第30話 騎士の誓い
東の空に日の入りから少し遅れて、小望月が昇っていた。
「リゼット、お前があの地下室の憐れな者たちを、眷属に変えたのか。
だが、何故だ? この悪辣な商人に加担して、王陛下に背いた理由は――」
女騎士は
「……すべてをお話します、閣下。
そこにいる商人の妻マリーは、私の生き別れになった息子の孫娘。初めは病魔に侵されたマリーの延命のために、血を与えていました。
ですがご存知の通り、『貴族の血』では病状の悪化を遅らせることは出来ても、病そのものを治すことは出来ない」
リゼットはこれまでのことを語り始めた。
マリーのために希少で高価な薬を取り寄せ、治療するのに膨大な費用が掛かったこと。
妻の病の治療費が嵩み続け、ルニエ商会の経営が傾いていったこと。
マリーの夫――ルイーズの父は、苦肉の策として違法な『貴族の血』の販売に手を出し、それにリゼットが協力したこと……。
「私のせいで……」
マリーのすすり泣く声が響き、彼女が身も世もなく嘆くのがやり切れなかった。
ルイーズの父親はがっくりと肩を落としている。ルイーズはというと、手を固く握りしめ怒りに満ちた視線を両親に向けていた。
「愚か者。もっと他にやりようがなかったのか」
アロイスが呆れて、疲れたような声を出した。
「この身はいかようにも罰して下さい。ただ、この者たちは、私の至らなさから道を踏み外しました。どうか最底辺の奴隷として罪を贖わせて頂きたく、命ばかりはなにとぞ」
リゼットが地に額を押し付けて懇願する傍らで、ルイーズは抗議の声を上げた。
「嫌よ! 最底辺の奴隷なんて。処刑された方がずっとまし――」
再び父親が娘の口を塞いで、ルイーズの頭を地面に押し付ける。
「黙っておれ。生きてさえいれば、いつか平民に戻れるときが来るかもしれん」
「リゼット。お前は僕に背任したのではない。我らの主である王陛下の命に背いたのだ。
陛下の許可なく眷属を増やせば、厳罰されるのは知っているな? そのお前が自分の身と引き換えに、人間を減刑できると思うのはおかしい。
それにそこに居る娘は、我が妻を飢えたマルクのいる部屋に故意に閉じ込め、殺そうとしたのだぞ」
リゼットは、はっとしてルイーズを見ると、彼女は目を逸らした。
私はアロイスに手を伸ばし、そっと彼の指先に触れた。
――アロイス。殺さずに済むなら、そうしてあげて。
――君は、本当にそれでいいのか?
――もう誰かが死ぬのは、見たくないの。お願い。
同郷のマルクの二度目の死は、ルイーズが発端だった。
彼女が憎かった。
それでも、地下室で次々に滅んでいった不死者たちの姿を見た後で、もうこれ以上誰かの死を望む気持ちにはなれなかった。
アロイスは、落ちている
そしてその剣を、上から大きく振りかぶって、跪いているリゼットの顔の側、ギリギリのところにヒュンと音を鳴らして突き刺した。
「ならばここで、騎士の誓いを僕に立てろ。今後百年間、忠誠を誓え」
リゼットが顔を上げた。非常に驚いている。
「勘違いするな。死ぬほど扱き使ってやる。お前の息子の子孫たちも」
「あ、ありがとうございます」
リゼットは涙を流していた。――紅い涙が、幾筋も頬を伝い落ちていく。
アロイスはつまり、彼女の騎士の身分を剥奪せず、ルイーズ親子も処刑しないと言ったのだ。
リゼットは傍らの
彼は剣を受け取り、跪いたリゼットの肩に剣の刃を置いた。
「我、騎士リゼットは冥界の女神ヘルの御名の下に、主アロイスさまの剣となり盾となり、今後百年間いかなる時も、この命をかけて戦い守りぬくことを誓います」
アロイスは
――ありがとう、アロイス。
――殺すことは、何時でもできるから、な。
少し離れた場所からルニエ商会の私兵たちは、自分たちの雇い主がどうなるのかと、緊張した様子で見守っていた。私兵たちがほっと息を吐き、身動ぎするのが聞こえて来る。
その時だった。
ビュン、と音を立て白銀に光る矢がアロイスに向かって飛んで来たのは。
「危ない!」
リゼットがアロイスを突き飛ばすようにして、地に伏せた。
さらに間髪入れず、私たちの頭上から銀で出来た網が落とされ、その衝撃で私も倒れた。
銀は
いったい、誰がこんなことを。
アロイスとリゼットを見れば、肌に直接銀が当たっているところから、煙が立ち昇っていた。
ひどく苦しみ、うめいている。
私が何とかしなければ。網から逃れアロイスたちを助けないと――!
網を掴み、立ち上がろうとすると、反りのある片刃の細身の剣の切っ先を目前に突きつけられた。
漆黒の髪を後ろで束ねた男の、切れ長の紅い目がギラリと光る。胸の前で襟を重ね、腰の辺りで帯で留めその下に
「サシャ王陛下の代理人として命ずる。ここに居る者たち、ノワール伯爵、その妻ソフィ、騎士リゼットとその関係者を、捕縛しろ」
ユー・シュエンが、引き連れて来た城の衛兵たちに向かって命令すると、彼らは、動揺して互いに顔を見合わせた。
ここに居るはずのない自分たちの領主アロイスが、ルー・シュエンの投げた銀の網の下に倒れているのだから。
アロイスがエタン村方面で外敵と戦っている間、
ノワール騎士団の騎士たちは、アロイスに忠誠を誓っているから、王の代理人と言えどもユー・シュエンが勝手に使用することは出来なかったのだろう。
「巡察官の俺の命令は、王命と同じだ! お前たちは王陛下に逆らうつもりか!」
さらにユー・シュエンに脅されると、衛兵たちは恐る恐るアロイスとリゼットに近寄り、銀の鎖で捕縛した。
「どういうつもりだ、ユー・シュエンっ」
「伯爵、君は王陛下に対する、反逆罪に問われている」
アロイスは、悪態をつきながらも銀によって力を奪われ、抵抗できない。
リゼットは肩から血を流し、アロイスよりも顔色が悪くぐったりしていた。先ほど飛んで来た柳の葉のような形の銀の刃物から、アロイスをかばった際に当たって怪我をしてしまったらしい。
ユー・シュエンは拘束されたアロイスと共に馬車に乗り、私とリゼットは別の馬車に乗せられた。
馬車の中には、私たちを見張る衛兵が二人同乗していた。
リゼットの肩には銀製の刃物が突き刺ったままで、黒の騎士服がおびただしい血で濡れていく。顔色は灰色に変わり、今にも死んでしまうのではと不安になる。
馬車が揺れると、リゼットの苦痛が増すのか、眉を寄せ歯を食いしばって耐えている。
私も荒縄で縛られているけれど、なんとか彼女の苦痛を取り除いてあげたかった。
あの刃物を引き抜くことが出来れば、
「リゼット、その肩の刃物を抜くから少し我慢して」
私が銀の刃物をしっかりと歯で噛むと、リゼットは少し身体を傾けて私が引き抜きやすいようにした。
「おい……!」
衛兵の一人が、私を咎めようとしてもう片方が止めた。
「ほっておけ、どうせ逃げられない」
リゼットは私が刃を引き抜くのと同時に、反対の方向に身体を倒して手伝った。刃物が馬車の床に落ちた。
傷口から更に出血して、リゼットは痛みに呻いた。
「銀の毒が、全身に回っている。ソフィ殿、もう私は助からない」
「そんな……」
銀の刃を取り除いて、リゼットを助けようとしたのに。結果として、無駄に彼女を苦しめただけだったのかと思うと辛過ぎて、どうにかなってしまいそうだった。
「騎士の誓いは、守った。伯爵に、マリーたちを頼むと、伝えて欲しい……」
「必ず伝えます、だからリゼットも頑張って――」
リゼットは固く目を瞑ると、馬車の椅子から崩れ落ちた。私と衛兵の目の前で、マルクのように崩壊し始める。
先程、私を咎めようとした衛兵が悲鳴を上げると、もう片方の衛兵が「黙れ」とみぞおちに拳をいれ、気絶させた。
「脆いもんだな……銀の
暗い馬車の窓から月の光が射し込み、衛兵の顔を照らした。薄い髪の色に
「あなたは、ローラン!」
居なくなったトネリコ亭の主、ヴィーザル村のローラン! そして貴族支配に対する地下抵抗組織「光の民」のメンバーでもある彼が、何故ここに――。
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