第39話 再会と解放



 

 唐突に、一笑かずえが「てゆかさー」と間の抜けた声を上げた。


 潔子きよこ八重子やえこも、そして俺も一旦口を閉じて一笑に視線を向ける。

 一笑は首を傾け、人差し指を唇につけて、したりぎみで頷くというなんとも奇妙な姿勢を作って言った。


「昔の約束守るよりも、お友達なら今のお願い聞いてあげればいいんじゃないの、八重子」


 普通ではない少女が普通のことを八重子に提案する。それに八重子は目をぱちくりとさせて驚きをあらわした。


「約束破ることになってもか?」


 と八重子は問う。


「今はその子もう恨んでないってゆーか、忘れちゃってるってゆーかなんでしょ? それよりもさ、逢いたいって泣いてるなら、逢わせてあげるのが友達でしょ」


 一笑は当然のようにそう返す。

 驚愕を顕にしながらも、八重子はウロウロと視線を彷徨わせ、何故か俺に視線を向けた。


「そういう、ものか……?」


 問われているのだと気づいて、なぜ俺にと思いながらも、わずかに悩む。

 しかし悩んだところで答えは明白に思えた。

 

「そうだな……泣くほど辛いなら、その時の願いを叶えてやるのが親切というものだと思う、普通は」


 普通の感性はわからないがおそらくそうだ。

 八重子は今度は潔子に視線を向ける。


「友達というのはわかりませんけれど、苦しんでいるならばそこから解放して差し上げればいいかと。単純なお話ですわ」

 

 確かに単純な話だ。

 しかしその単純な『普通』が八重子にはわからなかったらしい。

 哀れな子供だ。

 やがて、八重子はおもむろにパーカーのポケットに手を突っ込み、そっと小さな紙を取り出す。四つ折りされたそれを、八重子は潔子に無言で突き出した。

 突きつけられた潔子はといえば、それをうやうやしくも両手で受け取って、ゆっくりとひらき、頷く。

 

「……この紙があなたの呪いの方法。紙に書くだけでその力を発揮する……恐ろしい才能ですね。こういう場合の解呪は簡単です。ここにある文字を消せばよいのです。表屋さん、なにか書くものをいただけますか? 黒色の」


 それはまた……。そんなことで人を呪えるならば、呪い放題だな。

 俺は潔子の頼みにひとつ頷き、ペン立てから油性ペンを取り出してそれを潔子に渡した。いつも使っているただの油性ペンだが、これでいいだろうか。

 潔子が油性ペンと共に、再びその紙を八重子に突きつける。


「ご自分で消したほうがよろしいですわ。力あるものが消すとあなたに呪詛をかえすようなもの。この紙にかかれているように、永遠に呪われるのは、あなたの方になりますもの」


 潔子の言葉に八重子は青ざめた。

 そして渋々それを受け取る。

 つまり紙には永遠に俺を呪うという内容が書かれていたというわけか。

 恐ろしいことを書くやつだ。


 八重子は紙とペンをみつめ、随分と迷った様子でいたが、やがて決心がついたのだろう。思いっきり紙を黒く塗りつぶした。


 これでいいのか。

 こんな単純なことでなんとか解決するのか?

 

 俺が疑問を口に出そうとした瞬間、唐突に空気がかわるのを感じた。

 ひりついた暗い空気から、白い霧の中にいるような空気へ。

 しかし霧の中ではないことを示すように、視界はクリアになり、ガタガタという音が消え、電気が煌々とつく。

 そして少女はさきほどよりずっと穏やかな表情をしてそこにいた。

 

 ──あまりの違いに驚く。




「あとはわたくしの役割ですわね」


 潔子が今度はその手を俺に差し出した。

 潔子の手と、潔子の顔を交互に見やる。

 何をしようとしているのかをはかるつもりでいたが、しかしはかりかねない笑顔に内心でたじろいでしまう。

 それを知ってか知らずか、まるで安心させようとするかのように潔子は穏やかに微笑んだ。


「虚さん、こちらへ」


 俺の手を自ら取って、俺を居間にいざなう。

 なんだろうか。恨み言でも言われるのか。そう思って警戒する俺だが、目の前で潔子は警戒などかけらもないような表情でそっと目を閉じた。


「私を通して、あなたに憑いている真山美穂さんと、その子供──真山かおりさんをつなげます」


 つなげる。

 左手で少女の手を、右手で俺の手を握って、潔子がそう言うと、次の瞬間。

 ふわりと風が吹いた。

 髪がなびき、背中を風に押される。


 思わず俺は周囲を見渡すが、なにか風を発生させるものなど何もない。

 なのに、風は後ろから俺の頬を撫でて吹き抜けていく。

 穏やかなで冷たい風はどこからともなく光の粒を運んできた。

 それは風に煽られるように舞って、部屋中を満たす。

 


 さらり、と衣擦れの音がした。

 はっと息を飲み硬直する俺の横を何かが通り過ぎる。

 再びさらりと音がする。

 視界に、一人の女の背中が見えた。

 黒い長い髪、白いワンピース。


 女の背中を追って視線を動かした俺は、女を見た少女が泣きそうな顔になるのを見た。



──……さん。



 声が聞こえた。

 音とも言えない、揺れのような、波紋のような、頭の中に響くような声。



──おかあさんっ。



 母親を呼ぶ声。

 ひとしく幼い子どもが、迷子の子供が親を見つけたような喜びに溢れた声。


 それに答えるように、女が手を伸ばす。

 女と子供の手が触れ合う。

 風が女と子供を包み込むように巻き付き、光の粒もまた、ともに巻き上げられて行く。

 


──かおり……。


 女がつぶやいた。

 泣きそうになっていた少女の瞳が、表情がみるみる間におだやかな微笑みになる。



──かおり。ただいま……。


──おかえり。おかえり。



 ただいま、おかえり。

 二人はそう言って互いを抱きしめながら光の中に消えていく。


 ふと、少女がこちらをみた。

 俺を見たのではない。

 ニコリと笑った少女が手を振る。

 八重子に向かって穏やかに手を振っている。


 そして──。




 ふつりと、風がやんだ。


 いつの間にか何の変哲もない、静かで何もない部屋に立っていた。

 俺の部屋だ。

 

「いったのか」


 思わずつぶやいてしまう。


「いきました」


 潔子は俺のつぶやきにつぶやきで返し、微笑んでみせた。


 少女が、母親と手を取り合った瞬間、光となって消えたのが、たしかに見えた。確かに……。

 それは美しい光景だった。

 神秘的な光景だった。

 何よりも思ってしまうのは、それは母子の愛と呼べるものの姿。


 ああ、なんて……。





──う ら や ま し い。




 身の内から、そんな声が聞こえた。









 

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