第22話 逡巡


 

「何があった?!」


 日没とほぼ同時位に、アロイスは副官のパトリスを伴って真紅の薔薇ブラッディ・ローズ城本館の三階にいる私の前に現れた。


 私はまだ気持ちの整理がつかず、ベックから聞いた光の民の話やマルクのことをどうしたらいいのか悩みの中にあった。


  不死者アンデットへの抵抗組織、光の民はアロイスにとっては敵だ。

 アロイスにどこまで話していいのか、迷う。


 もしも、アロイスが非情な決断をしたら――充分あり得る――私のせいで、多くの人が命を落とすことになるかもしれないと思うと、怖ろしかった。


「何かあったはずだ。僕たちの血の絆で分かる。太陽が出ている間、君は危険にさらされた。

 昼間は僕が守ってやれない。君が苦しんでいるとき、僕がどんな気持ちで過ごしていたのか、分かるか?」


「……大したことはなかったの、本当よ」


 彼の怒りと苦痛が血の絆を通して伝わり、胸が痛んだ。

 昼間、手首を縛られた痕は、お湯で温めて血行を良くしたことでほぼ消えている。黙っていれば、分からないはず……。


「だいたい、この部屋はなんだ。なぜ僕の居室と続きの部屋じゃない? 侍従長を呼べ!」


 アロイスのイライラした様子に、パトリスは見かねた様子で口を挟んだ。


「ソフィを側に置きたいのなら、これまでだって侍女にしておけば良かったんです。私に相談もなく結婚された以上、今更ですが」


「それは! 今まではソフィには安全な場所で、しがらみなしに自由に生活できるようにしたかったから。でももう僕と結婚したんだから、皆には最大限尊重させるつもりだ」


「閣下、落ち着いて下さい。今は巡察官が居る。彼らが引き上げるまで、目立つことはしない方がいいんです。

 ソフィを特別扱いすることも、控えるべきです。それが、彼女の為でもあります」


「ソフィは僕の妻だ!」


「人間の妻など、にとっては所有物の一つ程度です」


「くっそ!」


 私の手を握ったまま、アロイスはドスンと長椅子に座った。そのまま手を引かれ、彼の上に倒れ掛かる。

 パトリスは「やれやれ」とため息をついた。


「彼女には貴族社会のことをちゃんと話すしかないでしょう。何も知らないせいで、危険に巻き込まれかねない」


「分かっている。これから話すつもりだ」


「ソフィ、君はアロイス様のウィークポイントだ。前にも警告したはずだ。アロイス様の足を引っ張るような真似は慎め」


 私を睨んでからパトリスは、巡察官に崩落事故の調査結果を説明してくると言って立ち去った。

 カサンドラとアンヌも部屋から出て行き、アロイスと二人だけになった。


「ソフィ、本当に大丈夫だった? よく見せて」


 アロイスは長椅子に腰かけている私を抱き寄せ、私を見つめた。

 涼を求めて、袖なしの淡黄色と乳白色の繻子の胸の下でサッシュを結んだストンとしたドレスを選んだのだけれど、アロイスは滑らかな生地の上から怪我がないか確かめるように撫でた。

 彼に触れられると、触れられた先から熱が身体に灯っていくようだった。


「いい匂いがする」


「話をするのでしょう? 私も話したいことがあるの」


 私の首筋に顔を寄せて来たアロイスを、手で押し戻した。

 そうは言っても日中、色んなことがあって疲れ果てた後で、再びこの夕暮れにアロイスの腕の中で身体を預けていられるのは心地よかった。


「話したいこと? もちろん聞かせて。愛しい人」


 アロイスは私と目を合わせ、ちゃんと聞くつもりがあるという真面目な顔をしてみせた。

 彼の手は、私のハーフアップにした髪を梳るのを止めなかったけれど。


「治療院の薬局のことよ。もちろん私が担っていたのはごく一部だけれど、作った丸薬とかを納品していたし、薬局の仕事も午後から二刻ほど手伝っていた」


「僕の妻になったのだから君が働く必要はないが、薬草園ハーブガーデンは君が維持したいのだろう?」


 頭ごなしに、全部やめろと言われなかったことにほっとしながら、頷いた。


「できれば薬作りと治療院への納入は、これまで通り続けていきたい。薬局で働くのはきっと無理ね」


「君が外に出るときには、然るべき護衛を付けることになる。それ以外は、ソフィの好きなようにしていい」


 剣や槍を持った護衛付きの薬師を想像して、首を振った。


「そうね、やっぱり常識的に考えれば、あなたの妻が薬局で働くわけには行かない。そのかわり薬草園ハーブガーデンを大切にするわ」


 私がそういうと、アロイスはほっとしたような顔をした。


「それから、ヨハンだけど。彼は冒険者ギルドに登録して、依頼クエストを受けたの。私が許可して二、三日この町を離れる」


「ヨハンが冒険者? もうそんな年齢になっていたのか?」


「正式なギルドメンバーになるには、15歳にならなければだめだけど、見習いだから」


「壁の外は危険だが、あいつもいっぱしの男だということか。君の従僕だ。好きにすればいい」


「それでね、ヨハンの旅の装備を整えるのに、お金が必要だったの。女官長に話して、銀貨二十枚を用意してもらったんだけど、マルクの奥さんにお見舞いに行ったときにも見舞金を渡したから、もう手持ちのお金が無くなってしまったのよ」


 アロイスの眉がピクリと上がり、顔をしかめた。


「必要なお金は使っていい。好きなだけ無駄遣いをしてもいいんだよ」


「あのね、たくさんは要らないけど、ある程度のお金は持っていたいの。急に何かで必要になることもあるかもしれないし。細々としたことで一々、色々な人に許可を得て書類にサインするのは、ちょっと……」


「もちろんだとも。女官長に言えば、すぐに用意できるようになっているはずだ」


「でも、もうもらった銀貨を全部使ったと言ったら、何て言われるか」 


「――女官長が君に、何か言ったのか?」


 彼の真紅の瞳が光を帯びる。

 雲行きが怪しくなってきた。アロイスに告げ口をしたいわけじゃない。

 

「彼女は、何というか……職務に忠実よね?」


「当たり前だ。仕事に応じた報酬を支払っている。だが、何か勘違いをしているようだな。よく言っておこう。

 話したいことは、それだけ?」


「まだあるの。マルクのことだけど、いつ会えるかしら」


 マルクについてどう話そうか、どこまで打ち明けていいのか、まだ迷っていた。


「そろそろ、二度目の生に目覚める頃合いだね。変えられた直後は、不安定なんだ。個人差もあるけど、最初の頃は血に飢えている。マルクの作り主リゼットが、面倒を見るだろう。目覚めた後しばらくは不死者アンデットとしての生き方を、から学ぶんだ」


 アロイスが不死者アンデットについて語ると、不安な気持ちが押し寄せた。


「できるだけ早く会って、話をしたいの。マルクの奥さんに頼まれているし、こんなことになる前に彼は血の中毒者ブラッドジャンキーのことでなにか情報を掴んでいたみたいなの」


「何だって? どうしてすぐに言わなかった?」


 私の腕を掴む彼の手に力がこもり、痛みを感じて顔が歪んだ。アロイスは「ごめん」と言って手を離した。


「詳しい話を聞く前に、崩落事故があったし。信憑性がどれほどあるのか分からないけど、彼はルニエ商会の名前を出していたわ」


「そうか、分かった。この件は僕に任せてほしい。マルクは、そのうち落ち着いたら会えるよ」


 そのうちじゃあ、困るのに! マルクが目覚めたら直ぐにでも会って、光の民のことを話し合わなければいけないのに。


「それで、結婚したばかりなのに他の男に会いたがる妻を、僕はどうしたらいい?」


 私を抱き上げると、アロイスは寝室へ向かった。薄紅色の天鵞絨のカーテンが垂れ下がる天蓋ベッドへ連れて行かれる。


「まだアロイスの話を聞いていないわ」


「僕たちはお互い、心配事があって緊張している。リラックスしてから話そう。

 ――僕に会いたかった?」


「とても、とてもよ」


「日没が待ちきれなかったよ」


 胸の下で結ばれたサッシュをアロイスがするりと解く。

 私たちはそれから、半刻ほどお互いに夢中になる時間を持った。

 熱情が去った後は、すっかりくつろいだ気分になっていた。

 こうしてアロイスの胸にもたれ、ぴったりと身体を寄せ合っていると、心が満たされていく。


「君に話さなければいけないことは、必要に応じてその時々に伝えていくつもりだった。例えば、さっきのマルクの話だけれど――」


 幸せな時間は終わり、また現実と向き合わなければならないようだ。


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