3話 研鑽の果てに


「イロン、少しいいか」


 あれから一年が経った頃。俺がいつも通り書斎で魔術を練習しようと歩いていると、父がいきなり俺を呼び止めた。俺は要件が見当もつかぬまま父の背中を追う。そうして辿り着いたのは、館にある訓練場だった。そこにはいくつかの的と、多種多様な武器が並べられている。


「えっと……こんなところで、何をするのでしょうか……?」


 訓練場に来て話す必要があるなど、尚更訳が分からない。少しばかり不穏に思いつつも父に問いかける。


「あぁ、まだ話していなかったな……お前、書斎で魔術を毎日練習しているだろう?」


 その言葉を聞いて、心臓が一つ跳ね上がる。まさか、止めさせられるのだろうか……そんな不安が、脳裏をよぎったからだ。


「あぁ、別に止めろと言っている訳ではないぞ。ただ……独学でやるよりは、師がいたほうが良いかと思ってな」


 続く父の言葉で、安堵と共に得心する。どうやら父は、一人でやらせて悪い癖がつく前に自らが教えようと言ってくれているのだ。この提案は、非常に有り難い。それを納得した俺は、昂りそうになっている感情を抑えつつ尋ねる。


「もう、師事してくださるのでしょうか?」


「あぁ、勿論だ。見ただけでも、お前は魔力の量が既に多い。鍛えがいもあるだろうしな」


「本当ですか!?」


 俺は感情を抑える事も忘れ、飛びつくような勢いで叫ぶ。それでも、父が面食らう事は無い。これがどれだけ魅力的な提案か、発案者自身が自覚しているからだ。


 この世界において、しっかりとした教育……それも戦闘を行う技術に関しては、学ぶ機会が滅多に無い。それもそうだろう、圧政を敷いている環境で民衆に力をつけさせれば反乱が起き、支配が揺るぎかねない。自身の地位を守る為にも、強者の種に水を撒くような事はしないのだ。勿論、父のように教育の体勢を整えている一部の賢君もまた存在する。しかしそんな恵まれた環境は、それこそ強者の元に生まれるのと同じような確率だ。結果として、殆どの人は碌な教育を受けぬまま成人し、税を納めるだけの領主の道具に成り果てる。そんな環境において、師事するという提案は如何なる飴よりも人を引き付ける事がある。


「はは、その様子なら拒まずに受け入れてくれるようだな。ならば……早速、始めるか?」


 父がそう言ってくる。俺はその問いに、力強い頷きを以て答えとする。


「よし、では……取り敢えず、まずは実力を見せてもらおうか。今できる限界の力で炎を出してみてくれないか?」


 俺は言われた通り、魔力を操作して炎の姿を脳裏に浮かべ……途端、目の前に自分の体ほどもある火柱が立ち昇る。


「ふむ……出力はしっかりとしているな。だが……未だ、無駄が多い」


 父からの評価は、満点とはいかなかった。まぁ、それも当然と言えるだろう。なにせこの体は未だ幼いし、それに誰からの指導も受けていない。言い訳に聞こえるかもしれないが、その違いはかなり大きい。


「イメージははっきりとしているか?その規模の炎に相応しいだけの魔力だけを使えているか?そしてそれらの限界を見切れているか?……指摘するならば、そんなところだな。どうだ?しっかりと出来ているか?」


 父はそのまま、悪い点を細かく指摘していく。そしてそのどれもが、俺が課題としている部分だ。実力不足を実感すると同時に、父のその慧眼に素直に驚く。自分は未だに自身の力の制御すらおぼつかないというのに、父は他人の魔術の状況の全てを容易く見抜いたのだ。これが訓練を十二分に積んだ人物の力か……と驚愕する。


「それらをしっかりと制御したうえで使うとするならば……こうなる」


 父が無造作に魔力を操り……その直後、俺の生んだものより二回りも大きい炎が現れる。


「どうだ?違いは分かるか?」


 父にそう問われずとも、俺は実力の差に呆然としていた。まず、単純に炎の規模が大きい。普通に生活していて、これほど大きな炎を見る機会など滅多に無い。その分、規模の大きな魔術というのはイメージを浮かべるのがそもそも難しい。それを完璧になしているだけでも、実力は凄まじいと言える。そしてさらに驚いた事がある。それは……


 父の魔術では、操られた魔力が余す事無く炎へと変換されている。


 魔術を行使する際に最も難しいのは、必要な魔力量の見極めだ。少なすぎればイメージとのギャップで魔術そのものが成り立たず、かといって多すぎれば俺のように余分な魔力を消費してしまう。だからこそ、必要な魔力をきっちりと操る必要があるのだが……父は、それを寸分の狂いもなく成してのけた。その証拠に、炎が消えた後には魔力の痕跡はほんの僅かも感じる事が出来ない。


「す、すごい……」


 俺は感嘆のあまり、率直な感想を言うのが手一杯だった。それに対し、父が語り掛けてくる。


「これが、理想形……というものだ。自分で使った魔術を完璧と呼ぶのは、いささか抵抗があるがな。イロンも、独学でやったとは思えないほどこれに近い。最初は、そもそも蝋燭の火ほどだって起こせないものなのだが……現に私も、初めはそうだった。それに比べれば、お前は才能がある……いや、そんな小さなものではないな。断言しよう。イロン、お前は必ず大成する」


 父がそう言い切る。それを聞いて、俺は更に気持ちが昂る。自分の書斎での努力が、無駄にはならないと父に保証されたのだ、その喜びも当然だろう。


「さて、細かい修正を始めようか。まずは……」


 そうして俺はその日一日中、魔術の訓練に明け暮れるのだった。

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