第38話 魔獣暴走

 


 健やかに成長したアロイスは中性的で美少女のような誰からも愛される容姿から、女からは熱い視線を、男からは嫉妬や反感を持たれるような類いの美青年へと変貌していた。

 

 アロイスは時間を見つけては、長老宅にある古い書物を読みに行っていた。

 その日も、生成りのシャツの上に毛織のチュニックというラフな服装で、長老宅の書斎の机に書物を広げていると、外から扉をノックする音がした。


「どうぞ」


「失礼いたします」


 長老の遠縁の女が、モカル茶と果物を盆に載せて入って来た。


「どうもありがとう」


 机の上に広げていた古い羊皮紙を端に寄せて、アロイスはモカル茶を受け取る。

 アロイスの指が触れると、女は小さく息を飲んだ。


「何をお読みになっていらしたのですか、若さま?」


 女が覗き込んだ羊皮紙には、枝葉の繁る幹の太い樹、その根元には蜥蜴のような生き物が蹲って根を齧っている挿絵が描かれていた。


「僕たちの先祖の古い記録だよ。この地に流れ着いて、現地の人間の娘達を娶った理由が記されている」


「言い伝えでは、私たちの民は世界樹ユグドラシルの森が枯れてこの地に来たと、そして人間の娘が美しく健やかなのを見て妻にしたとのことですよね」


「うん、まあそうだね。これにはさらに詳しく世界樹ユグドラシルが枯れたのは、竜が根を食べたせいだと書かれているんだよ。

 それから人間の娘と結婚したのは、僕たちが長寿ではあったものの、子供がなかなか生まれなくなって、さらに若い娘が不足してしまったからなんだって。

 これを書いた先祖は、僕らの民が一定数に達したら、外から血を入れないようにしなさいと言っている。そうすれば、また妖精フェアリーの血が濃くなって、僕のような緑目金髪の子供たちが生まれるって。

 僕たちの先祖は、色んな知識を残してくれたけど、でも……」


 アロイスは、自分たちの先祖への想いに思考を巡らす。

 なにか災厄を回避するための、ヒントがないだろうかと。


「ええ、それは長老から聞いたことがあります。……若様」


 突然、女はアロイスの足元に跪くと、彼の膝に手を載せて上目遣いに見た。


「私は夫を亡くし、子も居りません。どうか、御情けを下さいませ」


 アロイスはガタンと音を立てて椅子から立ち上がると、腰を落とし女と目線を同じにして口を開いた。


「貴女はまだ十分若いし、これからまた夫を得て家庭を持てる。自分を大切にして」


 すると羞恥に頬を染めた女は首を振って立ち上がり、逃げるように書斎を出て行った。


 ふう、とため息をつくとアロイスは部屋の外に向かって声を掛けた。

 

「……入っておいで。そこに隠れて居るのは分かってる」


 扉の陰からひょっこりと顔を出したのは、膝丈の灰色のワンピースに生成りのエプロンを掛けた少女……私だった。


「随分とモテるのね、アロイス」


 腕を後ろに回した私は、拗ねて唇を尖らせている。


「少し、外を歩こう」


 長老の家の庭に出ると、赤や黄色、桃色、白と色とりどりの金魚草や苧環オダマキ立葵たちあおいの花々が風に揺れていた。


「――僕たちの婚礼の時期を、早めようか」


「どうしたの、アロイス?」


「僕は今年、成人の儀を済ませた。後はソフィ次第だ」 

 

 ヴィーザルの民の男子の成人の儀は、その年成人する若者たちで狩りに行き、獲物を仕留めて神々に捧げる。

 そして女子の場合は、婚礼の衣装を自分ではたを織って縫い上げ結婚することで成人と見なされた。


「僕のために、花嫁衣裳を作ってくれる?」


 当時の私は、アロイスが言い寄って来る村の女たちに嫌気がさして、それで早く結婚してしまいたくなったのかな、と想像していた。

 でも彼は、私たちの未来の儚さを憂いていたのだった。


 私は少し考えてから、黙って頷いた。

 アロイスの唇が私の唇にそっと触れる。羽のような口づけ。


 その時、ゴォォォと地鳴りが響き、次の瞬間ドン!と大地が大きく揺れた。

 

「ソフィ!」


 ぐらりと身体が傾いた私を、アロイスがしっかりと抱きしめる。


 人々が家の中から出て来て「地震だ!」と叫んでいた。


 私とアロイスは得体のしれない不安を感じて、ただ身を寄せ合っていた。


  

◆◇

 

 

 風が吹き新緑の草が海のように波打つ草原に、栗毛の馬に乗ったアロイスとパトリスが疾走していた。


 彼の日に焼けた小麦色の肌、ほっそりとした身体にはしなやかな筋肉がつき、巧みに馬を操る。

 肩まで伸びた白金の髪プラチナ・ブロンドは、後ろ一つに紐で縛られていた。


 二人は馬に負担をかけず機動力を重視するために、なめし革のチュニックに編み上げの革ブーツという軽装で、背中には弓、腰にはベルト式の矢筒を吊るしていた。


「パトリスッ!」


 アロイスは、パトリスの後方から火光獣フレイム・スクィークが接近して来たのを見て叫ぶと、振り向きざまに弓矢で射った。

 火鼠とも呼ばれる火光獣フレイム・スクィークは、牛ほども大きさがある。アロイスの放った矢が眉間に命中し、どうっと倒れた。そこへ後から来た魔獣たちが群がり、貪り喰らう。


「ありがとうございます、アロイスさま」


「急げ、あいつらの相手をしている時間はない」



 数日前に起きた地震。

 アロイスたちは、村の周辺に異変がないか調べる為に遠出をして、この火の山の近くまでやって来た。

 集落の丘から森を抜け、草原を渡り、ゴツゴツとした岩山のふもと近くで、異変に気付く。

 岩山の中腹から煙が立ち上り、魔獣の群れが山から麓に向かって雪崩のように押し寄せて来ようとしていた。


 ――早く村に戻って、皆に知らせないと!


 アロイスの脳裏に私の姿が過る。

 村から出発する前、西の火の山を調べに行くついでに火光獣フレイム・スクィークを討ち取れたら、土産に持って帰ると約束したことを思い出していた。

 火鼠毛織の火浣布かふんふは、燃える炎の中に投じると汚れが落ちて雪のように真っ白になるという特別な布になる。近い将来、婚礼をあげる私の花嫁衣装の生地に、と考えて。


 ……それも命あってこそ、だ。

 ここから村まで、馬で丸一日の距離がある。

 途中で休憩を入れなければ、馬の体力も持たない。

 どう考えても、間に合わない。

 アロイスたちの命すら危うく、魔獣暴走スタンピードの警告が間に合わなければ、村も全滅してしまうに違いない。


 追い詰められたアロイスは最後には神頼み、ただ祈るしかなかった。


風の神ヘズよ。どうか、僕とパトリスを村まで疾風を持って運び給え!」


 本当に奇跡が起こるとは、アロイスも思ってなかった。

 ところが、アロイスの祈りに応えるように 空に風が渦巻き、風の精霊シルフィーネたちが集まって来た。

 そして風の精霊シルフィーネたちは、二騎の若者たちを風に載せて運び始めたではないか。


(妖精の王よ、あなたの願いは風の神ヘズに聞き届けられました)

(妖精の王よ、私たちがヴィーザル村まで送り届けて差し上げましょう)


「これはいったい、どういうことです? アロイスさま」


 パトリスは驚いて目を見開き、馬から落ちないようにしがみついた。

 

「分からない! だけど――感謝します、風の神ヘズ風の精霊シルフィーネ


 風の精霊シルフィーネたちは、山を越え川を渡り、直線距離で丘の上の村までアロイスたちを運んで降ろすと、空に帰って姿を消した。


 二人は村に到着すると物見やぐらに登り、鐘を打ち鳴らして迫り来る危機を皆に知らせる。


「火の山から魔獣暴走スタンピードが起きている! 村に到着するまで後いくばくもない! 早く避難するんだ!」


 人々が何事かと、集まってくる。アロイスの父親、村長も走って来た。


「なにがあった、アロイス。詳しく話せ」


「父さん! ここに火属性の魔獣たちがやって来ます! 早く逃げて」


 村長は顔色を変えると、狼狽える村人たちに次々に指示を出していく。

 それは、家畜を村の中心の広場に移動させることだったり、村を囲む石の壁に取り付けてある弩弓バリスタを稼働させる準備だったり。

 魔獣を迎え撃つために、村人たちは奔走し始める。


「違う! そうじゃない。僕らが抵抗して、何とかなるような数じゃないんだ。とにかく逃げないと」


 アロイスは父親の腕を掴むと、必死になって逃げるようにと説得する。


「息子よ、先祖伝来の地を失って、どうやって我らが生き長らえることができようか? 畑や家畜たちが居なければ、飢えて死ぬしかない。

 だがお前は、子供たちを頼む。この時のために備えた地下壕に連れて行くんだ。急げ!」



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