第29話 終わる世界

 それは、異様な光景だった。

 森が突然途切れたかと思うと、焼け焦げた木々の跡がどこまでも続く荒野が広がっていた。草も木も生えていない地面は溶けてガラスのようになっている部分もある。相当な高温で焼かれた痕だ。

 「ぼくとテセラが最初に戦った場所だ」

ぼそりとレヴィが呟く。

 「え…」

フィオが振り返る。

 「もしかして、森が消えたのって、レヴィとお母様が?」

 「そう。あの頃のぼくは、今よりはるかに未熟者だった。打ち返すことも出来ず、逃げ回るので精一杯だった。被害を――軽減することも出来ずに」

ちらりと、ハルが一瞬だけ、レヴィのほうに視線をやった。

 「それが普通だ。相手の魔法を打ち消すには、相手の詠唱速度を上回るか手の内を読んで先手を打つしかない。どちらにしろ、テセラほどの使い手に対抗出来る魔法使いは、そうはいないだろう」

 「でもシュルテンの町では戦えてたぞ。」

ロードが言うと、レヴィは小さく首を振る。

 「あの時は向こうも手加減していたからな。何だかんだで、フィオが居たお陰で無茶はしてこなかったんだと思う。ぼくとテセラじゃ、詠唱速度は比べ物にならない。こっちは得意呪文を待機状態から起動させて打ってるっていうのに、片っ端から打ち消されてた。転移の呪文が決められたのは、ほとんど奇跡だ」

 「転移…空間制御の高等呪文だね。まさか彼女も、君に使いこなせるとは思っていなかったんじゃないかな?」ハルは、くすっと笑う。「――にしても、魔力消費の大きい技なのに、よく覚えようと思ったね」

 「一発逆転で生き残るには、それしかないと思ったからさ。勝てないなら負けなきゃいい」

 「面白い考え方だ。」

歩きながら、ハルが呟く、

 「一撃が致命傷になるレベルの魔法使い同士の戦いは、ほとんどの場合、互いの魔法の打ち消しあいになる。傍からは何もしていないように見えてもね。」

それは、ロードやフィオに向けて言った言葉のようにも聞こえた。地面が溶けるほどの高温は、まともに食らえば一瞬で蒸発してしまう。防御するのも簡単ではないはずだ。

 と同時に、ロードは、テセラの操っていた電撃を思い出していた。シュルテンの町でも、風の塔の前でも、確かにここまでの雷ではなかった。手加減していた、というレヴィの感想は、本当なのかもしれない。フィオがいたから? だとしたら、次の戦いでは…。

 風景が、突然変わった。目の前に広がっているのは、深く切れ込んだ大地の裂け目のような谷。そしてその入り口には、子供たちがたむろし、笑いさざめき、――駆け回る足音が響いている。

 「…っ」

フィオは青ざめた顔で一歩、あとすさった。

 「これ…、あたしと、シエラの小さい頃…」

二人並んで楽しそうに遊んでいた子供たちが、振り返ってにぃっと赤い口で笑う。髪の毛がざわざわと黒い影となって揺れる。

 「似合う? ねえ似合うかな」

 「この姿。お母様は気に入ってくれたよ」

 「悪趣味だな」

ぼそっと呟いて、レヴィはフィオの目を後ろから手で覆った。

 「きゃ、何す…」

 「ロード、今のうち」

頷くと、ロードは腰から短剣を抜いて放つ。まずはフィオに似たほう。それから、隣にいた少し大きな見たことのない少女の姿をしたほう。二人とも、悲鳴も上げずに倒れ、溶けるように消えていく。周囲で笑っていた子供たちが、ぴたりと笑うのをやめた。

 「消えた」

 「殺された」

 「敵だ」

 「こいつらは、敵だ」

岩影から、地面の隙間から。次々と、異形の子供たちが湧き出してくる。まだ安定していないのか、身体の半分が溶けたようになっている子供や、体の一部を引きずっている子供もいる。あまりの数の多さと奇怪な風景に、ロードは思わず硬直した。吐き気をもたらすような光景だ。

 だがハルは、僅かな躊躇もなく進み出ていく。 

 「いいよ。僕がやる。」

 「え、――」

 「こんなの、気分悪いだけだろ?」

ロードが何か言う前に、ハルは片手を掲げた。周囲の岩の表面が剥がれ、鋭いナイフの刃へと変わっていく。手を降り下ろす。と同時に、空中に静止していた刃が縦横無尽に飛び交い、次々と<影>たちの急所を貫いていく。逃げようとする者、飛びかかっていく者。反応は様々だったが、いずれも間に合わない。舞っていた刃がくるくると回って停止した時、周囲には、一体の影も残っていなかった。

 いや。

 一体だけ、目の前に残っていた。子供の姿ではなく、大人の男の姿だ。

 「ハルガート…」

姿は変わっていても、急所の位置とその輝きで見分けがつく。ハルは、何故か微笑んだ。

 「やあ。覚えてるよ、君はあの時の二人のうちの片方だね」

 「…腑抜けの賢者。生きていたのか」

 「そう、残念ながら。君たちはもう少し真面目に殺しに来るべきだった」

ハルガートの表情がぴくりと動く。

 「それとも、"腑抜け"だから生かしておいても問題ないと思っていたのかな。一つだけ聞いておきたいことがあるんだ。――あの時、どうして僕の息子を見逃してくれたのかな」

 「ムス…コ? とは、何だ」

 「ああ。なんだ、知らなかったのか」

刃がひらめいた。重たい衝撃がハルガートを背中から貫き、守るように見えている薄い陰の暈ごと胸側に貫き通す。ロードは、ハルの浮かべていた微笑が消えていることに気が付いた。彼は静かに、冷たい色の眸で流れるように消えていく<影>を見つめていた。それが全て消えたとき、涙が一筋だけ、頬を伝い落ちた。

 「…ハル」

ロードは、一歩近づいた。どう声をかけていいのかは分からないまま、その肩に手を伸ばそうとしたとき、ふいにハルが、はっとしたように顔を上げた。

 「まだいる」

 「え?」

慌てて、ロードも周囲を見回す。

 「何だ、この数」

<影>だらけだ。いつの間にか、周囲はほとんど取り囲まれている。ギチギチと耳障りな声を立てながら、森のほうからも迫ってくる。

 「谷の奥に裂け目がある。そこから沸いてくるんだ。裂け目を閉じない限り、無限に湧いてくる」

と、ハル。

 「先に行ってくれ。一人でも大丈夫だ」

 「わかった」

あっさり言って、レヴィが谷の奥に向かって走り出す。

 「あ、ちょ…待ってよ!」

フィオが追う。

 「待ってよ、ハルさん一人じゃ…」

 「甘く見るな。<影憑き>相手に遅れをとるような奴じゃない。ぼくら全員合わせたより強い」

二人の声が遠ざかっていく。ロードは、振り返って唇を噛んだ。それから、二人に続いて走り出す。




 谷の入り口は狭く、両脇から迫ってくるようだったが、走っているうちに次第に広くなっていった。それに連れて、両脇の崖にはきらきらと青白く輝く無数の岩が現れる。レヴィが驚いたように声を上げる。

 「これ、魔石の原石か? すごい数だな」

 「うん。だから普段は、誰も入れないように封印されてて――」

白い息を弾ませて走っていたフィオが、足を止める。

 「どうした?」

 「…歌、聞こえる」

 「歌?」

レヴィも耳を済ませる。「あーほんとだ。何か聞き覚えあるな…」

 「これ、いつもフィオが歌ってたやつじゃないか?」

と、ロード。

 「そう! きっとお母様が近くにいるんだ」

周囲を見回したフィオは、岩壁の隙間から続くわき道に気づいた。「こっち!」背を屈めて、狭い隙間を潜り抜けていく。青白い輝きが足元を照らし出している。<影>も<影憑き>も、ここにはいない。全部、外のハルにひきつけられているのだろうか。

 ほとんど這うようにして最後の関門を擦り抜けたとき、何の前触れもなく足元が明るく照らされた。

 一瞬、外に出たのかと思ったが、そうではない。

 顔を上げたとき、彼は思わず息を呑んだ。

 そこは、――谷の中に穿たれた、巨大な空間だった。魔石の結晶が花のように咲き乱れる真ん中で、魔女テセラが歌っている。空洞の中に反響する声は、こんな時でなければ思わず聞き入ってしまいそうなくらい甘く切ない。

 持って行かれそうになった意識を引き戻したのは、頭上に浮かぶ半ば融合しあった二つの青白い大きな塊だ。明滅しながら高速で動き続けるそれを、ロードは、以前にも見たことがあった。

 "創世の呪文"だ。

 「何てことを…」

振り返ると、レヴィが青ざめた顔で一歩後退るところだった。

 「起動させた? 不完全なままで…!」

叫び声に気づいて、テセラは歌うのをやめた。くすくすと笑いながらこちらを振り返る。

 「どう? 世界創造の光よ…美しいでしょう」

 「何やってんだよ! 三分の二しかない断片を起動したところで、不完全な呪文にしかならないぞ!」

 「そう思う? 大丈夫よ。足りない部分は私が埋めてあるの。」

恍惚とした表情で微笑む彼女の足元で、<影>たちがゆっくり立ち上がる。そこには、底の見えない真っ暗な穴が見えていた。風景がそこだけ途切れて、文字通り、世界が「裂けて」いるように見える。ハルの言っていた「裂け目」は、きっとこれだ。

 ロードは、腰のナイフに手をかけた。

 「私のための世界を創る。私の…私だけの世界。もう少しよ…邪魔なんてさせない」

<影>たちが歓喜の声をあげ、歌うように叫ぶ。

 「新たな創造主、テセラ様。とこしえなる闇とともに繁栄あれ!」

 「…狂ってやがる」

吐き捨てるように言ったレヴィの隣で、フィオが激しく首を振った。

 「ううん。悪いのはお母様だけじゃないわ。あたしたちも、分かってあげられなかった」

 「いいや、違うな。雛はいつか巣立つ。それが当たり前なんだ。雛鳥が巣立つとき、親鳥も子離れするべきなんだよ!」

<影>たちが動き出したのを見て、レヴィは大急ぎで何か唱えて、振り返った。

 「ロード、フィオ抱えて飛べ!」

何をするのかは、聞かなくても分かる。青い森の踏破で何度も練習したあわせ技だ。ロードは、後ろからフィオを抱えて力いっぱい跳躍した。レヴィの魔法がその動きを増幅させ、壁際まで一気に後退する。レヴィのほうは、少し遅れて近くに降り立った。

 「フィオ、援護を…」

言いかけた足元に岩が降ってくる。

 「きゃあっ」

 「レヴィ?!」

 「今のは自然崩落! 天井が緩くなってる。あんまり派手に撃ち合うと生き埋めに…」

言い終わらないうちに、テセラが電撃を放った。悲鳴を上げる間もなく、フィオが頭を抱え、レヴィは大急ぎで呪文を完成される。降り注いだ衝撃が空中で受け止められ、電荷がびりびりと辺りの岩に拡散していく。だが、全てでは無い。

 「…くそ、八割も行かない」

ロードのほうは、襲い掛かってくる<影>を一体ずつ狙っているが、数が多すぎる。おまけに、次から次へと沸いてくる。テセラの足元、結晶の花の咲き乱れる場所がどす黒く闇の泉と化しているのが、ロードの眼には見えた。そこが発生源だ。

 「来ないで!」

フィオが悲鳴を上げた。ロードの攻撃を擦り抜けた<影>が、笑いながら襲い掛かってくる。フィオが炎を放つが、その炎に照らされて溶けながらも、<影>は笑い続けている。

 「キリがない。レヴィ、どうにかならないのか?」

 「あっちの詠唱が速すぎるんだよ!」

レヴィが離れた場所から怒鳴り返してくる。「こっちの呪文を完璧に打ち消した上に、"創世の呪文"の詠唱も続けてる。このままじゃ…」

やはり、"三賢者"の中で最も古参のテセラ相手に正面から戦いを挑んでは歯が立たないということなのか。

 「ちとキツいな。ハルはまだなのかよ…」

呟いた時、目の前に迫ってきていた<影>が全て一撃の閃光のもとに掻き消える。ぽかんとして、レヴィは、顔を上げた。

 「呼んだ?」

 「って、いつのまに!」

フィオに借りたコートについた泥を払いながら、ハルがにっこりと笑っている。

 「遅れてごめんね。外のは全部片付けてきたから。」

そう言って振り返り、テセラのほうを見た。二人の視線が合う。

 「やあ。…久し振りだね、テセラ。」

 「そうね。五十年ぶりくらい? あの頃より、少しはマシになったのかしら」

ハルが表情を歪めるのに気づいて、彼女は声を上げて笑う。

 「そうよ。あなたの愛しい人を殺させたのは私。だって、ずるいでしょう。自分だけ家族なんて作って、一人で幸せになろうとして」

 「テセラ…君は、でも…僕の息子は見逃してくれた」

 「見逃す? 何のこと?」

 「君は子供好きだった。昔から…」

甲高い笑い声が言葉を遮る。

 「知らないわ、そんなこと。最初から誰も助けるつもりなんてなかった。呪文が奪えても奪えなくても殺せって言っておいたしね。ふふ、あの時のあなたの狼狽ぶりは本当に楽しかった。」

暗い瞳が、その場にいる全員を、一人一人、順番にねめつけていく。

 「――皆嫌い。あなたも、ランドルフも。この世界も、全部」

はっとして、フィオが顔を上げる。

 「あたしも…?」

ほんの半呼吸の間。

 「ええ、――大嫌い。言うことを聞かない子供なんていらないの」

大きく目を見開いたフィオだったが、震える両手を握り締めて、呼吸を整える。

 「…うそつき。」

周囲の地面が揺れ始めた。天井が大きく崩れて、岩が視界を奪っていく。

 「まずい、崩れる。」

ハルがとっさにロードとフィオを庇おうと抱き寄せる。

 「上に飛ばすぞ!」

どこからかレヴィの声が聞こえた。世界がぐらりと揺れて、視界が回る。この感覚は覚えている。レヴィの空間転移で、どこかに移動させられる時の感覚だ。

 どさっ、と何処かの硬い地面に背中から投げ出されて、ロードは小さく呻いた。腹の上にフィオが折り重なっている。

 「おい、着地…」

気をつけてくれよ、と言い掛けて顔を上げた彼は、レヴィとハルが胸のあたりを押さえて蹲っているのに気がついた。

 「どうしたんだ」

 「呪文が…引きずられてる…んだ…」搾り出すような声で言って、ハルは大きく息を吐く。「…僕の呪文は、完全に起動された…みたいだ」

 「くそ、…こっちの管理してる分は見えてないはずなのに、干渉してくる…とは」

同じように胸を押さえながら、レヴィは、足元に空いた大穴を見下ろした。

 崩れ落ちた天井の中で、魔石の結晶がきらめいている。

 さっきまで青白く不安定に明滅していた呪文の塊は、今はもうほとんど融合しきって、丸く固まった状態から、横に細長く引き伸ばされて楽譜のような形に変わっている。あるいは、凄まじく長い巻物と言うべきか。所々足りない部分には、オリジナルとは違う、薄い文字が付け足されている。

 「本当に、足りない分を穴埋めしたのかよ…」

驚嘆の声とともに、溜息をつく。「けど、やっぱ要素が足りてない。…ハル、あんた自分と繋がってる分だけでも止められないのか?」

 「駄目だ。僕の呪文は、今は彼女の制御下にある。出来るとすれば、せいぜい発動を遅らせるくらい」

 「どうなるの?」

と、フィオ。

 「呪文は既に実行状態に入ってる。ただ、不完全な状態のままだから、途中で停止すると予想される。おそらく今ある世界を壊しきったあと、世界を作り直す再創造の最中で異常終了するはずだ」

 「それって、分かりやすく言うと世界が終わるってことじゃないのか?!」

ロードが怒鳴ると、レヴィは頬を搔く。

 「分かりやすく言うと、まぁ…」

 「…まだ間に合うんだろ?」

 「今の状態では、止めることは出来ない。巻き戻すのも無理だ」

 「最悪」

ぽつりとフィオが呟いた。凍えるような息が、いつのまにか吹き始めた風に揺れた。

 見ている前で、空が割れていく。欠片となってばらばらに零れ落ちてくる灰色の欠片の裏側に張り付いているのは、真っ暗な闇、灯が暮れて夜になるのとは全く違う、一面に黒で塗りつぶしたような色が広がってゆく。足元からは、反対に岩が空に向かって吸い上げられていく。足元が消えていく。その下に広がるのも闇だ。


 "世界の始まりには闇しかなかった。"


その伝承が正しかったことが今、証明されようとしている。

 「うわっ」

足元が突然消滅した。

 「ロード!」

咄嗟にハルが手を差し出し、腕を掴むと、ほっとしたように微笑む。

 「…こんな時にする顔かよ」

呆れながらも、彼はその腕を掴み返した。フィオのほうは、レヴィに捕まって浮かんでいる。

 いつしか足元はもうほとんど消えて、辺りには上も下も、何もない真っ黒な世界だけが広がっていた。"無"だ。色が消え、光が消え、形あるものが全て一つに解け合う。森も、小屋も、村も、全てが塗りつぶされてゆく。

 障害物がすべて消えたとき、正面に、輝く青白い呪文の塊とテセラの姿が見えた。闇に飲み込まれずに立っているのはレヴィとハル、そして二人の近くにいるロードとフィオだけだ。

 「…ああ、一つだけ今、方法を思いついた。」

小さな溜息をついて、レヴィは髪をかき回した。「ハル、今からぼくは、自分の管理している分の呪文を起動させて、あっちの呪文にぶつける」

 「君の?」

ハルは、珍しく戸惑ったような表情になった。

 「ああ。こっちは逆方向に作動させる。そうすれば、ある程度は打ち消しあうはずだ。その間にあんたは、あいつの詠唱のスキをついて自分の呪文の管理権を奪い返せ」

 「でも、君一人じゃ…それに」

 「詠唱速度で負けるだろって? ナメんじゃないぞ。ぼくだって"賢者"の一人だ。そう簡単に押切られるつもりはない。それに、これはぼくにしか出来ないだろ」

それだけ言うと、真顔に戻って自分の胸のあたりに手を当てた。その下から輝きが漏れ出して、彼の頭上に同じ、もっと強い輝きが現れる。風の塔にあった"創世の呪文"の断片だ。

 ハルは、なおも尋ねる。

 「君は…どうしてそこまで?」

 「諦めるわけにいかない、それだけだ」

迷いのない、黒い瞳が真っ直ぐに見つめ返す。「守りたいものがあるんだ。――あんただって、そうじゃないのか?」

 はっとして、ハルは泣き出しそうな顔で笑った。

 「…そうだったね。」

ぐっと表情を引きしめると、彼は振り返って闇の向こうの呪文の塊に対峙した。同時に、レヴィの頭上で丸く輝いていた呪文が強い輝きとともに解け始めた。高速で回転していた文字が一行ずつ、整列してレヴィの周囲を包んでいく。

 「三つに分かれた"創世の呪文"が全部、ここにある…」

フィオが心配そうに呟く。彼女が見つめているのは、さっきから微動だにしていないテセラだ。放心したように、絡み合う二つの呪文を見上げている。泣いているようにも見えた。

 「…お母様」

自分の手を握り締めながらしばらくそれを見つめていたフィオは、やがて、叫んだ。

 「嫌いって言われても、あたしは好きだから。お母様のこと…嫌いになんてなれないから!」

ふ、とテセラが振り返る。その顔を見て、ロードは思わず息を呑んだ。さっきまでの若々しい顔とはまるで別人のように、皺くちゃに年老いていたからだ。

 遠い闇の中に消えていきながら、彼女は微笑んでいた。何か言ったような気がしたが、その時にはもう、声も、光も、全てが闇に飲み込まれていた。


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