境界Ⅶ
昼休みになると同時、愛希は先生の説教を聞きながら渋い顔を浮かべた。自分が悪いことは百も承知だが、今だけは許してほしかった。早く龍馬と修学旅行について話したい。楽しいこと、楽しみになることを話して、少しでも笑ってほしい。だというのに、教師は中々解放してくれない。龍馬が突然早退したらどうしてくれるんだと考えるが、仕方がない。愛希は「ごめんなさい」と深々を頭を下げた。ため息をつきながら教師は「頭を上げろ」と言ったが、「ごめんなさい」とだけ答え、頭を下げたままとする。やがて、教師はため息をつき、「教室に戻っていい」と言ってくれた。
「ありがとう!」
頭を上げつつ満面の、天使のような笑みを浮かべ、愛希は意気揚々と教室に戻る。
中を見回し、龍馬の姿を発見した。丁度手提げ袋から弁当箱を取り出していた。
「龍馬くん!」
嬉しさから声を弾ませ、龍馬の席へと駆け寄る。
「小田桐?」
怪訝そうな表情を浮かべた龍馬。愛希はそんな彼の様子に頓(とん)着(ちやく)せず、勢い任せに言葉を吐き出す。
「今度の修学旅行、一緒に回ろう」
息を呑む龍馬のことなどお構いなしに、無我夢中で言葉をたたき込む。
「場所は福岡なんだ。ここと違ってすっごい町で、すっごい人もいるんだよ。面白いものもたくさんあって、おいしいものもたくさんある。わたし、一生懸命調べたよ! 楽しいもの、すごいもの、龍馬くんと一緒に見たいもの! だから一緒に回ろう! 絶対楽しいよ。だから・・・・・・だからぁ・・・・・・」
「自分がいらない子なんて・・・・・・言わないで。わたしは龍馬くんと回りたいのッ!」
言ってからすぐ、それが告白のようだと気づき、頬が熱くなる。心臓がバクバクと脈動し、足が震え出す。逃げ出したくなる気持ちを必死に押さえ、龍馬を真っ直ぐと見据えた。
「小田桐・・・・・・」
気まずそうに、龍馬が視線を逸らす。
「嫌かな?」
理性では言うべきでないと分かっていても、言葉は止まらない。
「わたしのこと、嫌い? わたしなんかと一緒に回りたくない?」
視界が濡れ、頬に水滴が滴った。泣くのが卑怯だと分かっている。それでも無我夢中だった。彼から「一緒に行こう」という言葉がほしかった。
「おれは・・・・・・いけない」
その言葉と同時に、愛希は両膝から床に崩れ落ちた。
必死に考えて、必死に頑張って、そして裏切られた結果に打ちのめされ、感情が決壊する。声を上げ、むき出しの言葉を紡いでく。
「りょーまくん、ばかッ・・・・・・ばか!」
頑張ったのに裏切った。そう思い込んでしまった心は無意識に、本当の気持ちとは裏腹な言葉ばかりを綴っていく。
「分からずや! ひとでなし・・・・・・大っ嫌い!!」
「・・・・・・ご・・・・・・」
龍馬が顔面蒼白になり、唇を震わせて、おそらく謝罪の言葉を口にしようとした。
けれどそれは永遠に紡がれない。
教室の空気が一変し、彼という異分子に対する負の感情が発露したのは同時だった。
ざわざわと、周囲のクラスメイトが龍馬の悪口を言い始める。
――女の子を泣かした、サイテー。
――あんな言い方ないよね、気持ち悪い。
――やっぱり悪いやつなんだ。
――同じ人間には思えねえ。
紡がれた言葉は形を変え、けれども紛れもない悪意の言葉として教室の中に充満する。
愛希も我に返って泣き止み、「違う」と言葉を叩き付けようとするが上手くいかない。クラスメイトの視線は龍馬と同時に、愛希にも注がれている。「邪魔をするな」と言わんばかりの冷たい感情だった。
(まちがってる・・・・・・)
心では分かっていても、床に尻餅をついたままの身体は言うことを聞いてくれない。龍馬と初めて会った日の翌日にできたことが、今の愛希にはできない。だって、あの時の龍馬は疑われていただけだ。今は違う。愛希を泣かせた今、龍馬はクラスメイトにとって明確な悪となっている。何より、愛希が龍馬の言葉で傷つけられたことは事実で、クラスメイトの言葉に対して、少なからず賛同している。だから立ち向かえない。
「――やめろォッ!」
同時に、教室に凜とした言葉が響いた。
見れば教卓の近くで健吾が険しい表情を浮かべ、全員を睨み付けている。助かったと思った。彼は、まだ龍馬を悪者と思っていない。人望にも篤い彼が説得してくれれば希望があると思い、愛希は両の拳を握りしめる。
「――キエロ」
見知らぬ誰かの言葉が紡がれたのは同時。言葉は無機質で、感情に欠落していた。
同時に轟音が愛希の頭上を突き抜けて、そのまま健吾の上半身ごと背後の黒板を消し飛ばした。教室中に拡散した衝撃はそれだけに止まらず、クラスメイトの悉く吹き飛ばして壁に打ち付け、窓ガラスや蛍光灯も割った。
愛希もまた教卓まで吹き飛ばされた。近くでは、健吾の下半身が不規則に回転しながら、血潮をまき散らし、そのまま彼女を血まみれにした。
濃厚過ぎる血の匂いに耐えきれず、横向に倒れたまま胃の中身を床にぶちまける。
同時に悲鳴が窓側から聞こえ、
「――ダマレ」
短い言葉と共に、視界の片隅が赤く染まった。
ぼやけた視界の真ん中にはバケモノがいた。禍々しい、白い鎧を着た何かだ。それが龍馬だと気づいたのは彼が反対側を向き、視界のもう片隅を赤く染めたからだ。
「どう・・・・・・して・・・・・・」
何が起きたか分からない。健吾が、クラスメイトが彼によって殺されたことに、彼女は気づかないふりをしている。気づいてしまえば、耐えられない。大好きな日常が、好きな人に壊されたなんて認めたくない。これは悪夢だと思い込んだ。龍馬が来たことも、傷つけてしまったことも、全て悪夢なのだ。
「で、も・・・・・・」
それでも、愛希が龍馬を傷つけたのは事実だ。クラスメイトから、我が身可愛さに守れなかったのも事実だ。
だからと、愛希は全身に力を込めて、倒れたまま少しずつ龍馬へと這ったまま進む。
ねちゃねちゃとした血の感触が気持ち悪い。かなり服を汚したから、お母さんに怒られるなと思った。怒って心配して、きっと最後は許してくれる。またおいしいご飯を作ってくれる。お姉ちゃんはどうかなと考える。詳しく質問されるか、すごく心配されるか。お父さんは心配するだろうなと、お兄ちゃんは心配して宮崎まで戻ってくれるかなと考えた。けれど最後は、元に戻る。愛希の大好きな、温かい家族に帰れる。
「りょう、ま・・・・・・くん・・・・・・」
少しずつ、龍馬に近づいていく。龍馬は黙ったまま、自分を見据えている。
待っててと思う。早く謝ろう、早く仲直りしようと、必死に進んでいく。
やがて、龍馬の足下にたどり着いた。右手を伸ばし、彼の足首を掴んだ。変だなと不思議に思う。人の肌にしては、ゴツゴツとして堅すぎる。
同時、愛希の頬に冷たい、滴の感触が当たった。
不思議に思って首を動かし、上を見る。龍馬が跪き、彼女を見据えていた。
遠のく意識を叱咤する。唇を動かし、懸命に言葉を紡ぐ。
「どう・・・・・・して」
けれども、紡がれた言葉は謝罪とほど遠く、
「・・・・・・すき、なのに・・・・・・」
現実を認識していた心の片隅が紡ぎ出した、龍馬を責めるだけの言葉だった。
同時に、彼女の記憶は途切れた。
遠くで、誰かの泣き叫ぶ声が聞こえた。
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