第37話 302号室の少女と魂の声





「いきましょうか、虚さん」



 魅内潔子のその言葉に、俺は舌打ちをする。

 彼女が僅かに眉をしかめたのをみて、ふいと目をそむけて知らぬ顔をしてみるものの、おそらくは俺の粗雑な態度に不満でもあったのだろう。


 俺という存在は、空とまったく異なる者というわけではない。だから多少の類似点はあるものの、それが顕著であるわけでもない。

 俺もまた居場所を失った霊のようなものなのかもしれない……。

 いや、今は俺のことではなく、少女の魂をどうにかしなければ。

 でなければ、空が安心して眠れない。

 なんのためにここまで騒ぎになるのを放置していたと思っているのか。この女に、あるいは八重子に呪いを解かせるためだ。

 事情を知られて一度は殺そうと思ったが、まだその目的を達することをあきらめたわけではない。



 俺を先頭に潔子、その下に八重子、そして一笑の順で階段を登る、その後ろから白塗沢と進士がついてくる気配はしない。白塗沢にはもはやついてくる理由がないし、進士はまあ、盛大に腕をおってやったからな……。

 ほどなくして三階に到着。

 視界の内で、潔子が着物のたもとで鼻を覆うのが見えた。


「臭いますわ……」


「ゴミとか放置してないけどぉ?」


「その臭いじゃありませんことよ」


 余計な合いの手を入れる一笑にピシャリと言い捨て、潔子は顔をゆがめた。


「これは死臭とよばれるもの……。霊が発することも稀に有りますが、多くの場合は地縛霊などが殆どで……」


 そこまで言って、彼女は振り返り、八重子の顔をまじまじと見つめた。


「八重子さん。もしや、その子をこのアパートに縛り付けているのですか?」


 渋々あとについて階段を登っていた野呂井八重子のろいやえこはキョトンとした顔で首をかしげる。


「縛る? あの子の願いを叶えるためにここに置いているだけ」


「あなたがここに置く、つまり止めおけば、それは地縛霊を作るのと同義ですわ」


 潔子がため息をもらした。


 どうやら八重子は、力が有れど使い方については無知らしい。どういう経緯かしらないが、何も知らずに負の方向へ伸ばしてしまった力。本人にはその醜悪さに自覚がないのだろう。


「虚さん。扉を開けていただけます?」


 そう促され、無言で扉を開けてやる。

 そして部屋に入り込んだ瞬間。



 ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ



 いつもの物音が盛大に響きわたった。


 殺風景な部屋に置かれた数少ない家具が、食器が、あらゆるものが、揺れて音を立てている。



「な、なにこれぇ」


 一笑が悲鳴を上げ、潔子も目を丸くする。八重子にいたっては驚愕に思わず俺の背中に身を隠した。

 おい、お前のしわざだろうが。


「いつも、これほど?」


「ああ」


 たしかに、おどろくほどのことかもしれない。俺も空も最初は驚いていたんだ。これほどの物音がしていて、それで正気を保っていられるわけはない。そう思ったこともあったが、あいにくと俺にはそういう感覚はないし、そして空にも……。

 あいつも、これに慣れることができる神経の持ち主ではなるわけだ。

 そこはどうあがいても事実であることを、俺は知っている。


「で、どうやって鎮めるんだ」


 改めて催促すると、潔子は鈴を取り出して、部屋の中へと足を踏み入れた。 


 「わたくしの霊の払い方、つまり浄霊の方法は単純に説得すること。ですが……今回は意図的に縛られている状態、呪いの呪具として使われてしまっている状態。それならば……野呂井さん……こちらへ」


 玄関ですぐに振り返って、潔子は八重子を呼び、呼ばれた側は顔をしかめた。

 渋る八重子の背を一笑が押す。


「今失礼なこと考えてるでしょ、潔子」


「考えておりません」


 たまには役に立つ。そんなふうに思っていたのだろうな。いざ指摘された潔子は知らぬ存ぜぬを通し、八重子を横に置いて歩みを勧めた。

 廊下を抜け、居間の入り口で立ち止まる。


 目を閉じて、鈴をひとふり。

 リーン


 ふたふり。

 リーン


 そしてみふり。

 リーン


 潔子がゆっくりと目を開けたその視線の先。

 そこには、一人の少女がいた。


 落ち窪んだ目。頬はこけ、唇はひびわれ、ひょろりとやせ細った体。髪はぼろぼろになり、衣服は汚れ、生前の柔らかさをほとんどを残していないであろう姿。

 その少女は、けれどたしかに、言われてみれば、あの女、真山美穂という名の死んだ女性によく似た面差しをしていた。

 空が感じていたもう一つの既視感の正体は、これだ。

 あの写真を見たあとだからこそわかる。そう俺は感じた。

 清子がそっと少女に歩み寄った。


「──あなたの、お名前は?」

 

 潔子が尋ねる。


『     』


「どうして、ここにいるのですか?」


『           』


「ここにはお母さんは帰ってきませんよ」


『      』


「いいえ、ここはあなたのおうちではありません。お母さんも、ここには戻っては来ないのです」


 囁くような少女の言葉に一つ一つ潔子は返していく。

 やがて少女は、取り乱した様子で耳を塞ぎ何事かを叫んだ。

 

ガタガタガタガタガタガタガタガタ!!!



 音は、どんどん大きくなっていく……。

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