第21話 光の民



 どのくらい時間が経ったのだろう。


 手首にズキズキとした痛みを感じて、意識を戻した。


 何も見えない。


 目隠しと口枷をされ、手足を縛られて横向きに固いところに寝かされている。

 私は手首を痛めないように、後ろ手に縛られた身体をずらして体重がかからないようにした。


 目隠しの布からぼんやりと明るさを感じる。そして、埃っぽい匂いとたまらない暑さ。

 頭がぼうっとして、状況を把握するまでに時間がかかった。


 リディから渡されたレモネードに何か薬物が混入されていた?

 でも、どうしてこんなことを彼女がしたのかが、全く分からない。


 日没になれば、アロイスが必ず私を助けに来てくれる。

 彼への揺らぎない信頼があったから、パニックになることはなかった。

 アロイスがこの件をどう解決するのか、その時リディがどうなるのかを思い、心配することさえした。

 今現在、自分が窮地のただ中にあるというのに。


 ただ……ここはとても暑い。強絹タフタのドレスを着たことを後悔する。

 綿のシュミーズが脚に絡みついている。この暑苦しいドレスを脱げたらいいのに。

 布の口枷が余計に水分を奪い、喉をカラカラにしている。

 こういう環境で特殊な病気になることを知っていた私は、アロイスが目覚める日没まで体力が持つのかどうか不安になった。

 せめて、風でも吹いてくれればいいのに。

 

 私の願いを、神々が聞きとどけてくれたかのように、ガラッと引き戸が開けられるような音がして一陣の風が吹きつけた。

 なんて心地よい風だろう。


「ソフィ! 可哀そうに」


 目隠しと口枷を取り「もう大丈夫だよ」と心配そうに除き込んだのは、ベックだった。

 ヨハンも一緒にいて、私を縛っていた荒縄をナイフで切っている。


「これを飲んで」


 ベックが私の頭の下に腕を回すようにして持ち上げ、水筒を口に寄せる。

 その水は、まるで神々の霊酒のように美味しく、乾いた喉を潤して弱った身体を癒してくれる。


 一息ついて辺りを見ると、ここはどこかの廃屋か使われていない物置のようだった。破れた窓には木の板が打ちつけられ、壊れた椅子やテーブル、穴の開いた鍋などのガラクタが積まれていた。


「さあ、もう大丈夫。立って」


 私を立たせると、ドレスや髪に着いた埃をベックとヨハンが払ってくれた。


「ありがとう。でも、どうしてここが分かったの?」


 縄の痕が赤く付いた手首を、擦りながら疑問に思ったことを口にした。


「うん。詳しく説明すると長くなるんだけど、歩きながら話すよ。光の民って知っているかな?」


「光の民? 不死者アンデットに抵抗するという人間の地下組織でしょ? 王都で組織を広げているとか」


 王都の出来事は、非現実的で遠い世界の物語のように感じる。


「彼らは冥界の女神を崇めず、光の神々を信奉している。そして人間の尊厳を取り戻す草の根運動をしていて、地方にも賛同者を増やしているんだ」


「……それが私と、何の関係があるの?」


「マルクは光の民のメンバーで、このクレモン町の地区リーダーなんだ」


「何ですって?」


 遠い世界の出来事が、突然日常を侵食し始める。

 マルクが警備隊長としての表の顔と、光の民の地区リーダーという裏の顔を持っていたことに心底驚いてしまう。


「この町の光の民のメンバーは、人身売買や『貴族の血』の違法売買を何とかしようと動いていた。その矢先に、マルクが崩落事故に巻き込まれて……」


 廃屋の外に出るとまだ日は高く、あれから長い時間が経ったわけではないようだ。

 私たちは入り組んだ路地を歩いていた。


「ねえ、どこに行くの?」


「トネリコ亭に戻るんだ。何もなかったことにして欲しい。ソフィは、リディと話し込んでしまっただけ。君も、リディやローランが縛り首になるのは、見たくないだろう?」


 彼らが捕らえられ、無残な姿を晒すのを思い浮かべてぶるりと震えた。


「もちろんよ、話を続けて」


「リディに、何者かが接触して来たんだ。ソフィ、君とマルクを交換してやるって。

 この地区のメンバーたちは、マルクが不死者アンデットになることについて、ひどく怯えている。

 リーダーがになったら、これまでの人間性を失い、組織を裏切って自分たちを売り渡すんじゃないかって。

 彼らは不死者アンデットには決してならないという誓いを立てている。でも実際そうなった時にどうなるかは、誰にも分からない」


 マルクを不死者アンデットに変えるトリガーを引いたのは私だった。

 そういえば、マルクとリディは、蘇生リザレクションの儀式も断ろうとしていたのでは……。


「マルクの身体はルニエ商会が預かっているけれど……じゃあ、ルニエ商会がリディに?」


「いや、接触してきた奴は名乗っていないそうだ。ソフィを誘拐させるなんて、罠に決まっている。

 俺はすぐに君を解放するように彼らを説得した。マルクの件は、ソフィが上手くやってくれる、決して光の民のメンバーを迫害したりしないって」


 速足で歩いているため、息が切れてくる。

 随分とベックは私を買い被ってくれているようだけど、そんなにうまくいくかどうか。

 ただ、マルクの件はリゼットに眷属化させてしまった私に責任がある。


「ねえ、ベック。ヨハンの装備を整えるために町に来ているはずのあなたは、どうしてこんなに早く私を助けることが出来たの? なぜ、光の民やマルクたちについてそんなに詳しいの? 彼らがあなたの言う通りに私を解放することにした訳は?」


 ベックは矢継ぎ早の私の質問にも気を悪くした風もなく、飄々としている。


「うん。まあ。俺は色んな所に顔を突っ込んじゃっててさあ。なんか光の民の組織の、顧問?みたいな立ち位置になってるから」


「ベックが、顧問? 大丈夫なの、その組織は」


「あはは。マジでやばいよねえ。――さあ、着いたよ。俺たちはここから別行動にした方がいい。じゃあ、また」


 裏口からトネリコ亭に戻ると、リディとジョスの姿はなかった。

 衛兵たちはエール酒を飲んでくつろいでいるし、カサンドラは落ち着きなく、イライラと手をもみ絞っている。


 カウンターでローランとすれ違う時に、再び視線を交した。私は黙って小さく頷いた。


 レモネードに薬物を混ぜて、縛られたことは許しがたいけれど、彼らは私と同郷の仲間だ。

 みすみす死なせるようなことは出来ない。


「待たせてごめんなさい。もう用は済んだから、帰るわ」


 私は何事もなかったように、カサンドラと護衛たちに声を掛けた。


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