誇れ、そのクソザコPVを


 このカクヨムを始めとするWebサイトに投稿する形で小説作品を発表するという行為には、快と不快が付きまとう。

 何かと言えば、まあ誰でも最初に思いつく通りのことだ。

 「PV」である。


 Webで小説を書く人間なんていうのは、概して目立ちたがり屋なものだ。

 自分で読むためだけに小説を書くのならわざわざ全世界に公開などせず、ノートに書いて自分の部屋においておけば良いのだから。

 というか、そんな人がいるかどうかも実は疑わしい。人情として、作品を書き上げた以上は自分以外の誰かに読んでほしい、そして感想が欲しい(できれば褒めてほしい)と思うのは自然だろう。


 そしてWebでの掲載は、その望みを目に見える形で反映してくれる。

 それも「残酷なまでに」見える化してくれるわけだ。

 注目され、色んな人から感想や評価を頂く──そんな幸せな人もたくさんいる。

 しかしその何倍、いや環境によっては何十倍何百倍も、だれにも注目されず悶えている作家が存在する。

 誰にも見せないで書いていた頃は自分にとってこの上ない傑作であったとしても、評価ゼロ、PV底辺の状況がずっと続けば作者は否応なく厳しい現実を思い知らされる。

 これは、キツい。

 心が折れ、中途で投稿をやめてしまう人も多いだろうと思う。


 しかし。


 実際のところ、注目を浴びるかどうかというのは運も大きく絡んでくる。

 その作品と出会えば「面白い!」「好みだ!」と思ってくれるだろう人が何千人いたとしても、その人が膨大な作品の海の中からあなたの作品を見つけてくれる可能性は未知数である。

 その幸福な出会いがなければ、作品がどれだけ素晴らしくとも結果としての評価は表れてこないわけだ。

 投稿し始めの評価ゼロの状態ではなおさらだ。

 「注目を浴びている作品」であるほど多くの人の目に留まる機会が増え、そういった出会いも多くなる。

 つまり、「注目を浴びるためには、注目を浴びなくてはならない」というパラドックスなのだ。

 それ自体に血道を上げても仕方ない、と思うのは僕だけだろうか?


 だから。

 作者にできることは、自分の作品を気に入ってくれる人が偶然現れるまでただひたすら良い作品を書き続けることしかない、と思う。究極的には。

 作品を投稿し続けている限り、そのチャンスは(薄くとも)ゼロではない。

 クソザコなPVは、低空飛行の期間の長さは、それだけ作者の意地と矜持を表す。

 だから誇ればいい。僕はそう思う。

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