第29話 ルニエ商会
「ソフィ、立てるか?」
「ええ」
少しふらついたものの、立ち上がれないことはなかった。
トネリコ亭から拉致された時にも感じたのだけれど、物理的なダメージに対して耐性が格段に上がっている気がする。
私に手を貸して長椅子から立たせてくれたアロイスが、頷いた。
「そうだ。君は僕の血を飲んでいるから、回復も早い」
やっぱり、そうなのだと思った。
「普通の人間よりは、という意味だから。僕のような再生力があるわけじゃない。気を付けて」
「分かったわ。ところでアロイス、西の開拓村の戦線は大丈夫なの?」
「パトリスに任せて来た。外敵も気になるが、今は内側の膿を出さなければならない。……僕と一緒に来て。君を一人にして置けないから」
アロイスは、怪我をしている衛兵たちは後で救護させる、と言って部屋を出た。
廊下に出ると、地上階へは行かず、そのまま地下の奥の部屋に向かった。
突き当りの扉は、がっしりとしたオーク材に鉄で補強された頑強なものだった。
その扉をアロイスは、容易く蹴破る。中はガランとした部屋で、血と腐臭が漂っていた。
うめき声が、奥の方から聞こえる。
「そこに居て」
アロイスは一人で、部屋の奥に行った。
部屋は暗く、廊下の灯りが射し込むだけだ。
彼の血を飲んだ私には、壁際に鎖のようなもので拘束され、うずくまる数人の人影が見えていた。
こちらに向けた顔から、紅い瞳が光った。
アロイスは、その場にいる
遺体はマルクのように、すぐに崩壊を始める。
「アロイス、どうして」
「彼らは、僕らの苦手とする銀の鎖で繋がれていた。ここで血を抜かれていたんだろう」
「なぜ、殺してしまったの?」
「王の許可なく違法に生まれた
領主として瞬時に非情な決断をしたアロイスの横顔を見つめながら、彼はもう昔の幼馴染のアロイスではないのだと再び思い知らされる。
階段を登り、地上階へ出るとアロイスは玄関ホールへ向かった。
夕闇が次第に濃くなり始める中、屋敷の外に出ると松明を掲げたルニエ商会の私兵たちが騒ぎを聞きつけたのか、わらわらとやって来た。
しかし私兵たちは、アロイスの姿を見て驚いた。
「
「いや、あの銀髪は領主さまじゃないか?」
銀髪の
私兵たちの間にざわめきが広がっていく。
「お前たちの主人、ルニエ商会の会長はどこだ?」
「会長は……」
私兵たちの視線が、門の前の馬車へと向かう。
馬車には会長とその妻、娘のルイーズが乗り込み、今にも逃げ出そうとしているところだった。
アロイスがそちらに歩き始めると、私兵たちは道を開けるように二つに分かれた。自分たちが束で戦っても、貴族には勝てないと知っているのだ。
「逃げても無駄だ。夜の壁の外にでも行くつもりか? 生きたまま魔物に食い散らかされるのがよければ、それでもいいが」
アロイスは私の腰に手を回してしっかりと抱き寄せ、ルイーズたちに近づいた。
馬車に繋がれた馬たちが嘶いた。御者台に座っていた男は「まさか! 領主様」と叫ぶとあわてて台から降りて、跪いた。
ルニエ商会の会長もアロイスの姿を認めると、逃亡するのを諦めて馬車から降り、妻子と共にその場にひれ伏した。
「領主様、どうか私ひとりを罰してください。この者たちは何も知らなかったのです」
「そうはいかない。お前の娘は、我が妻を殺そうとした」
会長はルイーズを見て「なんということを……」と呟いた。
「今更、お父様にそんなこと言われたくないわ! 商売の失敗を『貴族の血』の売買で埋めたのはお父様でしょ! どうせ私たちはもうおしまいなんだわ!」
「黙れ! 余計なことを言うんじゃないっ」
娘の口を塞ぎ、会長はさらに深く頭を下げる。
影の薄そうな母親は、ルイーズと抱き合い震えていた。
「地下室の
「あれらを変えたのは……警備隊長のマルクです。その、事故のようなものでして。領主さまが討伐でお留守でしたので、お戻りになったらすぐに知らせるつもりでした」
「嘘を言うな。マルクが
「それは、私どもとは無関係でございます。娘は混乱してなにか勘違いして事実ではないことを口にしましたが、私共の商会では『貴族の血』など扱っておりません」
流石、商会の長とあって太々しい、と呆れてしまった。
でも証人となるはずのマルクや他の
「そうか。ではお前は先ほど、自分一人を罰せよと言ったのは、何の罪だ」
「それは、私どもの屋敷にいらしたのがまさか領主様と思わず、賊に急襲されたと思い、無礼にも私兵を向かわせ、こうして避難しようとしたことでございます」
アロイスは、おかしそうに笑いだした。
「面白い男だ、殺すのが惜しくなる。だが、勘違いしているのは娘ではなくお前の方だ。このノワールの法は僕だ。有罪か否かは僕が決める。面倒な手続きも証人や証拠品などなくとも、必要なら独断でお前達人間を裁くことができる」
彼は自分の手首を噛み裂くと、手を前に伸ばし払うようなしぐさをした。
アロイスから流れる血が鞭のようにしなり、ルイーズたち親子に襲い掛かった。
そうしてもう片方の手で、私の目を隠した。この後の、惨劇の瞬間を見せないためにした彼なりの配慮で。
私は身体を縮こまらせ、怖ろしい瞬間が訪れるのを覚悟して目をぎゅっと瞑った。
風が巻き起こり、鞭がしなってヒュン、と音を立てる。
けれど、三人の悲鳴などは上がらず、アロイスは私の視界を塞いでいた手を外した。
恐る恐る目を開けてみると、三人の親子を庇うようにしてリゼットがアロイスと対峙していた。
「どういうことだ、リゼット」
リゼットの抜刀した
女吸血鬼の騎士は、歯を食いしばりアロイスの真紅の鞭に愛剣を奪われぬように堪える。
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