第11話 決断



 上階の手すりを乗り超え、リゼットが下へと飛び降りた。他にも数人いた騎士たちが、リゼットの後を追うように次々と地上階へひらりと降り立った。


 リゼットは真っ先に腰に佩刀している細剣レイピアを抜き、黒い影を切り刻んだ。

 しかし手応えはまるでなく、ただいたずらに空を切るばかり。


 司教たちの幻惑によって現れていた、聖堂内の真紅の薔薇ブラッディ・ローズの花吹雪は跡形もなく消え去り、女神像も元の姿に戻っていた。


 我に返った人々は悲鳴を上げ、我先にと聖堂の外へ出ようと扉に殺到した。


「危ないっ」

「押さないで!」

「キャァアアア」


 聖堂内は、パニックを起こした人々で大混乱となった。


 押されて転倒する者、前に居るものを押しのけようとする者、転んで踏まれ悲鳴を上げる者たち。



 出現した巨大な影はそれ以上何もすることなく、次第に薄れ、消滅してしまった。


 リゼットは、混乱を避けて壁際に移動していた私たちの所へ来た。

 

「怪我はないか?」


「はい。でも、今のはいったい――」


「さあな。他の騎士たちは地下を捜索に行ったが……」


 私はマルクがどうなったのか不安で、壁際の側廊を通って壇上へ向かった。


 途中で、中二階から聖歌隊の人々が降りて来たのとすれ違う。

 司教と僧侶たちは、真っ先に逃げ出していてすでにここには居ない。


 壇上では魔法陣の中にマルクが寝かされたままで居て、小さなジョスが側に倒れている。


 マルクは虫の息だった。


 ――では、蘇生リザレクションの儀式は最後まで完了されてなかったのね!


 後ろからついて来たリゼットは、ジョスの首筋に手を当て、脈を測った。


「大丈夫、命に別状はない」


 ジョスについてはほっとしたが、マルクが――。


「マルクは死んだんですか?」


 ヨハンが呆然として呟いた。アンヌは泣き出している。


「いや、まだだ。命の煌めきが残っている。それも、後少し……」


 リゼットの言葉に絶句する。

 こんな時に、マルクの妻はどこに居るのだろうと辺りを見回した。

 聖堂はガランとして、椅子に座って放心している者や通路に数人、気を失って倒れている者がいたが彼の妻は見当たらなかった。


「私なら、この者に第二の生を与えることが出来る。どうする? 一線を超えさせるか?」


 まさかリゼットは、私にマルクを 不死者アンデットに変える決断をここでしろと?


「……それは、王の許しがなければ出来ないはずですよね!?」


 頭の中が混乱して、様々な感情が渦巻いていた。

 このままでは、マルクが死んでしまう! そう思うと冷静な判断なんかできるわけない。


 が脳裏によぎり、胸が締めつけられるような苦しみに喘いだ。


「私は前の主の所で長く仕えた褒美として、眷属を一人作ることを許されている」


 何てこと! でも何故? 彼女が許されているとしても、ここでマルクを眷属にする理由が分からない。

 私に決めさせようとする、意図も。


「まあ、私はどちらでもいい。もうすぐその男は死ぬ」


 アロイスがここに居てくれれば――! 私の代わりに、決めて欲しかった。


 ジョスやマルクの妻のことを思った。

 マルクが死んでしまったら、身重の彼の妻と幼い子供はどうなってしまうのだろう。

 そして、マルクは数少ないヴィーザル村の仲間で、幼馴染だった。



「――お願い、リゼットさま。マルクを助けて」


「わかった」 


 ああ、また私はを重ねようとしている――!



 リゼットは素早く自分の手首を咬み切ると、マルクの口に押し当てた。

 マルクはリゼットの血を流しこまれて咳き込み、口から血が溢れた。

 それでも少しは飲み込んだのか、やがて身体が痙攣を始めた。


 次に一度手を離すと、マルクを抱き起して首筋を咬んだ。長い牙の口づけファング・キス

 マルクの身体に流れるすべての血を飲み干してしまうかのよう。

 ……本当に飲み干してしまったのかも知れない。包帯から覗くマルクの肌が干からびているように見えた。


 リゼットの手首の傷はすでに再生されて跡形もなかったが、再び咬み裂いてマルクに血を飲ませた。

 今度は零すことなく飲み下している。


 私たちは、ただ震えながらそれを見ていた。

 両側にいたアンヌとヨハンが、私の手をぎゅっと握りしめた。

 ふたりは私の決断を、どう思ったのだろう。


「これからこの者は数日間眠り続け、再び目覚めた時は――私の眷属になっている」


 私は頷いた。喉がカラカラに乾いて、すぐには声が出ない。


「しばらくは、私が面倒を見ることになる。として生きていく術を、の私が教えなければならないからな」


 貴族は、自分が眷属にしたものとの関係性を親子に例えている。

 彼らの言い回しだと、リゼットは親、マルクは子になる。


「どうか、マルクをよろしくお願いします」


 私はなんとか声を絞り出し、深々と頭を下げた。


 聖堂の地下を調べに行った騎士たちが戻って来たので、リゼットは彼らと話をしに行った。



「ソフィさま、顔色が真っ青です。もう城に帰った方が」


「ええ、アンヌ。あの人たちにジョスのことを頼んだら帰りましょう」 


 僧侶や警備隊が、静かになった聖堂の様子を確かめるために、扉の向こうからこちらを恐る恐る覗いているのが見えていた。


 私は彼らのところまで行ってマルクについて簡単な説明をし、壇上で眠っているジョスの保護をお願いした。

 警備隊たちは、マルクがリゼットによってに変えられたと知ると、ひどく驚いていた。

 僧侶はマルクが死なずに済んでほっとしている様子で、胸の前で女神ヘルの印を結んだ。



 ヨハンが聖堂前の道に馬車を寄せ、私とアンヌが乗り込むと、後ろからリゼットがマルクを肩に担いで入って来た。


 城に着くと、リゼットは再び大柄なマルクを軽々と馬車から降ろした。


「マルクが目覚めるまで、太陽の光に当たらない安全な場所を確保して寝かす。伯爵にも今夜のことを報告しなければならない。私はこれで」


 私たちは不安な気持ちで、騎士館に向かうリゼットを見送った。



 今夜も、騎士たちによって討伐された魔獣が、庭の一画に積み上げられていた。

 騎士たちは主に、町や村、街道周辺で狩りをする。夜の間に危険な魔物や魔獣たちを駆除し、商人や旅人の物流が滞らない程度に街道の治安を保たせている。


 今日の獲物は殺人蜂キラー・ビー土蟲ワームのようだ。


 その解体作業をしているのは、冒険者ギルドから派遣された人々だ。

 魔石や必要な部位を素材や食肉として取り、残りは 真紅の薔薇ブラッディローズの肥料になる。


 魔物や魔獣の養分をたっぷり吸った 真紅の薔薇ブラッディローズは、一年中花を咲かせる。

 そして 真紅の薔薇ブラッディローズは、魔物や魔獣たちから人々を守ると信じられている。


 たちは、この真紅の薔薇ブラッディローズを好んでいた。アロイスも。

 王都でも、この薔薇がいたるところに植えられているという。

 


「そこの、金髪のお嬢さん」


 暗がりから突然姿を現した、見知らぬに息が止まるほど驚く。


「このノワール地方は、金髪美女が多くていいね!」


 次の瞬間には、目の前に移動していて、私を見降ろす。

 漆黒の長い髪を後ろでひとつに束ね、一重の切れ長の紅い目、褐色の肌をした青年は、胸の前で襟を重ね、腰で帯を留め、その下に脚衣ズボンを穿く、東地方風の服を着ている。


「ねえ、君。知ってる? 金髪の人間の血は美味しいんだ」 


 ニタリ、と笑った口元に鋭くとがった牙が覗いた。



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