幸福な道を行け

 とあるツイートが流れてきた。

 

「あなたが目指すのは、大衆向けの小説を書いて皆から称賛される人気作家ですか? それとも、自分の好きな小説を書いて満足感を覚える作家ですか?」

 

 僕はノータイムで、「自分の好きな小説を書いて皆から称賛される人気作家だ」と答える。今の自分がそうだ、ではなく目指すものだからこう言ったって構わないはずだ。

 他の人がどうかはわからないけれど、僕は絶対原則として「好きなものを書くべき」と考えている。

 そもそもだ──揚げ足を取るようで申し訳ないが、このツイートは「大衆向け」という書き方に傲慢さが見え隠れしているような気がする。大衆が喜んで読むようなものを、あえて目線を下げて書いてやろう──みたいな視点がもしあるのだとしたら、読者を馬鹿にしすぎなのではないだろうか。読者には色んな人がいるからこそ、どんな形の小説であっても「本当に面白いもの」を発表すれば評価してくれるはずである。

 わざわざ「大衆向け」を書くのもいいが、それが本当に好きでなければ、好きで書いている人の作品には及ばない。いわゆるトレンドを追うのも結構だが、自分の好みに反してまで書く意味はない。

 

 小説家はあくまで仕事だ、という意見もある。芸術家ぶって自分の価値観を押し付けるのではなく、読者が読みたいエンタメを提供することに徹することこそプロの態度だ、という考え方だ。

 まあ、考え方は色々あっていい。しかし僕からすれば、それは「小説で飯を食うプロ」だからこそ、というよりは「小説でしか飯を食えない、プロになるしかない」者の考えなのではないだろうか、と思うのである。

 どういうことかというと──小説が売れなければ収入が得られない境遇にあるのならば、それこそ自分の好きな作品とかなんとか選り好みはしていられない。独自性、独創性を捨ててでもトレンドに追従していく他はない、ということだ。

 小説で飯を喰えているプロを羨む声も多いが、そう考えると僕はあまり幸福な状態ではないのかなと思ったりする。「小説で収入を得たい」というのは、言い換えれば「好きなことで生計を立てたい」ということではないだろうか。その原点からすれば、書きたくもない小説を嫌々書くのは手段と目的の逆転のように思える。それに──冒頭で言った通り、トレンドになっている題材をただ目を引くためだけになぞっている人より、そういう題材が大好きで情熱を傾けている人の作品の方が面白いはずなのだ。もとより苦しい戦い、と言わざるを得ない。

 もし、これを読んでいるあなたがそういった境遇──すなわち自分の書いた小説が売れなければおまんまの食い上げだ、という境遇にあるわけではないのなら、それは幸福な道である。学生なのか、あるいは社会人なのか──ともかく、自分の書いた小説が売れなくとも、少なくとも経済的困窮に直結することはない境遇。それはすなわち、自分の好きなものを突き詰めて作品にできる身分ということだからである。

 その結果、たまさか評価されて大人気作家になったとしたらどうか。それこそ、さっき書いた「好きなものを書いてみんなから称賛される人気作家」という、最高の存在の誕生だ。それを夢見て、試行を繰り返してゆけばいい。なに、どんなに失敗したって生活に困りはしないのだから大丈夫だ。

 僕もその一人だ。さあ、一緒に幸福な道を行こう。

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書きたいものを書いてりゃ幸せ。 中川大存 @nakagawaohzon

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