01-005.冬休み、知らないところで原体験の話です
ここ、学園があるバイエルン州では、復活祭の46日前にあたる灰の水曜日と、その2日前からの告解の月曜日、告解の火曜日が祝日となっている。学校などは、その週自体を休みとし冬休みに充てている。休み前後の土日を含め、今年は2月21日から29日までの都合9連休となる。(復活祭は天文計算による移動祝日なので毎年変わる)
ティナは、冬休みを実家で過ごした。ローゼンハイムの学園からザルツブルグの自宅までは国道で100km未満、高速バスで2時間もかからず帰ってこれる。休み中、暇があれば幼い弟の頬をつついて癒されたりしていたが、のんびりするための帰省ではない。
「おかあさま、今から少し時間が取れますか? 完全武装で。」
「あら、予め言ってくれれば時間はとるわよ?」
「いえ、思ったときに研鑽するのも目的でもあります。お付き合い、していただきたいかな、と。」
「鍛錬に関してはわがままなんだから。この
本来の目的は、2週間後に控える学内大会に向けて調整を密に行うことである。道場には、
ティナの背景について触れておこう。ザルツブルグ駅の南側に、道場付き庭付きの一般より大きめな2階建てが彼女の実家だ。父親の事業創立のため、8歳の時にドイツのカレンベルクより移住する。その際、国籍を取得してエスターライヒ国民となった。家族構成は、両親と今年5歳になる弟の4人家族、それと執事にメイドの3人。父親が名誉公爵の
「おとうさま、型稽古お付き合い願えませんか?」
「明日の夜辺りに爺様があの剣もってくるから、それからでいいんじゃないか? たまには真剣を使わないと鈍るぞ。」
父親は一族に伝わる家宝の宝剣を扱うための独自な剣術を継いでいる。家名のブラウンシュヴァイク=カレンベルクを拝命するより遥か前から伝わる特殊技法で、現在に復古された西洋剣術とは一線を画する。教本に起こされてはいるが、自ら身体で覚えなければ技の真意が伝承されないことから、戦うことはなくとも代々使い手となり継承している。そもそも特殊な剣であるため、専用の技がなければ只の鈍らである。
母親も母方の一族で伝承してきた古武術を習得している。こちらも既知の西洋剣術とは異なる独特の技である。その技を西洋剣術に忍ばせ、小出しに使い成績を残してきた。
古代には様々な流派の剣術が嗜まれてきたのではないだろうか。戦いの様相や武器の変化で、廃れ淘汰され消えていったもの、表舞台から隠され家伝でのみ継承されたもの。そして、現在復古した西洋剣術も一度は廃れ消えていった。しかし、全盛期には騎士教養として一般化し、教本が残っていたため現代に蘇ることが出来た数少ない例の一つである。
ティナの王道派騎士スタイルと評される技は、全てドイツ流武術であり、大会の時に垣間見せた技もドイツ流武術をベースとした亜種である。しかし、それ以外に両親それぞれの流派も継承し、都合3つの流派を使うことが出来る。それは混在ではなく、異なる術理をそれぞれ修めている。
武術の基本には適切な、呼吸、歩法、身体運用があり、流派が用いる技により最適化されている。両親から継いだ技は西洋剣術の派生ではなく、それぞれが独自の技術体系となっている。そのため、呼吸、歩法、身体運用は全て異なり、近いものはあっても似て非なるものである。
通常、武術を真に極めるには、環境と言うものが大切になる。武術が育った文化や生活を基に、身体運用は精錬されていく。環境が異なれば文化もまた異なり、ただ歩く、ただ呼吸する、それだけでも用法に違いがあるだろう。で、あるならば、身体運用も異なった発展をしていると言える。たとえ
ティナの異常性はそこにある。年齢を考えれば、3つの流派を並列に習得していなければ現在のレベルで修めることは叶わない。更に、それぞれを異なった思想、運用方法で習得していることになり、異なる技術体系をそれぞれ維持したまま鍛錬することは非常に難しいと言える。
1つの流派の歩法を鍛錬中、別の流派の歩法を鍛錬した場合、多かれ少なかれ双方の技術が影響しあう。悪い影響が出た場合、技術が混ざり本来の運用どころか全く用途をなさない意味のない型だけになる。
それぞれの似たような動作が全く異なる思想や運用法から生まれている場合もあるからだ。
なのにティナは、全く異なる武術と思想をその
それを実現しているのは、ティナの異能とも言うべき特殊技能だ。
彼女は、幼少の頃より隠すことが得意だった。いたずらを。つまみ食いを。表情を。これからの人生が決まることとなった親戚から貰った大事な本の隠し場所を。そして今では競技スタイルを。感情を。本来の目的を。
隠すことに長けた彼女は、技能を隠す。父から教わった技を。母から継いだ武術を。そして西洋剣術を。隠している間は、完全に自分から切り離している。その技能は持っていない状態となる。
彼女の隠し事はスイッチによって切り替わる。イメージとしては、学ぶ武術をそれぞれ
そして、スイッチで切り替える。現在学んでいる対象の
習得した武術は、いちいち切り替える必要はない。
ティナは、久々に真剣を振る。孫に会いに来た祖父が本家から持参した家宝の剣だ。武器デバイスの剣は、この宝剣をモデルにしている。
一見、騎士剣に見えるが特殊な造りで、
しかし、この剣は特殊な用途を持っている。普段は、西洋剣術で騎士剣の振舞いを擬態しているが、本来の技は使う必要が来る時までお得意の隠し事だ。今は感覚が鈍らない様、剣本来の型稽古に没入している。歩法を見ると、同足(手足を一緒に出す)を多用するようだ。そこだけ見れば日本の剣術に似ている。詳細は、
「ティナは、まだ姫騎士に拘っておるんか?」
夕食後のひと時、祖父が聞いてきた。
「当然です、おじいさま。そのために鍛錬を続けているのですから。」
「ふふふ、目的があるのは良いことよ。それで全国大会3位ですもの。大したものよね。」
「お義母さま、ティナの拘りは少し度を超えているのですよ。一度決めたら曲げない頑固者ですから、暇さえあれば鍛錬してますし。若い娘なのだから他にもすることがあるでしょうに、もう。」
「いえ、おかあさま、
「あら、ティナは学園ではどのように過ごしているのかしら? 良い人は見つかった?」
「おばあさま、私の目に留まる方はいらっしゃいませんわ。そもそも――」
祖母、母、娘と女性同士の会話が始まり、祖父は会話からこっそりフェードアウトする。女性の会話に口を出したら藪蛇になることは過去、経験済である。父は早々に、うつらうつらしている弟を抱えて寝室へ
月火は家族とカーニバルへ出かけたり、鍛錬に、調整にと、中々充実した冬休みを送ったのだった。
――話題を変えよう。
夕食時に少し触れられた、ティナの拘りである「姫騎士」。
彼女たち家族に不和が訪れるのも宜しくないため、ここでこっそり話をしよう。
彼女が何故そこまで拘ることになったのか。それは過去の原体験にある。
3歳頃より、TVで見た
母親が遊びの範囲で剣術を教えていたが、ティナは物覚えも良く才能があったようで、本格的な修練に移っていく。
そして、7歳。
親戚である10程年上のお姉さん宅に遊びに行った時、見せて貰った本で人生が方向付けられた。このお姉さん、所謂、
その本は、日本で購入された「オークと姫騎士」。作画、内容、作風で、殿堂入りする程評価が高い成年指定の薄い本である。が、7歳児に見せるべきものでは断じてない。
見せられたティナも驚きに目を丸くしたが、字は読めずとも美麗な作画と知らず物語に引き込まれる巧な構成に夢中となって読みふけった。ただの合体シーンすら、艶やかで詩的に見せるのは流石、殿堂入りだけはある。
まるで抒情詩の様に見せられるその世界で、組み伏せられ、嫌悪から拒絶、葛藤と段々艶めかしく変わる美しい姫騎士に心奪われる。その薄い本は譲って貰った。見る用、保存用、布教用、使う用の中から、布教用の何冊かの内、1冊を分けて貰ったのだ。在庫のカテゴリーについてはナニも言うまい。
ティナの隠す才能はここでも発揮した。宝物となった薄い本は、未だ誰の目にも触れていない。今は学園の
年を重ね、色々なことが判るようになると、幼いころに感じた感情が何だったのか判るようになってくる。
あの姫騎士の様になりたい、オークに押し倒され染められたいと。強烈な原体験から、もの凄く困った性癖が発露した瞬間であった。
つまり、ティナの最終目的は、オークと出会い、クッコロしたいのだ。背徳と
その目的のためには、姫騎士であることが必須であった。だから、最高の姫騎士であるために邁進する。他に姫騎士と呼ばれた
現段階で、世界的に姫騎士として認識してもらうためには、世界選手権で良い成績を残す必要がある。なれば、年齢的に早めと言われようが、大きな大会を獲っていくことにした。取り敢えずの目標は、大体世界ランク6位くらいで安定すれば良いなと。それを言えるだけの積み上げた技術と胆力がある。
なるべく早く姫騎士の二つ名を固定したい。それは、オークと出会う時、若くお肌がピチピチ(2156年では死語)な状態でいたいから。出会った時、こちらが曲がり角過ぎだったら申し訳ないと。
彼女は、自分が少しおかしいことを理解している。だから本当の目的も性癖も微塵も見せずに隠し通す。姫騎士と呼ばれることに情熱を懸けるただの
ちなみに。現実にはオークがいない。故に、
彼女の全く興味がない相手はオブジェクトとして認識されている。ただのオークではダメなのだ。こちらが最高の姫騎士まで駆け上がるから、相手もそうであって欲しいと、願望が現実を厳しくしている。が、妥協はしない。
もひとつおまけで。戦犯のお姉さんは、今、日本で成年指定の漫画家になっていた。
こうして、ティナは姫騎士にならんがための目的や、余り芳しくない主人公の個人情報をイロイロ暴露されることとなった。
だが、たとえ余人に知られたところで、ティナ本人は変わることなく平常運転だったであろうことは付け加えておく。
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