第3話 血の弊害

 

 

「行ってらっしゃいませ、ソフィさま」


 アンヌに見送られ、ヨハンが御する馬車に乗る。

 今日は午後から、調合した薬を持ってクレモン城下町の治療院へ出かけた。


 治療院は町の教会の敷地にある。働いているのは主に教会から派遣されてきた修道女や僧侶たちで、奉仕活動の一環として町の人々の治療を行っている。

 その他にかかる費用――建物の修繕、使用する機材、薬や備品等――は、領主のアロイスが負担している。


 安価な費用で治療を受けることが出来る治療院は、貧しい人々にとって大きな助けになっていた。


 この日も治療院の待合室は、午後になっても大勢の人々でごった返していた。


 受付係の修道女シスターオレリアは、緊急性の高い病人かどうかを確認しつつ、番号札を配っている。

 裏口から入って来た私と目が合うと、オレリアは笑みを浮かべてくれた。


 待合室の隣にある薬局の窓越しに、忙しそうに立ち働く薬師のピエールが見えた。


「こんにちは、ピエール」


 彼は嬉しそうに微笑んだ。


「やあ、ソフィ、助かった。今日は忙しくて、まだ昼食を食べてないんだ」


 薬局の中に入ると、午前中に城で調合した薬を入れた篭を机の上に置き、手を洗った。エプロンを掛け、三角帽子をかぶって身支度を整える。


「今日はどんな薬が処方されたの? 足りなくなったものはない?」


「子供用の熱さましや咳止めシロップが多かったよ。風邪が流行り始めているみたいだ」


「そう。じゃあ明日は、蜂蜜シロップを持って来るわね。水薬用の」


 蜂蜜シロップは苦い薬が飲めない小さい子の為に、ひと匙シロップを垂らして甘味をつけてあげるのだ。

 蜂蜜は貴重品だけれど、私の薬草園には蜂箱を置いてあり、自家製の蜂蜜を採ることが出来た。


 昼食に行ったピエールと交代すると、入れ違いに看護士のシモンが処方箋を持って来た。


「ソフィ。これ、お願いするよ」 


 サミュエル老医師の処方箋を受け取ると、レイモンは声をひそめた。


「また血の中毒者ブラッド・ジャンキーが運ばれて来たんだ。治療院だって迷惑なのに」


 待合室の方から女の喚く声と暴れているようなガタン、バタンという物音、制止する人々の怒声などが聞こえて来る。


修道女シスターオレリアがひとりで対応しているの?」


「いや、もう教会から応援が来てる。町の警備隊にも連絡した」


 血の中毒者ブラッド・ジャンキーは、最近この町で問題になりつつあった。


 の血は、魔力と力に満ちている。その血を飲めば健康になり、若々しく居られる。


 そんな話がまことしやかに噂されていた。実際に教会で時折行われる蘇生リザレクションの儀式は、『貴族の血』が触媒に使われているのも噂への信憑性を高めた。


 闇市場で売買されている『貴族の血』は、非合法のせいで保存状態も悪く、さらに紛い物の血が交じっていることもある。それを飲んで発狂したり、薬物中毒のような症状を起こしたりする事件が相次いで起こっていた。


 血の中毒者ブラッド・ジャンキーの治療法は今のところなく、血の効果が解けるまでどこかに閉じ込めておくしかない。



 薬局の窓から覗くと、荒れた生活に身を持ち崩したような女が、修道士たちに取り押さえられ、町の警備団員達に引き渡されるところだった。


「ねえ、お願いだよ! 『貴族の血』を頂戴。さもなきゃ、誰か貴族を紹介して。いくらでも、あたしの血をあげるから、だから――」


 真っ赤な髪は、染めているのだろうか。目の下には濃いくまが出来、目元、口元にしわが刻まれている。不摂生の為かひどく荒れた肌をしているけれど、かつては美しかったのかもしれない。


 警備隊は、そのまま彼女を詰所へと連行して行った。


 ざわついていた待合室も落ち着きを取り戻し、私は処方された丸薬をササの葉で包んだり、傷薬などの軟膏をクルミの殻に入れて患者に渡すなど、忙しく働いた。


 

 診療時間が終わる頃、警備隊長のマルクがやって来て、サミュエル医師に任意の事情聴取を申し込んでいた。先程の血の中毒者ブラッド・ジャンキーは、この治療院の受診したことがあるという。


 マルクも私と同じ村の出身だ。ヴィーザル村の人々は金髪碧眼が多いのだけれど、彼も日に焼けて白っぽくなった金髪に空色の瞳の、たくましい身体つきをした青年だった。警備隊長としてこのクレモンの町の治安維持に奔走している。



 マルクはサミュエル医師の話を聞いた後、帰る前に薬局に立ち寄って私に声を掛けた。


「ソフィ。元気か。アンヌとヨハンは?」

「ええ、私たちは元気よ。マルクの所は?」


 彼はこの町の人と結婚して、男の子がいた。


「ああ、変わりない。今度、二人目が生まれるんだ」


 マルクは照れくさそうに告げた。


 同郷のマルクに、ニ人目の子供。おめでたいことなのに、胸が締めつけられる。


 私とアロイスも何事もなければ、今頃は……。


 あわててそんな考えを振り払い、笑顔を作った。

 残された数少ないヴィーザル村の仲間なのだから、幸せを喜ばないと。


「それは、おめでとう! なにか、お祝いを用意しなきゃね」


 彼はもごもごと口の中で礼を言ってから、警備隊長としての厳しい表情に変わった。


「ところで、あの血の中毒者ブラッド・ジャンキーの女は、違法に『貴族の血』を所持していた。詰所で、女の所持品を調べたら、見つかったんだ」


 ベルトの革製ポーチから、小さな瓶を取り出して私に見せた。ほとんど空だけど、瓶底に黒っぽい血のようなものがこびりついている。


 ……いったいこの血はどののものなのだろう。


 私は城のたちの顔を、次々に思い浮かべていた。


「何か心当たりはないか? その、城の提供者たちは、の血を与えられたりは? 密売に関係しているような者は?」


「まさか! 私たちは血を提供する側であって、与えられることはないわ」


 確かに、町の有力者や裕福な大商人などの中には、彼らの血を分け与えられているのではないかと疑われている者もいる。彼らが病気をしないとか、大怪我から奇跡的に回復した、とかそんな話を聞けば、誰だっておかしいと思う。

 教会の蘇生リザレクションの儀式も、優先的に有力者やお金持ちとその家族に施されていると言われていた。



「――そうか。でも、ソフィはアロイスにとって特別だろう?

 君は、人よりもゆっくりと時が流れているように見える」


「そんなことないわ。私とアロイスは……村にいた頃とは違う」


 マルクは私をじっと見つめている。本気で私が『貴族の血』を飲んでいるとでも、思っているのだろうか。


 アロイスは見た目は変わっていないが、に変えられてからは、その本質がまるで違う。

 彼は人間を支配する側なのだ。


「それにしても、貴族が、血の密売をこのまま許して置くはずがないわ。関わった人間は、どんなひどい目に合わされることか……」


 それから、私ははっとして気づいた。


「マルク! 絡みの事件には関わらないで。危険過ぎる」


「警備隊は、町の治安を維持するためにあるんだ」


 私はゆっくり首を振った。


こそがこの世界の法よ。

 でも、この件はアロイスの耳に入れるわ。その小瓶を私に――」


「いや、これは大事な証拠品だ。違法な血の売人を捕まえたら、アロイスはきちんと裁いてくれるだろう」


 マルクは小瓶を革製のポーチにしまった。



◆◇

 

 日が沈むと涼しい風が吹いた。


 真紅の薔薇ブラッディ・ローズ城のアロイスの居室からベランダに出ると、アロイスはベンチに座り私の手を取り引き寄せた。


「……君からキスをして」


 上目使いのかすれた声で、アロイスが囁く。


「いや、よ」


 立ったままで、アロイスの顔を見下ろせば、私の長い波打つ金髪が肩からこぼれ落ちてベールのように、ふたりを閉じ込めた。


 彼のを使えば、私を幻惑したり、魅了することなど容易いはず。

 だからこれはただの『お願い』だ。


 だって、私はいやと言えたでしょう?


「本当に、いやなの?」


 彼の切なげな眼差しに負けて、私は震える唇を、彼のひんやりとした唇に重ねた。



 を終えると、血の中毒者ブラッド・ジャンキーが治療院に運ばれて来たことを話した。


「それで?」


「闇市場で違法に『貴族の血』が売買されているらしいの。警備隊長のマルクが、血の売人を捕まえて、アロイスに裁いてもらうって」


「仕事熱心な男だね、マルクは。末端の売人を捕まえたところで、トカゲのしっぽ切りにしかならないと思うけど……」


 『貴族の血』は力と健康、若さをもたらすと町の人たちの間でまことしやかにささやかれている。


 ただし、効果は継続的ではない。


 だから、血を求める人々が後を絶たないし、闇市場では高額な値で取引をされている。

 いずれ町では血の中毒者ブラッド・ジャンキーが問題になってくるだろう。


「誰が血を売人に渡しているのかしら」


が、金目当てに血を売るとも思えないな」


 思案しているアロイスの、丹精な横顔を眺める。


「ねえ、アロイス。私はこの城に来て何年か経つけれど……」


「そう。もうそんなに経つんだね」


 アロイスはベランダの柵の下にまで伝っていた真紅の薔薇ブラッディ・ローズを一輪摘んで、口づけた。

 はらはらと花びらが散って、枯れて行く。


「私が『貴族の血』を飲んでいるんじゃないかと、年を取るのがゆっくりだと言われたの」


「それは、ないな。僕の目から見れば、君は確実に死に近づいている」


 彼は枯れた薔薇をベランダの下に捨て、私の手を取った。


「……なら、いいんだけれど」


「良くないよ。君は僕を置いてひとりで逝くつもり? 長い時を一緒に生きよう、とは思ってくれないの?」


 私は彼の胸に顔を埋める。こうして耳を当てても、彼の心臓の鼓動が聞こえることはない。

 

 が眷属を増やすには、不死者アンデットの王の許可がいる。


 許可なく眷属にすることは出来ない。命令は絶対だ。

 簡単に許可は下りず、相当な対価を要求されることだろう。

 これ以上、アロイスには何ひとつ犠牲になって欲しくなかった。


 そして夜にだけ動く不死者アンデットになり変わるのは、とてつもなく恐ろしいことに思え、背筋がぞくりと震えた。

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