第38話 302号室の少女と八重子
ガタガタという音。
揺れる家具。
打ち鳴らすラップ音。
耳を塞ぐ少女。
少女の様子以外は見慣れた光景だった。
俺と、空、どちらもこの光景に、この現象に覚えがある。
あるが、今回のはそれほどひどくないように思う。
後ろで驚いている八重子に対しては、まあ子供だからと同情しなくもないが、お前のせいだろう。とも思わなくもない。
ともかくひどいラップ音の中、潔子が少女を落ち着かせようと努める。
「いけませよ、ねえ、聞いてくださいな。大丈夫ですから。大丈夫ですよ」
そっと少女に近づき、潔子はしゃがみこむとその頭をなでた。おそらくこういうことは潔子のように視える人でなければできないのだろう……。
俺には、それは不思議な光景に見えた。
着物姿の潔子とやせ細った少女。金持ちと貧乏人のような差が視えるようだ。そう俺が思うのも仕方ないほど身なりが違う。
唯一同じなのは性別くらいなものだ。
じっと後ろから二人の女──正確には女性と少女を見ていた俺達だったが、しばらくして何事かを少女と話していた潔子が唐突に振り返った。
そのタイミングで、音が弱まる。やがては揺れも、少女の様子も落ち着きを見せ、鎮まっていった。
何をしたんだ?
俺の疑問に答えろと、今潔子に問うことはできない。それよりも、潔子の視線が向いているのが俺の後ろで隠れようと必至になっている八重子であると気づいて、俺は体を横にずらした。
「野呂井さん。彼女を縛っている力を解いてください。そうすれば呪い返しをしなくてすみます」
「やり方、知らない……」
……これだからド素人は、って顔だったな今の。
「では、どうやってこの子をこの場にとどめているのですか? この子はお母さんに会いたいと言っています。そこに真山美穂さんはいるのに、見えないのです」
潔子は俺のほうを指差す。
そう言えばあの女は今俺に憑いていると言ってたな。
思わず振り返るが、当然そこには何も見えない。俺が殺した女がそこにいるのに、どんな顔で俺を見ているのかも、そもそも俺を見ているのかどうかすら、俺にはわからない。
虚しさを感じるのはなぜだろうか……。
「真山美穂って人はぁ、なんで空くんにくっついてんの? 恨んでるの?」
一笑が潔子に尋ねる。
当然だろう。殺されたのだから。殺したのは俺なのだから。
正直、俺からは聞きにくいから聞いてくれて助かるが、本人の前でよくも言える。
恨んでます。という返答を俺は待つ。それ以外の返答がくるとは思えない。しかし、その予想は外れていたようで。
「いいえ」
と潔子が首を左右に振った。
「真山美穂さんは、ご自身の子供、真山かおりさんのことを心配して、その気配のするあなたに憑いているのです。恨みの感情は感じられません」
そんなことあるのだろうか。そんなことまでわかるものなのだろうか。
潔子は再び八重子をみて、手を差し伸べた。
「あなたの呪いの方法は普通ではない。何かしらの宗教に準ずるものでもなく、いわばあなたの特殊な力といえましょう。その方法を教えてくださいな」
穏やかな口調に反して、拒絶を許さない眼差しに八重子は視線を彷徨わせながら、それでも頷くことをしない。
「……教えられない」
「なぜ?」
「仕事に必要だからだ」
「死にますよ」
「…………」
潔子が笑顔で脅せば、八重子は再び黙りこくってしまった。やれやれ、と言った様子で首を左右に振る潔子だが、辛抱強くまつつもりらしい。
やがて絞り出すように八重子は言葉を紡いだ。
「……これは復讐なんだ。八重子は友達との約束はやぶらないんだ」
復讐。それは誰の? 真山美穂の? それとも少女の霊のということか? 少女は母親を殺した人物──俺に対する復讐を望み、それを八重子は叶えようとしているということだということ、ならば。
「俺が死ななければ復讐は完遂されないわけか」
「いいえ、彼女はそんなことは一言も言っていません。だた、お母さんが帰ってくるのを待っていると。会いたいと泣いています」
潔子の言葉に誘われるように視線を少女にやれば、その頬は涙で濡れているようにも視える。たしかに、部屋で見つめ合っていても一度も恨み言を言われた覚えはなかった。
真山美穂といい、その子供といい、恨みを忘れて互いに会いたいがために成仏できないとは、愚かというか、哀れというか。
何を棚に上げているのかという感じだが、まあ俺としてはそういう感想だ。
空だったら、同情するのだろうな……。
ああ、なるべく空に今回のことは知られたくない。穏便にすめばいいが……。
「お母さんとあわせて上げましょう、野呂井さん」
「だめだ。約束をまだはたしてない。復讐する約束だ」
「はじめがどうというのは、今更関係ないと思うのだが……」
「だめだ。約束を守るのが友達だ」
少女すら置いて口論が始まりかねない状況に、それでも八重子は頑固にも頷こうとしない。もはや少女と八重子との間には感情の一致はないというのに。
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