第43話 世界樹

 

 

「陛下の意向に背くなど、信じられません」


 パトリスは謁見の後、二人きりになるとアロイスに詰め寄った。


「アロイスさまはソフィに気兼ねしておられるようですが、私たちはもうになったのです。過去のことはきっぱりと決別し、お立場を考えて行動していただきたい」


? 立場? 望んでこうなったわけじゃないのに。僕は、ソフィを裏切るつもりはない」


「よくお考え下さい。ソフィや残されたヴィーザルの者たちの為でもあります。私たちが守ってやらなければ、あの者たちはどうなると思われますか。まずは領主としての基盤を固めるのが先決です」


「基盤だと!? その為に僕に死人と結婚しろと言うのか」


 アロイスは憤り、パトリスを睨みつけた。

 すると、急にパトリスは苦しそうに胸を押さえ、ぐらり、とバランスを崩すと膝をついた。


「申し訳、ありません……」


 蒼ざめて震えるパトリスに驚いて、手を貸し椅子に座らせる。


「どうした、パトリス?」


「あなたの怒りの波動が、私を害するのです。私はであるあなたには、従わなければならないようです」


 呆然とするアロイスに、パトリスは畳みかけるように言い聞かせた。


「陛下もであるアロイスさまに対して、このような力を持っているはずです。今回の政略結婚のお話で、王があなたに強制しなかった意味をよくお考えになって下さい」


「……すまない。お前を僕の操り人形にするつもりはないよ。今まで通り考えたことを話し、思うように振舞って欲しい」




 王都からノワールに帰ると、アロイスとパトリスは新体制を築き、領地を治めるための様々な案件に着手していった。


 真紅の薔薇ブラッディ・ローズ城に、血の提供者を集めることもその一つだった。

 近隣の町や村から金髪の若い娘たちが多く集められたことに対して、アロイスがパトリスに「いったい、どういうつもりだ」と問い質した。


「もちろん、私たちの食事の確保の為です。アロイスさまと私以外にもは騎士団の騎士たちもいますし、聖職者も……」


「そうじゃない。どうして金髪の少女たちばかりを選んだのか、聞いている」


「木を隠すなら森に、と森の民の諺にはあります。ソフィを守るためですよ。彼女を特別扱いするのは危険です。政略結婚の話だって、陛下から猶予を頂いただけなんですよ」


 新興の領主にやっかむ者や敵も多い。臣下には足を引っ張ろうとする者もいるだろう。

 弱みを見せてはならない。

 アロイスがソフィを特別扱いすれば、彼女を利用しようとする者も現れる。

 ソフィのために陛下の意向である政略結婚を断ったと知れたら、どうなるか――。


 パトリスに諭され、アロイスは渋々頷いた。


 一方その頃の私は、アロイスの許可を得て真紅の薔薇ブラッディ・ローズ城の庭の一画に村から携えた大樹の苗を植え、薬草園を造り始めた。

 それだってパトリスは良い顔をしなかったが、アロイスはその件に関しては頑として譲らなかった。


 アロイスは不本意ながら、私から一歩引いたところから見守っていく道を選んだ。

 そうして月日は移ろい、少女から大人の女性へと成長していく私と、変わることのない彼との溝は深くなっていった。

 

 ある日の夕べ、いつものように私がアロイスの吸血を終えて去って行くのを見送ったパトリスは、彼に進言した。


「閣下。ソフィも妙齢になりました。誰か良い男と結婚させ、家庭を持たせてあげたらどうですか。

 このまま彼女の人生を、盛りを過ぎた花が萎れていくように終わらせるのは気の毒でしょう?」


 執務室の机に座ったアロイスは、ペンを持ったまま返事をしない。


 パトリスはそんな主の横顔を見て、そっとため息をついた。


  


「ソフィを、どうしたらいいのだろう」

 

 長きに渡り、アロイスは自問自答を続けていた。


 パトリスの言うように、幸せにできる別のの男に委ねるべきか。

 あるいは、いっそのこと不死者の側に迎え入れてしまうか。


 彼は散々悩んだ末、ついに私自身の選択に委ねようと決めた。

 

「例えそれが、僕にとってどんなに辛い結果になったとしても……」


 ところが王都から巡察官ユー・シュエンがやって来て、私に目を付けてしまった。

 私と結婚することで守ろうとしたのに、事態は悪い方へと進んで行く。


 西方からの魔物の脅威を取り除くために城を留守にしている間に、レニエ商会の汚職、私の監禁事件が起こる。

 私を助けるために前線から戻れば、罪に問われ緊急審議会が開かれた……。


 そして彼が他の女性から吸血することを、仕方ないとはいえ私が辛く感じているのを知っていたのに、見られてしまったことへの後悔。


 私を追いかけて薬草園ハーブガーデンにやって来ると、ユー・シュエンに襲われていた。


 ユー・シュエンの魔の手から私を庇い、巡察官を倒したアロイスもまた深手を負って――。


 

 ――ソフィが無事なら、いい。不死者アンデットになってまで生き長らえたのは、きっとソフィを守るためだったのだから……。


 薄れゆく意識の中で、アロイスは私に「悲しまないで」と言った気がした。


 次第に暗くなっていく視界、彼の命の源である血が大量に失われ、再生能力が奪われた身体はますます冷たくなっていく。

 二度目の死を迎えようとする彼は、諦念の中でこの運命を受け入れようとしていた。




「……イヤ。アロイス、イヤよ。私を置いて逝かないで! いやぁぁぁああああっ」


 私は自分自身の悲鳴で、アロイスの意識の中から覚醒する。

 まだ夜明け前なのに、辺りは真昼のように眩いまでに光り輝いていた。


 キラキラと光る、白い雪片のようなものがはらはらと降り注ぎ、私たちを覆うように積もっていく。

 手をかざして見れば、それは季節外れの冷たい雪などではなく、柔らかで薄い白い花びらだった。

 草原に咲くモカルの花のように、それよりももっと爽やかで香しい匂いが辺り一面に馥郁ふくいくと漂う。


 薬草園の中央に植えた世界樹ユグドラシルが、小望月こもちづきのこの夜、初めて花を咲かせていた。

 ヴィーザル村の大樹ですら、一度として開花したことはなかったというのに。


 気づけば燦々と光射す森の中にいて、私は多くの森の民に囲まれていた。

 父さん、母さん、お婆さま、村長、アロイスのお母さん、懐かしい村の人々。 

 みんな穏やかな笑みを浮かべ、愛情深く、労わるような眼差しで私を見つめている。


「父さん、母さん。迎えに来てくれたの?」


 差し伸べられた両親の手を取ろうとしてから、はっとする。

 隣にいたはずのアロイスはどうしたのかと、きょろきょろと見回した。


 彼は白い花びらの中に埋もれていた。

 あわてて花びらを掻きわけ、蒼ざめたアロイスを抱き起こしたけれど、目を瞑ったままピクリとも動かない。


 困惑した私は、迎えに来てくれた人たちに助けを求めるように視線を向けた。

 すると彼らは黙って首を横に振った。


「……アロイスは私を庇ってくれたの。彼は」


 両親たちは互いに顔を見合わせている。


 ああ、アロイスは駄目なんだ。

 せっかくみんなが迎えに来てくれたのに……。


「ごめんなさい。私は彼を置いて、父さんや母さんたちと妖精の国アルフヘルムに行くことは出来ない」


 冷たい霧が、私と両親たちの間に流れ込んで来た。

 濃霧に包まれ、辺りは薄暗くなって、もう懐かしい村の人々の姿も見えなくなった。

 私を包み込むような愛情の波動は消え去り、例えようもない悲しみに満たされる。


 風が吹いて霧が晴れると、今度は荒野の荒涼とした風景が広がっていた。


 大地には大きな亀裂が走り、空からは木の根のようなものが垂れ下がって地面に突き刺さっていた。

 その根の下には、こんこんと清水が湧き出る泉があった。


 私はアロイスをなんとか肩に背負い、引きずるようにしてその泉のほとりまで行く。

 急に喉がひどく乾いていることに気づき、彼を降ろして泉の淵に膝をついた。


 清水を掬って飲もうと手を伸ばしたその時、泉の水面に巨大な黒い影がゆらゆらと映った。

 二本の角のある頭部、トカゲのような身体からは蝙蝠のような翼が生え、手足には尖った鉤爪がついている。

 ゾッとして私は恐怖に身体をすくめた。


「ソフィ! その泉の水を飲んじゃだめだ」 


 聞きなれた音楽的な声が後ろから聞こえ、振り向いた。


「――ベック!」


 城から旅立ったあの日の旅装のままの、吟遊詩人ベックがそこに立っていた。



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