第51話 302号室の攻防




 コンビニから戻ると、アパートの外にいてもわかるほどの臭いを感じた。

 慣れた臭いだ。何の臭いか、考える必要も無い。

 どうするべきかと悩むまでもなく俺は臭いの濃い場所に向かう。

 まあ、探さなくてもわかるが。


 最初に扉を開けたのは、1階の白塗沢の部屋。


 予想していた通りとは言えないが、そこには二人の人間が倒れていた。

 一人は女、一人は男。


 「おーおーどうしたよ……」


 二人の意識があるかどうかの確認を含めてのその行為に、弱々しい返事がきた。

 

「いろいろ、ありまして……」


「んなこたぁ、言われんでもみりゃわかるわ」

 

 近づいてみれば、どちらも切り傷だらけ。女——魅内潔子は完全に意識を失っているらしい。

 詳しい話を聞こうと口を開くより先に、白塗沢が「三階に」とつぶやいた。

 ほとんど声になってはいなかったが、これを成したそいつが3階に向かったことは間違いない。


 俺はため息を吐き出した。まためんどくさいことになってやがる。しかも俺がいない間に。どういうわけか最近こういうことが増えてる気がするぜ。

まぁ嘆くのは後だ。


  よくよく二人を見る。と、白塗沢も魅内潔子も簡単に治療されている。その理由を考えて俺は首をひねった。治療を施した奴は外部の人間か? それとも管理人? もしくは上にいる四人のうちのだれか。

 可能性が一番高いのはこのアパートに限っていうなら、四人のうちの誰かだ。

 その中で、潔子を下に連れてきただろうやつを想像する。体格を考えれば、それができるのはおそらく一人だけ。

 そいつが現在何者かと遭遇しているのだろうか……。

 相手が何者かはわからないが、果たして対抗できるか。仮に相対したとして、今の彼に刃物を持った相手を制する力があるとは思えない。そうなると絶望的な展開もありうる。

 簡単に言えば「ああ、死んだかもしれない」そう思ったわけだ。

 誰が、という話は考えないことにする。まあ、誰が死んでも仕方ないが、知り合いが死ぬと目覚めが悪い。


 二人の様子からしておそらく放置しても大丈夫だろうと俺は判断する。もちろん数分なら、という話だが、数分あれば十分だ。

 俺はとにかく3階に向かうために白塗沢の部屋を出る。

 と、同時に、何かが割れる音が上の階から聞こえた。


 ガラス? 

 窓が割れたのか?

 いや、皿か。

 なんにしてもなにか起きてるなぁ、現在進行形で。


 俺はコートをひぐがえし、3階に向かう。途中魅内潔子の部屋からも血臭を感じたが、やはり魅内潔子の部屋から白塗沢の部屋に彼女をつれていったのだ。という確証を持てただけ。ともかく今はスルーして上にむかう。


 3階に向かって駆け上がる。

 開きっぱなしの扉はさっきまで俺がいた表屋空の302号室。

 袖口に隠した武器を取り出して進む。わずかな距離、一瞬で。

 扉の奥を覗き、明るい室内でまず確認したのは入ってすぐで棒立ちの毒島一笑。次に床に四つ這いになっている表屋空。そしてその下敷きにされている女。

 おお、善戦してるじゃあないの。

 そう思って一歩近づくと、女が持っているナイフが表屋くんの足に刺さっているのが分かった。瞬間、俺は反射的に表屋空を女から引きはがしにかかった。


 その時、たしかに見た。


 ひどく楽しそうに笑う表屋空の姿を。


 それにかまっている暇は多分ない。けれど。

 確かに俺の網膜にそれは焼き付いたように思えた。

 これが、表屋空の本性。俺ははっきりとそれを自覚するに至った。


 いや、今はそれを考えている余裕はない。

 表屋を引きはがした直後、女が起き上がる前に女の首を代わりにつかむ。すでに窒息寸前だったらしく、それでどうにか相手の動きが鈍らせる。

 その隙に周囲を見渡した。

 奥に倒れている進士がみえて、目があう。


「おっせーよ! オッサン!」

 

 うるせー。

 体重をかけて女をさらに床に押し付ける。


「暗丘さん」


 二人の呼び声に応えるのも面倒で、「おう」と一言だけ答えた。


 女がうめく。それに一瞬意識が引き戻される。と、すぐに気配を感じて首をそらした。

 目の前に迫るナイフをすんででよける。

 が、頬に一筋の赤が走った。

 そこで右手が緩んだのは失敗だった。

 すぐにナイフをもつ女の右手を掴みにかかるが、つかむ前に女が俺の下から這い出してしまった。

 

 距離をとろうとする女に「っち」と舌打ちをし、大股で一歩前に出る。

 ——逃がさない。

 そして、逃げられるわけがない。

 女の右腕を再びとらえると同時に、俺は女の首を片手でつかみに行った。

 

 その瞬間、頭の中によぎったのは、先日進士から渡された情報。新しい入居者は女。黒髪。そして。

 人を食う。


 ――カニバリズム。


 女の唇は血に染まって赤黒く光っている。それをみて、俺はこいつが新しい入居者だと断定した。

 そういう趣向のやつがいるのは知っているが、俺の趣味じゃない。

 まあいい。ともかく、そういうたちのやつなら先ずは顔を抑えのるが妥当だろう。


 そう一瞬で判断したその時には、俺の腕は勝手に動いていた。

 女の首、ではなく、顔面をとらえに行った右腕。

 見事に女の顎を抑えつけた。

 

 あとは体格差で十分だ。

 ナイフを持っている右手は左手でつかんだまま、今度は女の首を手前に引きよせ、そのまま滑らせるように背後に回ると、今度は首の後ろをひっつかんで地面に押し倒す。

 ダンッ! と音をさせて女がうつぶせに倒れこむ。

 同時にナイフを持った女の右手をひねり上げれば――ボコッと音がした。

 女が声にならない悲鳴を上げる。


 「肩を外しただけだ。暴れんな女」


 低く言いつける。

 殺気をまとわせれば、女は先ほどまでの抵抗が嘘のように、一言だけうめいてそのまま動かなくなった。

 しょせんは素人。ただの人殺し。俺の相手にはならん。

 

 ナイフを奪い、女の背中に膝を乗せる。いっちょあがり。と。

 まったく手間がかかる。困ったやつが入居してきたもんだ。

女——つまり203号室の新入りを足蹴にしたまま、俺は髪をかき分けた。

 さて、どうしたものか。このまま抑えつけておくわけにもいかないし……。そうだ。

 

「表屋くん。この部屋縄とかないか?? それでこいつを抑えたいんだが」


 言って、振り返ったその時。


「空くん!」


 叫び声と同時に、表屋空が前のめりに倒れた。 

 まあ、困ったもんだ。まったく。



 


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