第27話 201号室の魅内潔子 - 2
正直に言おう。
誰を信じていいのかさっぱりだ。
毒島さんの話を聞いて。なるほど、そうか。と納得できていたならば、今頃は魅内さんの家に突撃していたかもしれないが。
なんと言っても毒島さんなのだ。あの、毒リンゴの毒島さん。
相談しておいてこう言ってはなんだが、彼女は基本あてにできない。それも呪われたなどと、まさか初めて会ったときにそっけない、というか失礼な態度を取ってしまったのがいけなかったのだろうか。
いや、怪奇現象はその前から起きていたことだ。それが原因とは考えづらい。
うだうだ考えてみたものの、結局その日も何も進展がないまま。
気づけば幽霊が現れてから10日あまり。流石に疲れが溜まってきた僕だったが、またもやこの悪化した霊のいたずらに慣れてしまったという驚くべき展開。
本当にこういうのに慣れるのが自分でも早いと思わずにはいられない。
そして今日、再び僕は彼女に出会う。
「大丈夫ですか? 表屋さん」
これは、おそらく偶然ではないだろう。
僕はアパートの階段の下で魅内潔子さんと二人、夜闇の中で向かい合いながら思った。
いつかとおなじように、点滅する街灯で薄暗くもはっきりと彼女の様子が見える。
その表情は微笑んでいる。
やはりあやしい。
この人は何者なのだろうか。
「あの、魅内さんて」
「きよこ。とお呼びくださいな」
「魅内さん……お仕事をお伺いしても?」
「潔子です」
「魅内さん」
「なんて頑固な方でしょう」
あなたがね。
わかってた。わかっていたとも。
このアパートには話を聞かないやつしかいない。そうなのである。
わかっていたけれども。
せめて見た目普通の女性である魅内さんくらいはちゃんと答えてくれてもいいじゃないか!と僕は思うわけだよ。
無駄な期待だった。
ついこの間八重子ちゃんとしたやりとりのまんまじゃないか。まったく。
だいたい人の話を聞かないから、なんだか変な人に見えるのだ。勝手に話すというか。独り言言ってるというか?
そういうのは妙に映るものだ。
「できれば潔子と呼んでいただきたいのですが」
「まだそこまで親しくないのに、呼び捨てになんてできないです」
僕はため息まじりに言う。
彼女はキョトンとした顔を一瞬見せて、すぐにふわりと笑った。そして「良識のある方が入居されるなんて、はじめてかもしれませんわ」という。
つまり僕以外は良識がないと。
やめてくれ。想像もしたくない。
そして結局答えは帰ってこない。
この人はどういう人なのか、ちょっとしか会ってないからそりゃわからないのも無理はないけれど、多少、いやほんのちょっとでいいからこういう人。という物差しがほしい。あるのは毒島さんの言葉だけ。本当に毒島さんの言うとおり、この人が僕にあの女の子の霊を差し向けているのだろうか。
もしそうなら、どうやって?
「それなら、潔子さん、と呼んでください。それではいけませんか?」
「……はあ、じゃあ潔子さん」
「はい?」
「え?」
「お呼びになったので、なんでしょうか? と」
ああそうだった。なんの話をしてたのかすっかり忘れていた。
「えっと、潔子さんのお仕事は?」
「とくになにも」
……そうですか。
いやいや、どうすりゃいいんだ、そんなん。
おそらくは働いていないなんてことはないと思うんだ。別に確証があるわけじゃないけど。身なり的に、お金ありそうだし。着物って高いんだろう?多分。
じゃあなんでそんなふうに答えるのか。って話になっちゃうんだけど。
とにかく会話が進まない。
暗丘さんみたいな人だ。
僕が頭を抱えていると、突然魅内さんが眉を寄せた。
相変わらず口は笑った形のままだが、僕には多少不快さを顕にしているように見える。
なんだろう。
いくらかの沈黙のあと。
「ところで──」
と魅内さんはいいさして、しかしすぐに口を噤んだ。
なにかを言おうとしたのだろうが、肝心の何を言おうとしたのかは僕にはわかるはずもない。
「なんですか?」
「……いえ。ところで、大丈夫ですか? 夜、眠れていないのでは?」
と彼女が言う。
ところで。という言葉を使ったあたりすでに何かをごまかしたように聞こえたが。
本当は別のことを言おうといたのでは──。
いや、やはり僕にはわからないので仕方ない。
しかしなぜ、夜眠れていないとまるで確信をつくようなことを言えるのだろう。この暗さでは、僕の顔色なんてわかるはずもない。
だから毒島さんのように指摘できるわけないのに。
「何か知っているんですか?」
あなたの仕業ですか。そう聞かなかった僕はまだ理性的だと思う。
毒島さんの言葉を信じられないって言ってはみても、やっぱり今それしか手がかりがない。
だから僕がこう聞くのは当然のことではあったけど、魅内さんとしてはそうではないはずだ。突拍子もない質問に聞こえただろう。
だって仮に僕がさっきの質問に答えるとしたら「なんでわかるんですか」だ。何か知っているのか。は聞き方がおかしい。
僕は彼女がどんな様子をしているか気になって、暗闇で目を凝らす。
彼女は変わらず笑っていた。
何も不思議なことはなかった、とでもいうように。
クスクスと声を上げて。
「いいえ、いいえ、なにも」
闇が深まったような気がした。
やけに不気味に静まり返ったような。冷え込んだような。渦に飲み込まれていくような……。
ああ、どうしよう。
やっぱりこのアパートに普通の人はいないんだ。
毒島さんの言葉は間違っていなかったんだ。
この人も、どこかおかしい。
魅内さんは口元を袖で隠しながらクスクスと笑い続けている。
「でも、少しだけ知っていますわ」
という。
「少しだけ?」
少しってどのくらい?どういう意味?
彼女はわずかに周囲に視線を飛ばすと、そっと僕に近づいた。
僕が後ずさるのも意にかいさずに。
とうとう僕の目の前までやってきた潔子さんは、僕の耳元に近づいて囁いた。
「表屋さん、お気をつけてくださいませ。深い深い事情があるときは、そう簡単には物事は解決しないもの。ときにそれが人の命に関わるようなことならばなおのこと。知れども知らずとも。どうかくれぐれも、お気をつけて」
怪しげに笑って彼女はそう言うと、小さく会釈をして、僕の横を通り過ぎる。
一瞬の放心のあと、僕は勢い良く振り返る。
彼女の後ろ姿を眺める僕の頭の中は大混乱だ。
意味がわからない。
簡単に解決しない?命に関わること?知れども知らずともってどういう意味?
わからない。
皆目わからない。
わからないがしかし、わかることが一つ。
あの少女の幽霊と関係があるかは不明でも、僕の身に起こっている何かと彼女は関係しているということだ。
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●201号室
礼儀ただしい口調の女性。
常に笑顔。
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