6話 母の願い


数年後。遂に俺は、人生の転機を迎える事となる。


「おはよう、イロン。遂に10歳だね」


朝、イグニス兄さんが俺に話しかけてくる。彼が言った通り、今日が俺の10歳の誕生日だ。つまり……今日が、スキルを授けられる日という事である。


「ルストロもスキルはかなり良かったし……イロンも良いのが出るといいけど」


ルストロ兄さんは既に10歳を超え、『鏡面結界』と言うスキルを得ていた。かなり強力なスキルらしく、それを聞いた父も喜色を隠し切れていなかった程だ。


「そうだね……ひとまず、闘えるスキル。それが欲しいな」


超越者と渡り合うのに、闘う力が無いのでは話にならない。なんでも良いから闘える力が欲しいーーと、言うのが俺の願いだ。


その後はいつも通り朝食を摂り、スキルが授けられる神殿に向かおうとしたのだが……その前に、俺は父に呼び止められる。


「イロン、少し時間はあるか」


「え……まぁ、今日中に行ければ良いので問題はありませんが」


「そうか、それなら丁度良い。お前に、ブルーメから話がある」


ブルーメ、というのは俺の母の名だ。しかし俺は母とあまり話す事がなく、少し話す時も母の表情は暗かったが故にあまり良く思われてはいない……と言うのが俺の認識だ。


「母様が……?」


「あぁ、そうだ。随分と大事な話のようだぞ」


父はそれだけ言って何処かに行ってしまう。


「取り敢えず、行くしかないかな……」


俺は進路を変更し、母の自室へと向かう。今まで一度も入った事はないが、それでも場所は分かる。迷わずに廊下を進んでいき、ドアの前に立つ。


(どんな話があるのだろうか……)


心の中でそんな事を思いながら、ドアをノックする。


「母様、イロンです」


「ーー入って下さい」


ほんの僅かな間を開けて、中から母の声が聞こえてくる。声音を聞く限りでは、少なくとも怒っているわけでは無いようだ。


俺がドアを開けて中に入ると、そこにはテーブルを挟んで椅子が向かい合うように二つ置いてある。そのうちの片方に、金髪碧眼の麗しい女性ーー母、ブルーメが居た。


「どうぞ、座ってください」


母が穏やかな口調で、座るように促す。俺はその言葉に素直に従い、空いていたもう片方の椅子に腰掛ける。


「えぇと……」


何を話せば良いのか、まるで分からない。暫く何も発する事ができない時間が続き、ようやく母が口を開く。


「まず……今まであまり話してあげられなくて、ごめんなさい」


母が突如、深々と頭を下げる。突然の謝罪に俺は困惑してしまった。


「それで……どうして私が今まで貴方と話さないようにしていたのか、その理由を話しても良いですか……?」


母が申し訳なさそうに聞いてくる。特に断る理由も無いので、俺は無言で頷く。


「良かった、聞いてくれるのですね。それでは……少し、過去の話をしましょうか」


母がそう切り出し、昔話を始める。それは俺が生まれるずっと前、父が俺と同じ年齢だった頃の話ーー。




「僕は、なんとかして世界を変えて見せる!」


とある田舎の村に住む少年、カリタ=ホプリソマ。彼は生来、人一倍正義感の強い人間だった。彼は"超越者"が圧政を敷く現状に憤っていて、何度も「世界を変える」といった事を言っていた。


「もう、またそれ?何回目よ、それ」


その言葉に呆れた様に答える一人の少女ーーブルーメ。彼女はカリタの幼馴染みであり、一番の親友であり、そして彼が恋情を抱く相手でもある。


「ブルーメ、君はこの世界をどう思っているんだい?腐っている、とは思わないのかい?」


カリタはブルーメの肩を掴んで力説する。彼女からすれば、またこの話か……程度の関心であるために、揺すられる度に人形の様に首がガタガタと動く始末だったのだが。


「はぁ……カリタ、落ち着きなよ。そんな漠然とした目標を立てるより、もっと現実的に。どう変えるかってことを考えた方が良いんじゃないかな?」


続いて、ブルーメもまた何度目か分からない言葉を発する。彼等の会話に、一日たりともこの流れが無くなることはなかった。そうーーあの日までは。




その日というのはカリタの10歳の誕生日。彼が、スキルを授かった日のこと。


「世界を変える為には、やっぱ強いスキルは必須……!だからこそ、今日は大事な一日だ……!」


前日は一睡もしていなかったカリタ。目の下には隈が出来ているが、それを感じさせない元気さで彼はブルーメに話しかける。


「そうだね。やっぱ偉い人は、強くないと話も聞いてもらえないもん」


こればかりは彼女も同意見だ。弱者である平民の意見など、支配者層はこれっぽっちも聞こうとはしない。だが逆に、強さが絶対であるからこそ力を得られればその人物の全てに重みが出る。


「よし、じゃあ行ってくるよーー!」


正に、物語の主人公かのような志。もしこれが英雄譚であったのならば、彼は他の追随を許さない強力なスキルを得られただろうーーそう、英雄譚であったのならば。




彼が帰ってきたのは、その日の夜遅くだった。その眼は真っ赤に充血している。


「え……?どうしたの、カリタ……?」


いつもは明るい彼の表情が驚くほどに暗い。それだけでも、ブルーメを驚かせるには十分すぎた。


「スキル、全然良いのじゃなかった……あはは……」


ちっとも可笑しくなんかないと眼は語っているが、カリタは無理に笑ってみせる。その笑顔の、なんと頼りない事だろうか。


「だ、大丈夫だよカリタ!ほら、そのスキルについて教えてよ!どう活かせば良いか考えよ?」


「ーー聞きたい?」


そう言って、スキルの内容を打ち明けるカリタ。その内容は……はっきり言って、実用性も何もないスキル。どう足掻いても、一生に使うとしても一度が限界だろう……と、いうようなスキルだった。


「……」


その内容を聞き、ブルーメは何も話せずにいた。今の自分では、カリタの心の傷を癒すに値する言葉をかけてやる事は出来ない。そんな劣等感に苛まれ、ブルーメは奥歯を噛む。


「はぁ……でも、こんなとこじゃ終われないよね。スキル無しでも頑張れるか、試してみるよ……」


前向きの言葉を口では言っているものの、まず無理な話だというのは彼自身が一番良く分かっていた。




その後彼はスキルを踏まえて戦いに身を置くと決めた同年代の人達と何度か手合わせをしてみたが、とてもではないが勝ち目などなかった。技術においてはカリタが圧倒的に優っているのに、純粋な力の差で押し負ける。そんな理不尽を目の当たりにし、彼は変わってしまった。口調は弱々しくなり、何をするにも無気力となってしまったのだ。




「だからこそ、私は心配なのです。貴方が期待した未来が訪れなかった時、貴方の笑顔に陰りが見えるのが。貴方が未来に想いを馳せるたびに、私はカリタの姿と貴方を重ねてしまう。それが、辛くて……」


過去の話を語り終えた母の目からは、止め処なく涙が溢れていた。俺もまた、瞳に涙が滲む。


「だから、貴方の顔を直視する事すら耐えられなかったのです。本当に今まで、ごめんなさい……」


「大丈夫です、母様」


俯く母に、俺は断言する。例えスキルが悪くたってなんだって、全て乗り越えてみせる。絶対に、母に辛い思いなどさせてやるものか。


「イロン……」


母は、こちらを向いて微笑む。


「ならば、私からはあと一言だけですーー頑張ってくださいね、イロン」


涙でぐしゃぐしゃになったその笑みは、不思議と安心するような……そんな包容力を孕んでいた。

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