第20話 トネリコ亭


 

 結局、私が町へ出かけるのにカサンドラの他、護衛のため衛兵二人を付けられることになった。御者のトビー爺を入れると三人だ。

 いつもよりゆっくり走る馬車の横を、衛兵が並走しているのを見てため息をついた。

 私の付き添いに複数の人間が必要だというなら、治療院で働きたいと言い張るのはわがままでしかない。


 治療院に着くと、衛兵たちまで一緒に中までついて来た。


「外で待っていて」

「いいえ、そういう訳には行きません」


 私たちが玄関から入って行くと、待合室で順番を待っている患者や、受付の修道女シスターオレリアが目を丸くして見ている。

 さすがに薬局の中にまでは付いて来なかったけれど、二人の衛兵と侍女が待合室に立っているのは迷惑だろう。


「なんか、物々しいね。さすが伯爵さまの奥方だ」


 薬師のピエールが小さく「ヒューッ」と口笛を吹いた。


「ごめんなさい。こちらがどうなっているか気になって、様子を見に来たの」


「うん……まあね。ソフィが伯爵さまと結婚したって聞いた時は驚いたけど。

 城から知らせは来ているから、こっちは心配いらないよ。患者さんの薬は、とりあえず処方箋だけ渡して町の薬屋で購入してもらうことになった」


「そう。それだとお金のない人は、薬を手に入れられないわね……」


「伯爵さまが、何か考えてくれるだろう?」


「そうね。――他に変わったことはない?」


「実は……また血の中毒者ブラッド・ジャンキーの患者が何人か来てさ」


 ピエールは声を潜めた。


「それも、腐った血を飲んだらしくて。ここに担ぎ込まれた時、最初は食中毒かと思ったんだけど。

 マルク警備隊長も不在だし、これ以上あいつらが面倒を起さないように、女神さまに祈っていたところさ」


 普通に考えたら『貴族の血』が、そんなに出回るはずがないのに。

 ルニエ商会の手の内に居るマルクが、ますます心配になる。

 もちろん私に何かできるはずもないから、アロイスに相談するしかない。


 看護士が処方箋を薬局に持って来たので、ピエールは待合室に座っている患者に説明をしに行った。


「婆さんの関節痛に、鎮痛剤と湿布の処方が出てるから、ここから一番近い丸木橋のタンプルの薬屋に行きな。この処方箋を出せばわかるから」

「その紙切れと引き換えに、薬がもらえるのかい?」

「金は自分で払うんだよ」 

「何だって? 薬屋の薬は高くてとてもじゃないけど買えないよ……」



 私は治療院から、西ランタン通りのマルクの妻の実家に向かった。


 リディの実家は、町の西はずれに位置した小さな見すぼらしい家だった。

 まだ幼い少女が背中に赤ん坊をおぶって、庭先で洗濯物を取り込んでいる。

 家の前で馬車を停めて私とカサンドラが降りると、少女は驚いて手を止めた。

 家の中からは子供たちの声が聞こえた。


「こんにちは。リディがこちらにいると伺ってまいりました。ソフィが来たと伝えて頂ける?」


「リディ叔母さんは、トネリコ亭に行っているよ」


 トネリコ亭はこの近くにある食堂で、リディはそこで働き始めたという。

 話を聞けば、ここはリディの母親と兄夫婦が住んでいて、彼女の父親はもう亡くなったとのことだった。

 小さな狭い家で大勢の家族の中では、リディも居づらいだろうと思った。 

 少女に場所を教えてもらって、食堂へと向かった。


 教えられたその場所は、通りから奥まった路地裏にあった。

 馬車を降りて路地裏を歩いて行くと、後ろからカサンドラが「本当に、こんなところへ行くんですか?」と嫌悪を滲ませて言った。

 頭上には、石とレンガ造りの建物の間にロープが張り巡らされ、洗濯物が翻っている。舗装されていない路上に、食用の青トマトや丸ピーマンの植木鉢や壊れた家財道具などが置かれ、麻布の貫頭衣を着た子供たちが裸足で歩いていた。


「嫌なら馬車の中で待っていてもいいのよ、カサンドラ」

「いえ……」


 場違いな私たちに、路地裏の住人達からの冷たい視線を感じる。目当てのトネリコ亭の看板を見つけると、ほっとした。

 護衛達には店の外で待ってもらうように説得したけど、治療院の時と同じで聞いてもらえない。

 扉を開くと、薄暗い店内は幾つかのテーブルと椅子が置かれ、食事時じゃないせいか客は数人の男たちだけだった。カウンターの奥の棚には何種類かの酒樽が並んでいて、夜は酒場になるらしい。


「何の用だ」


 カウンター越しに、店の主人が胡散臭そうにこちらを見た。


「……ローラン?」

「ソフィ、か」


 ヴィーザル村のローランだ。彼がいたずらっ子だった昔、広場の大樹から落ちて鼻の上を怪我したときの傷跡が薄く残っている。

 以前、人からローランが店を持ったと聞いた時には、マルクに頼んで開店祝いの花を贈ってもらったはず。この店だったのかと、改めて不躾にならないように店内を見回した。


「久しぶりね。ローランが元気そうでよかった。ここには、リディに会いに来たの」


「リディなら奥にいるよ。でも、そいつらは営業妨害だ、外に出ろ」


 ローランは衛兵たちに店の扉を指したが、彼らは動かなかった。


「いや、ここで待たせてもらう。俺たちも仕事なんで、悪く思わないでくれ」


「ローラン、ごめんなさい。少しだけリディと話をさせて」


 私は持って来た銀貨を数枚、迷惑料のつもりでローランの手に握らせた。ローランは肩を竦め、カウンターの羽目板を外して私を中に通してくれた。

 カウンターの中は狭く、白シャツにズボンのローランに触れずにすれ違うのは、ギリギリの距離だった。

 私と身長も同じくらいの優男風のローランに威圧感はないけれど、彼の氷蒼色アイスブルーの瞳は冷たく光っていた。


 カサンドラにも衛兵と一緒にそこで待つように言ってから、カウンター奥の扉を開けて廊下を真っすぐに進んだ。

 廊下の突き当りは厨房があって、リディと息子のジョスが丸椅子に座ってジャガ芋の皮を剥いていた。


「リディ」


「ソフィさま!」


 リディが、丸椅子から慌てて立ち上がった。


「体調は大丈夫なの? お腹に赤ちゃんが居るのに」


「ええ。実家に居ても落ち着きませんし。ここはマルクの友人のローランがやっているお店なので、あたしの事情も知っているし」


「ジョス、あなたは?」


 小さな男の子に話しかけると、恥ずかしそうに俯いた。


「ここに来ると、食べ物をもらえるから……」


 リディはジョスに「外で遊んでおいで」と声を掛け、私を狭い休憩室に案内した。壁のフックには鞄やエプロンが吊り下がっている。

 彼女はレモネードの入ったゴブレット お盆トレイに載せ、「どうぞ」と微かに震える手で渡してくれた。

 部屋の中は暑くて、井戸水を汲んで作ってくれたレモネードは甘く冷たくておいしかった。


「手紙を読ませてもらったわ。直ぐに連絡できなくて、ごめんなさいね」


 私は銀貨の入った袋を、リディに渡した。ヨハンとローランに渡した残りの銀貨が全部入っている。


「今の手持ちのお金で少ないかもしれないけど、ジョスに美味しいものを食べさせてあげて」


「ソフィさま……すみません」


「いいえ、謝らなければいけないのは、私の方なの。マルクがあんなことになって……」


 ふいにぐらり、と視界が揺らいだ。いったい、どうしたのだろう。


「本当に、すみません。あたしたち、こうするしかなくて――」



 身体の力が抜け、リディの声が次第に聞こえなくなっていく。私は木の床に倒れ、目の前が暗転した。



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