第19話 手紙
ルイーズが女官長の部屋を退出すると、女官長は私に話しかけた。
「私に御用がある時は、ソフィさまがわざわざこちらに居らっしゃらなくてもよいのですよ。侍女のカサンドラにおっしゃって下されば、私から伺います。それで、どのようなご用件ですか?」
「実は、手持ちのお金がありませんので、用意していただきたくて」
「……なるほど。おいくらご用意すればよろしいですか」
どうしよう。女官長に従僕のヨハンが冒険者ギルドの依頼を受けたという話は、まだするつもりがない。
アロイスに先に話を通して置けばよかったのだけれど、こんな風にベックとすぐに旅に出るとは思っていなかったから。
「銀貨二十枚もあれば」
金貨一枚と言えばキリが良すぎて、なんとなく用途を聞かれる気がした。金貨一枚は銀貨十枚に該当する。
銀貨二十枚と言ったのは、また他に何かあった時のためにと思ってとっさに倍額を口にしていた。
「何にお使いになるかなどと、一々細かいことまで申しませんが、銀貨二十枚と言えば町で一家4人が二カ月生活できる金額です。
今回はお渡ししますが、伯爵さまの妻になったからと言って、いつでも大金を自由にできるとは思わないで下さい」
「わかりました」
女官長は、後で会計係からお金を私の部屋に届けさせると約束して、カサンドラを呼びつけた。
「あなたは、ソフィさまを一人で出歩かせて、いったい何をしていたのです!」
「も、申し訳ありませんっ」
カサンドラが入室するなり、いきなり女官長の雷が落ちて、部屋の中にビリビリとした緊張が走った
「ソフィさまには、アンヌとヨハンが付いていましたので、私はソフィさまのお部屋を整えておりました。西館から本館へ移動されたばかりですので」
「部屋の片づけなど、女中にやらせておきなさい。ソフィさまから離れてはいけません。現にお一人でこちらにいらしたではありませんか」
「かしこまりました」
私は、二人のやり取りを聞いていて居たたまれなくなり、立ち上がった。
「
「カサンドラ、ソフィさまに帽子と日傘を持って来なさい」
カサンドラは、慌てて本館三階の私の部屋に駆け戻り、息を切らしながら言われたものを手にしてやって来た。
庭を歩きながら、日傘を私に差し掛けるカサンドラに「ごめんなさいね」と謝った。
女官長に叱責されたことや、上手に庇ってあげることが出来なかったことに対して言ったつもりだった。
「いえ。これが私の仕事ですから」
彼女は固い顔のままだ。
私にアンヌとは別の侍女が付いて来たのを見て、驚いたような顔をしている。
「後でヨハンに持たせるわ」
これだけでベックは察してくれたらしく、小さく頷いた。
まるで女官長の見張りが付いたみたいで、私もベックも落ち着ついて話せなくなった。
実際にカサンドラがそうなのかは、わからないけれど。
昼食は今までのように、お天気の良い日は
本館の新しく与えられた部屋に戻り、一人で食事を済ませると、
差出人を見ると『西ランタン通り十丁目 マルクの妻リディ』と記されていた。
マルクがあんなことになって、彼の妻や息子が心配しているに違いないことを、今更ながら気づく。
私から彼らに安否の連絡をしなければいけなかったのに、あれから色々なことがあってうっかりしてしまった。
罪悪感にかられながら、ペーパーナイフで手紙の封を切る。
案の定というか、リディはその後マルクがどうなっているのか何も知らされておらず、不安が滲むような内容だった。今後のことも含め、相談に乗って欲しいと締めくくられている。
リディも息子ジョスも体調を崩し、リディの実家に身を寄せているとのことだった。
「出かける支度を」
「どちらにお出かけですか」
カサンドラに問いかけられて「治療院よ」と答えた。
どちらにせよ、午後から治療院に行く予定だったから。
「治療院のお仕事は、お辞めになったと伺っています。ソフィさまには、午後から午睡の時間を取っていただき、夜のご予定に備えるようにと女官長より申し付かっております」
「まだ辞めると決まったわけでは。納品する薬のこともあるし、とにかく治療院に行きます」
「……女官長に伺ってきます」
カサンドラが行ってしまうと、私は構わずにアンヌに手伝わせて庭仕事用の服から、薄緑色の
丁度会計係が銀貨二十枚を届けてくれたので、ヨハンにその半分を渡す。
「これでベックと一緒に、町で装備を整えなさい。私の馬車の御者は誰か、そうね、トビー爺さんにでも頼んでくれる?」
トビー爺は様々な雑用をこなしてくれる使用人で、薬草園の手伝いなども時々お願いしていた。
「ありがとうございます。トビー爺の所に行ってきます」
女官長がカサンドラと共にやって来たのは、馬車の用意が済み、アンヌを連れて本館の裏口から出ようとした時だった。
「ソフィさま、勝手なことをなされては困ります。外出には、前もって許可を得てくださいませ」
「今度からは、そうするわ」
そのまま行こうとすると、女官長はひどく憤慨したようだ。
「治療院の方では、すでに他の薬師を雇い、薬も商会を通して購入するよう言ってあります。ソフィさまが案じられる必要はないのです。もともと、お遊びのようなお仕事なのですから」
「なん……ですって?」
「ですから、ソフィさまにしかできない新しいお役目のことに集中してください。
今日は三の刻に、宴の席に着る衣装を整えるために、仕立て屋が採寸に来ることになっていますし――」
「女官長。治療院のことは辞めるにしろ、引き継ぎをしなくてはならないし、とにかく出かけます。三の刻までに戻りますから」
私が頑として譲らないのを見て、女官長は一瞬押し黙り、それから口惜しそうに「ようございます」と呟いた。
「その代わり、カサンドラをお連れ下さい」
「付き添いなら、アンヌが居ます」
「いいえ、アンヌにはこれから本館侍女の仕事内容を説明しなくてはなりませんので、付き添いにはカサンドラを」
「……分かりました。ではアンヌは残って。カサンドラ、行きましょう」
女官長とは、うまくやって行かなければならないのに、前途多難な気がした。
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