第12話 巡察官


 半月より膨らんだ十日夜の月――は傾き、夜明けまであと三刻ほど。


 まだ夜の住人たちの時間は、終わらない。


 見慣れぬ衣装を着たは、私の腰に手をまわすとそのまま一緒に飛んで、木陰に移動した。


「「ソフィさまっ」」


「お前たちは、そこで見ていろ!」


 アンヌが悲鳴を上げ、ヨハンが駆け寄ろうとするのを、男が制止した。


 暗がりの中で、の赤い目が爛々と光っている。


 ごつごつとした樹の幹に身体ごと押しつけられ、身動きが取れない。


「ここはアロイス――伯爵の城。あなたが好き勝手にできる場所では、ないはずです」


 震える声で睨みつけると、男はくっくっと笑った。


「いいねぇ、その目つき。お前、名前は? 俺はユー・シュエン。ユーが姓でシュエンが名だ」


 にしか姓は許されてないが、中原のほとんどの地域では名が先に来て姓が後になる。東地方を除いて。

 

 ――なんで東地方出身のがここに居るの?



 もう、うんざりだった。今日はそれでなくても色々なことがあり過ぎたから。


 崩落事故、それからマルクの儀式が失敗して、リゼットにマルクを眷属に変えさせてしまったこと。


 そして今また、風変わりな衣装を着たに絡まれている。


「私はソフィ、伯爵の専属の者です。放して下さい」


 こう言えば、他のは私に手出ししないはず……。


「へーぇ、そうなんだ」


 ユー・シュエンは、私の言葉にも構わず首筋を咬んだ。


 痛みの次に来る、冷たい戦慄。

 アロイスとは違う、ぞっとするような愉悦に涙があふれる。

 アロイス以外のに咬まれるのは初めての経験だった。


 血を吸われて一瞬意識が飛び、気づけば咬み痕を舐められていた。


「……想像以上に旨かった。もっと血の旨味が増すようにしてみたくなる」


 パシン!


 思わず、この男の頬を叩いてしまった。

 その手を掴まれ、振りほどこうとするけれど放してくれない。


「面白い腕輪ブレスレッドをしているなぁ」


 ユー・シュエンは私の手首を持ったまま、顔を近づけた。アロイスが、私を守るためにつけた腕輪をしげしげと眺めている。


「この腕輪ブレスレッドは、封印の付与エンチャントが施されている。こんなものを付けて、いったい君は何者なんだい?」



「――ユー・シュエン卿、こんな所におられたのですね」


 アロイスの副官、パトリスが配下の騎士を数人連れてこちらにやって来た。


「お探し申し上げておりました。さあ、伯爵もギルメット卿もあちらで待っておられます」


「ちっ! もう来やがったか。……ソフィ、また今度、な」


 ようやくユー・シュエンから解放されて、肩の力を抜く。


 彼らが行ってしまうと、もうこれ以上何かが起こる前に早く西館の部屋に帰ろうと思った。


 その時。


「問題を、起こすな」


 パトリスがいつの間にか引き返して来ていて、私の手を捻り上げた。


「……っ! 私は、何も」


 言いかけて、口をつぐむ。

 本当に、何もしてないと言い切れるだろうか。マルクのこともある。


「今のは王都から来た巡察官の一人だ。あいつに近寄るな。大人しくしていろ。

 アロイス様に迷惑をかけたら、許さん」


 パトリスは私の返事も待たず、言いたい事だけ言うと居なくなってしまった。


 痛む腕をさすりながら、アンヌとヨハンに「帰りましょう」と声を掛けた。


「ソフィさま……」

「大丈夫よ、アンヌ、ヨハン。もう夜も遅いわ。部屋へ、急ぎましょう」



◆◇


 ――遅い時間に目が覚めると、外は雨だった。しとしとと降る草木を潤す甘雨だ。


 身体がだるくて気力が沸かないのは、お天気のせいではなく。

 昨日から深夜にかけて様々なことが起き、寝たのが明け方近くだったから。


「悪いけど、今日は治療院を休ませて頂くわ」


 アンヌに頼んで町の治療院へ使いを出してもらうと、午前中は何するともなく部屋でぼうっとして過ごした。



 午後になると、ベックがお見舞いだと言って訊ねて来た。


「よく西館長が許したわね」


 西館の提供者の居室に、外の人間が来訪するのには西館長の許しが必要だ。

 親族でもない異性は、許可されにくいと聞いている。


「うん。西館長さん、俺のファンなんだって。すぐに通してくれたよ。

 それと俺の歌が気に入られて、城で雇ってくれることになったの」


 ベックに与えられたのは、使用人用の大部屋だけど、寝に帰るだけだから問題はないという。


 アンヌがモカル茶モカル・ティと数種類のベリーパイを持って来た。

 モカル茶の爽やかな香りと、焼き立てのパイの香ばしい匂いに、ベックはくんくんと鼻を動かし笑顔になった。


「バターのいい匂いだね。甘酸っぱいベリーとパイがよく合いそうだ」


 ――お茶うけにベリーパイを出すなんて、アンヌもこの吟遊詩人が気に入っているのかしら。


「どうぞ、召し上がって。アンヌ、ヨハンも呼んで来て。みんなでお茶にしましょう」


 掃除をしていたヨハンもやって来て、四人でにぎやかなお茶の時間を楽しむ。


 ベックは、冒険者ギルドの初依頼クエストを面白おかしく話してくれた。


「じゃあ、本当に下水道で灰ネズミや闇コウモリに遭遇した時、歌ってやっつけたの?」


「そうさ! やっつけたのは雷神の槌トール・ハンマーのメンバーなんだけどね」


 冒険者ギルドでベックは、名前だけは立派な初心者パーティ雷神の槌トール・ハンマーに声を掛けられ、下水道のスライム駆除に行ってきたという。


 ベックが言うには、町の地下に張り巡らされた下水道には最近、スライムの他にネズミやコウモリ、トカゲなどの小魔獣、場所によっては幽霊レイスまで出ることがあるそうだ。


「もちろん! 俺は歌って踊れる吟遊詩人だから、大活躍だったのさ」

「踊りも!?」


 ベックは吟遊詩人らしく、臨場感たっぷりに語りだした。

 突然幽霊レイスが現れて、パーティが驚き一目散で逃げ回ったあげくに下水の中に落ちた話や、大量のスライムに囲まれてピンチになったことなどを、笑いあり、涙ありで語った。


「俺が不思議な踊りを踊ると、魔物あいつらも動きにつられて一緒に踊るんだ。そこを雷神の槌トール・ハンマーのメンバーたちが攻撃して――」


 陽気で元気いっぱいのベックの話を聞いて笑っていると、昨日の憂さが晴れるような気がした。


「想像以上に危険な依頼クエストだったのね。怪我しなくてよかった」


「うん。俺は回避能力が高いからね! えへへ」


「また、ギルドの依頼クエストを受けるの?」


 ヨハンが、うらやましそうな顔で聞いた。


「そうだなあ。そのつもりなんだけど……」


「なあに、何かあるの?」


依頼クエストを達成して、ギルドに戻ったら巡察官のユー・シュエンが居てさ。どぶ臭いって追い出されちゃったんだよね。あのいけ好かない奴の顔は、見たくないなあ」


「ユー・シュエンを知っているの?」


「少しね、王都に居た時、会ったことがある」



 巡察官は、サシャ王の代理人として派遣される、地方領主や教会聖職者を監督する官職だ。

 彼らは国王の代理として大きな権限を持って、定期的に地方を巡回している。

 聖職者と武官の各一名でなり、地方政治を監督、また民衆の役人やギルドへの不満を聞き、場合によっては裁判を行い、王に報告する。


 ベックの話では、今回の巡察官のもう一人のギルメット卿は異端審問官で、最近王都を中心に勢力を伸ばしつつある地下組織『光の教団』が地方にも及んでいないかを調べるために、このノワール地方に派遣されたという。


 そしてユー・シュエンは、近衛騎士団などには属さない王直属の武官で変り者だという話だった。


「あいつは、伯爵さまを調べに来たんだろうね。巡察官だからそれが仕事なんだろうけど。伯爵さまのサシャ王への忠誠心を、変な形で試されなきゃいいね」


 私は昨夜のユー・シュエンやパトリスの言葉を思い出し、不安がよぎった。


 ――どうか何事もなく、ユー・シュエンたちが一刻も早くノワールから立ち去りますように……!


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