しても登用されることは少なく、仮に用いられたとしても侍より下に見られることもしばしば。
江戸時代、「隠密」と言う情報収集を専門で行う者、お庭番などでも有名になった言葉だが、これは忍者ではなく、独自に組織された人員であった。隠密と言うより諜報官と言った方が役どころとしては判り易いだろう。諜報の歴史は古く、定かではないが聖徳太子も活用していたと言われる。
忍者の名で有名どころに、2代目服部半蔵(鬼半蔵)がいる。こちらは数々の戦いで武勇を上げた武将である。三方ヶ原で武功を上げ、徳川家康から伊賀衆150人を預けられ、忍びの棟梁となった。関ヶ原を徳川家康が遁走する際に大きく貢献したことにより、褒章の一つとして江戸城の門に服部半蔵の名前が付けられた。半蔵門である。江戸幕府が開かれて以降、配下の忍びである伊賀衆達は、他の忍びよりは待遇が良く、同心などの下級武士として職に就くことが出来たとのこと。
「戸隠蕎麦は、戸隠流の地元。流派交流で行くときは必ず戸隠蕎麦を食べた。」
「忍者の流派ですか? 伊賀とか甲賀くらいしか知識にないですね。」
「私は、NINJYA亀とか分身とか光線を出すなどですか。あ、シュッと消えるのもありますね。」
「シルヴィアの知識は映画やアニメーションのNINJYAですね。しかし、
「む。私は
「ああ、すいません。そんな意味でいったんではないのですが。」
「罰として鰹節の入手を執行。」
「はいはい。鰹節ですね。こないだの乾物屋に聞いてみます。あ、鰹節削り器も取り寄せが必要そうです。」
「
「鰹節って、
「
ヨーロッパ組に鰹節、しかも本枯節の話が通じる訳もなし。流石に
「鰹を3枚におろし、骨や皮をとったものを10日ほどかけて焙煎して乾燥させます。その後、特殊なカビを付けて1カ月くらい後、木の様に硬くなった鰹の身が出来ます。」
「それを専用の削り器で削り卸したもので出汁を取ったり、本枯節ならそのまま、汁物の具にもなりますね。」
「ティナもシルヴィアもお好み焼きやたこ焼きは食べたことはありますか。あつあつに鰹節をかけると踊るんですよ。」
「あ! この間
「私も、誘われてお好み焼きをご相伴に与りました。出来立てにかける踊る薬味がありました。」
「そう、それですよ二人とも。薬味としても使われますが、本来、良い出汁がとれるんです。」
「ここで、UMAMI再登場! これは予想外でした!
「ふむ。出汁ですか。魚介を煮る時に染み出すブイヤベースなどの親戚なのですね。」
「おおむね、その認識でよいと思います。ただ、鰹節は旨味が圧縮されていますので、薄皮の様に削って使うのです。」
「それを
「この蕎麦屋、昆布の他に鰹とイリコで出汁が取られてた。まず、間違いなく同じ店から卸してる筈。」
この調子だと、帰りに
「後は、水の製法を調達しなければ。」
「そのあたりの調査は
「なにか不穏な台詞が出て来てます…。」
「これがNINJYA、いえ、忍びですか。ロドルフォ・シヴィエロのようです。」
ロドルフォ・シヴィエロは、第二次世界大戦中に活躍したイタリアのシークレットエージェントである。ナチスは支配下の国の美術品を集め、手に入らない場合は容赦なく破壊しており、イタリアでも貴重な文化財の危機が訪れたことが幾度もあった。情報収集により未然防止や美術品の奪還、および返却を水面下で行っていたのがシヴィエロである。スパイ的な要素は似ているが、忍びはもっと泥臭い。
彼女達の会話は、学園の寄宿舎へ帰るまで、終始食材について語られていた。
後日談。
「あの店。業務用の塩化ナトリウム式イオン交換型軟水器を複数台連結。ミネラル含有量調整装置を組み合わせてた。戸隠の水質にph調整もしているらしい。」
「そこまで拘っていたのですか。やはり蛇口に付けているフィルタータイプでは無理そうですね。うちでも導入を考えますか?」
「置き場ない。屋外用。水道管直結。」
「…導入は無理ですね、それは。ミネラルウォーターで我慢しましょう。」
「とりあえず蕎麦の茹で水もミネラルウォーターに変更。」
「そうですね。出来れば日本産のミネラルウォーターが仕入れられるか聞いてみましょう。」
どの道、鰹節が入荷したら乾物屋に取りに行きますからね、と
やはり、先日は蕎麦屋の帰り道に鰹節を発注する羽目になっていたのだった。
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