第4話 薬草園
「今日は、モカル草を短く刈ってしまうわ」
私とアンヌ、ヨハンは汚れてもよい綿の服にエプロンを掛けて、城の西館の庭にある
「はい、ソフィさま、これを全部ですね」
モカル草は風通しの良さを好むので、そろそろ刈り込んでやらなくちゃと思っていた。
茂みの前にしゃがみ、柔らかな茎を、鎌でザクザクと刈って横に積んでいく。
辺りにはモカル草の爽やかな甘い、林檎のような香りが漂った。
去年は雨が続いた時に枯らしてしまったけど、今年は上手くいったと、顔がほころぶ。
「この薬草は、今度入浴の時に使いますか?」
アンヌもモカル草の香りが気に入ったようた。
「モカルは
故郷の村で薬師の母から学んだことを、同郷の二人に伝えるのは私の自己満足かもしれない。
ふたりが
でもこうして一緒に、
「――あとは小川でさっと洗って束にして、
薬草園には小さな泉から流れる小川が引いてある。そして薬草園の傍らには、作業と薬の調合をできる小屋が建てられていた。
そうして収穫したモカル草を入れた籠を持って、立ち上がろうとした時だった。
「ソフィさま、あそこに誰かいます」
ヨハンが指をさしたのは、薬草園の中央に植えられた樹の根元に寝ている若い男の姿だった。
大きな帽子を顔の上に乗せ、仰向けになって足を組んでいる。側に洋梨を半分に切ったような形状の
「どこから入って来たんだろう。追い出して来ます」
「いいの、悪い人じゃないみたいだし。そのまま寝かせて置いてあげましょう」
若者のいる方へ足を踏み出したヨハンを引き止め、私たちは小川に移動した。
モカル草を洗い終え、再び薬草園に戻ると、ルイーズたちがこちらに歩いて来るのが見えた。
散策をするにしても、
彼女たちがここに来るようなことは、今までなかったと思う。
いったい、どうしたのだろうと、怪訝に思っていると、ルイーズはつかつかと近づいて来て、私に指を突きつけた。
「ねえ、どういうこと? ソフィ、あなたいったい、どんな汚い手を使ったの」
「何のことだか、ちゃんと説明してもらわないと、分からないわ」
感情的になっている彼女を落ち着かせようと思い、ゆっくりとしゃべる。
「ふん、惚けるつもりなのね。わたくしたち、女官長から突然言われたの。今月いっぱいで契約を終了って。でも順番からしたら、あなたが先に城を出て行くべきでしょう? おかしいわ」
アロイスや他の
そうすることによって
『提供者』は、大抵一、ニ年もすれば契約を終了して城を出て行く。
稀に契約期間を延長する者もいるけれど……私がそうだ。
ようするに貴族たちの気持ち一つ、気まぐれで変わる。
「ここはあなた方が居るべき場所じゃない。早く城を出た方がいいわ」
「何よ、偉そうに――!」
「あなた、この間の夜のこと、告げ口したの?」
「本当のこと言いなさいよ!」
あの夜、びしょ濡れで部屋にもどった私たち。
ヨハンから詳細を聞いたアンヌは、アロイスに話すべきだと言った。
でもそんなことをしたら、アロイスがルイーズたちにどんな罰を与えるか分からない。
ふたりには固く口留めをしてある。
私のためにアロイスが報復するだろうと、うぬぼれているからではなくて。
アロイスは人間が
それに、忙しいアロイスを些細な揉め事で煩わせたくなかった。
「告げ口なんかしてない。でも、私の言い方が気に障ったのなら、ごめんなさい」
原因はともかく、ルイーズたちとこれ以上言い争うのも億劫で、なんとか穏便に引き取ってもらいたかった。
「適当に謝ればいいってものじゃないわ」
そんな私の態度が、余計に彼女たちの怒りに火をつけてしまったようだ。
「あなただけが、アロイスさまの専属って訳じゃない。わたくしだって、指名されたの。それなのに契約終了なんて」
ルイーズが背筋を伸ばして、きっと睨んだ。
貴族は気に入った提供者を、自分の専属に指名することがある。
私たちは血を吸われ過ぎると、身体が弱って死に至る。そうならないために、貴族は複数の『提供者』から少しずつ、血を飲んでいる。
『提供者』が専属になれば、他の貴族は手を出さず独占できるから、より多くの血を飲むことができる、ということらしい。
「ソフィだけ二人も使用人がついて、特別扱いされているのは分かってる。でも」
アンヌとヨハンは、私が
彼女たちからしてみれば、それが特別扱いに見えてしまうのかもしれない。
他の少女たちだって、日中は届けを出せば町に行くことも可能で、城の女官たちを通じて行儀作法や機織り、裁縫、料理などの手に職をつける訓練をすることもできた。
また、契約期間中は報酬も支払われることから、貧しい家の少女たちが大勢応募していると聞いている。
不意にルイーズのうるんだ瞳に気づいてしまった。
では、彼女は本当にアロイスのことが好きなのだ。
でも――彼は人間じゃない。いくらアロイスを好きになったとしても、報われることはないのに。
そう思うと、ルイーズたちが可哀想にも思えた。
「馬鹿にしないで!!」
パン!
振り上げられたルイーズの手が、私の頬を打った。乾いた音と共に痛みが走り、ジンジンと熱を帯びて来る。
「ソフィさま」
アンヌがよろけた私を支え、ヨハンが前に出て私とルイーズの間に入った。ルイーズの取り巻きの娘達も、彼女を守るように囲い込んだ。
「衛兵さ――んっ、こっちです! 喧嘩だぁ、乱闘だよぅ。はやくはやく! あそこに、怖い女の人たちが居ますよ――」
突然、鈴のように響く声が聞こえた。あの若木の側で寝ていた若者が立ち上がって、城の方に手を振り衛兵を呼んでいる。
「なっ、何よ、あの子! 乱闘なんて、うそばっかり。――もう行くわよ!」
ルイーズたちは慌てて
「大丈夫ですか? 血が」
アンヌに言われてから気づく。口の端が少し切れたようだ。
「ええ、大丈夫。それより、衛兵が来ても、何もなかったことにして」
やっぱり大事にしたくなくなかった。彼女たちの為というより私が、なるべく波風を立てず平穏に過ごしたかったから。
「――衛兵は来ないから、平気だよ」
「ちょっとお芝居をしたの。お姉さんが困っているみたいだったから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます