第2話 第一世代人間からの使者
「今度はやかんが事件を持ち込んでくるなんて思わなかったなあ」
エリハは瓦礫に足をとられないようゆっくりやかんに近づき、注ぎ口の付け根をそっと指先で触れてみる。これだけ巨大なやかんが飛来するのを見れば皆が驚きの声をあげるのもやむなしかとエリハは頷く。
こんな状況に陥っていても恐怖をまったく感じなかった。これもちょうど一年前のセビロン星での出来事から学んだ数少ないことの一つだと自己分析をしてみる。そして、このあと何らかの動きがやかんに現れるはずだとエリハは思い、じっとやかんを見つめた。案の定、やかんの注ぎ口の両脇に漫画のような大きな目、下にはハロウィンのかぼちゃお化けのような口が現れた。エリハは驚くより読みが当たったことを喜んで、してやったりという表情を浮かべる。
巨大なやかんはバリトンのような低い男性の声でしゃべり始める。
「松川エリハだな」
エリハは最初の言葉が自分の名前だったことに驚きつつ、やかんが自己紹介しないことに少しムッとした。
「やかんに教えてもいない私の名前を呼ばれるとは思ってもなかったな。ところで、貴方にも名前くらいはあるんでしょ? 教えなさいよ」
「私は東銀河帝国では第一世代人間と呼ばれている者の代理だ。地球では神の使者と呼んだ方が理解しやすいか」
エリハは、やかんの第一世代人間という言葉を聞いて警戒の表情を浮かべた。
第一世代人間とは、宇宙創成に関わったとされる高度文明を築いた最初の生命体のことだった。その言葉は、二十五年前に地球を事実上制服した東銀河帝国民なら誰でも知っていることだが、地球では事情があってその事実は知らされていない。
「ああ、地球人は第一世代人間について知らされていないのだったな。改めて説明は必要か?」
「必要ないかな。私は地球人だけど銀河の歴史については学習機で学習済みだから。第一世代人間とはこの宇宙を創始したともいわれる生命体のことよね。でも、あなたが第一世代人間の使者というのは嘘でしょ? 第一世代人間は九五億年前に絶えたはず。確かに巨大なやかんを飛ばすことは、地球のテクノロジーでは無理でしょうけど、東銀河帝国ならそんなに難しいことではないはず。それよりも、これだけたくさんの人達はどうやって固定させたのか、外にいる人は今どうなっているのかが気になるんだけど。催眠術をかけた? それとも私の方が催眠術にかかっている? まさか時間を止めたなんてことはない・・・よね?」
「否定。催眠術でもないし、時間を止めたわけでもない。時間は連続ではなく、断続的なものだ。その時間の隙間であるプランク時間にいるだけだ」
やかんの話はエリハには難しすぎてよくわからない。難しいことをしゃあしゃあと口にする人には気を付けなさいというのが、姉から教わった護身術の一つだった。
もちろん目の前にいるのはやかんであって人ではないが、どう考えてもこのやかんは怪しい。
「第一世代人間の科学力は星を自由に作り出すことができたというから、神をも越える存在だという学者もいるとは聞いている。貴方の言っていることがもし本当なら、第一世代人間が現時点で存在していることになり、心から驚くべきことね。本当にあなたは第一世代人間の代理なの?」
「肯定。この姿が怪しいか? 怪しいというならば、補足しておく必要があるな。君の前に現れるのに事象確率論から導かれた一番確実な姿がやかんだったということにすぎない。星を動かす者であり、次期太陽系統治権限保有者である君にメッセージを伝えられるならば形など問題でない」
星を動かす者という言葉にエリハの眉がピクリと動いた。
確かにエリハは太陽系統治権限保有者になることのできる有資格者ーーつまり「星を動かす者」と呼ばれる者の一人だったからだ。しかも、東銀河帝国から指名された現太陽系統治権限保有者でもあり、母親の松川ユキエが死亡したときは、統治権限を引き継ぐことになっている。
つまり、次期太陽系征服者がエリハだった。
しかし、エリハが星を動かす者の一人であることはもちろん、地球がすでに二五年前に東銀河帝国によって秘密裏に事実上征服されてしまっていること、加えてその帝国から太陽系統治権限保有者として指名された母によって太陽系が統治されているということは、この地球では最高機密に属する事だった。もし、そのことを触れ回る者がいたら有無をいわさず外務省宇宙局の諜報員に身柄を拘束され、場合によっては帝国製の人格置換機にかけられてしまうだろう。
「ふうん、私が星を動かす者だということも知っているのですか。本当にあなたがその第一世代人間の代理なら、第一世代人間は生きていたと東銀河帝国の教育カリキュラムを訂正する必要がありそうね。」
「否定。生きているという表現は適切ではないな。管理し続けているとするのが君達の言語では一番正確な表現だ。もっとも君達がいくら探したところで第一世代人間を見つけることはできるはずもない」
「どうして?」
「この次元平面にはいないからだ」
「難しいことを言ってごまかそうとしているのじゃないでしょうね」
「否定。この先、君達第四世代人間が滅んでも、第一世代人間は未来永劫存在し続ける。それだけのことだ。第一世代人間はこの宇宙を創始して以来、エントロピー的破綻をさせぬよう超人間原理を行使して事象に介入し、管理、維持してきた。しかし、君達でいうところの時間単位で表現するなら二五年前からこの宇宙を管理、維持できないでいる。つまり、直接、あるいは間接的に事象に干渉して物質的、情報的に影響を与え、未来をコントロールする私のような「干渉因子」を埋め込むことができなくなっているのだ。宇宙全体が自閉状態になっているとも表現できるだろう。そうなった詳しい原因は私には知らされていない。超人間原理を持つ存在が第一世代人間の知らないところで生まれ影響力を強めてきた可能性もあると私は思っている」
「もうその話は結構。やかんの姿であり、干渉因子とやらでもある貴方の言っていることを心の器を最大限大きくして信じてあげるから、手早く、そのメッセージとやらを話してこの現状をなんとかしなさい」
難しい話は苦手というように顔を横に向けて手を振り、やかんの話を遮った。
神だろうが第一世代人間だろうがどうでもよかった。
今のエリハにはもっと大事なことがあった。
文化祭の邪魔だけはされたくはない。それだけだった。
他星系へ外遊に出かけるという家族と離れ、一人で居残ってまで準備した高校最後の文化祭。姉が実行委員長だった時に打ち立てた文化祭来場者数記録を妹である自分が打ち破ることを目標に今までがんばってやってきたのだ。
「了解した。メッセージを伝えよう。君が生まれてきたのは、偶然ではない、必然なのだ。エントロピー破綻にこの宇宙が陥る前に管理不能状態を排除することーーそれが君の生まれてきた理由だ」
「どういうこと? 私が生まれるよう仕向けたのは我々だ。だから言うこと聞いて宇宙を救えと言ってるの?」
「肯定。第一世代人間は、管理不能に陥いる直前にこの状況を打開しようといくつかの行動を起こした。わずかに残っていた管理可能な事象を探し出し、超人間原理を限界まで行使して私のような干渉因子を埋め込んできたのだ。私達干渉因子は、君が生まれるよう時流をコントロールした。繰り返すが、君が生まれたのは偶然ではないのだ。たまたま私の姿はやかんだったが、別な干渉因子はゲーム機のネジの姿をしていた」
突拍子もなく、不合理な申し出にエリハは顔を赤らめて反論をする。
「だから何? 私はワタシ。私の生き方は自分で決めます。図体だけでっかいやかんに人生を委ねるなんてできない相談に決まってるでしょ。出会ったばかりの巨大なやかんに宇宙を救ってくれと言われてもああそうですかと素直に頷くことなどできる訳がないでしょ」
「だが、この宇宙が第一世代人間の管理をこのまま拒み続ければエントロピー破綻は避けられないのだ」やかんはエリハの反論に動じるようすもなく、逆に語気を強めて続けた。「そうなれば、第一世代人間は見切りをつけこの宇宙を閉じてしまうだろう。君の存在さえ無になってしまう。君はそれでもいいというのか」
巨大なやかんに凄まれるように言われるとさすがにエリハも動揺して言葉に困った。
「閉じる? この世界にリセットボタンがあるなんて信じられないんだけと。しかも、今は干渉不能とか言ってるし。なんか、嘘臭いんですけど」
そう答えるのがやっとだった。
「残念だが、プランク時間内で存在限界が近い。干渉因子としての私の寿命も尽きかけてきた。私が、君を生み出すために仕掛けられた最後の干渉因子だ。君に会うためだけに二五年間やかんの姿で待っていたのだ。この宇宙の運命は君に委ねられた」
「そんなこと信じられるはずないでしょ。貴方の言葉を信じてもいいという証拠もまだ見せてもらってない」
「信じる信じないを論争しに来たのではない。もし、うまく事が運べば新たに埋め込まれた干渉因子が君の前に現れるはずだ」
「そんなことを私に託されても困ります。それにそんな話を信じられるわけありません」
「時間を修復可能な分岐点まで戻させてもらう。これが最後の仕事だ。後は頼んだ」
そういい残すとやかんは収縮して元の大きさに戻ると空中を浮遊し瓦礫の積もった教卓の上にゆっくりと納まった。
「ずるい!」
エリハはヤカンに手を伸ばそうとしたが間に合わない。
目の前が白くなった。眩しくて目を開けていられない。意識が一瞬遠くなる。
気が付くとエリハを含め実行委員の皆も席につき、壊されたはずの窓や側壁も元に戻っていた。
空気が動いた。開け放した窓から爽やかな春風が入ってきてエリハの艶やかな髪をわずかになびかせる。
やかんの言葉を信じるなら元の時間に戻っているはずだった。
教室の戸が勢いよく開いた。
「こんなところにあったんだ」
会場を見回っていた文化祭実行委員の女子生徒が教室に飛び込んで来て教卓の上にあったやかんに抱きつき飛び跳ねながら喜んだ。
「暴れていたというのはそのやかんだろ」
女子生徒はエリハの言葉の意味がわからずキョトンとした表情をする。
「暴れていた? いえ、ラグビー部のやかんが無くなったと部長のサトウさんが騒いでいただけですよ。なんでも、マネージャーへのラブレターをやかんの中に入れたままなんだそうです。ほらありました」
女子生徒はやかんのフタをとると中から一通の封筒を取り出した。
「ああ、そういうことね。早く部長に届けてあげて」
どうやら、干渉因子は自分の存在までも抹消したらしい。おいそれと他言できない話なのでエリハにとってもその方が都合がよかった。だが、同時に第一世代人間の干渉因子の力はこれほどのものなのかと恐れた。同時になぜ私でなければならないのだという疑問も抱く。
ともかく、目の前の案件である文化祭を成功させないことには始まらない。やかんの言葉どおりに最悪の状況で宇宙が推移していくならば、今回の文化祭が最後になるかもしれないと思った。
部長の恋文を読ませろと騒ぐ実行委員達をなだめ終えたエリハは机上にあった企画書を広げた。
「さあ、打ち合わせの続きをしましょうか」
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