追加シナリオ 魔女の棲む森(3)

 再びやってきた水晶の谷は、予想に反してしんと静まり返っていた。今日は盗掘者たちの姿は無い。

 「ヨハンー! カルルー!」

フィオの呼び声が、谷間にこだまする。

 「…いないな」

見回していたフィオが、小さく声を上げて崖の下を指差した。

 「待って。あれ」

岩の間に、見覚えのある麻袋が落ちている。目の部分に穴を開けて、子供たちが顔を隠すために被っていたもの。谷間に下りて拾い上げてみると、それは確かに、あの時ヨハンとカルルのどちらかが持っていたもののようだ。

 「やっぱり、ここに来たんだ。」

 「ってことは、このへんにいるのか?」

辺りを見回していたロードは、谷の先に、何かちらりと動くものを見つけた。

 「…なんだ、あれ」

 「どうかした?」

わざとらしく姿を晒しながら、こちらをを振り返りつつ、よたよたと逃げていく小太りな男が一人。この間、谷間を掘り起こしていた盗掘団の一人だ。こちらを誘導するための罠としか思えない。

 「どういうことかしら?」

 「行ってみるしかないな」

男は谷を抜け、森の外へと駆けていく。ロードたちは一定の間隔を置いて後を追った。やがて行く手に、木々の切れ間が見えてきた。

 辿りついたのは、廃屋と化した古い農場跡の建物だった。木造の小屋は朽ち果てて屋根も落ちてしまっているが、石造りのサイロだけは残っている。塔のように見えるその入り口が、訪問者のために開け放たれていた。

 薄暗いサイロの中に入っていくと、人の気配がした。暗闇に目を凝らすと、奥のほうで待ち構えている複数の人影がある。そして、片隅からは小さくしゃくり上げる声が聞こえた。

 「あんたたち…」

フィオの声を聞きつけて、縛られて転がっていた少年たちが顔を上げた。

 「あっ、魔女様! ごめんなさい、つかまっちゃって…ごめんなさい…」

 「うええ、魔女様ぁ」

二人とも、泣きはらしたような顔をしていた。特に幼いカルルのほうは頬が真っ赤になって、鼻水が顎まで垂れている。

 「静かにしろ」

側に立っていた男が足で少年たちの背中をどやしつけるのを見て、フィオは怒鳴った。

 「ちょっと、子供に乱暴はやめなさい!」

 「乱暴なんてしないさあ。あんたが大人しくしててくれさえすればね」

用心棒たちが、手に手に剣やら棍棒やらを持って近づいてくる。背後に気配を感じて振り返ると、いつのまにかサイロの出入り口も人垣で塞がれている。

 「…おっと、そっちの兄ちゃんもだ。動くなよ」

どこからともなく手早い男が近づいてきて、ロードの腰のベルトからナイフを抜き取る。

 「へえ、ナイフに魔石なんてはめ込んでるのか。変わったシロモノだな。おっと、こっちは太陽石か。こりゃ値が張りそうだ」

 「手を挙げてろ」

剣を突きつけられて、ロードは大人しく両手を頭上に掲げた。その腕から腕輪も抜き取られる。

 「ちょっと、どこ触ってんの!」

隣では、フィオが手を伸ばしてきた別の男に肘打ちを食らわせていた。

 「こっちは魔石は持ってませんぜ。」

 「ほう。丸腰で乗り込んでくるとは」

リーダー格の男が口を開いた。前回、谷で盗掘をしていた中にはいなかった顔だ。黒い髭を蓄えた狐目の男は、町で聞いたトニー商会の経営者の風貌と一致する。

 「もういいでしょ。その子たちは家に帰してあげて。」

 「おお、噂通りだな。森の魔女は子供には甘いと。」

 「……。」

それはフィオではなく先代のほうだろう、と心の中で思ったが、ロードは黙っていた。その沈黙を肯定と受け取ったのか、トニーは、得意げな顔だ。

 「なに、こっちもそれなりに調べたのさぁ。魔女さんよ、俺らだって家族を食わせていかなきゃならねえ。ここの魔石は高く売れるんだ。あれだけあるんだ、少しくらい分けてくれたって構わねぇだろ? な。悪いこたぁ言わねぇ、心配しなくてもあんたにも取り分を――」

 「要らない。」

むすっとして、フィオは即座に答える。「そんなことより、その子たちを離しなさい。」

 「わかんねぇお嬢ちゃんだなぁ。あんた自分の立場判ってるわけ」

 「判ってるわよ? あたしは森を守る。その子たちもね。ロードは悪いけど自分で自分の身は守って」

 「…その付け足しが怖いな」

苦笑して、ロードはそれとなく出口までの距離を目で測った。全速力で走って二秒、だろうか。

 「生意気なんだよ。魔石もなしで、何が出来るっていうんだ。多少痛い目見――」

トニーが言いかけた瞬間、ごうっという音がして、サイロの隅に積まれたままになっていた朽ちかけた飼い葉が燃え上がった。

 「ひっ」

 「もう一度言うわね。その子たちを離しなさい。今、す、ぐ、に」

周囲にいた用心棒たちが慌てて武器を構えなおす。魔法使いたちはすぐさま魔法を使う体制に入った。

 「な…何故だ、魔石は持ってなかったはず…」

 「見落としたんだろ! この、間抜け」

 (そっちは、最初から持ってないんだけどな…)

溜息をつきつつ、ロードは振り向き様、素早く隣にいた男の鳩尾に蹴りを一発入れて、腕輪を取り返す。

 「あっ、こら! 貴様――」

 「ええい、腕の一本や二本構わん! 大人しくさせろっ」

 「だってさ、フィオ」

 「へえ? いいんだ」

少女がにこりと微笑むのを見て、ロードは少し、ぞっとした。

 あの顔は以前も見たことがある。怒りで頭に血が上って無茶をやらかす前の――

 「どけ!」

追いすがる用心棒たちを立ち辺りで蹴散らし、サイロから外に飛び出した。腕輪で引き寄せたナイフが背後から追いかけてくる。振り返ると、ちょうどサイロの内部が炉のように赤々と燃え上がるところだった。

 「あーあ、こりゃだいぶ怒ってるな…」

外にいた用心棒たちは、ロードに襲い掛かることも忘れて、ぽかんとしている。

 「た、助けてくれええ」

悲鳴を上げながら顔を真っ黒に焦がした用心棒たちが転がり出してくる。その中の一人はトニーだ。拳を振り上げ、唾を飛ばして怒鳴っている。

 「ええい、魔法使いども何やってる! 高い金出して雇ったというのに、小娘一人に!」

 「無理です! 打ち消しきれません…こんな魔力…」

 「三人もいて、貴様ら!」

ロードは、小さく咳払いした。

 「誰か、忘れてないか?」

ぎょっとして振り返るトニーの足元に、ナイフが一本、突き立った。

 「ひっ」

 「おれは、あいつと違って"ただの"人間なんで、話は通じるほうなんだが…あー、まだやりたい?」

トニーは、左右の完全に戦意を喪失している用心棒たちを見回した。そして、ギリギリと歯軋りすると、すっくと立ち上がる。

 「ふん、覚えていろ!」

吐き捨てるように言って、よろめきながら何処かへ去って行く。黒こげになった用心棒たちも、慌てて雇い主を追う。その後ろで、内部から灼熱に焦がされた石造りのサイロが、轟音を立てて崩れ落ちていった。

 「あら何? もう引き上げるんだ」

振り返ると、フィオがけろりとした顔で立っている。

 「はいこれ、一本忘れてたわよ」

差し出されたものは、太陽石の短剣だ。

 「そうだった、こいつだけは戻ってこないんだったな…悪い」

 「どういたしまして」

傍らには、杖が二人の少年をぶら下げて宙に浮いている。フィオが注意を向けると、杖は高度を下げ、少年たちを地面に下ろして彼女の手の中に戻った。

 「そういう使い方ができるのか」

 「自分が飛ぶのは無理だけど、物を浮かすのは出来るようになったの。だからね。便利でしょ」

そう言ってから、フィオは、放心したようになっている少年たちの傍らにしゃがみこんだ。ポケットから取り出したハンカチで、涙と煤でぐしゃぐしゃになったそれぞれの顔を拭ってやる。

 「ごめんね、助けに来るのが遅くなっちゃって。ケガしてなくて良かった」

 「ふええ」

安心したとたん、空腹を思い出したらしい。泣き出すのと同時に、二人のお腹が盛大な音を立てる。

 「あーあーもう。泣くのとお腹とどっちかにしなさい。」

すがりついてきた少年たちを抱えながら、フィオは苦笑している。

 「この子たちを送っていかなきゃ。ロード、手伝ってくれる?」

 「勿論。…あー、それにしても随分派手にやったよな…」

崩れ落ちたサイロは、まだ火の手を上げてくすぶり続けている。

 「そう? でも誰も死んでないし大したケガもしてないじゃない。あたし、手加減したわよねぇ?」

 「…かもな。」

溜息をついて、ロードはナイフをベルトに収め直した。

 「ところで、物を浮かす魔法は出来るようになったんだよな」

 「うん」

 「その杖浮かせて掴まれば、自分が飛べるんじゃないか?」

 「……。」

フィオの動きが固まる。

 「ロード」

ふいに彼女は、大真面目な顔で立ち上がると、ロードの手を取って大きく上下に振り回した。「あんた天才だわ、ありがとう」

 「…どういたしまして…。」

結局、方法は何でもいいのだ。目的が果たせさえすれば。




 少年たちを連れて村に戻ってきた時、老人はまだ家の外にいた。ロードを見、それから二人の少年たちを見て、声を詰まらせる。

 「あ、あんた…」

通りにいた村人たちが足を止め、こちらを見ている。行方不明になっていた子供たちと、見慣れない旅人と少女と。フィオを見る視線は、ロードに対するそれとは違い、恐れにも似た感情が込められている。向かう先は、二人の家だと村はずれの酪農家だ。家が見えてくると、幼い少年たちはどちらからともなく駆け出した。そして、まるで競争のようにお互い争いあってドアを開く。

 「ただいま、おかーさん!」

元気に駆け込んできた子供たちを見て、暗い表情で椅子にかけていた母親は、飛び上がらんばかりに驚いた。

 「ヨハン! カルル! あんたたち、一体今までどこに…」

泥だらけの子供たちを受け止めながら、母親は戸口に立つフィオのほうに視線をやった。その表情が、不審に変わっていく。

 「あんた、まさか…」

ヨハンが、母親の胸の下で顔を上げて叫んだ。

 「違うよ、魔女様が僕らを助けてくれたんだ。悪い奴らにつかまってた」

 「そうだよ、魔女様は悪くないよ! ごはんおいしかったし、空飛んだし、あとね。すっごく強かったんだ!」

カルルも合わせる。

 「魔女様、って。あんたたち…でも」

 「ごめんなさい、半分はあたしのせいなの。森に入って来る盗掘者を見逃してしまったから。でも、これからはもう、そんなことはないようにちゃんとお仕置きしておくわ」

そう言って、フィオは首をかしげて微笑んだ。

 「じゃあね、二人とも。もう危ないことはするんじゃないわよ」

去ってゆこうとするフィオの後ろから、少年たちの声が追いかけてくる。

 「ばいばい、魔女様!」

 「また、お空飛ばせてー」

戸口でずっと手を振っている二人に見送られ、何事かと集まってきた村人たちの好奇の視線を受けながら、フィオとロードは村を出た。だが、森へは戻らない。

 「で、さっき言ってた”お仕置き”、本当にやるのか」

 「あらー何? 怖い?」

 「…お前がな」

 「あはっ。心配なら尚更ついてきてよね、間違ったところ燃やしちゃわないように」

 「……。」

向かった先は、ユーゲンの町だ。通りは街灯の明かりが照らし、家路を急ぐ人々、仕事のあとに一杯ひっかけていく船乗りたちなどが行き交っている。月明かりの暗い川べりには、船が碇を下ろして並んでいる。倉庫街は真っ暗で、静まり返っていた。

 「あれがトニー商会の事務所。灯りがついてるから、中に誰かいそうだな」

 「成るほどね。じゃあ、ちゃちゃっと行きましょ」

言うが早いか、フィオは胸元のブローチに触れ、杖を手に商会のドアを乱暴に開く。ノックするとか、声をかけるとかは一切ない。おまけに正面突破だ。中には、用心棒たち数人と、一番奥に黒髭のトニーがいる。

 「な、貴様ら…!」

壁に張り付き、とっさに裏口のドアノブに手をかけようとする。

 「あらー、逃げないでよね? せっかく会いに来てあげたのに」

フィオがくるりと杖の先を回すと、ドアノブが炎に包まれ、熱に指先を焦がした男が呻いた。

 「つっ」

 「この!」

武器を抜いてかかってこようとした用心棒たちは、フィオに凄まれて思わず動きを止める。

 「…死にたい?」

 「う、う」

 「あんたたちごと、この建物を一瞬で灰にしてあげてもいいのよ。そのくらいのことをしでかしてくれたんですからね。」

トニーは、壁に張り付いたまま蒼白な顔でガタガタと震えている。

 「ま、街中で魔法を…魔法で殺人は、法律で禁じられて…」

 「だから何。法律ですって? あたしは何処の国の人間でもないわよ。シルヴェスタは魔女の森。どこの国にも属さず、誰も手出し出来ない場所――そうじゃなくて?」

杖を差し向けて、彼女は真っ直ぐに男の眼を睨んだ。

 「覚えておきなさい。次に森で見かけた時は、それなりの代償を支払ってもらうわ」

 「……!」

フィオが一歩身を引くのと同時に、男は、壁に背をつけたままへたへたと座り込んだ。出て行く彼女を、誰も止めない。入り口で待っていたロードは、ほっと息をついた。じろりとフィオがそれを睨む。

 「何よ、その顔」

 「いや。」

てっきり中で暴れるのかと思っていたロードは、心底ほっとしていたのだ。と同時に、ただ怒りをぶつけて暴れるだけだった頃に比べれば、随分成長したんだなと思った。今はまだ未熟でも、かつての”森の魔女”のような威厳を少しずつ身につけ始めている彼女は、いつかは、テセラと同等の――或いは、それ以上の”森の賢者”になるのだろう。

 「これで大人しくなってくれるといいけどー。ほんとに人を蛙にする魔法、覚えようかなぁ…」

 「いや、それはちょっと」

 「ハルさんに今度聞いてみよっと」

 「…知ってたら逆に驚きだよ」

満ちてゆく月が足元を照らす。

 町を出て、森に向かう道を歩きながら、二人はしばらく黙ったままだった。

 「あたし、村の人たちと仲良くできるかな?」

ややあって、フィオがぽつりと言った。考えていたのは、ヨハンとカルルの村のことらしい。

 「森からは出ちゃだめだって、ずっと言われてきたから、ご近所なのに何も知らないの。いつも木陰から見てるだけだった――あんなに恐れられてるとは思ってなくて」

 「あの子たちと、これからも会いたいってことだよな、それ」

 「そういうわけじゃないけど。」

何故か、ちょっと口を尖らせる。

 「ただ、ずーっと一人だとつまんないかなってだけ。魔法教える気はないけどね。楽しいときもあるのよ、たまには」

 「たまには…ね。」

 「たまにはよ。すっごく暇な時とかだけよ。いつも居るとうるさくて面倒くさいんだから!」

つんとして歩調を速めたフィオの、先をゆく背中に月の光が落ちている。道の先には、同じように月の輝きに照らされた、深い緑の森が広がっていた。





魔女の棲む森/了.

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