第15話 302号室でパーリーナイト -1





「なんで、僕の部屋にいるんですか」


「はじめまして、ボクは103号室の白塗沢 朱斗しらぬりざわ あかとと申します。どうぞお見知りおきを」


 僕の部屋に集まった人の中で僕の言葉に唯一反応したのは、不健康そうな青年だった。

 無視ではないだけありがたいが、そう言って渡されたのはコップ。いま、名刺でも渡されそうな流れだった気がする。

 そして僕の問いに答えてくれたわけでもない。


「はあ、どうも。表屋 おもてやそらです」


 コップを受け取って、僕は会釈を返す。

 白塗沢 朱斗さん。髪に混じった白髪とやせた肌でいまいち年齢は測れないが、その表情や目元などを見る限りでは、それほど歳は離れていないかもしれない。

 そんなある種謎の雰囲気をもつ青年は「今日は楽しみましょうね」などと笑う。

 

 いや。


「じゃなくて、なんで僕の部屋に集まってるんですか」


 二度目のその問に答えてくれる人は、残念ながらこの部屋にはいないようだった。


「よおし、自己紹介は終わったか? それじゃあ改めて、乾杯!」


 待って、と僕が声を上げるより先に、それぞれが持った紙コップが、タタンという軽い音を立ててぶつかり合う。

 そして宴が始まってしまった。


 頬を引きつらせる僕の目の前で、コップの中身を一気にあおった暗丘くらおかさんが、盛大に「ぷはぁ!」という声を上げる。


「オッサンくさ」


「おっさん言うな」


 そんなやり取りを、隣に座っている少年とかわしながら、暗丘さんが追加のビールを紙コップに注ぐ。

 そして再び、くびくびと音を立ててビールを飲むと、今度はうーん。と小さくうなった。


「ま、あれだな、冷えたグラスの方がいいが、たまには紙コップも悪くない」


 悪かったですね、人数分コップがなくて。

 食器なんて二人分あれば十分だし、もちろんコップも同じことだ。

 僕は渋面を作るが、彼らは全く気にもしない。会話は僕を置いてどんどん進んでいく。


「そうですケド、やはりボクもグラスがいいです。ビーカーで飲むほど型にはまっているつもりはありませんが……いえ、あれもなかなかおつなものですが……」


「……オッサン白塗沢の言ってる意味わかる?」


「いや、わからん」


「ボクの言ってること理解できませんか? ビーカー、知ってます?」


 目の前で行われる謎のやり取りを見物しつつ、僕は紙コップからまるで冷えていないビールを飲んだ。

 あんまり美味しくない。



 いや、だ、か、ら!


「一体どうして僕の部屋に集まってるんですか!」


 半ば叫ぶ。

 あれだ、やけ。やけになってってやつ。

 でも仕方ないだろう、まったく話を聞いてくれないんだから。

 そうして叫んで、僕の疑問はようやく彼らの耳に届いたらしい。部屋に集まっていた全員の視線が僕に集まる。

 うわっ。と僕は思ってしまった。

 おもいっきりたじろいて、思わず上半身を三人から遠ざける。

 

 決しておかしなことを言ったつもりはない。

 のに、どういうわけか彼らはひどく驚いた表情で僕を見ている。

 なに、その驚いた顔。

 普通の疑問だと思うんだけど。うん、普通のはずだ。真っ当すぎるほど真っ当な。え、真っ当がだめなの? 普通に当然の、まっとうな疑問を口にしちゃいけないのか?


 僕は戸惑いつつも、集まった面々の顔を順に見て、結局唯一会話らしい会話──あれを会話と呼ぶかはおいといて──をした暗丘さんに視線を注いだ。

 それを正面から受けた暗丘さんは不思議そうな表情で僕を見返す。


 ……人選を間違えた。


 助けを求めて左右に首を向ければ、右側に座っている白塗沢さんはニコニコとしたまま、左側の少年はというと、コップの中身がビールじゃないことに気がついて不機嫌になっていた。


「おいオッサン。俺のビールじゃないんだけど!」


「未成年にビールは飲ませられませーん。進士が大人になったら仲間に入れてやるよ」


 こうして再び話が流れて……。

 このアパートの人間は基本話を聞かないということを、僕はようやく知った。





 彼らが僕の部屋に入って、なぜ酒盛りをしているのか。 そのはじまりは数時間前にさかのぼる。




 ◇ ◇ ◇




 夕方、バイトが終わって帰宅した僕は、部屋の前で一人の少年に捕まった。

 僕よりずっと若い少年。見た目からするとおそらくは中高生といったところだろう。

 彼は進士と名乗った。

 202号室の住人で、僕のお隣の暗丘さんとはそれなりに交流があるらしいとも。


「あー、それでご用件は?」


 僕は面倒な気配を感じながら尋ねる。


「こないだ暗丘が世話になったんだっていうからさ、お礼も兼ねて、せっかくだから歓迎パーティーをしようかなあって、暗丘と話してたんだ」


「歓迎パーティー?」


 怪訝な顔を隠せない僕は、その顔にふさわしい声で問い返した。

 正直いらない。

 だって相手は暗丘さんとなのだろう。めんどくさそうだ。

 僕の直感は当たる。

 とは言うものの、他の住人にあってみたい気はあった。


「歓迎パーティーって、他にも人来るの?」


「ん? んーじゃあ一人くらい呼ぼうか」


毒島ふすじまさんじゃないよね」


「それは違う」


 なるほど、ならばお呼ばれしようかな。


 実は僕はこのアパートについて、色々と気になっていることがある。

 例えば毒島さんという存在。そして暗丘さんのこと。そして二人による、このオトギリ荘についての不思議な発言。


 毒島さんは言った「隣人の情報を知らないと危険だ」と。


 倉岡さんは言った「全員異常者だ」と。


 僕はあれからその言葉の意味を考え続けている。

 だけど、季節が変わり雨季になっても、毒島さんが毒殺魔でストーカーだったということが分かったくらい。暗丘さんが裏社会の住人だということが分かったくらい。

 他の人ともまったく会わず、不在なのではなく、誰も住んでいないのでは、とすら思う。

 

 つまり僕は、このアパートのどこに誰が住んでいるのかすら、わからないままなのだ。


 だから、歓迎パーティーをしてくれるなら、あれこれ聞くいいタイミングだと思った。

 僕は軽く頷く。

 すると、パーティーに同意した僕に進士くんが渡してきたのは、六個パックのビール。

 僕はそこで文字通り停止する。

 ビールといえど受け取れない。人から食べ物を受け取ることはできないんだ。

 そう断る僕に、進士くんはさも不思議そうな顔で。


「飲めるだろ」


 と。

 それはまあ、お酒が飲めないわけではないけれど。そう思って、僕は反射的に頷いていた。

 お酒が飲めないのはむしろ進士くんのほうじゃないのかな。

 未成年だろうし。よくビールを買えたなぁ。ああ、暗丘さんが買ったのか。なら暗丘さんが直接来ればいいのに、面倒くさがったのかな。この子雑用に使われてるとか?


 などと僕が考えていると、進士くんが焦れたように僕にビールを押し付けた。これにもまた反射的に受け取ってしまう。

 だって受け取らなければ、進士くんはビールを地面に落としてしまいそうだった。

 結局ビールは押し付けられ、「これ、受け取れないよ!」と僕が叫ぶ前に、進士くんはそそくさといなくなっていた。


 僕はビールをじっと見つめて、受け取ってしまったと後悔する。

 けれどすぐに、僕が飲まなければ良いことだと考え直して、やれやれと首を振った。 

 このビールは、とりあえず冷蔵庫に冷やそう。



 この時点で気づくべきだったのだ。

 ビールを渡され、冷やすということは、この部屋がそのパーティー会場だということを。

 



 ◇ ◇ ◇




 そうしてその日の夜。

 僕は困惑の中に置き去りにされたまま、自分の部屋で飲み会の席についていた。



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