境界Ⅲ


 愛希あきにとって昼休みはサッカーの時間だ。4~6年生の男子チームに紛れ込み、その中でフォワードを張っている。

 スコアは2対2の同点のまま、昼休み終了まで残り時間1分を切っていた。

愛希はボールを巧みにドリブルしながら二人の男子を抜き、キーパーの前へと躍り出る。どこに打とうかと思案すると同時、右側からディフェンダーが接近する。周囲を見回し、味方の配置を確認。一つだけ、逆側に猛スピードで回り込む姿が見えた。名は児玉健吾。愛希の同級生だ。笑みを浮かべ、迷わず逆側にパスした。

 意図を察して敵も一目散にボールを追うが、遅い。ボールは健吾によって掴まれ、蹴り放たれる。

 乾いた音と共に風が吹き、ボールを抉り込まれたネットの音となった。同時にチャイムが鳴り、試合終了を告げる。3対2、愛希たちの勝利だ。


「ナイスパス、小田桐おだきり

「ナイスシュート、児玉こだまくん」


 悔しそうな表情でボールを拾うキーパーを尻目に、二人はハイタッチをする。途端に、校舎の方から甲高い声が聞こえた。おそらく、健吾のファンだろう。爽やかで頭も良く、運動神経抜群な彼は校内で屈指の人気を誇り、バレンタインデーのチョコレートも多くもらっている。


「いいところとられちゃった」


 愛希から見ても文句のつけようがない男だが、他の女子のように黄色い声を上げるほどではない。一緒にサッカーが出来て、楽しいだけの相手だ。


「確かにな、おしかったよ。あのディフェンダーいい動きしてた」

「だね。びっくりしちゃった」

「そこですぐにおれにパスしたのは流石だよ」

「まあ、前に児玉君がぶざまにボール奪われたところ、見たからね」

「ああ、風牙ふうがのやつな。今度は負けねえ」


 思わぬところで好きな人の名前が出て、知らず知らずの内に表情がほころぶ。

 風牙ふうが龍馬りょうま。愛希や健吾のクラスメイトだ。家の都合で中々学校に来られず、今月も一度顔を見せたきりだ。その際に愛希が無理矢理サッカーに引っ張り込んだところ、健吾のドリブルを何度も苦もなく止めていた。サッカーは初めてと語っていたが、洗練された綺麗な動作だったことは覚えている。


「何かやってたのかな? 龍馬くん」

「だろうな。まったく動き違うし、風牙って名字はめずらしいし、代々何かやってんだろうな」

「うん・・・・・・気になるね」


 一度だけ、美希に調べてもらったことがあるが、風牙という家の由来には辿り着かなかったらしい。分かったことは千年以上の歴史を持つ一族であることだけだ。千年以上続いた一族は、愛希の知り得る限り天皇家だけだ。これまで知った歴史の中でも室町時代や江戸時代の将軍の二、三百年が最長だった。

 美希曰く、「海音寺かいおんじ」という一族も存在し、それは天皇家と同等の歴史を誇るらしい。風牙と同様、詳細は分からない。何故そこまで長い歴史を持つのか、何をしていた一族なのか、情報は一切見つからなかったらしい。ただ一つ、美希は推測を口にした。化外けがいという、突発的な災害に関わる一族だろう、と。

 それでも、龍馬は龍馬だ。愛希にとって、大切な人だ。


 ・・・


 龍馬と初めて話した日のことは、今でも鮮明に思い出せる。

 小学校に入り、初めて教室で過ごした日、隅っこに一つだけ空白が存在したことをよく覚えている。空白は二か月経っても三カ月経っても埋まらず、クラスメイトの話題の中からも、愛希の関心からも消えていった。

 半年後、その空白の主、風牙龍馬が登校した際は誰もが驚き、同時に関心を持った。それぞれが好奇心のまま「どうして学校来れなかったの?」と言葉をぶつけ、龍馬は怒ったような口調で全て「答えられない」と答えた。今なら、何か理由があったのだろうなと思える。だが幼いクラスメイトにそれが分かるはずもなく、龍馬は嫌われ者となった。そして愛希も龍馬を嫌っていた。その後、年に二、三度だけ登校する日々が続いたが、誰も龍馬と話そうとはしなかった。

 小学三年生のある日のことだ。龍馬は、クラスのゴミ係を任された。本来それはゴミ箱の中身を袋を入れ、外まで運ぶだけだった。それでは「つまらない」と誰か言い出した。クラスという運命共同体で龍馬という空白はうとましいもので、理由もなくみ嫌われるようになっていた。年に数度しか学校に来ず、誰とも接しない。当時の愛希にとっても、彼は不気味な存在でしかなかった。

 教室の惨状さんじょうを見ても、愛希は罪悪感を感じ、けれども目を逸らした。間違いだと分かっていた。自分や兄が憧れている「ヒーロー」なら、「間違ってる」と言えたのだろう。でも怖かった。立ち向かうことで、自分もまた龍馬のように嫌われてしまうのではと考えると、何も言えなかった。

 結局、現実から逃げるよう愛希は友だちと遊びに行ってしまった。遊んでいる内に龍馬のことなど忘れていた。嫌な記憶は、楽しい記憶で強引に塗り替えた。誰もがそうしていた。みんな一緒だった。

 いつも通りに遊び終えた愛希は自転車で学校の前を通りかかり、三年生の教室に灯る照明を目にした。まさかと思いながら校門の前に自転車を置き、駆け足で校舎へと入り、肩で息をしながら教室に入る。すると、すっかり綺麗になったそこで龍馬が息を切らしながら尻もちをついていた。付近は十数個ものゴミ袋と一つのバケツが置かれ、バケツには汚れた雑巾が数枚かけられている。

 皆、龍馬が席を外したタイミングでノートの紙をあちこちに巻き散らし、教室の床や机を絵の具で汚した。それでも彼は紙を全部拾って袋に入れ、絵の具も綺麗にふき取っていた。愛希や他のクラスメイトならとっくに諦めて投げ出していただろう。


「ぜんぶ、やったの?」

「やった」


 戸惑いがちに愛希が聞くと、薄汚れた格好の龍馬は素っ気なく答えた。騙されたのに、理不尽な目にあったのに、彼は誰かを恨むどころか、どこか誇らしげに表情を緩めている。


「ねえ、どうして分からないの?」


 それが不思議で、何よりも不気味で、愛希は問いを発した。


「ゴミ係、こんなに大変じゃないんだよ。みんなが風牙くんをうざいって言って、ひどい目にあっちゃえって――」


 そうして荒い口調で捲(まく)し立てようとし、


「だったら、がんばったおれはちょっとくらいみとめられたかな」


 それを、龍馬の不器用な笑みと共に粉砕された。


「ともだち、できるかな」


 意味が分からないと思う。これはいじめだ。例え彼が不登校も同然で居場所がなくても、それを理由にこんな非道を働いてはならない。愛希なら、すごくショックを受けたように思える。ここが自分の居場所ではないと考え、誰も味方がいないことを思い知らされ、下手をすればその場で泣いていたかもしれない。龍馬の味方をすれば、そんな末路になると思った。だから、見て見ぬ振りをしていた。


「つらく、ないの?」


 つむいだ言葉が、愛希の感情を表すように震え、まどっている。


「べつに」


 あっけからんと、龍馬は答える。笑みを浮かべる姿は、どこか誇らしげに見える。


「こんなもん、へっちゃらだ」


 その姿に、一瞬見とれた。だって、その姿はまさしく、愛希の憧れていた「ヒーロー」の一面であったからだ。現実から逃げ出さず、自分を信じてやり遂げる。弱虫な愛希には、まだ出来ないことだった。

 慌てて首をぶんぶん振り、グーパンで自分の頭を叩いて気合いを入れ直す。


「よし、わたしも手伝うよ!」

「大丈夫だ。これくらい、普段のタンレンに比べれば」

「タンレン?」

「な、なんでもない。分かった。じゃあ、少し頼めるか」

「よころんで」


 そうしてその日、短い時間の中で愛希は龍馬といろんな話をして、友だちになった。

 やがて、愛希は後悔する。

 この時はまだ、龍馬の苦しみを全く理解していなかった。「へっちゃら」といった彼の生活が、どれだけ過酷なものだったか想像もしなかった。それが歪みということにすら、気づかなかった。全てを知ったのは彼が過ちを犯して、戻れなくなった時。

 だから、愛希は思う。全て、間違えていたのだと。友だちになってはいけなかった。好きになってはいけなかったのだと。


 ・・・


「龍馬くん今日こないかなあ、綾ちゃん」

「おはようー・・・・・・て、いきなりそれ?」


 翌朝、いつもの通学路で塀に寄りかかりながら項垂れる愛希に、綾乃は呆れたようにコメントする。


「いやあ、だって、来週から修学旅行だよ! 打ち合わせ、一回もでてないんだよ」


 龍馬は一応、愛希と同じ班になっている。綾乃や健吾も同じ班だ。

 何故このタイミングで言い出したというと、昨日の夕方までは今週のどこかで登校するだろうと高を括ってたからだ。元々修学旅行への参加は教師が親から聞いた話らしく、打ち合わせも含めて問題ないだろうと思っていた。しかし昨日になっても龍馬は姿を見せず、愛希の中で修学旅行に来ないという疑惑がどんどん膨れ上がっていた。


「いつもどおり家の都合なんだろうね」


「はあ」と綾乃は大きくため息をつき、


「そんなに心配なら、家に行けば? 一人がこわければあたしも一緒に行くよ」


 予想外の言葉に、一瞬で顔が茹で蛸のように真っ赤になる。


米良めらさんの話だと、ちょっと大きな家だって話だから気になってるの」


 米良香奈。二人の同級生だ。班は別だが愛希も仲良く話している。

「う、うん・・・・・・それなら」


 綾乃がいれば心強いし、道案内という名目で香奈も連れていける。


「よーし!」


 調子の良いことにやる気が出てきた。拳を強く握り、笑顔で晴天の空に向ける。

 同時に一つ問題が浮かんだ。愛希や綾乃の家から学校までは約5キロ。香奈の家は10キロで、二人とは反対方向だ。龍馬の家がどれほど遠いか分からないが、香奈がよくプリントを届けに行っているので、反対方向であることは間違いないだろう。遅くなって、母親から拳骨げんこつもらうかもと思った。

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