第5話 吟遊詩人


 

「俺は旅の吟遊詩人、ベックだよ。どうぞよろしく」


 ベックは帽子を取り、芝居がかったように深々とお辞儀をした。


「どうやって、ここに入って来たんだ?」


 ヨハンがベックに問いただした。


「お城の宴の余興にと呼ばれたんだよ。まだ時間があるから庭を散歩していたら、ここを見つけた。ポカポカいい陽気だし、つい、うとうとして寝ちゃったんだ。

 それから、お姉さんがいじめられているのが聞こえた。兵隊さんを呼ぶ振りするのは、町でやばい時に使う手なんだけど、うまくいって良かったね」


 翡翠色ジェードグリーンの髪を後ろ一つに縛り、そばかすを散らした顔に髪と同じ色の大きな目をした若者は、愛嬌たっぷりの笑顔を見せた。


「まあ……助けてくれて、ありがとう。私はソフィ、この二人はアンヌとヨハン。あなたは、その、そんなに若いのに、壁の外を旅しているの?」


 真紅の薔薇ブラッディ・ローズの壁の外の世界は、危険な魔獣や魔物に脅かされている。

 たった一人で旅をしてるわけではないだろうけれど、それでも驚いた。


「うん。よかったら、旅であちこち見聞きした珍しい話をしてあげるよ。

 人々が船で行きかう水上の都、雲の上に浮かぶ天空の城、塩の湖、火の川、氷の国の空にかかる光のカーテン……。サシャ王の治める中原以外の辺境の地にも、行ったことあるよ。

 それとも、王都で流行っている恋の歌を歌おうか?」


 舞台挨拶の口上のように抑揚をつけた語り口に、アンヌやヨハンが期待に顔を輝かせた。

 壁に閉ざされた中で暮らす私たちにとって、外の世界は夢のようなお伽噺話だ。


「もちろん、とっても聞きたいわ! ただ、その――お金の持ち合わせが。後で用意することは、出来ると思うの」


 後の方は尻つぼみに声が小さくなってしまう。必要なものはみな与えられていたし、アロイスに言えば大抵のものは用意してくれる。この薬草園ハーブガーデンだってそう。

 ただ、お金だけは持たされていなかった。


「じゃあ、お金の代わりにこの薬草園ハーブガーデンの薬草で、旅に持っていく常備薬なんか作ってもらえるかな?」


 ベックは辺りの薬草を、興味深げに見まわした。


「ええ、それなら。胃腸薬の丸薬や傷薬の軟膏、熱さましに毒消し……定番のお薬ばかりだけど、私が作ったもので良ければ」


「これ、モカル草だ。お茶にしても美味しいし、お風呂に入れると良い気分になれる」

 

 彼は私たちの持っている籠のモカル草を摘まんで、匂いを嗅いだ。


「良かったらモカル草も持っていって。私たちはこれから、これを小屋に干すの。その後であなたのお話と演奏を聞かせて頂けるかしら」


 するとベックは手伝いを申し出てくれたので、四人で薬草小屋へ行き作業をした。

 頭上に張り巡らされた麻の紐に、束ねたモカル草を逆さにして吊るしていく。


 小屋には薬の調合のためのかまどもあるし、私たちが作業や休憩をするための机や椅子も置いてある。


 作業が終わったところで、アンヌがモカル茶モカル・ティを入れた。

 乾燥させれば保存が出来て、旬の季節以外でもモカル茶モカル・ティを楽しめるけど、新鮮な取れたてのモカル草で入れるお茶は一段と香りも良く、濃厚な風味が楽しめる。

 

 小屋の窓から薬草園ハーブガーデンを眺めながら、甘い林檎の香のするお茶を飲んで一息つくと、ベックが口を開いた。


「あの樹は、誰が植えたの?」


 ベックは窓の外から見える、薬草園ハーブガーデンの中央の樹を指した。


「私よ。故郷から持って来た苗を植えたの。ここの薬草も、ほとんどが村から持ち出した種や苗を育てたの」


「へえ、ソフィの故郷から。俺、行ってみたいな! どこにあるの?」


「もう……私たちのヴィーザル村は、数年前の魔獣の襲撃で跡形もなくなってしまったの。

 村の中央広場にあった大樹も焼け落ちてしまった。でも倒れた大樹の側に、奇跡的に苗が残っていた。

 村のみんなをいつも見守っていたあの大樹のように、ここでも私たちを見守ってくれたらって思って植樹したのよ」



「ソフィさま、どうして会ったばかりのよその人に村の話を……」


 アンヌとヨハンが、咎めるような眼差しでこちらを見た。


「いいの。だってベックはあの樹を気に入ってくれたんだもの。そうよね?」


 私の言葉にベックは驚いた顔をし、それから頷いた。


「うん、もちろん、大好きだよ。ずっと探してたんだ。じゃあ村の人たちは、みんなこの町に移住したの?」


 探していた? あの樹を? なんの変哲もない、ただの樹なのに。


「いいえ、村の人たちは……魔獣から子供たちを助けるために犠牲になってしまった。生き残った子供、つまり私たちはたちに救出されて、このクレモンの町に来たの」


「じゃあアンヌとヨハンも、ヴィーザル村の?」


 ふたりが頷いた。


「アロイス……伯爵と副騎士団長のパトリスもよ。二人はになってしまったけど。

 あなたも知っての通り、この世界ミズガルズでは不死者アンデットたちが、自分たちのことを貴族と呼んで私たち人間を支配している。

 アロイスはサシャ王によって眷属……いえ貴族にされたの。そして、パトリスはアロイスが貴族にした。そうしなければならなかったの。私たちが、生き残るために」


 ベックは何か言いかけて口をつぐみ、それから謝った。


「辛い話をさせちゃったね」


 それから弦楽器リュートを手に取り「お詫びに」と弦をかき鳴らし、歌い始めた。


 暖かな陽だまりの中にいるような歌だった。


 神々と竜がまだ世界ミズガルズから去って行く前の神話の時代、大地が傷つき汚れる前のこと。

 清流を渡る風、花は咲き乱れ、緑豊かな森に金髪緑瞳の美しい人々が住んでいる。彼らは世界樹ユグドラシルに守られ、また彼らもその森を守っていた。やがて神々の黄昏ラグナロクに世界樹が枯れ果てるまで――。


 初めて聞く歌なのにどこか懐かしく、故郷ヴィーザル村の情景が思い出された。


 お日様の下でアロイスと手を取り草原を駆けたこと、狩りをする父、優しい母の手。広場に生い茂る守り神の大樹。

 気づくと頬に涙が伝い落ちていた。


 アンヌたちを見るとふたりも涙を零していた。それは悲しみの涙ではなく。楽しかった村の思い出に癒され、心に小さな希望が灯るような……暖かい涙。


 最後の旋律が奏でられ、その癒しの歌が終わる。涙を拭いもせず、私たちは手を叩いて拍手をした。


「素晴らしかった。ベック、ありがとう」

「村の守り神の広場の大樹を思い出したわ」

「ぼくは父さんと母さんの笑顔が見えた――」


 私たちが口々に賞賛すると、ベックは嬉しそうに微笑んだ。


「えへへ。俺の歌そんなに良かった? もちろん自信はあるんだけどさぁ。もっとほめてくれていいよ」


 それからちょっと真面目な顔になって。


「俺は探しものがあってずっと旅をしていたんだけど、見つかったみたいだ。しばらくここに留まろうと思う」


 ベックは再び弦楽器リュートを構えると、都で流行っているという陽気な歌を歌い、旅の間に見聞きした面白い話を聞かせてくれた。


 私たちは、すっかりこの不思議な若者の歌と語り口に魅せられてしまった。

 そして、いつまでもこの地にいてくれたらいいのに、と伝えた。

 

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