追加シナリオ 魔法使いの助手(2)
ロードとユルヴィは、ロスワイルから南東の方角へ並んで馬を走らせていた。
馬は町で借りたものだ。よく晴れた春空の下、それでも、風を切って走る馬の背では頬がひどく冷たく感じられる。道の左右には緑の牧場が広がり、放牧されている馬たちがのんびりと草を食んでいる。ユルヴィの表情は硬く、口数も少なだ。
「まだ、遠いのか。」
沈黙に痺れをきらして、彼は問いかける。
「いえ。私の故郷は――エーリガントは、この辺りです」
「ふうん。この辺りは牧場ばっかりだな、実家も牧場なのか?」
「いえ…似たようなものですが…」
「家族ってのは、両親?」
「父は、もうずいぶん前に亡くなりました。私と妹は父の晩年に生まれた子供なんです。兄がいるんですが、年が離れていて――兄は都に出ているので、家には、母と妹がいます」
「都…首都か。魔法使いなのか?」
「いえ…騎士です。騎士団に入っていて…魔法も使えますけどね」
家や家族の話になると、妙に言いよどむことが気になっていた。付いてきて欲しいと言ったわりには、何かを知られることを恐れているようでもあった。
馬を走らせながら、ふとロードは、道のずっと先のほうに目をやった。長閑な田園風景の中に突然、石壁の城壁を持つ、城のようなものが見えてきたからだ。ずいぶん古い建物のようで、外側にはびっしりと蔦がはりついている。
「何だろう。町かな?」
「あれは…この辺りの荘園を持つ荘園主の家です」
「家? へえ…随分デカいな。あんなところに住めるのか」
「ええ…」
ユルヴィは俯きがちに馬の腹を蹴立てて、途中の分岐に目もくれず、真っ直ぐに走り続ける。
「……。」
道の先は城門の中へと続いている。
「なあユルヴィ、まさかと思うけど、お前の家…」
それには答えずに、彼はただ馬を走らせ続けた。
そうして、二頭の馬は、馬上の人を乗せたまま、城門の中へと滑り込んでいった。
ユルヴィが息を弾ませている馬から飛び降りるのと同時に、馬小屋のほうからは馬丁が、建物のほうからは召使がそれぞれ駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませ。奥様が長いことお待ちでしたよ」
「坊ちゃん、戻られるんなら先に言ってくれれば…」
ごく当たり前の動作で馬丁に手綱を預けながら、彼は渋い顔をしていた。
「すぐまた出るから。母さんは何処?」
「インゲルド様なら離れのほうです。ご案内しましょうか?」
「いや、いい。自分で行く」
ロードのほうに視線で合図して、彼は足早に奥へ向かって歩き出す。手綱を預けて、彼も慌てて後を追いかけた。
(…"いい家の子"ってのは当たってたけど、まさかここまでとはなあ)
後でレヴィに報告したらどんな顔をするだろう、と思いながら、ロードは、高い城壁を見上げた。内側から見るそれは、まさしく「城壁」だ。作りはフューレンの町を取り囲む城壁に似ているが、それよりもっと強固で、もっと息苦しく感じられる。ユルヴィは、建物の中を通らずにその城壁沿いをぐるりと回って急ぎ足に歩いていた。目的地に向かうつもりのようだ。あまり人に会いたくないのだろう。
それでも、避けられない遭遇もある。
離れの建物に向かおうと庭園を横切りかけた時、すぐ側の植え込みの中から声が飛んできた。
「ユルヴィ兄さん!」
小さく叫んで立ち上がった少女は、手に花束を抱えて、驚いた顔で目を大きく見開いている。顔立ちも雰囲気もあまり似ていないが、一目で兄妹だと分かったのは、ユルヴィと同じプラチナ・ブロンドの髪だからだ。活発そうな目をして、まじまじとユルヴィを見つめている。
「…ヒルデ」
驚いているのは、ユルヴィも同じだった。
「ご無事だったのね。とつぜん居なくなったって聞いて…、心配してたのよ! 今まで何してらしたの」
「あの… えっと」
ロードは、じろりとユルヴィのほうを睨む。
「…家族に何も言わずに出てきてたのか。」
「いや…除隊の申請は出したし、家の賃貸とか、必要な手続きは…」
「そういう問題じゃないだろう。」
「そうよ、そういう問題じゃないの。わたしたちには何も仰ってないわ。どうして<王室付き>を辞めたりしたの? 今までどこにいたの? いつ帰って来たの? この人は誰?」
スカートをたくし上げ、少女は大胆に植え込みを乗り越えながら矢継ぎ早に質問を繰り出す。
「戻って来たのは、お母さんに申し開きをするためなんでしょう。いつまで、こちらにいらっしゃるの? これからどうなさるおつもり?」
ユルヴィは壁際に追い詰められていく。
「あーえっと。…おれはロード。ユルヴィの友達で、里帰りについてきて欲しいって言われたから来ただけ」
ユルヴィがすがるような視線を向けてきたので、あわてて付け足す。「あとは本人が説明してくれる」がっかりした顔になるユルヴィを見て、ロードは小さく、"説得は自分でするんだろ?"と口の形を作る。
「…やりたいことが出来たんだ」
ユルヴィは、仕方ないという顔で重い口を開く。
「やりたいこと? 何それ」
「それはいえないけど。調べたいこと…違うな。知りたいこと、かな。だから…しばらく家に戻るつもりはないよ」
「ふーん、それで、お母さんを納得させるおつもり?」
「……。」
少女は、腕に抱えた花束から一輪、花を取り上げてくるくると指先でまわす。
「そんなあやふやな話で説得できるわけないわ。兄さんが勝手に<王室付き>を辞めて居なくなったって知らせが届いて、そりゃあもうすごい剣幕だったんだから。探偵を雇ったり、捜索隊を出したり。ご自分でフューレンまで行かれたりもしたんだからね。それでも足取りが掴めなかったものだから、ますますおかんむり。」
「…すごいお母さんだな」
ちらりとユルヴィを見ると、彼の額には、既に汗が浮かんでいる。
「それでも…話さないと。家族に納得してもらうのが条件なんだ」
ユルヴィは勇気を奮い立たせるようにそう言って、ヒルデを押しのけるにようにして離れのほうに歩き出した。だが、足取りはいまひとつ覚束ない。
「あの様子じゃ、説得どころじゃないな…。」
「そうよね。しかも悪いことに今、ヴァーデ兄さんも戻ってきてるのよね」
少女は隣でのんびりと花の香りを嗅いでいる。ロードがちらりと視線をやると、少女のほうも彼を見上げた。
「ユルヴィ兄さんは友達って言ってたけど、あなた、<王室付き>の人じゃないでしょ? アステリア人?」
「まあ一応。友達っていうか――正確には、ユルヴィが<王室付き>だった頃に少し世話になって、それからの付き合いってとこかな」
「ふーん。じゃあ、噂の暗殺者ってあなたのことなの?」
「…暗殺?」
「兄さん、主席魔法使いのリドワン様を暗殺に来たアステリア人と顔見知りだったそうで、内通を疑われたって話だから。その尋問の最中に行方をくらませたの。結局その後、どういうわけかリドワン様が不問にしてくれたお陰で大事にならずに済んだらしいんだけどね」
「……。」
ロードは溜息とともに額に手を当てた。間違いない。間違いなく、自分たちのことだ。
「まあいいわ。あなた悪い人じゃなさそうだし、兄さんが頼ってるみたいだし」
ヒルデは、ちらりとロードの腰のナイフに目をやると、くるりとスカートを翻した。
「ごきげんよう。生きて城を出られるといいわね」
「ああ、お気遣い痛み入るよ…」
すれ違いながら、彼は今更のように、とんでもないところへ来てしまったなと思い始めていた。そして、ユルヴィの気持ちが少し分かった気がする。
彼が重い足取りで歩き出したとき、ユルヴィは丁度、少し先で離れのドアを押し開くところだった。
通された部屋は、それまでロードが体験したどんな建物とも雰囲気が違っていた。
白い木枠の窓にはレースのカーテン、大理石の床には分厚い絨毯。隅々まで気配りの行き届いた装飾に、どの調度品をとっても年代ものの高級品だ。上品なビロウド張りの天井にはつる草模様が描かれ、重たそうなシャンデリアが提げられている。
そう広いわけでもないのに、まるで大ホールにいるような気分で、なんとなく落ち着かない。そわそわと視線を彷徨わせる横で、ユルヴィは唇を噛んだまま、じっと息を押し殺している。
やがて、二人が入ってきたのとは別の奥の扉が開かれた。
現れたのは、初老の女性だ。貴婦人という言葉が相応しい出で立ちと、威厳を兼ね備えている。女性は素早くユルヴィを頭のてっぺんから足の先まで舐めるように視線を走らせ、ほっと一つ息をついた。
「どこも怪我などはないようですね。無事に帰ってきたこと、まずは嬉しく思います。ですが――説明してもらわなければならないことが沢山あります。分かっていますね?」
「…<王室付き>を辞めたことですよね。ご期待に沿えず申し訳ありません。ですが私は、別にやりたいことを見つけたのです。」
「それはどういうものですか?」
「今は…言えません」
「この半年、ずっと何処にいたのです?」
「それも言えません」
「その、連れの男は誰です?」
「友達です。彼は関係ありません。たまたま近くに来ていたので、案内がてら付いてきてもらっただけで…」
インゲルドは、話にならないという顔で首を振ると、後ろの扉のほうへ振り返った。
「だそうよ。ヴァーデ、お前からお尋ねなさい」
「は」
老婦人の出てきた扉の影から、もう一人の人物が姿を現した。ユルヴィの体が強張るのが分かる。
――それは壮年の、恰幅の良い大柄な男だった。服の袖口からは、見るからに屈強そうな腕が覗き、胸元には家紋のようなブローチが輝いている。軍人らしい歩き方、それに、日焼けした強面に生え揃った口髭が、さらに雰囲気を恐ろしくさせている。
年の離れた兄がいるとユルヴィは言っていた。では、これがその兄なのだ。
じろりとロードを睨んでから、男はよく通る低い声で口を開いた。
「ユルヴィ。お前にかけられていた嫌疑はまだ晴れていない。だが、リドワン様の取り計らいで例の件は不問とされた。<王室付き>に戻れ。それがお前にとって最善の道だ」
「いいえ、戻りません。道は自分で決めます。あそこは、もう嫌なんです」
震える声で、ユルヴィは即座に言い返す。
「何故だ。栄光ある<王室付き>に入ることは、お前にとっても夢だったはずだ。何の不満がある?」
「…彼らは戦争を望みます」
そう言って、彼は必死に顔を上げた。相手から目を逸らすまい、臆するまいとしているのが伝わってくる。
「効率的に人を傷つけるすべなど教わっても、私は嬉しくありません。王も将軍も、戦いがあらねば存在意義はないと考えておいでです。故意に戦いを起こそうとさえしていた。我々は――いえ、私は、そのようなことのために力を磨くのはごめんです。」
「ああ、ユルヴィ」
ヴァーデは眉をひそめて、大きく首を振った。「力こそが国を守る全てだ。我らに力なくして、いかにして千年の王国が守れようか? 将来仇なすものを先んじて潰すもまた政策の一つ。お前が気に病むことはない。大人しく命に従っていればよいのだ」
コツ、コツと足音を立てながら、男は部屋の中をゆっくり歩く。
「なぜ、急にそのようなことを言い出した? 一体、何があったのだ。お前が言うこととも思えん。その男によからぬことでも吹きこまれたのか」
「違います! ロードは関係ありません」
「ふむ」
ぴたりと、ヴァーデは足を止めた。ロードのすぐ目の前だ。
「アステリア人のロード、か。リドワン様に無礼を働いたのも、その男だな」
射るような眼差しが、じっとこちらを見つめている。
「調べはついているぞ。貴様、アステリアの<王立>の院長と懇意で、頻繁に出入りしているそうだな」
「いや、あれは仕事っていうか。知り合ったのはたまたまだし、おれはあの人たちとは――」
「ユルヴィ。いい加減、目を覚ましなさい、お前は騙されているのですよ」
後ろで見守っていたインゲルドが、重ねるように口を開く。
「悪い魔法使いの口車に乗ってはいけません。アステリアなど、裏切り者の集まりではありませんか。由緒正しきこのド・シャールの家を利用しようしているのに違いありません。これ以上の恥さらしは許しませんよ」
「は? 利用って…一体」
「問答は無用だ」
ヴァーデがぱちりと指を鳴らすと、部屋の左右のドアが勢いよく開かれた。銀の鎖帷子に身を包んだ使用人たちが、ばらばらと駆け込んできてロードとユルヴィの肩や腕をつかんだ。
「え? ちょっ…」
「何をする!」
「悪く思わないで頂戴ねユルヴィ。これもお前のことを思って」
「母さ…」
ユルヴィの声が途切れた。目の前で、黄色い光がちらついた。
(…何だ?)
体の力が抜けて行く。
「連れていけ」
どこか遠くで、ヴァーデの声が響いていた。天井がぼやけ、意識が霞む。ロードは自分の体が、まるで荷物のように担がれて運ばれてゆくのだけを感じていた。
覚えていられたのは、そこまでだった。
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