第18話 鍵となる言葉


 

 薬草小屋に、砂糖を煮詰めた甘い香りが広がった。


 今、調合用のかまどの火にかけている鍋の中身は、モカル草を使った薬草飴ハーブ・キャンディの材料だ。

 モカルの薬草飴ハーブ・キャンディは風邪の初期症状や貧血、心を癒す効能がある。


 濃い目に入れたモカルティと砂糖、水飴を鍋に入れ、掻き回さずに沸騰させる。

 一定の温度まで上げてからレモン汁を加え、火からおろして鍋底を一瞬水につける。余熱を取るためだ。

 オイルを薄く塗った容器の中に流して、触れるくらいまで冷ます。


 冷えて固まってきた飴を伸ばしたり折りたたんだりを繰り返し、中に空気を入れつやを出しながら、女官長に言われたことを考えていた。

 アロイスが同士で政略結婚する可能性とか、薬師の仕事をこれからどうするべきか、とか。


 女官長は私が身分をわきまえた上で、アロイスを中心とした生活を送るようにと言った。

 そして薬師の仕事など、他の者に任せなさいとも。


 貴族同士の政略結婚。それを聞かされた時、心の中にひりつくような灼熱の感情が湧きあがった。


 アロイスに話せば、きっと「女官長の言葉は気にするな」と言ってくれるとは思う。

 もしかすると私の話し方次第では、女官長が罰せられてしまうかもしれない。

 昨夜のルイーズを見るアロイスの目が、とても恐ろしかったことを忘れてはいけない。


 私が考えなくてはいけないのは、もっと彼の立場を知ることだ。

 彼はサシャ王によってこのノワールの領主に任命されているけれど、巡察官によって監視されているし、好き勝手が出来るわけじゃない。

 そして昼間はアロイスに代わって城代ジェラルドをはじめ他の人間達が、真紅の薔薇ブラッディ・ローズ城を守っている。


 私の言動によって、アロイスや周りの人たちに迷惑をかけないように気をつけないと……。


「いい匂いだなぁ」


 考え事をしながら薬草飴ハーブ・キャンディを棒状に成形して、はさみで食べやすい大きさに切っていると、窓からベックがひょいと顔を出してノー天気に呟いた。

 ベックは、小屋の中にずかずかと入って来て、出来たての飴をひとつ、指で摘まんで口の中に放り込んだ。


「甘いっ」


「もう、仕方のない人ね」


「これ、喉に良さそうだね! 俺にも一袋ちょうだい。明日から冒険者ギルドの依頼クエストで、エタン村まで行くんだ」


 エタン村は城から西の方角にある、まだできたばかりの開拓村だ。


「ぼくも、ベックと一緒に行きたいんです」


 ヨハンが飴作りの作業の手を止めて、私の方を向いた。


「えっ、ヨハンも? 大丈夫なの?」


「商隊の護衛なんだけど、ヨハンは御者もできるしね。他に中堅どころの冒険者も何人かいるから心配ないよ」


 私は思わずアンヌと顔を見合わせた。アンヌも知らなかったようで、驚いている。

 ヨハンは当分、町の周辺の依頼クエストを受けると思っていたのに。


「……分かったわ。気をつけて。ベック、ヨハンをお願いね」


「任せて。ヨハンのことはちゃんと面倒みるし。お土産を楽しみにしてて」


 ベックは片目をつぶって、陽気に請け合った。

 彼は私がアロイスと結婚したのに、変わりなく接してくれて、それが心地いい。


「ちょっといいかな?」

 

 薬草小屋から薬草園ハーブ・ガーデンの中央の樹の下に連れ出された。

 彼を見上げれば、木漏れ陽が翡翠色ジェードグリーンの髪に反射して、キラキラと輝いた。


「ヨハンに、エタン村までの旅の支度をさせてやりたいんだけど……」


「あ! そうよね。気が利かなくてごめんなさい。お金は用意するから、ヨハンに一通りちゃんとしたものをそろえてもらえる?」


「今回はニ、三日の旅だから、丈夫なマントと靴に鞄、短刀と弓、後は三日分の保存食があればいいんだ。金貨一枚もあれば足りると思う」


「分かったわ。少し待ってて。その間に、薬草小屋にある薬で必要なものは、何でも選んでちょうだい。アンヌに言っておくから」



 私は本館一階の女官長の部屋へ急いだ。

 手持ちのお金がなかったから、女官長に話して用意してもらおう。

 今後、何かで必要になった時のために、ある程度は自由にできるお金が欲しい。

 アロイスに話してみよう。


 本館一階は主に人間の使用人が働く、厨房、洗濯室、リネン室、倉庫、使用人宿舎などがあった。二階から上は、アロイスの執務室、大広間、客室などがあり、貴族や客人が使用していることからの階と呼ばれることもある。


 女官長の部屋の扉をノックして中に入ると、そこには女官長とルイーズ、その付き添いの女中が居た。

 私を見て驚いた顔をしている。


「まあ、ソフィさま。供も連れずにどうなさいました?」


「ええ、ちょっと女官長に用があって……」


 ちらりとルイーズを見ると、彼女は長椅子から立ち上がってお辞儀をした。


「では、わたくしはこれで失礼しますわ。こちらには、城をお暇するご挨拶に伺いましたの。

 ソフィ、わたくしたちはこれまで行き違いがあって、親しくなれないままお別れすることが残念ですわ」


 まるで別人かと思うような、穏やかな笑みを浮かべているルイーズに戸惑う。

 あんなにアロイスに執着していたのに、随分あっさりと城を出て行く決意をしたのだと驚いた。


「わたくしは実家に帰って、父の商会の手伝いをすることにしました。また次にご縁がありましたら、その時はアロイスさまに一刻でもご一緒に仕えた者同士、よしなにお付き合いくださいませ」


「え、ええ。その、ルイーズもお元気で」


 ルイーズはくすっと邪気なく笑った。


「またすぐにお会いできるかもしれませんね。そうそう、マルクをルニエ商会で預かっているんですよ」


「なんですって?」


「女騎士リゼットさまから、父に頼まれて。そろそろマルクは二度目の生に目覚める頃合いじゃないかしら……」


 心臓がトクトクと鳴り始める。


 血の中毒者ブラッド・ジャンキー、『貴族の血』の違法売買、ルニエ商会……。


 三つの鍵となる言葉キーワードが、ルニエ商会でマルクを預かっているというルイーズの言葉によって合わさり、カチッと音がしたような気がした――。


 

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