第七話 人界の生活
日も暮れはじめ、ひぐらしが鳴いている。道中の家からいい香りが漂ってきて食欲を増進させる。
後ろの方でまたお腹が鳴る。今度も白雷だ。
また顔を赤くしているのかもしれないが見たら殺されてしまうかもしれないから振り向かない。雷怖い、あの頭をぶつけた昨日から若干トラウマになりつつある。
「……人界とは言えど、夕日の美しさは幻界と変わりませんね」
「太陽があるならどこも同じなんじゃないか?」
「とんでもないです。冥界では常に日食の状態で夕日はおろか、太陽をまともに見る事すらできません。そもそもこうして辺りの風景を楽しむとか、そういった事が一切許されないような世界ですから」
そんなに酷い世界なのか冥界は。
地獄はよく聞くが冥界って言われても死後の世界ってことぐらいしか分からないし、想像もつかない。存在だってしてるかも分からない。
一体冥界とはどんな所なのだろうか。
「なんか見てきたみたいな言い草だな」
「あくまで伝承での話です。無念を残し、転生出来なかった者が行き着く場所と言われていましたから、そのような想像が生まれたのでしょう」
「へぇ……」
そういう発想が出てくるのは人間と一緒なのか。案外幻獣も人間に近かったりするのかもしれない。
「でもここまでマナの少ない世界にしてしまったのですから、やはり人間は愚かです」
「……そりゃすいませんでした」
本質的には人間に近いな、うん。嫌悪というよりは見下してるって感じか。
「こんなにマナが無いのに、人間はどうやって生活しているのですか?水は先程通った川で汲んでくるにしても、火はどうにも出来ないと思いますが……まさか未だに火起こしの文化が」
「流石に下に見過ぎじゃない!?そこまでサバイバルな生活は強いられてねぇよ!」
「え……で、ではどのように火を……」
キョトンとした表情で尋ねる。どうやら本当に火を起こしている、付けているのか知らないらしい。なんて失礼な種族なんだ。
だがそれだけマナありきの生活をしているということなんだろう。
「これから見せる。ほら、着いたぞ」
話をしている内に家に着き、玄関を開けて電気をつけると白雷の体がビクッと動いた。
「マナ、使ってませんよね?」
「使ってない。使い方も分からないしな」
「ですよね……?」
耳が垂れている。なんで落ち込んでる感じなんだ?
もしや敗北感でも感じてる?ん?
「別にまだ負けたわけではありませんから」
耳がピンと立つ。もしかしてコイツも心の中が読めるタイプだったのか?
「まだ何も言ってないが……これがコンロだ。ここのつまみを捻ると火が付く」
実際に火を付けてみると彼女は興味深そうにコンロを見回す。よく小説とかアニメで見たことはあるが、異世界とかはそういう技術が無いとか、本当だったのかアレ。
「確かに火は付いていますが、この不快な香りは?瘴気のような感じが……」
「ガスだな。あまり嗅がない方がいいぞ、気持ち悪くなる」
「使用しているのですか!?何故そんな命懸けみたいな事を!?いや、火を扱う事自体は基本命懸けですが……付ける時から命懸けとは」
「重く受け止め過ぎないか!?ガスを吸いすぎなければいいだけだって!それにこれもあるから!」
そう言って俺は換気扇を付けた。プロペラが回りガスが外へ出たのか、白雷が辺りを見回した。
「成る程。この羽が回転して瘴気、ガスを吸収していると。吸収したガスはどこへ?」
「外に流れて終わりだな」
「何の解決もしてないじゃないですか!」
怒られた。
確かにガスを外に出してるが俺に言われてもどうしようもない。設計したのは俺じゃないし。
「まさか人界がここまでとは……しかしマナが無い環境では仕方がない事なのでしょうか……いえ、ですが」
彼女は呆れながらも一人でブツブツと呟き始める。
火の事について知りたがっていたが、ここで生活するならある程度の設備の説明をした方がいいだろう。環境だの何だの文句言われそうだが。
「次はこれだ。ここの栓を回すと水が出てくる」
ブツブツと呟く白雷を引っ張り隣の流し台へ。実際に青い栓を回し蛇口から水を出すと彼女の呟きは止まり、それをまじまじと見始めた。
「これは特にガスは使われてないから大丈夫だ」
確か水は水道のポンプの圧力で来てるから大丈夫だった、はず。
「不快な香りは無い、ガスは使われていない……怠惰ではありますが、これは凄いですね!」
栓を回し水を出しては止めてを繰り返す白雷。これなら幻獣も満足だろう。
俺が作った訳では無いが、こう喜ばれるとちょっと嬉しい。
気分が乗り、赤い栓を回して温水を出した。
「ちなみにこの隣の赤い栓を回すと温かい湯が出る」
「湯まで出せるのですか!?凄いです!一体どうやって」
「それはガスで……あっ」
やらかしてしまった。
ガスという単語を聞いた瞬間、白雷の顔が曇っていき大きなため息をつかれた。自分で蒔いた種とはいえ心にクるものがある。
「なんか……ごめん」
「いえ、そんな気はしていましたから……」
言ってくれれば、いや結局は聞かれて答えるから駄目か。
台所を一通り紹介した後に冷蔵庫などの電化製品の説明をした。彼女自身が雷を使うからなのか、電化製品には興味を示していた。
もしやと思い試しにトースターのコンセントを持って貰うと電源が入り、パンが焼けた。これは便利で電気代の節約になると思っていたのだが
「直感ですけど、なんか嫌です」
あっさりと目論見を見抜かれて却下されてしまった。
我ながら良いアイディアだとおもったんだがなぁ、電気代とか節約できるし。
など色々考えているとついに俺のお腹も鳴った。焼けたトーストの匂いのせいだろう。
白雷は顔では笑ってはいないが小刻みに震えて笑うのを堪えていた。
畜生、俺には笑うな見るなと無言の圧力と脅迫をかけておきながらこれか。次お前のお腹が鳴ったら笑ってやるからな覚悟しろよ。
「今日の飯はこれな」
冷蔵庫から瓶に入ったジャムやバターなどを取り出し、卓袱台の上に置いて夕飯の準備をする。夕飯というよりもはや朝飯のような感じもするが折角焼いた、もとい焼いてもらったんだから今夜はトーストだ。
「これは?」
「トーストだ。パンを……あー、小麦をこねて焼いたものを更に焼いた食べ物だ。焼いたのはさっきお前にコンセント持ってもらった機械だ」
「これがパンなのですか?幻界にもパンはありますが、丸い形をしたものしかなかったので四角いものは初めてです」
丸い形、ってバターロールとかそういう感じのものだろうか。丸い形が出来るなら四角形も出来ると思うんだが、何かそう出来ない理由でもあるのだろうか。
「これがジャムとバターだ。必要なら塗って食べてくれ」
パンに塗るものと聞いて興味を示した白雷がジャムを覗き込む。すると彼女はジャムが入った瓶を持ち上げ下から覗き込んだ。
「この香り、この色……こ、これをどこで!?」
まるで幻のアイテムでも見つけたような驚き様だった。
「お、落ち着けって、これはただの苺ジャムだ。近くのスーパーとかコンビニに売ってる」
「苺!? そんなまさか……私だってまだ一度しか食べたことが無いのに……」
苺を食べた事が一度しかない?苺ならどこにでもありそうなものだが。
「幻界では苺に限らず甘い果実は中々実らないのです。稀に一部の地で実をつけますが、本当に限られた場所で小量しか取れないんです」
「砂糖もか?」
「はい。貴重な調味料です」
どうやら幻界とは思っていた以上に不便な世界らしい。甘いものが滅多に食べられないとは悲しい世界だ。口に含んだ瞬間に広がる果実の甘さ、いつか幻界に伝えてみたいもんだな。
ここで俺は一つの妙案が浮かんだ。
「ならあっちに帰るまで味わっとかないとな」
「そう言って私を堕落させるつもりですね?残念ながらそうはいきません。私も不覚をとってしまったとは言え国の……麒麟族の一人です。貴重な果実を食べたからと言って簡単にあぁぁ〜……苺美味しいぃぃ〜……」
白雷は苺のジャムをこれでもかとふんだんに使い食べると、恍惚な表情を浮かべた後うずくまる。
よし、この様子ならいける筈だ。
「甘いぃぃ美味しいぃぃ……おのれ人界、このような邪なるもので私を堕とそうなど……」
これはもう既に堕ちてしまっていると言っても過言ではないのでは?
彼女からは既に麒麟、聖獣としての威厳もプライドも感じられない。そこにいるのはただのジャム好きの女子と化した何かだ。
「そんなに好きなら今度またジャムを買ってこようか?」
「本当ですか!?……いや、いやいや駄目ですそうはいきません、私はその程度で懐柔など絶対にされませんからね」
「いやいや堕とすだなんて物騒な事なんざ考えないさ。ただ家事を少し手伝って貰いたいんだよ。例えば……さっきのパンを焼く機械で焼いて貰うとか」
「麒麟である私に人間の下で働けというのですか?お断りします。命を助けて頂き宿を提供して頂ける事には感謝致します。しかしそれとこれとは話が変わります。ましてや先程の機械に電気を入れて欲しいなどと、屈辱です」
図々しいを通り過ぎて清々しいな。それにしても必死に動きたがらないのは何故だ?
でも俺もさっきのトースターはデリカシーが無いと思った。それに関しては謝らなければならない。
「まぁトースターに関しては謝る。なにも俺の下で働けって言ってる訳じゃないさ。あくまでも同居人として最低限の事をしてくれればいいんだ。それに戻れば食べられなくなるかもしれないぞ?」
「うぬぬ……」
白雷は腕を組み、表情を曇らせ必死に悩んでいる。
そう言えばさっき甘い果実は実り辛いって言ってたっけか。
「林檎」
「っ!?……ひ、卑怯です!そうやって果物を増やしていけば私が懐柔されると思ったら大間違いですからね!」
言葉ではそう言ってはいるが身体は素直なようだ。尻尾が激しく動いているし目の輝きは変わっていない。
ならこれでどうだ。
「蜜柑」
「………………私が出来る事であればお手伝い致します。パンも焼きます」
白雷は深く考え込んだ後、頭を下げた。
堕ちたな。
これで俺の家事の量は半分になる。彼女の容姿もいいし、非日常ではあるがこれはこれでいいだろう。
だが何かを忘れているような……
「あの、一つよろしいでしょうか?」
彼女は顔を上げて俺に尋ねる。
この時俺は思い出す事となる。彼女がどうして家事をやりたがらなかった事を。
「なんだ?」
「実は私、あまり家事といった事をしたことが無くて……もしよろしければ教えて頂けると有難いのですが……」
「…………」
白雷は幻界の存在でここは人界、当然こっちでの生活など知っている訳がない。
俺の家事の量が変わる事は無いだろうな……
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