第5話 帰宅する道で


 もうすぐ日付が変わろうという深夜。

 文化祭実行委員会による反省会と称したカラオケを終え、帰宅途中のエリハは、駅前のロータリーで迎えの車を待っていた。

 手入れの行き届いたセダンタイプの車がエリハの前で停まった。

 エリハは自ら後部座席のドアを開け、鞄を投げ入れてからゆっくりと乗り込んだ。ため息と一緒に体をシートに沈める。


「お帰りなさい。お嬢様」


 運転席から振り返り声をかけてきたのはボディーガードと執事の機能を併せ持つ東銀河帝国製のアンドロイドだった。アンドロイドの証である赤い瞳以外、喋り方や仕草も人間らしく振る舞うように設定され、平均的な五十代男性執事を模して作られている。


「サイトウ。お迎えありがとね」


 サイトウと呼ばれたアンドロイドは、いつものようにバックミラー越しにエリハの様子を伺いつつ車をゆっくり発進させた。


「お嬢様。文化祭はうまくいかなかったのですか」


「失礼ね。私が実行委員長なんだから大盛況に決まっているでしょ。なんたって来校者数も新記録だったのよ」


 エリハは、わざとらしく自慢気に応えた。


「これは失礼しました。お疲れの様子だったので何かうまくいかないことでもあったのかと思いまして」


 エリハはクスッと笑った。巨大なやかんに宇宙の危機について諭された上に文化祭実行委員長の職務もこなしたのだ。疲れて当然だった。アンドロイドのサイトウには難解な依頼と目標を達成したことからくる疲れというものが説明しても理解できないかもと思った。それに、真面目なサイトウにやかんの事を話せばややこしいことになるのは明白だ。


「アンドロイドは疲れを知らないからね。人間はうまくいったときも疲れるものなの。あなたもミレニアム懸賞問題の一つであるヤン・ミルズ方程式と質量ギャップ問題の解答を見つけるまでがんばれば今の私の気持ちを疑似体験できるんじゃない?」


 エリハは学習機を使って覚えただけでまったく理解していない言葉を口にした。


「左様でございますか。私は今夜C級メンテナンスを受ける予定ですので、その間に余剰能力を振り分け考えることにいたします。もし、解答が見つかったときはどのようにいたしましょうか」


「クレイ数学研究所に申請し懸賞金をいただくのは面白いけど、やっぱりやめておきましょう。東銀河帝国アカデミーのデータベースにアクセスすればどうせ解答がすでにあることでしょうし、騒ぎを起こすとまたお母さんに大目玉をもらうにちがいないんだから。ところで、星系統治権限保有者代表会議に行っているみんなからの連絡はなかった?」


 運転席のシートに手をかけて身を前にかがめ、サイトウの耳元でエリハは尋ねる。


「マイ様から二時間ほど前に連絡がありました」


「姉さんから。珍しい。いつもはお父さんに連絡係をやらせているのに。きっと明日はお茶の雨が降るわ。それで姉さんは何か言ってた?」


「代表会議のあるクリン星に着いたそうです。それと文化祭実行委員長のお仕事ご苦労様でした。貴方のことだから来場者数も記録更新できたでしょう。おめでとう。留守番をよろしくとのことです」


「本当?」


「左様でございます。通話記録がありますのでそのまま再生いたしましょうか」


「いや、いい」


 エリハは二度目のため息と一緒にシートに倒れる。姉さんは自分なんかよりもずっと大人だとエリハは改めて悟らされる。エリハが地球に残った本当の理由もお見通しだった。

「それにしても、思ったより早く着いたのね。まあ、代表会議といっても母さんの目的は半分が観光だから。私も文化祭がなければ学校休んで同行したんだけど。姉さん、楽しんでいるんだろうなあ」


「そうでもないようですよ。クリン星はものすごく厳重な警備体制が敷かれて外出もままならないのだそうです」


「ふーん、どうしてさ?」


「さあ、そこまではマイ様も仰っていませんでした。会議にあわせてクリン星にも超長距離星間航行用の最新鋭のスターホールゲートが設置されましたから、皆様のお帰りになる日も早まると思いますよ。」


「月の裏側の地下都市に昨年作ったのと同じやつ?」


「はい」


「でもさ、月の裏側に作ったのは臣民から目につかないようにするためでしょ。効率悪すぎよね。結局、月から地球までは偽装宇宙船にわざわざ乗り換えなければいけないし。地球にスターホールゲートを作ればその分手間が省けて便利になるのにーー。だいたいお母さんは他の星にも人間がいるってことをどうして内緒にしておくのかな。だから私達家族も正体を隠して暮らさなきゃならないし、駅からこんなに離れた人気(ひとけ)のない所に住まわされているわけだし」


 もし、姉が自分の代わりに次期太陽系統治権限保有者になったとしたら世界が混乱することを承知で正体を明かしただろうかとエリハは考えてみた。しかし、姉が太陽系統治権限保有者になることはない。なぜなら姉は自分はその器じゃないからと太陽系統治権限保有第一継承者の席をエリハに譲ったのだ。

 エリハは太陽系統治権限保有第一継承者になるべき人は姉だったんじゃないだろうかと今でも思うことがある。

 エリハは思考を中断させ、窓越しに外を見る。離れた街の灯りを受けてわずかに明るい夜空の下に見渡す限りの黒い茶畑が広がり、その中に航空安全灯の赤い光が灯る高圧線鉄塔の黒いシルエットが連なって見える。人家の灯りは見あたらない。いつもの帰り道。見慣れた光景だ。


「地球は東銀河帝国惑星遺産に指定されていますから、きっと何か臣民のみなさんに内密にしなければならない理由もあったのでございましょう」サイトウはそこまで言うと急に黙った。暗闇でも遠くまで見えるサイトウの目が異常を捉えたのだった。「前方に大きめのペンギンが立っております。よけて通るには道が少々……」


 しかし、サイトウは最後まで言い終わらないうちに突然車をサイドブレーキターンで車を反転させ、来た道を引き換えそうとする。

 エリハは突然の動きについていけずドアのガラスにおもいっきり頭をぶつけて悲鳴をあげる。


「痛い! 何なの? サイトウ、さっきの感謝の言葉は取り消しよ」


 エリハの抗議も車を襲った衝撃と粉々に割れて飛び散るガラスに掻き消されてしまう。


「ペンギンによる攻撃と認定。使用火器は不明ですが、高度な照準機に制御された狙撃と判断します。状況から考えられる危機レベルはレッド。申し訳ございません。お嬢様の安全が保証できない状態です」


 先の狙撃で駆動系が破壊された車は茶畑に囲まれた農道で停止する。ゴムが焦げるような臭いが室内に入り込んでくる。


「お嬢様、私がペンギンを引き付けている間にお逃げください。どうぞご無事で」


 サイトウは、主(あるじ)であるエリハにそう言い残し車から降りて暗闇の中に消えていった。

 エリハは文化祭関係のファイルが詰まった鞄に手を掛けたが、思いとどまる。


「鞄なんか持っていけないか」


 鞄からスマートフォンだけを取り出してスカートのポケットにしまうと車から降りた。まずは自分の身の安全の確保が最優先事項だ。心臓の鼓動が高まり、冷たい汗が手のひらに滲む。エリハは、サイトウが消えていった方向と逆に走りだした。

 本当に今日はいろいろな事件に出くわす一日だ。これも干渉因子と関係があるのだろうかと勘ぐってしまう。

 漏れたガソリンに引火して車がボンという音とともに炎上する。その炎に照らされてさっきまで黒かった茶畑が色を取り戻す。


「お待ちいただけませんか、エリハさん」


 背後から幼さの残る女性の声に呼び止めらたエリハは立ち止まってゆっくりと振り返った。炎を背に女性の人影が視界に入る。目をこらすと制服姿の女子高生だとわかった。


「誰?」


「ハルコと申します。太陽系統治権限第一継承者である貴女を拉致しに参りました」


 エリハにゆっくりと近づきながらニッコリとハルコは微笑む。

 茶畑の奥で閃光が見えた。続く地鳴りのような爆発音がエリハの体を震わせる。

 エリハはサイトウのことが心配になった。


「お付きのアンドロイドのことが気になるようですね。ご心配なく、帝国製の民間アンドロイドと戦うことなんてお父様にとってピーマンを食べるより簡単なことです。この星で私たちがファミレスという場所でピーマンを初めて食したときは気を失うかと思いました。あれは絶滅すべき植物リスト(デッドリスト)に載せるべきです」ハルコはその味を思い出したのか顔をしかめた。「ほら、もう片づきました」


 茶木を踏み折る音をさせながら、ペンギンの着ぐるみを着た中年の男ーーペンギン男がゆっくりと現れた。ペンギン男は上半身だけになったサイトウの背中をスーツごと鷲づかみにしている。


「サイトウ!」


 エリハは叫んだ。頭がくらくらするほどの怒りとすぐに駆け寄ってやりたい気持ちをわずかに残る理性がかろうじて抑える。

 ペンギン男はそのままエリハの足下にサイトウを乱暴に投げてよこした。胴の切断面からは人工骨格と合成タンパク質で作られた組織、神経を模したワイヤーハーネスが飛び出ている。辺りに合成タンパク質の焦げる臭いが立ち込める。

 エリハはひざまずき上半身だけになったサイトウを優しく抱き起こす。


「お嬢様・・・ご無事でしたか」 


 サイトウのノイズ混じりの声は弱々しかった。


「あまり喋るな。情報損傷が広がるだけだ。すぐ再生処置をしてあげるから・・・」


 エリハの言葉をハルコが遮る。


「それは無理です。あなたは私たちと一緒に来ることになっているのです。後生だから壊れたアンドロイドを私と一緒に連れていけなんて言わないでください。私達も忙しいのです」


 エリハはサイトウを抱えたまま二人を睨み返す。サイトウはエリハが生まれてからずっと世話をしてくれたアンドロイドだ。そんなサイトウを傷つけただけでなく物として扱う二人が許せなかった。

 ハルコとペンギン男がエリハに歩み寄ろうとしたとき、ヘッドライトの明かりが遠くに見えた。

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