寄る辺なきものⅠ
いろんな夢を見ていた。
泣いている自分をあやす母親と、似合いもしない変顔を披露して笑わせようとする父親。
大きくなった自分とキャッチボールをする兄。
食事の時、つまらないきっかけから口げんかになる姉。
毎日一緒に登校して話していた友だち。
そして、数えるほどしか会えなかった好きな人。
・・・
目を覚ますと周囲は真っ暗で、遠くから虫の鳴き声が聞こえた。布団の感触がいつもと違う。それに、身体に何かが巻き付いていて気持ち悪い。記憶がごちゃごちゃしている。いつもはすぐ昨夜何をしたか思い出せるのに、頭がズキズキして上手くいかない。修学旅行中にはしゃぎ過ぎたかと考え、明日はどこを回ろうかと思案する。
「――目覚めたか」
声が聞こえた。緊張した、重苦しい声だった。
声がした方向を見ると、緋色の着物を着た大柄な男が畳の上で
「あなた、だれ?」
「
つまりここは龍馬の家、ということだ。
「どうして、わたしが龍馬くんの家に?」
「それはいずれまた説明する。今はゆっくり休め」
「でも・・・・・・」
「休むんだ、いいな?」
有無を言わせない口調に渋々と頷き、目を閉じる。
幸か不幸か、すぐに寝付くことが出来た。
・・・
自分の家よりもうるさいなと思いながら愛希は目を擦り、上体を起こした。見回すと、愛希が寝ていたのは見慣れない和室だった。微かに開いた襖からは外の景色と通路のようなものが見える。祖父母の家に似ていて懐かしいなと苦笑を浮かべる。
今何時だろうかと思案すると同時、枕元に置かれたデジタル時計と書き置きを発見する。書き置きには簡単な家の地図が書かれていた。感心しつつ時計を見る。時刻は8時半、遅刻だと一瞬焦ったが、日付が土曜日を指していることに安心する。同時に大きく、空腹の音が鳴った。そういえば何も食べてなかったと思って周囲を見回すが、食べ物はない。質素なもので、部屋にあるのも愛希が寝ている布団、時計、衣装タンスと枕元に置かれている着替えくらいだろう。
(ここにいけばいーんだよね?)
もう一度書き置きを見直し、居間の場所を確認する。食べ物があるとすれば、そこくらいだろう。そうと決まればと気合いを入れ、半袖のパジャマを脱ぎ出す。
「あ・・・・・・」
その段になってようやく、身体に巻き付いていたものの正体が包帯だと知った。どんなケガをしたのか見当もつかないが、腹部から肩の下まで綺麗に巻き付けられている。数日間変えてないせいか、少し汗臭い。少し思案するが外し方も分からず、思ったほど不快でないためそのままにする。そうして緑色のTシャツを着込み、半ズボンのパジャマを脱ぐ。そのまま着替えとして用意してあった黒の半ズボンを着込んだ。
「えっと・・・・・・」
地図を片手に立ち上がる。ぎこちない足取りで畳の上を歩き、襖を開けて廊下に出る。廊下は屋内でなく、むき出しだった。大きな庭と、数匹の鯉が泳ぐ池。風情があるなと思いつつ右側に歩き、その奥のトイレで用を足した。
「さて・・・・・・と」
地図を見ながら、まっすぐと歩き出す。
居間の入り口まではすぐ辿り着いた。何も考えずに開けようとして、慌てて手を引っ込めた。他人の家で失礼過ぎたなと冷や汗を浮かべつつ、一度大きく深呼吸をし、そして言葉を紡ぐ。
「入っても、大丈夫ですか?」
「――問題ない」
すぐ返ってきた声にたじろぎつつ、ぎこちなく頷く。次いで、一度目覚めた時に聞いた声だと気づいた。つまり、ここは風牙龍馬の家で間違いない。一度は誰かと来ようとした場所だが、目覚めたらまさにそこだった、という展開は予想外すぎる。
襖を開けると、緋色の着物を着た大柄な男性が固い面持ちで畳に胡座を掻いている。シンプルな和室だ。10畳ほどの部屋の左右にテレビや棚、真ん中には大きなテーブルが置かれている。号史郎の背後にも襖が見え、その先がキッチンだろうかと愛希は考えた。
少し戸惑いながら足を踏み入れ、背後の襖を閉める。テーブルを挟んで手前の座布団の上に正座した。「正座苦手なのに」という思考が過ったが、最初から胡座を掻くには失礼に思えた。
そうして、しばらくの沈黙が訪れた。号史郎も、愛希も、一言も言葉を話さなかった。号史郎は不明だが、愛希は龍馬のことを何度も話そうとして言葉に出来なかった。彼のことを、何故か上手く思い出せない。どんな言葉を話したか、どんな顔だったか、彼に
「・・・・・・・・・・・・」
「無理をしなくていい」
号史郎が頭を抱える愛希に対して言葉をかける。
「無理って・・・・・・なんですか」
対し、愛希は唇を震わせながら言葉を返した。変だ。夏なのに寒気がする。走った後でもないのに心臓が激しく脈動している。愛希の意志に反して、警鐘を鳴らし続けている。
「何を知ってるんですか?」
「全て、把握している。だが、知らなくていい。忘却が其方の救いとなるなら、それもまた一つの道だ」
不器用で、けれども優しい言葉。けれど、何故だか強い苛立ちを覚えた。心のどこかで、「どうして」と憎しみすら覚えていた。
「それでも・・・・・・」
「教えてください」という言葉はとうとう口に出来ず、震えながら愛希は頭を下げた。記憶に靄がかかっていて、何が辛かったのか、何が楽しかったのか。数えれきれないほど多くの思い出があったはずなのに、何かがそれを堰き止めている。確かに、忘却することも救いだろう。愛希は嫌だった。その日常が大好きだったから、忘れたくなんてなかった。
「・・・・・・分かった」
長く、重い沈黙の後、号史郎がそう答えた。
愛希はゆっくりと頭を上げ、緊張した面持ちで号史郎を見据える。
そうしてゆっくり、唇を震わせながら号史郎が言葉を紡ぐ。
「小田桐愛希――いいや、風牙愛希。君の同級生は全て死んだ」
何よりも重く、残酷な現実を。
「私の愚息、風牙龍馬が全て殺した」
そして、普通に生きてきた彼女には到底耐えきれぬ十字架を背負わせた。
同時に一段と愛希の鼓動が激しさを増し、自らを抱きしめるような格好になる。そのまま口を開くと、飢えた動物のように何度も激しく息を継いでは、同じように吐き出していく。呼吸の乱れで、視界が明滅した。遅れて視界がかすみ、
「・・・・・・ッ・・・・・・か・・・・・・」
あの日、龍馬のために必死に修学旅行の計画を作ったこと。けれども龍馬は何らかの理由からそれを断り、ショックを受けた愛希は泣き出した。そして愛希を泣かせた龍馬はクラス中から悪者扱いされて、悪者扱いを止めようとした健吾がまず死んだ。次に、おそらく視界の隅が赤く染まった時に、綾乃を初めとしたクラスメイトが死んだ。次の瞬間には、残りのクラスメイトが死んだ。
はっきりと認識すると同時、
・・・
目を開けると、薄暗い天井が見えた。いつの間にか、また眠っていたらしい。喉と頭が痛い。胸のつかえもひどく、食べたものをすぐ吐き出してしまいそうな気分だった。けれどそんなことはすぐ些事と消え、頭の中は悲しみや寂しさといった感情に塗りつぶされる。
綾乃はもういない。もう話すことも、綾乃のお菓子を食べることができない。夢について語ることもできない。
健吾やクラスメイトとはもう、サッカーができない。あんなに好きだったのに、あんなに楽しかったのに、もうできなくなる。
もう、学校には行けない。楽しかった毎日は綾乃や健吾を始めとしたクラスメイトや友だちがいたからだ。喉から呻くような声が出る。両手で顔を覆い尽くし、声を押し殺して泣く。愛希は独りぼっちだ。誰にも頼れず、何にもすがれない。
故に、願うことはただ一つ。
「かえり、たい・・・・・・」
生まれ育った小田桐の家に帰りたい。また温かいご飯が食べたい。他愛のない、にぎやかな日常で笑っていたい。龍馬がクラスメイトを殺してから何日か分からない。だから、家族は心配していると思う。早く帰って安心させたい。早く帰って、もとの日常に戻りたい。
それは本当にささやかで、けれど決して叶わない願いだった。
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