第37話 運命の日へ4

 

 

 季節は巡り、アロイスは思春期を迎えていた。

 サラサラの白金の髪プラチナ・ブロンド緑柱石エメラルドに輝く瞳のアロイス。ほっそりした手足は健康的に陽に焼け、美少年振りにますます拍車がかかっていた。

 老若男女問わず、誰しもその姿を目にすれば惹きつけられてしまう、中性的で無垢な美。


 私たちの環境も、少しずつ変化していた。

 アロイスの父親は村の有力な家から後妻を娶り、アロイスに異母弟が生まれた。

 私の母は、聖女の薬作りの助手から正式に薬師の仕事を引き継ぐことになった。


 アロイスと私は、他の子供たちと供に村の長老のもとで読み書きを習ったり、みんなと一緒に川で水浴びをしたりはしている。けれど私はもう、以前のように彼の後を始終くっつき回るようなことはしない。


 アロイスは、同じ世代や少し年上のの少年たちと行動するのが面白くなり、彼らと過ごすのを楽しんでいた。

 弓矢で獲物を仕留める競争したり、釣りをしたり、時にはいたずらをして大人に叱られたり。


 私はというと、母と一緒に聖女の元で薬作りの手伝いをしたり、縫物や料理など家事一般を習い、家畜の世話で忙しく過ごしている。

 時折、アロイスが釣れた魚を家に持って来てくれたり、私が村長の家にお使いに行った折には言葉を交わしていたけれど。

 あの頃の私は、周囲から決められた許婚のアロイスに気恥ずかしさ感じて、二人きりになるとどうしていいのか分からなくなってうつむいてしまう。


 そんな当時の私をアロイスはどう思っていたのか、彼の記憶の中で改めて知った。


「ソフィ、これをあげる。あまり上手じゃないけど」


 夏の終わりの収穫祭に渡されたのは、手製の木彫りの 腕輪ブレスレッド。内側には魔法ルーン文字が刻まれていた。


「長老から習った守りの呪文を刻んである。悪しきものから身を隠す効果があるんだって」


 守りの腕輪ブレスレッドに魔道具として効果を持たせる為には、贈る者への真実の愛が必要とされる。術者自身で大樹の枝を、彫り磨がき、丹精を込めて仕上げなければならない。

 彼は――幼馴染で許嫁の私を、ずっと特別な愛おしい存在だと、そう思ってくれていたのだ。


 神々に収穫を感謝する、年に一度のお祭り。

 大樹の広場に集まった村人たちは、この日ばかりはと羽目を外す。広場では、火にあぶられた赤豚の丸焼きがジュージューと脂を滴らせ、美味しそうな匂いで人々の食欲を刺激する。焼きトウモロコシ、芋バター、黄キャベツの酢漬け、揚げパン、葡萄酒が大盤振る舞いされ、人々は陽気に飲み食いして踊った。


 晴れ着を来た私とアロイスも、笛や太鼓、竪琴の演奏に合わせて、軽快なステップを踏む。

 大樹の周りを村人たちと一緒に、アロイスと手を繋ぎくるくる回っていると、揶揄うようにマルクとローランが口笛を吹いた。



 やがて秋が終わる頃、アロイスは大人たちに交じって村の集落の丘を取り巻く川の向こう側、外の世界の調査に同行するようになる。

 村長はが訪れたあの夜から危機感を持っていた。

 あのの言う通り、本当に大地の裂け目が現れるかもしれない。

 丘の周辺地域に異変がないかどうか定期的に狩人たちを送り調査させていた。

 川の外側は危険な魔獣、魔物にも遭遇することもある。

 調査隊に初参加した折に、魔獣に遭遇して怯えたアロイスの話を聞くと、村長はひどく叱りつけた。


 アロイスに対して、村長はいつも厳しかった。

 同年代の中で彼は特に弓の腕前が抜きんでていたけれど、それを父親から褒められることはない。

 

 叱られて落ち込むと、アロイスはとぼとぼと歩いて聖女の元にやって来る。

 聖女は何も聞かず、アロイスに用事を言いつけたり、蜂蜜パンを食べさせた。

 時には私も連れて、三人で広場の大樹の根元に行く。

 そして私とアロイスに「樹の言葉を聞きなさい」などと無茶なことを言うのだ。

 

 そんな聖女も寄る年波に勝てず、身体がだるいと言って床につきがちになる。

 ある晴れた冬の日、村人たちに看取られながら聖女は世界樹ユグドラシルから妖精の国アルフヘルムへと旅立っていった。

 彼女は逝く前に、次代の聖女を指名した。


「次の聖女は、ソフィだよ」


 聖女と最後のお別れをするために、大勢の村人が薄っすらと白く積もった雪の庭に集まっていた。

 小さな家に入り切れず庭にいた人々は、「おお!」と次代の聖女を歓迎する声を上げた。


「なあに、聖女と言っても今まで通り、毎日広場の大樹の所に行って交流すればいいだけさ。

 ソフィの母さんに薬草のことは全部教えといたから、ソフィもちゃんと習うんだよ」


 以前より痩せて小さくなった聖女は、ベッドの枕もとでキョトンとしている私に、おどけたように片目を瞑って見せた。

 アロイスや村長、私の両親、村の人々は悲しみに涙ぐんでいた。

 みんなのお婆さまだった聖女。ここに居る者たちすべてが、病気や怪我をした時に治療してもらい、励まされてきた。彼女が逝く悲しみと喪失感を、みんなが共有している。


「泣かないでええ。またそのうち妖精の国アルフヘルムで逢えるんだから」


 私の手を、皺だらけの手で握ってささやいた。


「それから――アロイスを頼んだよ。この子の心が冷たく凍えてしまわないように、温めておやり」

 

 次に聖女は、アロイスに目を向け手招きした。


「――我らが妖精王に、神々の祝福が豊かにありますように」


 アロイスが屈んで聖女に顔を寄せると、彼女は震える指先で印を結び祝福を与える。


「死は新たな旅立ち、世界樹ユグドラシルさまが迎えて下さるんだよ」

 

 それから集まった村人たちは、聖女に最後の別れの挨拶をした。


 聖女が亡くなり荼毘に付されると、アロイスはひとりで丘を巡る川に歩いて行った。


 ポケットからサシャ王に渡された黒玉を取り出し、陽に透かして見る。

 陽に当てると、黒玉は血のごとく紅く輝く。


 アロイスは、今まで大事に持ち続けていた黒玉を川に向かって高く投げ入れた。

 陽の光に煌めく水面に、黒玉は水しぶきをあげて吸い込まれ、すぐに見えなくなる。

 彼は一度も振り返らず、村へ戻った。


 しかしその晩、アロイスは再び怖ろしい明晰夢を見る。


 焦土と化した村の跡地に、ひとりで佇んでいる。

 破壊された家々から、黒い煙が立ち上っていた。そこら中で血を流し、倒れている村の人々。


 その中にアロイスの父親と継母、異母弟の姿もあった。重なり合い、幼い弟を庇うようにして、息絶えた二人の姿。


 アロイスは、血を吐くような叫び声を上げ、生存者を捜して辺りを探し回る。

 瓦礫の中を進み、ようやく広場に辿り着くと、大樹は根元から折れて火に燻っていた。


 倒れた大樹の周りには小さな子供たち、そして私が横たわっているのが彼の目に入った。

 恐る恐る私に近づき、うつ伏せになった私の焼け焦げた服、火に炙られて縮れた金髪、べっとりと着いた血に触れる。


 彼が呆然として座り込んでいると、突然景色が変わる。


 空は菫色に染まって星々が瞬き、辺りは薄暗く夜の帳が降り始めていた。


 前方には、静かに川が流れている。

 昼間、黒玉を投げ入れたその場所だ。

 川の向こう側に広がる闇の中には、途方もなく怖ろしい存在が降臨していた。


「これを使わなかったのか、アロイス」


 天鵞絨のように滑らかな声、真紅に光る瞳。そして、血のように紅く豊かに渦巻く髪。

 長身の不死者の王は、いつの間にか川を超え、アロイスを見下ろしていた。

 射干玉ぬばたまの黒絹の外套の中から、大きな宝石の指輪がいくつも嵌った指で黒玉を取り出して見せる。

 

 恐怖に目を見開くアロイスの手を取り、再び黒玉を握らせる。

 サシャ王は、漆黒に塗られた長い親指の爪で自らの人差し指の先を刺すと、小さな血の玉を作った。

 アロイスの顎を長い指先で持ち上向かせると、一滴だけ、恐るべき王の血を少年の桜色のふっくらとした唇に落とした。


 アロイスは固く口を結び、血の侵入を拒む。

 それを見て、サシャ王は目を細め薄く笑う。愛玩動物のつれない態度を楽しむかのように。


「このギョクは、余の血で出来ている。肌身離さず持っていた月日が、其方と余をすでに結び付けている」


 アロイスの手から、黒玉が滑り落ちた。


其方そなたの血を味わう日が、待ち遠しい――」


 

 彼は小さく叫び声を上げ、腕を振り払う。


 がばっと起き上がり目を覚ませば、そこは住み慣れた自室のベッドの上だ。

 心臓の鼓動は激しく打ち、全身に汗をびっしょりと掻いていた。


「ただの、夢、だ」


 荒い呼吸を落ち着かせるように、ゆっくりと息をする。

 そして、手に握りしめている黒玉に気づきギョッとなった。


「どうして――昼間、川に捨てたのに」


 ギリギリと歯を食いしばり、黒玉を部屋の片隅に投げつけようとしてやめ、呟いた。


「村を、災厄から守らないと……!」


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