第17話 女官長


 

「ソフィさま」


 カーテンが開かれ、窓からの陽射しが眩しい。

 もう随分と日が高く登っている。

 片手で陽光を遮りながら目を開けると、天蓋ベッドの横に侍女が立っていた。


 気だるい身体を無理に起こせば、掛けていた上掛けブランケットが滑り落ち、何も纏わぬ肌が露わになった。

 私は慌てて上掛けブランケットを手繰り寄せ、前を隠した。


 乱れたシーツの上で、寝起きのぼうっとした頭で辺りを見回せば、ここは西館に与えられた私室でないことに気づいた。

 それから昨夜から明け方までの、アロイスとの濃密な時間を思い出して羞恥に震え、思わず顔を隠すように手を当てた。


 もちろん、アロイスはもう居ない。日中は安全な場所で眠りにつくのだから。

 彼がどこで眠っているのかは、誰も知らない。最高機密トップシークレットだ。


「すみません。閣下には、お目覚めになるまで起こさないようにと申し付かっていたのですが、城代より面会の申し込みがございまして……」


「大丈夫よ。悪いけど、お湯を用意していただける?」


「浴室へどうぞ。準備は出来ております」


 アロイスの寝室から繋がる浴室に入ると、陶器で出来た金の猫足つきの浴槽にはたっぷりと湯が張られ真紅の薔薇ブラッディ・ローズが浮かんでいた。

 あちこちの筋肉が鈍く痛み、ゆっくり入浴したかったけれど、日中の城を預かる城主代理が待っているのなら、急がなければならない。

 侍女たちが西館から私の着替えを一式持って来てくれたので、素早く身支度を整えた。


 居間に足を踏み入れると、茶髪に白髪の混じった壮年の男が椅子から立ち上がり、一礼した。


「伯爵さまより、昼間の城を任されているジェラルドと申します」


 ジェラルドは、絹の上着ジャケットにゆったりとした脚衣ブラカエに革靴という上品な身なりをしていた。


「ソフィです。よろしくお願いします」


「この度は、ご結婚おめでとうございます。私は先日の崩落事故の視察のため数日城を離れていて、今朝帰城しました。昨夜の祝宴には出席できず、お詫びいたします」


「いえ、急なことでしたから――。上下水道の崩落事故の影響はどうでしたか?」


 私はジェラルドが先に椅子に座り、私にも座るように促したことを心に止めた。

 つまり、城代から格下の扱いをされているということに。

 ルイーズの言っていた『伯爵の人間の妻の地位など、大したことはない』という話は本当のようだ。


「現場では、事故の遅れを取り戻すために尽力していました。ただ、事故の原因が血の中毒者ブラッド・ジャンキーによる人為的なものかも知れないのが、引っかかりましたが――」


血の中毒者ブラッド・ジャンキー……」


 あの事故に血の中毒者ブラッド・ジャンキーが関与……どういうことなんだろう。

 早くマルクが覚醒すればいいのに。ルニエ商会の話も聞けないままだ。


「ああ、これはソフィさまにお話するようなことではありませんね。それで、これからのことについて、ですが――」


 城代が手を叩いて合図をすると、控えの間から女官長が入って来た。


「女官長のブリジットです。これからソフィさまのお世話は、私どもが責任もってやらせていただきます」


 赤茶けた髪を後ろでシニョンにきっちりとまとめ、首元を絹のネッカチーフで覆い、紺の制服を着た中年の女官長とは、この城に私が来た時からの付き合いだったけれど、どこかよそよそしいまま今日まできていた。


 ジェラルドは「何かあれば女官長に相談するように」と言って席を立った。


「では、ソフィさまのお部屋にご案内いたします」


 女官長は歩きながら、私に説明した。


 私に対して城の予算が設けられ、この本館に一室が与えられること、私の世話の責任者は女官長で新しく侍女もつけられるというような、内容だった。


「アンヌはどうしていますか? これまで通り私の側で働いてもらうつもりなのです」


「ご心配なく。西館のソフィさまのお部屋の片づけが終わったら、こちらに来るように言ってあります」


 部屋は本館三階の客室の一つで、アロイスの居室から離れていた。

 家具は一通り揃っていて、私の西館の荷物もすでに運びこまれていた。


「こちらは、カサンドラ。ソフィさま付きの新しい侍女です。カサンドラ、厨房に行ってソフィさまの朝食を持って来なさい」


「はい。女官長」

 

 カサンドラが行ってしまうと、女官長は私に長椅子に座るように勧めた。

 それから女官長もローテーブルを挟んで向かいに座り、一つ咳払いをしてから話し始めた。


「伯爵さまの伽についてですが。事前にお話ししましたように、お務めが終わったらすぐに退出しなければいけません。今日のように伯爵さまが去られた後も、ご寝室で寝過ごすなどもっての外です」


 女官長の明け透けな言葉に、カッとなり顔が熱くなった。


 確かにアロイスの居室は、寝室、居間、控えの間を挟んで執務室に通じている。

 公的な場所にも近いから、私がいつまでも寝過ごしてはいけなかった。


 でも女官長の言い方は、教会で式を挙げた彼の妻に対するものとは思えない。

 彼女は、何か勘違いしているのかも……。


「私は伯爵さまがこの城に来られる前から、こちらに勤務させて頂いております。

 前の領主さまの時は、の奥方様がいて、人間の側女も大勢いらっしゃいました。

 伯爵さまも、いずれの奥方様を娶らなければなりません。

 ソフィさまもそのおつもりで、身の程をわきまえて下さいませ」


「アロイスは、私以外のひとと結婚したりしないわ!!」


 思わず椅子から立ち上がって、大声で叫んでいた。


 そんな自分に呆然とする。

 いったい、私はどうしてしまったのだろう。

 これまでルイーズや他の人たちに、何か嫌なことを言われたりされたりしても、気にしないように聞き流して来たのに……。


 小姓と共に、お盆トレイに朝食を載せて戻って来たカサンドラが、驚いて入口に立ち尽くしている。


 女官長は私を憐れむような表情をした。


同士の結婚は、政治的なものなのですよ。王命ということもあります。

 だからこそ、あなたはわきまえた上で伯爵さまの心と身体をお慰めして、支えて頂かなければなりません」

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